Club Pelican

NOTE

バレエの美神(ミューズ)

(2006年2月5日)

このこっぱずかしい名前の公演はガラ・パフォーマンスである。会場はみなさまの受信料で建てられた(かもしれない)NHKホール。渋谷駅からは徒歩15分、原宿駅からは徒歩10分、国立代々木競技場とNHK本局の間にある。

入り口近くの柱に紙が数枚貼り付けてあった。それはこの公演に参加するはずだったパリ・オペラ座バレエ団のローラン・イレールが、病気のため出演できなくなったという知らせと、なんとイレールの詫び状、そして彼を診察した医師の診断書のコピーであった。主催者側の誠意が感じられるといえばそうかもしれないが、診断書はやりすぎじゃねえかな。だって病名がはっきり書いてあったよ。

他にもパリ・オペラ座バレエ団の男性ダンサーが参加できなくなったという紙が貼り付けてあったが、その説明も懇切丁寧で、いや、なにもそこまで説明して頂かなくても、と恐縮するほどであった。やっぱり良心的な主催者なんだろう(光藍社という会社)。大体、ぴあのプレリザーブでこんないい席(1ケタ列センター席)が当たったくらいだから。

客席は満員であった。3階席まで観客がぎゅうぎゅうにつまっていた。う〜ん、ここが「紅白歌合戦」をやる会場なのか、と感慨深い。

一部はテープ演奏だが、生オーケストラによる演奏もある。指揮はアンドレイ・アニハーノフ(Andrey Anikhanov)、演奏はレニングラード国立歌劇場管弦楽団。ところで、アンドレイ・アニハーノフの髪型って、ジェームズ・レヴァインそっくりじゃない?群舞はレニングラード国立バレエ。

第1部は「ドン・キホーテ」第二幕・夢の場面から始まる。ドルネシア姫がイリーナ・ペレン(Irina Perren、レニングラード国立バレエ)、森の女王がオクサーナ・シェスタコワ(Oksana Shestakova、レニングラード国立バレエ)。イリーナ・ペレンは魅力的だけど、踊りがもともと大振りなのが昂じて、ちょっとガサツなところがある。が、私が最も気になるのは彼女のメイクである。あれほどの美人なのに、なぜあんな黒いアイラインをやたら塗りたくった、ニューハーフみたいなメイクをするのか。

オクサーナ・シェスタコワはペレンに比べると動きがしなやかであった。二人とも甲乙つけがたいが、踊りの優美さとメイクのナチュラルさでシェスタコワのほうが気に入った。ちなみに、レニングラード国立バレエのソリストと群舞にしょっぱなから出てこられたため、前日に観たばかりのスターダンサーズ・バレエ団の「ジゼル」とのあまりな違いにショックを受けた。とはいえ、スターダンサーズ・バレエ団を貶めるつもりは全然ない。あれはあれ、これはこれ。でも体型差とテクニック差はいかんともし難い。それに欧米人の踊りにはやはり「脂」がある。脂っぽくてテカテカ光っている感じがする(艶ともいう)。

「ロミオとジュリエット」はバルコニーのパ・ド・ドゥの途中から。振付はV.ワシリーエフと書いてある。これはウラジーミル・ワシリーエフのことだろうか。1989年にモスクワ音楽劇場バレエのために演出した版、だそう。ジュリエットはナタリア・レドフスカヤ(Natalia Ledovskaya、モスクワ音楽劇場バレエ)、ロミオはゲオルギー・スミレフスキー(Georgi Smilevski、モスクワ音楽劇場バレエ)。

短くてあっという間に終わってしまったのであまり印象に残っていないが、やはりロミオがジュリエットを持ち上げて振り回してばかりいた。でもマクミラン版のように暗く不健康にロマンティックなんではなくて、明るく健康的にロマンティックな振付だった。ロミオがぽーんと大きくジャンプすると、次にジュリエットがロミオに持ち上げられながら、同じくぽーんと大きくジャンプするのを繰り返す。実に楽しげである。キスするときも、ロミオがジュリエットを抱きすくめてキスするのではなくて、ロミオとジュリエットが互いに顔を近づけていってキスをする。

「ダジラード(Dageraad)」は、ラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章にリグライナーが振り付けた作品。草刈民代(牧阿佐美バレエ団)とミハイル・シヴァコフ(Mikhail Sivakov、レニングラード国立バレエ)が踊った。女性は白い袖なしの上衣に短いスカート、白いタイツを穿き、男性は上半身裸に下は白いタイツ姿である。静かな美しい振りの踊りで、いかにもクラシックではないが、かといって前衛的(?)でもない。このへんなら私はまだついていける。

床に寝そべったり、座ったり、立ったりしながら踊るが、せわしい感じはなく、静かで気だるい雰囲気である。でもあくまで秩序のある踊りで、見た目にも美しく、音楽にもよく合っていた。特に二人が同時に同じ振りで踊るところはとてもきれいだった。ミハイル・シヴァコフの美しい動きが目立った。たとえば両脚をスプリットするのなんか、水に沈み込むようになめらかだった。

「オーニス」は、ジャック・ガルニエの振付作品である。音楽はM.パシェとあるが、解説によると、ガルニエが活動したラ・ロシェルの町があるオーニス地方の伝統音楽を、2台のアコーディオンで演奏したものだという。1979年にガルニエ自身によって初演された。踊り手はウィルフリード・ロモリ(Wilfried Romoli、パリ・オペラ座バレエ)。

ロモリは大きめのシャツを着て、だぶだぶのズボンをサスペンダーで吊り下げ、黒い靴を履いている。ロモリはハゲなので、このオヤジくさい扮装がよく似合う。音楽はワルツ、タンゴ、ジーグ(やはりダンスの一種)に分かれ、そのたびに踊りのステップも変わる。メロディはどれもなんだか物悲しい感じだった。

ワルツでは摺り足のようなステップを踏みながら舞台を大きく移動し、身体をやや左右に揺らして淡々と踊る。タンゴとジーグでは動きが大振りになる。飛び跳ねたり、片脚を軸にしてジャンプして回ったり、靴音を響かせて踊る。いかにもなきれいさとか美しさとかを狙った踊りではない。クラシックの型を崩したような振りと動きで、また民族舞踊の振りも入っているらしい。一貫して朴訥で土くさい雰囲気の漂う踊りだった。今回はソロで踊られたが、普通は3人で踊るそうで、3人で踊るともっと民族舞踊っぽくなるだろう。

「レクイエム」は、振付は笠井叡により、音楽はモーツァルトの同名曲より第七曲「涙の日(Lacrimosa)」(この曲まで書いてモーツァルトは死んだ)をG.ストーンがアレンジしたものを用いている。途中で踊り手のファルフ・ルジマトフ(Farukh Ruzimatov、マリインスキー劇場バレエ)自身による朗読も入っている。

ルジマトフは上半身裸で、下は黒いぴったりしたズボンを穿いている。足はたぶん裸足。私はルジマトフの身体と身体の使い方に興味があった。この人はまず体型が変わっている。手足は長く、肩幅と胸板が広く、しかしひどく痩せていて、腰とお尻の幅が同じである。どこまでが腰でどこからがお尻なのか分からない。で、いつのまにか脚になっている。胸からかかとまでの線が床とほぼ垂直だ。

ルジマトフの踊りは映像でしか観たことがなかったけど、変わった踊り方をする人だなあと思っていた。テクニックがあって、ダイナミックで、ドラマティックだけど、なんかアクがある。長い腕、上半身、両脚、早い話が、全身の動きが非常に独特で個性的である。

この作品には特にストーリーはない。振付は、たぶんこれは非常に前衛的なんではなかろうか。たまに見たことのあるクラシカルな動きがあったくらいである。振付の良し悪しは分からない。でもルジマトフの身体と身体の動きを見ているだけでぜんぜん飽きなかった。

特に面白かったのが両腕の動きで、実に不思議な動き方をする。曲げたり折ったり震わせたり振り回したり、よくしなって、動きの線が残像として残る。反り返る上半身と脚も独特である。ルジマトフの踊りを見ていて、この人は身体で物言う人だなあ、という思いが強くなる。全身から出るパワーというかオーラみたいなのがとにかくすごい。こういう作品には向いているダンサーだと思う。

第2部は「忘れないで・・・(Souviens Toi…)」で始まる。振付は踊り手自身であるマリ=クロード・ピエトラガラ(Marie-Claude Pietragalla、ピエトラガラ・カンパニー)とジュリアン・ドゥルオ(Julien Derouault、ピエトラガラ・カンパニー)である。音楽はY.ティエルセン、A.アマーとある。そーいえば、たま〜に音楽が流れていたっけ。

今回の公演の中で最も辛かったのが、この「忘れないで・・・」である。忘れません。退屈でつまらなく、しかもやたら長くて、早く終われよ、と思った唯一の作品ですから。

女性は薄い生地のワンピースを着ていて、男性は黒いズボンを穿き、上半身は裸。女が背を向けて立っている。男がその前でひたすら床の上でのたうちまわり、やみくもにもがいて意味不明な動きをする。女が前を向くと二人で踊りだす。手足がバラバラになった奇妙な動きで、たまに男が女を持ち上げ、女が男にもたれかかる。やがて今度は男が背を向けて立ち、女が床の上でのたうちまわる。それから・・・えーと、男がいったん消えて、また出てきて、黒い上着を着ている。男は踊った後、いきなり「ウワーッ!!!」という叫び声を上げる。骨折でもしたのか、上着の肩袖は太い包帯みたいなもので巻かれている。女が斜めに立てかけられた(傾斜度70くらい)白い板の上で踊る。板の下辺にはポールがとりつけてあって、そこに足をのせるわけ。女は板の上でひとしきりもんどりうったあと、舞台の床に降り立つ。で、また男が出てきて、あとは忘れた。

この作品はこの人たちだけが踊れる、いや、他の人は踊りたいとは思わない作品ではなかろうか。ダンサーが自分の踊りたい作品を振り付けて、観客のことなど考えずに踊って自己満足している、という感じがした。マリ=クロード・ピエトラガラは強い個性と存在感があるし、パートナーのジュリアン・ドゥルオともども、踊り自体は確かにすばらしかった。でも私はこの作品は好きではない。

「幻想舞踏会」は、ショパンの音楽にブリャンツェフが振り付けた作品。本来は数組の男女ペアによって踊られる作品だが、今回はその中から一組のカップルの踊りが上演された。ダンサーはナタリア・レドフスカヤとゲオルギー・スミレフスキー。男性は水色のシャツに白いタイツ、女性は白い長いチュチュを着ている。最初は仲良く踊っていた二人が、やがて諍いを起こし、そして離れる。だが、最後は再び一緒に踊り始める。

振り付けは基本的に非常にクラシカルだったが、悲しみに打ちひしがれて床に横たわっている女性に向かって、男性が古典的なグラン・ジュテをしながら彼女に近づいていくなど、なんかクラシック的な振付とコンテンポラリー的な演出が、はっきり分断した形で混在している印象があった。でもとてもきれいな踊りだった。全編を観てみたいものである。

「スパルタクス」は、振付はユーリー・グリゴローヴィチ、音楽はハチャトゥリアン。上演されたのはスパルタクスと彼の妻、フリーギアのパ・ド・ドゥ。スパルタクスはドミトリー・ザバブーリン(Dmitry Zababurin、モスクワ音楽劇場バレエ)、フリーギアがタチアナ・チェルノブロフキナ(Tatiana Chernobrovkina、モスクワ音楽劇場バレエ)。アクロバティックなリフトが連続して行なわれる。スパルタクスがフリーギアを肩に担いで振り回し、フリーギアは担がれながら体の位置を変えたり、ポーズを変えたりする。はっきり言って難度の高いリフトの見せ場である。

いちばんすごかったのが、フリーギアがスパルタクスの肩に片腕を置いて、スパルタクスの頭上で逆立ち状態になり、スパルタクスもフリーギアの腰を片腕だけで支えて静止する、というリフトであった。このリフトに移る途中で、逆立ちした女性ダンサーがバランスを崩して、両腕を男性ダンサーの肩に置いてしまい、それから再び挑戦した。今度は見事成功して、客席から拍手が起きた。

第3部の最初は「眠りの森の美女」からローズ・アダージョ。オーロラ姫はオクサーナ・クチュルク(Oksana Kutcheruk、レニングラード国立バレエ)。まずクチュルクが神秘的な美人だったのでうっとり。ご存知オーロラ姫のバランス技が見せ場のシーンだが、4人の求婚者に手を取られている間、クチュルクは相手に向かってそれぞれ何かしゃべっていた。あと、最後に順々に手を取られて回るところで、求婚者の手にバチン!と乱暴に手を乗せていた。ラストで手足をぱっと広げて静止するところは見事に決まったが、舞台マナーが少しなってない。

余談だが4人の求婚者たちが面白かった。オーロラ姫に挨拶しようとして、ライバルをどついて遮り、自分が先に挨拶したり、カーテン・コールでも帽子を振り回し、コミカルな仕草で退場していったり。

次は同じく「眠りの森の美女」からグラン・パ・ド・ドゥ。オーロラ姫はイリーナ・ペレン、デジレ王子はアンドリアン・ファジェーエフ(Andrian Fadeev、マリインスキー劇場バレエ)。第1部の「ドン・キホーテ」でもそうだったけど、両のこめかみのあたりにカールした前髪がかかっているのがかわいい。

アンドリアン・ファジェーエフのソロがすばらしかった。まさにバレエの王道を行くダンサーの踊り、という感じだった。

「アヴェ・マイヤ(Ave Maya)」は、振付はモーリス・ベジャール、音楽はグノーの同名曲を用いている。踊り手はマイヤ・プリセツカヤ(Maya Prisetskaya)。うわお、20世紀最高のプリマ、プリセツカヤの実物をついに目にすることができましたよ。それだけで大感動。

プリセツカヤは黒い長い上衣を着て、黒いシルクの細いズボンを穿き、両手に片面が赤、もう片面が白の扇を持っていた。驚いたことに、かなり高いハイヒールを履いている。細身で背筋はすっと伸び、いくらメイクのせいもあったとしても、顔のたるみや皺といったものがほとんどなく、80歳にはとてもみえない。

プリセツカヤは扇を持った両腕をゆっくりと波打たせて、両手の扇を翻らせ、また腕を曲げて扇を胸元に抱え込み、舞台を小走りに歩いて移動する。ふと映像版で観た彼女の「白鳥の湖」や「瀕死の白鳥」が思い浮かんだ。プリセツカヤは最後に舞台中央前に進み出てきて、2枚の扇を静かに床に置いた。

この公演では、誰が踊っても会場の反応がとても元気だった。それは彼らの踊りに対して、というよりも、彼らの知名度に対して、という面が強いように思えた。プリセツカヤの踊りは、厳密にいえば踊りともいえないものだったが、しかし他のどのダンサーよりも大きな拍手喝采が贈られた。最初からその予定だったのだろうけど、プリセツカヤはアンコールで再び同じ踊りを踊った。

喝采に答えるプリセツカヤは面白かった。微笑みながら扇をひらりと翻したりあおいだりしてお辞儀をし、まるでキトリみたいだった。さすがは大ベテランの貫禄と余裕であった。

「シルヴィア」は、音楽はドリーブで、振付はジョン・ノイマイヤー。ダンサーはデルフィーヌ・ムッサン(Delphine Moussin、パリ・オペラ座バレエ)とウィルフリード・ロモリである。ギリシャ神話の世界を題材にしたバレエらしいが、衣装は女性が黒い短いタンクトップに同色のショート・パンツ、男性は素肌に淡いグレーのオーバーオール、という現代的なものであった。

今回上演されたのは、たぶんニンフのシルヴィアと牧童のアミンタによる愛のデュエットだと思うんだけど。あのハゲ、じゃない、ロモリがオーバーオールを着ていたのは、労働者の象徴=オーバオールだからだろう。シルヴィアは大きな弓を持って出てくる(ひょっとしてディアナなのか?)と、沈んだ表情でそれを床に置く。やがてアミンタがぎこちない表情で舞台の隅に現れる。二人は静かに踊り始める。(チャウ後記:その後、ある方から、まずこのパ・ド・ドゥがディアナとエンディミオンのものであること、この踊りが「眠り続けるエンディミオンのところへ、夜になるとディアナがやってきて、彼を抱きしめた」という逸話に由来することをご教示頂きました。)

踊りは終始ゆっくりしたもので、動きの変化がなめらかで流れが自然である。いかにもなクラシカルな振付ではなく、飛んだり跳ねたりは一切ない。無感情に淡々と踊っているようにみえるが、お互いにまっすぐ相手を見つめ、内にある感情をじっと押さえたような雰囲気の踊りだった。とてもきれいだったけど、全幕すべてこの調子だったらちょっと飽きるな、とも思った。

最後は「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥである。ファルフ・ルジマトフとオクサーナ・シェスタコワが踊った。やはり私はイリーナ・ペレンよりオクサーナ・シェスタコワのほうが好みだ。踊りがなめらかで優雅だから。

ルジマトフは、前の「レクイエム」とは雰囲気がぜんぜん違って別人かと思った。黒い上衣に白いタイツを穿いていたけど、こうしてみるとちゃんとお尻があるなー。長い髪の毛を後ろで結んで、後れ毛を数本の黒いピンで留めているのがちょっとかわいかった。技はビシバシ決まるし、やはりカリスマ性のある人だから、同じくらいの実力のあるダンサーが同じ踊りを踊っても、ルジマトフのほうが絶対に観客のウケがいいと思う。

でもワタシ的には、「レクイエム」みたいな踊りのほうが、よりルジマトフには合っているんじゃないかと思った。ルジマトフの「レクイエム」と「ドン・キホーテ」のどちらをまた観たいかといわれれば、私は「レクイエム」が観たい。ルジマトフは身体と踊りそのものに意味のある人だと思う。こういうタイプのダンサーはかなり珍しいというか、ほとんどいないんじゃないかしら。

フィナーレはピエトラガラとドゥルオ以外はみな参加した。並ぶ位置でダンサーの序列が分かるから面白いよな。順々に出てきたが、最後にダンサーたちが舞台脇に手を差し伸べると、プリセツカヤが現れ、列の中央に立った。ちなみにその両脇はルジマトフとシェスタコワ、ムッサンとロモリであった。主催者から全員に花束が贈られた。小さな麦わら帽子に花の飾りがたくさん付いている、という変わった作りの花束で、ムッサンは面白そうにそれを眺め、かぶる真似をしていた。

公演が始まったのが午後3時で、終わったときにはなんと7時を過ぎていた。4時間もやってたわけだ。もちろん舞台装置の転換やカーテン・コールに時間がかかったのであって、正味はもっと短いだろうが、まるで持久マラソンみたいな公演であった。

とても面白かったけど、やはりガラ公演は物足りない。演目は一部を切り取ったものがほとんどだから、よく分からないうちにすぐに終わってしまう。「ロミオとジュリエット」や「スパルタクス」なんて、もっと見せろー!という気持ちになった。まあこれをきっかけとして、興味を持った作品は、全編が上演される際には観に行くことにしよう。

というわけでもう一度観たい、または全編を観たい作品は:ワシリーエフ版「ロミオとジュリエット」、「ダジラード」、「オーニス」(←3人版で)、「レクイエム」(←ルジマトフで)、「幻想舞踏会」、「スパルタクス」、ノイマイヤー版「シルヴィア」でした。

(2006年2月6日)


このページのトップにもどる