Club Pelican

NOTE

2005-06 年末年始バレエ鑑賞記

レニングラード国立バレエ「白鳥の湖」

(2005年12月26日)

今年の春に「新春特別バレエ」と称する「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」、「眠りの森の美女」の抜き出し公演を観た。会場は東京国際フォーラムのAホールで、公演そのものはまあこんなもんか、という感じだったが、会場は大いに気に入らず、二度と来るかこんなとこ、と思って会場を後にした。

レニングラード国立バレエを観たのはその「新春特別バレエ」が初めてだったため、一度はきちんとこのバレエ団の全幕を観てみようと思っていた。でもレニングラード国立バレエの公演は、なぜかフォーラムでばかり行なわれる。そんな中で、今回は会場が上野の東京文化会館で、フォーラムよりはマシであった。席もフォーラムに比べたら涙が出るほど(←ウソ)良い席だった。

主なキャスト(プログラムを買わなかったので英語のスペルが分からない)。オデット/オディール:イリーナ・ペレン;ジークフリード:ミハイル・シヴァコフ;ロットバルト:ウラジーミル・ツァル;王妃:ズヴェズダナ・マルチナ;家庭教師:アンドレイ・ブレグバーゼ;パ・ド・トロワ:オリガ・ステパノワ、イリーナ・コシェレワ、アルチョム・プハチョフ;大きい白鳥:イリーナ・コシェレワ、エレーナ・コチュビラ、ユリア・カミロワ、エレーナ・フィルソワ;小さな白鳥:ヴィクトリア・シシコワ、ユリア・アヴェロチキナ、ナタリア・ニキチナ、アナスタシア・エゴロワ;

スペインの踊り:オリガ・ポリョフコ、ナタリア・オシポワ、ヴィタリー・リャブコフ、アレクセイ・マラーホフ;ハンガリーの踊り:エカテリーナ・ガルネツ、マクシム・ポドショーノフ;マズルカ:タマラ・エフセーエワ、マリーナ・フィラトワ、エレーナ・フィルソワ、アリーナ・ロパティナ、アンドレイ・マスロボエフ、アンドレイ・クリギン、ミハイル・ヴェンシコフ、アントン・プローム;二羽の白鳥:エルビラ・ハビブリナ、スヴェトラーナ・ロバノワ。

指揮はアンドレイ・アニハーノフ、演奏はレニングラード国立歌劇場管弦楽団。

同じ伝統版「白鳥の湖」でも多くの異なる版があるとは聞いていた。有名なシーンや踊りは同じだが、その他の部分では再演出、再振付や校訂振付が多く行なわれるためである。レニングラード国立バレエの今回の「白鳥の湖」は、登場人物が極めて少ない、小道具もほとんど用いない、説明的な演出が一切ない、実に簡素でギリギリまで踊りのみに徹した版だった。

まず、道化が出てこない。よって道化の踊りはまったくない。そして第一幕のパ・ド・トロワは王子ではなく、王子の友人(?)によって踊られる。したがって、王子は第一幕と第三幕でオデットを支えるだけ、ソロで踊るのは第二幕のパ・ド・ドゥのヴァリアシオンとコーダだけである。

第一幕の村の人々のパーティーのシーン、使われた小道具はお盆に乗ったグラスだけであった。踊る人々の横で、王子や家庭教師たちはひたすら乾杯するだけである。あとは最後に人々が踊るシーンで、ぼんぼりみたいなのぼりがあった。村人の一人がそれを捧げ持つと、ぼんぼりから色とりどりな長いリボンが幾筋も垂れ下がる。人々はそのリボンの端を手に持ち、ぼんぼりを中心に回って踊る。

第一幕の前半は人々の群舞が中心で、あとはパ・ド・トロワのみが主な内容であった。パ・ド・トロワの男性のソロは王子が踊らないのもつまらないが、王子の友人役のアルチョム・プハチョフが力不足だった。テクニックが不安定で動きが荒っぽい。今年のお正月に新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」公演でゲスト出演したイーゴリ・コルプの踊りとつい比べてしまい、非常に物足りなかった。

王子がボーガンを受け取るシーンもない。王子は時おり憂い顔を見せて空を眺めるのだが、なんでそんなに悩んでいるのか分からない。前半はあまりにストーリーに起伏がなくてつまらなかった。人々が去った後、王子はその場に一人で残り、ポーズをとりながら憂い顔で空を見やる。

ひとり憂える王子の背後が暗くなり、やがて紗幕を挟んだ向こう側で数人の白鳥たちがゆっくりと羽ばたいている(すでに人間になっている)。これは面白い演出だった。よくある「白鳥隊」(白鳥のぬいぐるみがすずなりになって湖面を移動する小道具)を使っていない。マシュー・ボーン版「白鳥の湖」に似ている。

第一幕の後半、場面は森の奥の湖畔となる。ロットバルトが相変わらず一人で飛んで跳ねて駆け回っている。いったい何の意味があるのか。あ、つい厭世的になってしまった。王子がやって来たとき、ボーガンは手にしていなかった。動物愛護派の王子らしい。じゃ、なにしに来たんだろう。白鳥の姿を愛でにやって来たのだろうか。

オデット姫が登場するシーン、オデット姫がジャンプする前にポワントで歩くところで、やはりテンポを突然異様なほどゆっくりにした。今度もついぎっくり腰になりそうだった。この前(「2004-5年末年始バレエ鑑賞記」)は冗談だったが、今回はマジ危ないのでやめてほしい(「不定期日記」2005年12月13日参照)。

イリーナ・ペレンは目鼻立ちのくっきりした美女で手足が長く、その脚が根元から反り返るようによく上がる。身体的な資質に恵まれ、テクニックもすばらしかったのだろうけど、踊りが硬いというか、柔軟性がなくて融通が利かず、音楽とあまり合っていない。もっとも、音楽と合わせることは、このバレエ団ではさして重要なことではないのかもしれない。

あと、王子に「ろくろ回し」されながら回って右脚を耳の辺りまで高く上げるところでは、上半身がやたらと左に傾いていた。ここは舞台と垂直に姿勢を保ってほしい。あと小技というか、たとえば腕の動きが美しくない。またコーダのソロ、跳び上がって両足を素早く交差させる振りでは、ただ小さく飛んでいるだけで、ほとんど足が交差していなかった。

このコーダでは、白鳥たち、小さな白鳥、大きな白鳥の後にオデット姫がソロで入る。そのとき、前奏のテンポが再びいきなり超スローになった。オデット姫が跳んで両足を素早く交差させる瞬間に、一気にテンポを速くして音楽的に盛り上がるように演奏していた。しかしそれが速すぎたので、オデット姫の動きがついていけていない、という感じだった。

というわけで、イリーナ・ペレンのオデット姫は、全体的にしなやかさ、柔らかさ、優雅さが足りなくて白鳥らしくなく、なんだか「白鳥の湖」のオデット姫を見たという印象が薄かった。

覚悟はしていたが、このレニングラード国立バレエはトゥ・シューズの音が異様に大きい。以前にもそう感じたが、それは床の材質のせいだと思っていた。しかし、私はこの会場で他のバレエ団の公演も観ているから、トゥ・シューズの音が大きいのはレニングラード国立バレエの特徴だろう。したがって白鳥たちの群舞は、さながらタップ・ダンスの様相を呈していた。群舞がバラバラで動きが揃っていないのも気に入らなかった。

第二幕は、まず王子が花嫁を選ぶパーティーだというのに、客が貴婦人4人しかいなかった。後は衛兵が1人と家庭教師だけ。とてもさびしい。道化は出てこないので、道化の踊りもない。花嫁候補が4人だか6人だか入ってきてワルツを踊る。その花嫁候補たちは一様に銀のとんがり帽子状の冠をかぶり、白い長いドレスを着て、白い扇を持っている。まるで白拍子がワルツを踊っているみたいだった。

ファンファーレが響き、人間に姿を変えたロットバルトが、オディールやたくさんの踊り手たちを引き連れて宮殿内になだれ込んでくる。閑散としていた宮殿が一転して人々でひしめきあう。どうもオディールはもちろん、民族舞踊を披露する人々もみなロットバルトの手下の悪魔たちらしい。悪魔たちが舞踏会を盛り上げるわけである。これは面白い解釈だ。

第二幕のお楽しみ、黒鳥のパ・ド・ドゥが始まる。オディールは黒地に赤や赤味がかった金の飾りが入った衣装で、髪には銀のティアラをつけている。イリーナ・ペレンはやや身をかがめながらポワントでつつつ、と歩くと、それから一気に手足をぐぐっと伸ばして、王子の助けなしに「一人アティチュード」をびしっ!と決め、跳び上がって両脚を交互に前に高く振り上げる。ようやく生で観られました。感動。

オデットでは今ひとつパッとしなかったイリーナ・ペレンだが、オディールでは途端に生き生きしだした。鋭い瞳で王子をきっと見つめ、口元には微笑を浮かべ、強気かつ妖艶な表情を浮かべながら、キレのよい動きでいろんなポーズや振りをテンポよく繰り広げていく。ペレンちゃんはオデットよりもオディールが好きなんだな、と思った。

演技にも感心した。王子がオデットを思い出すと、ロットバルトが長いマントでオディールの全身を隠す。マントの下から現れたオディールは、オデットそっくりに身を折って床に伏せている。それからオディールは顔を上げ、オデットのような動きで王子に近づいていく。そのときのペレンは仕草ばかりか表情もオデットの真似をして、わざと儚げで憂いを漂わせた顔をしていた。王子がすっかりオディールの虜になってしまうのも納得がいく。

あとは、ペレンちゃんの32回転もすごかった。上げた片脚の太腿は腰よりも高く、膝から先も長く伸ばし、空中に大きな半円形を描きながら、ダブルのターンを規則的に入れて回っていく。軸も全然ブレない。ただ、32回転が終わった後にいきなり音楽が止んで、拍手喝采の時間になったのには白けた。威勢のいい音楽なんだから、王子のジャンプ舞台一周までここは演奏を続けるべきだ。

王子がオディールへの愛を誓ってしまった後、ロットバルトとオディールは姿を消し、踊りを披露した人々も一列になって、次々と宮殿から去っていく。やっぱりあの「民族舞踊団」もロットバルトの手先だったのだ。最後は例によって王妃の失神シーンで終わるが、花嫁候補たちが王妃を支えながら、持っていた白い扇で王妃をぱたぱた、と扇いでいたのが笑えた。

第三幕、幕が上がったが舞台には誰もいない。やがて白鳥たちが列になって次々と飛来してくる。個人的な欲だが、やはり幕が上がったらすでに白鳥たちが舞台上にいてほしい、と思った。どうも私の「『白鳥の湖』スタンダード」は、新国立劇場バレエ団ヴァージョンになってるみたいだ。

ラストは、オデット、王子、ロットバルトの関係がはっきりしなかった。特にロットバルトはどうしたいのか分からない。オデットの周りを駆けめぐるばかりで、また王子が現れても闘いを繰り広げるわけでもない。オデットを王子から奪い取って、オデットと王子の仲を永遠に引き裂こうという目的が示されていない。

やがてロットバルトはあっけなく姿を消してしまう。あれ、ロットバルトは負けて逃げたのか?と不思議に思っていると、王子とオデットが舞台の奥に寄り添って立つ。すると黒い幕が下から巻き起こって二人の姿を隠す。幕が再び沈むとそこに王子とオデットの姿はない。どうやらさっきの黒い幕は湖の波だったらしく、王子とオデットは心中を遂げたようだ。レニングラード国立バレエの「白鳥の湖」、ラストは悲劇ヴァージョンであった。

レニングラード国立バレエの「白鳥の湖」は、私はもう観なくていいや、という気がする。あまりに無駄がなさすぎる、というより、はっきりいってドラマ性がなさすぎてそっけない。いくら踊りがメインだとはいえ、小道具、マイム、説明的な演出、ドラマティックな演出などが、もっとあってもよかったのではないかと思う。道化がいないのもつまんないし、あとは、やはり第一幕のパ・ド・トロワは王子に踊らせてほしい。王子が踊るシーンが圧倒的に少なかったのも残念だった。

余談。私の後ろ2列の席に、バレエ公演にとって最大の強敵、男子高校生の集団が陣取っていた。教師に引率されて観劇にやって来たらしい。明らかにバレエには知識も関心もない連中で、バレエを観に来たのに、なぜか物理の問題を教師に質問したり、「先生、バレエより『アレグリア』観たいよ」とか、「○○のヤツ、バックレて来なかったな」とか騒いでいた。

いかなるバレエ素人といえど、「白鳥の湖」が白鳥のお姫様と人間の王子との悲恋物語である、という程度の知識はあると思っていたが、この男子高校生たちによって、私のこうした予想は見事に裏切られた。

第二幕が終わった後、生徒の一人が教師に「先生、あの黒いの(オディールを指すと思われる)、王子の奥さん?」と尋ねた。教師が説明すると、生徒たちは「あのおっさん(ロットバルトを指すと思われる)が黒幕か」、「悪いヤツだ」、「呼べ」、「オマエ、ここに正座しろ」と口々に言い、前で聞いていた私は噴き出しそうになった。正直いって、「白鳥の湖」より、男子高校生たちのコメントのほうが面白かった。

(2005年12月27日)

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小林紀子バレエ・シアター第83回公演 「くるみ割り人形」

(2005年12月27、28日)

この公演を観に行くことにした理由はただ一つ、ロイヤル・バレエ唯一のイギリス人現役男性プリンシパル、エドワード・ワトソンが王子役として出演するからだった。彼は94年にロイヤル・バレエに入団、今年(2005年)にプリンシパルに昇格している。私は今年の5月にロイヤル・バレエの「オンディーヌ(Ondine)」を観たが、主役のオンディーヌは吉田都、相手役の騎士パレモンがこのワトソンであった。

今回の公演会場は芝にあるメルパルク・ホール。ゆうぽうと簡易保険ホールの弟みたいな劇場で、ゆうぽうとよりも一回り小さく、余計な装飾は一切ない。またクロークもなく、コインロッカー(有料)と大量の自販機が設置してある。まさにゆうぽうとを思い出させる。

会場は大盛況でチケットはほぼ売り切れ。ただし一般客はほとんどいなかったと思う。観客の大多数はバレエ学校の生徒、家族(絶対に母親)、おそらく系列教室の先生方、生徒、家族(やはり絶対に母親)であった。いつにもまして会場には「お発表会」的な雰囲気が充満している。差し入れのプレゼントや花束がカウンター上に溢れかえり、「父母の会」とか「OBの会」とか名前の入った大きな花籠がいくつも立ち並んでいる。

客席ではガキ・・・いや、お子ちゃまが騒いで走り回り、阿鼻叫喚の様相を呈していた。入場制限を設けなかったのか、あきらかに赤ちゃんが泣きだす声も聞こえてきた。それにしても、周りは身内ばかり、という気安さがそうさせるのか、バレエ親子(バレエを習っている子どもとその母親)たちは、周囲の目を気にしていないところがある。開演間近なのに、親も子もじっとしておらず落ち着きなく動き回り、通路を遮断しておしゃべりに興じている。我慢しよう。すべてはエドワード・ワトソンを観るためだ。

そして、公演自体もまさに「小林紀子バレエ・シアターお発表会全国大会」といった感じであった。生徒、現役ダンサー、OBがまんべんなく総出演で、ほとんど無理やり彼らのために出番を作っていた。エドワード・ワトソンも、よりによってこんな公演へのゲスト出演が、日本での主役デビューだなんて。よく事情を知らないで来ちゃったのだろう。

主なキャスト。クララ:松山美月(27日)、辛麻由(28日);ドロッセルマイヤー:塩月照美;ピエロ人形:倉谷武史;ピエレッタ人形:真野琴絵(27日)、駒形祥子(28日);ムーア人形:中村麻弥(27日)、伊藤真知子(28日);くるみ割り人形:中尾充宏;くるみ割りの王子:エドワード・ワトソン(Edward Watson);雪の女王:高橋怜子(27日)、大和雅美(28日);雪の王:中尾充宏(27日)、冨川祐樹(28日);

金平糖の精:島添亮子(27日)、斉藤美絵子(28日);スペインの踊り:高畑きずな(27日)、楠元郁子(28日)、西岡正弘;アラブの踊り:大森結城;中国の踊り:中村麻弥(27日)、志村美江子(28日)、倉谷武史;ロシアの踊り:難波美保、宮澤芽実、岩上純;ドイツの踊り:高橋怜子、中村誠;リーディングフラワーズ:大和雅美、伊藤真知子、駒形祥子、萱嶋みゆき、佐藤禎徳、冨川直樹、冨川祐樹、中尾充宏。

私は一度だけちゃんとした「くるみ割り人形」を観たことがある。それは去年末に新国立劇場で観たワイノーネン版「くるみ割り人形」である。今回の小林紀子バレエ・シアター公演版は、原振付はワイノーネンだが、クララが出てきて、クララと金平糖の精は別人が踊る。早い話が、ピーター・ライト版とワイノーネン版の折衷ヴァージョンで、お発表会用「くるみ割り人形」といったところである。

このバレエ団のことだから(イギリスのバレエが好きなカンパニーだから)、てっきり純粋なピーター・ライト版だろうと思い込んでいたので少し残念だった。ちゃんとしたピーター・ライト版が観たければ、バーミンガム・ロイヤル・バレエの映像版を観るか、ロイヤル・バレエに観に行かないといけないのかな。

今回の公演は全二幕、第一幕はクリスマス・パーティー、ねずみ隊VSおもちゃの兵隊の戦い、雪の国、第二幕はお菓子の国とエピローグ(夢から覚めたクララ)、という構成になっている。

クリスマス・パーティーのシーンは、バレエ団のOBと学校や教室の生徒さんたちが動員されていた。大人たちの衣装やメイクが無理してなくてよかった。女性陣は19世紀初め頃のローブ・デコルテを着て、髪は上にまとめて髪飾りつきのエクステンションをつけている。男性陣は地毛に丈の長いスーツ姿。とても趣味がいいし、ゆったりした踊りながらも腕の動きがみな優雅できれいだった。

男子生徒の人材は不足しているらしい。クララをいじめるフランツをはじめとする、男の子たちの役はみな女の子だった。ドロッセルマイヤーが活躍していたのはよかった。演出も細かく、クリスマス・パーティーが終わって客たちが帰途につくころ、ドロッセルマイヤーはこっそりとくるみ割り人形に魔法をかけ、帰りがけにクララに対しても魔法をかける。

ねずみ隊に追いつめられたクララが、クッションを立て続けにぶん投げて抵抗するのもよかった。ねずみ隊とおもちゃの兵隊が戦い、やがてねずみの王様とくるみ割り人形の一騎打ちになる。そこでクララがねずみの王様めがけてスリッパを投げつけ、くるみ割り人形を側面援護するのもほほえましい。おもちゃの兵隊はガキ・・・じゃなくて子どもさんたちが、ねずみ隊は現役ダンサーが担当した。ガキは行進する足並みがよく揃っていてよかったよ、うん。

ドロッセルマイヤーが現れ、くるみ割り人形の姿をマントで隠す。やがてその陰から現れたのは、金髪もまぶしいエドワード・ワトソンの王子。待ってました!ガキばっかりでうんざりしてたのよ。拍手が起こる。王子はクララの手を取って踊り始める。は〜、ようやくちゃんとした踊りが始まるわ。これで安心。

クララ役は28日の辛麻由ちゃんがよかった。表情に乏しいのはまだ仕方ないけど、ねずみに追いかけられたときに「ハッ!」と声を出していて、なかなかの演技だった。また腕の動きがしなやかで、アラベスクも手足の角度が美しく、後ろに上げた片脚も真っ直ぐに伸び、とてもきれいだった。雪の女王も28日の大和雅美が個人的には好きだった。彼女はたぶん少し背の高い人なんだと思うけど、踊りが大振りでダイナミックな感じがして、私の好みなのである。

雪の国から王子とクララが旅立つシーンでは、舞台右の崖の上から、ドロッセルマイヤーが前のめりになって姿を現わし、王子とクララの上にお祝いの(?)雪を降らせていた。ドロッセルマイヤーの存在を絶えず匂わせているのは実によろしい演出である。

第二幕、王子のエドワード・ワトソンがクララを肩に乗っけてやって来る。王子が手を上げると、そこはお菓子の国。いろいろな人形たちがたたずんでいる。金平糖の精も現れて、クララは右手の椅子に腰かけて人形たちの踊りを眺める。

このお菓子の国のセットだが、あのあまりに安っぽいデザインと素材はなんとかならないものか。淡いピンク色の壁に、砂糖菓子みたいな丸い模様が描かれているか貼り付けられているだけで、天井にあるおなじようなデザインの幕も、布地が薄いのか縁が反り返っていた。豪華だったのはクララの座っていた砂糖菓子風の椅子ぐらいであった。セットのデザインが全体的にチープでポップなので、前で繰り広げられる踊りと雰囲気が合わない。

各国の踊りでは、アラブの踊りでソロを踊る女性ダンサーの跳躍(斜めエビ反り開脚ジャンプ)が見事だった。後でプログラムを見たら、大森結城ではないか。あと、いかにも古典的なステップの振付で構成されたドイツの踊り、高橋怜子もすばらしかった。

そういえば、ここでもお子ちゃまがたが出てきた。異常に背が高いマダム・バウンティフルのドレスの中から、クモの卵から孵った子グモのごとく、ガキどもがわらわらと外に飛び出してきた。それで何をやったんだっけ・・・忘れた。私はイヤなことは忘れてしまう性質だから。ま、でもガキどもはまたマダム・バウンティフルのドレスの中に引っ込んで退場していった。

金平糖の精は、私は斉藤美絵子がすばらしいと思った。彼女は今年の夏に「ライモンダ」第三幕でライモンダを踊った。そのときはまだぎこちないところがあったけど、今回はガクガク感がなくなってとても美しかった。足さばきや回転、バランスがとても安定していた。前の日に金平糖の精を踊った島添亮子もそれなりにすばらしかったけど、彼女にしては珍しく、踊りに余裕がない感じがして、あまり良かったという印象が残っていない。

エドワード・ワトソンはいかにもロイヤル・バレエのプリンシパル、という感じであった。まず雰囲気も動きも上品。ポーズや踊りが決して崩れない。ジャンプも高いし軽い。連続ピルエットも軸がブレないし、脚はまっすぐ横に伸びている。手足がすっ、と伸びきって、姿勢が常に美しい。超人的なテクニックというほどではないが、とにかくどの動きもきっちりしていて端正である。見ていて気持ちがいい。絶滅危惧種のイギリス人男性プリンシパルだ。貴重だ。その姿をしっかりと頭に刻み込んだ。

ラストは、人形の一人がクララを肩の上に持ち上げる。舞台が暗くなり、王子や金平糖の精、人形たちが次々と消えていく。すると、クララはいつのまにかドロッセルマイヤーに担ぎ上げられていた。ドロッセルマイヤーはクララをそっと床に下ろす。

我に返ったクララは、中国の踊りやロシアの踊りの真似をして跳びはね、夢中になってドロッセルマイヤーに自分が経験したことを話す。ドロッセルマイヤーはほほ笑みながらクララに魔法をかける。するとクララはふらりと眠ってしまう。ドロッセルマイヤーはクララを抱え、彼女が眠っていたソファーに彼女の体を横たえる。最後までドロッセルマイヤーが物語の要になっていて、非常にいい演出だったと思う。

「お発表会」ではなく、プロのバレエ団としての公演である「くるみ割り人形」を観たかったが、このカンパニーにはそれはまだ時期尚早らしい。というかカンパニーの規模からして無理だ。そんな公演にロイヤル・バレエのプリンシパルを呼ぶのはいかがなものか、とは思うが、まあエドワード・ワトソンが引き受けたのなら、それは幸いなことなのだろう。

2005年のバレエ鑑賞はこれでおしまい。今年も楽しかった。

(2005年12月29日)

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新国立劇場バレエ「白鳥の湖」

(2006年1月7日、新国立劇場・オペラ劇場)

主なキャスト。オデット/オディール:スヴェトラーナ・ザハロワ(Svetlana Zakharova);ジークフリード王子:アンドレイ・ウヴァーロフ(Andrey Uvarov);ロートバルト:市川透;王妃:鳥海清子;道化:吉本泰久;家庭教師:ゲンナーディ・イリイン(Guennadi Iline);パ・ド・トロワ:真忠久美子、内冨陽子、マイレン・トレウバエフ(Maylen Tleubaev);小さい白鳥:遠藤睦子、西山裕子、本島美和、大和雅美;大きい白鳥:真忠久美子、西川貴子、川村真樹、厚木三杏;

スペインの踊り:湯川麻美子、楠元郁子、マイレン・トレウバエフ、中村誠;ナポリの踊り:高橋有里、グリゴリー・バリノフ(Grigory Barinov)他;ハンガリーの踊り:遠藤睦子、冨川祐樹 他;マズルカ:西川貴子、北原亜希、杉崎泉、堀岡美香、陳秀介、高木裕次、冨川直樹、澤田展生;2羽の白鳥:厚木三杏、川村真樹;大きい4羽の白鳥:湯川麻美子、真忠久美子、西川貴子、楠元郁子。

演奏は東京交響楽団、指揮は渡邊一正による。

新国立劇場バレエの「白鳥の湖」は去年も観た。だからすべてがみな去年とまったく同じだろうと思っていたら、演出や踊りに去年とは大きく違う部分があった。ただし、去年の舞台の細部は忘れてしまったから確言はできないが。でも、特に主役のオデット/オディールとジークフリード王子は去年と異なるキャストなので、踊りはもちろん、演技や醸し出される雰囲気も、去年とは大いに違っていた。

第一幕第一場のパ・ド・トロワは去年と違い、王子が踊るのではなく王子の友人が踊る(チャウ後記:去年は王子役のイーゴリ・コルプが踊ったような記憶があるのだが、ある方から去年の舞台でもパ・ド・トロワは王子の友人が踊ったはず、というご指摘を頂いた。確かにプログラムにも別のダンサーの名前が書いてあった。よって私の記憶違いの可能性が高い)。その代わりかどうかは知らないが、その後で王子が長いソロを踊った。音楽はなんとなく哀しげでうらぶれた感じのメロディで、ボーン版「白鳥の湖」でも、酔っぱらった水兵たちにケリを入れられた王子がこの音楽でソロを踊る。もともとはパ・ド・トロワ用の曲である。

ジークフリード王子役のアンドレイ・ウヴァーロフは、ボリショイ劇場バレエのプリンシパルである。この公演にはゲストとして出演した。背が高く、スタイルは抜群、濃い茶色の髪の毛で、ハンサムというよりはかわいい顔立ちである。このソロでのウヴァーロフの踊りはまだ少し不安定で、そんなにすごいとは思わなかった。

でもウヴァーロフの演技というか、王子の役作りはとてもよかった。王子がどんな気持ちでいるのかがよく分かった。たとえば王子が手に持っている本。勉強しましょう、と一応せかす家庭教師から手渡されて受け取るが、王子は気のない表情で本をもてあそぶだけで、やがて椅子の上に置いてしまう。王子は表面的には微笑を絶やさずにみなと乾杯するが、時にふとつまらなそうな顔を見せる。

また、王妃が登場すると、王子はふざけて頭に載せていた月桂樹の冠をあわてて脱ぎ、王妃の前で神妙な面持ちになって立ちつくす。うーむ、王子は内心つまらなくって、勉強もやる気がなくって、それで酒で憂さ晴らしをしてるんだな、と分かる。宴会が終わると王子は人払いをして一人になり、ボーガンを手にしてそれを構える。上に書いたような伏線があると、王子がいきなり狩りに出かけるのは、憂さを晴らすためだとすんなり納得がいく。また、狩りに出かける王子が獲ることになるのはオデットとの愛だ、というのも一層ドラマティックだ。

道化役の吉本泰久君もとてもよかった。奇妙で難しそうな動きやポーズの踊りをそつなくこなしていた。また王子に勉強をせかす家庭教師(←実は酒好きそう)に、次々と酒を飲ませて酔っぱらわせ、パ・ド・トロワを踊った女性たちを花を持って追いかけまわし、酔っぱらった家庭教師に踊らせてふざけかかるなど、とてもおかしかった。最後の連続長時間ピルエットもしっかりしていた。

オデット/オディール役のスヴェトラーナ・ザハロワも、ボリショイ劇場バレエのプリンシパルであり、ゲストとして出演した。背が高く、超小顔、手足が尋常でなく長くしかも極細。爽やかで清潔感のある美女である。私がこの公演で最もたまげたのはこのザハロワである。バレエ・ダンサーにも多種多様な「凄い」があるだろうが、ザハロワは正統的なバレエの踊り手として凄い。容姿、体型、身体能力、技術、そして演技、どれもとっても超一級で、しかも一分の隙もミスもなく軽々と踊る。

オデットが現れて王子と出くわす。ザハロワのパドブレ(トゥで立ち、両のかかとを外側に向けて移動する動き)はすばらしかった。あの両脚の神経質なほどの揺れと震えで、オデットの怯えた心境がよく分かる。また「足で演技するダンサー」に出会った。今年は幸先がいい。

アダージョは実に美しかった。ザハロワは王子に手を取られながら、ゆっくりと爪先立ちから床にかかとをつけ、片方の膝を微かに曲げて、もう片脚をぐぐーっと後ろに伸ばして上げる。その脚のなんと長くて細いこと!そして決してグラつくことはない。オデットが身を後ろに倒して、王子が受け止めるところでは、ザハロワは非常にゆっくりと倒れて、ウヴァーロフがそれを片手で受け止め支える。ウヴァーロフのもう片手は緩やかに広げられている。私は片手で受け止めるほうが好きである。オデットの姿がよく見えるから。

ザハロワはシルヴィ・ギエムも顔負けの身体能力を持っていると思う。脚は180度以上も開き、第一幕第二場のアダージョで、王子に腰を持って高く上げられるところでも常に180度開脚である。よくあんなにカパカパ開くな、と感心した。また脚がよく上がる。大きな白鳥の踊りの後にあるオデットのソロ、片脚を耳にくっつくくらい高く上げてから、ゆっくりと振り下ろす。バランス保持力もすごい。アティチュードの姿勢のまま微動だにしない。踊り終わってのキメのポーズもアティチュードが多かった。それで静止する。

これだけ凄いと、逆にイヤミになって鼻についてしまう場合もあるかもしれないが、ザハロワにはそんな感じはまったくしない。この人の場合、その手の押しつけがましさが微塵もない。とても安定していて、しかも平然とやってのけるので、見ていてすごく安心する。ギエムと同じで、このダンサーは大丈夫だ、期待どおりにやってくれる、と信頼して見ていることができる。

王子のウヴァーロフがそうであるように、ザハロワのオデットの役作りも分かりやすい。何を考えているのか分からないオデットではなく、はっきりと感情表現するオデットであった。王子に対して白鳥たちをかばい、更にマイムで「(白鳥たちを殺しては)いけません」と示していた。それから両手でそっと胸を押さえて懇願する。

また、その身体能力を生かした、王子に体を任せる(ヘンな意味じゃないですよ)ポーズが印象的だった。王子に後ろから抱きかかえられて、ぐったりとどころか、身を反り返らせるようにして王子にもたれる。

第一幕の最後、ロートバルトに遮られて王子と別れるシーンでは、飛び去りながらも王子を見つめ、未練を残した切なげな表情を浮かべていた。人によって好き嫌いは分かれるところだろうが、私はこのくらい感情がはっきりしているオデットのほうが好きである。といっても、ザハロワの演技は決してオーバーではなく、すべてギリギリまで抑えられた、さりげないものであったことをお断りしておきたい。

ロートバルトは去年と同じく市川透であった。今年はメイクがやけに白塗りで平安貴族のようであった。後頭部には黒い大きな羽根が1本突っ立っているので、デーモン小暮がバカ殿のヅラをかぶった姿を想像するとちょうどよい(第二幕では落武者ヘアになる)。

ザハロワとウヴァーロフのあまりのインパクトのおかげで、あまり群舞に注意できなかった。でも小さな白鳥の踊りは、これぞ新国立劇場バレエの群舞、と思わせられる最高の出来であった。動きは一糸乱れず、音楽にステップがテンポよく乗り、終わったときにはブラボー・コールが飛んだ。

第二幕冒頭、王子の結婚相手候補のお姫様たちが出てきた。銀の三角の冠に白いロング・ドレス、白い扇で、やっぱり白拍子である。でも扇が紙じゃなくて透かし彫りのあるものだったので、レニングラード国立バレエ「白鳥の湖」のお姫様たちよりは白拍子度が低い。

以下、黒鳥のパ・ド・ドゥに至るまでの各国の踊りは、私はあまり興味がないので覚えていない。でもいちばん最初に道化の踊りがあって、私はこの踊りだけは好きである。ここでも道化役の吉本泰久君は、トリッキーな振付で構成されたソロをすばらしく踊っていた。あと、マズルカの音楽が好きだ。男性が音楽に合わせてブーツをカチカチ鳴らすのもよかった。ディヴェルティスマン嫌いはねー、我ながらどうにも治しようがないのよ。

見るときは勢いがつくのか、昨年末のイリーナ・ペレン(レニングラード国立バレエ)に引き続き、今回もザハロワで「王子のサポートなし一人アティチュード+ジャンプして両脚を交互に前に上げる」が見られました。やっぱり王子のサポートがないほうが断然カッコいい。ザハロワのオディールの衣装は、スカート部分に金砂や銀砂のような飾りがちりばめられたもの。

また、王子がオデットのことを思い出して躊躇したときに、オディールがどういう表情をするか、これは私にとって「プチ見どころ」である。ロートバルトがオディールを促すと、ザハロワのオディールは無表情に、しかし動きだけはオデットそっくりに王子に近づいていく。王子がオディールの手を取ると、ザハロワはそこでようやくニヤッと微笑む。

第一幕のウヴァーロフはあまり調子がよくなかったが、この第二幕で完全復活した。黒鳥のパ・ド・ドゥのヴァリアシオンは、男女ともに私はあまり好きでない。だが、このヴァリアシオンのウヴァーロフはまさに完璧だった。ジャンプは高く、両足を空中でしっかりと打ちつけ、着地は両足はもちろん片足だけでもグラつかず、両脚を揃えてジャンプして回転する動き、片脚だけでゆっくりと回転する動き、すべてが限りなく理想に近い踊りだったと思う。風格もまさに王者のそれで、これが本来のウヴァーロフか、と圧倒された。

こうなると、女性のヴァリアシオンも楽しみになる。案の定、ザハロワも完璧な技を見せてくれた。片脚で回転、それからアティチュードで一回転、そのまま片脚を後ろに高く上げる。それから片脚を耳の辺りまで上げる。その間、全然グラつかない。パドブレからジャンプして後ろに片脚を上げる。そんなに高くジャンプしているわけではないのに、ちゃんと脚が180度近く開いている。

コーダでも、ウヴァーロフの後ろ向き開脚大ジャンプのド迫力に押された。やっぱりロシア人だし大柄だから、ジャンプした上にばっ、と開脚されると長い脚の迫力が凄まじい。跳んで空中で回転してから片足だけで着地して、もう片脚を後ろにぐっと上げるのもきっちりキめていた。

お楽しみのザハロワの32回転。膝は腰よりも高く上がり、その先の脚も床とほぼ水平に伸びている。その脚で大きく空を切り裂いて、彼女の体が回転していく。ザハロワはなにせ脚が超長いので、こうしたフェッテは大きな迫力とインパクトがある。でも32回転が終わった後、音楽を中断して拍手喝采するのは、やはり盛り上がりに水をさされる感じがして白ける。

もうここで、私は完全に「ボリショイ・パワー」に制圧されてしまいました。新国立劇場バレエの群舞を楽しむだの、「白鳥の湖」という作品を楽しむだのという余裕はなくなってしまった。でも、第三幕冒頭の2羽の白鳥のソロのうち、1人目の白鳥の踊りがすばらしかったのは覚えている。

身も心も打ちひしがれ、息も絶え絶えなオデットの元へ王子が駆けつける。ここからのオデットと王子の踊りも私はあまり興味がない。何を意味しているのか分からないから。でも、第一幕第二場のアダージョであった振りが、ここでも繰り返されていることにようやく気づいた。王子がオデットの腰を片手に挟んでぶんぶん振り回す。これが異常に美しかった。

やがてロートバルトが現れる。ロートバルトはオデットと王子の間に割って入り、オデットを持ち上げて王子から引き離し、オデットを奪い取ろうとする。だが王子とオデットは手を取り合って見つめあい、王子がオデットを頭上高く抱え上げる。

このとき、ザハロワのオデットは毅然とした表情で羽ばたき、強いまなざしでロートバルトを上から見下ろす。ロートバルトがよろよろと後ずさる。オデットの強い意志と、オデットと王子の愛の力(←うわ、恥ずかし)が感じられて、これはいい演技だった。後は王子がロートバルトの片方の翼を引きちぎり、ロートバルトは苦しみにのたうちまわりながら死ぬ。

ここからのザハロワの演技もよかった。ザハロワのオデットは自分の肩や腕に触れ、かすかに幸福そうな表情を浮かべて王子にもたれる。オデットが白鳥から人間に戻ったのがよく分かった。

新国立劇場バレエの「白鳥の湖」を観に来たはずだったが、結局はザハロワとウヴァーロフを観た、という印象のほうが強い。去年は新国立劇場バレエの群舞にうっとりと見惚れて、そしてディアナ・ヴィシニョーワのオデット/オディールと、イーゴリ・コルプの王子に感動した。ダンサー全員による「白鳥の湖」という舞台を楽しんだのだった。でも今年は群舞の影は薄かった。新国立劇場バレエのダンサーのせいではない。ザハロワとウヴァーロフのパワーがあまりに強すぎたせいである。

複雑な気持ちだ。ザハロワとウヴァーロフという驚異的に優秀なダンサーの全幕物を、格安な値段で観られたのは、確かに私にとってはラッキーなことだった。でもザハロワとウヴァーロフに夢中になったおかげで、群舞のすばらしさを堪能する余裕が持てなかった。「白鳥の湖」という作品を楽しんだ気は一応はする。でも、その楽しさはザハロワとウヴァーロフに偏っていて、他のダンサーたちの存在が抜け落ちている。これは果たしていいことなのだろうか。

新国立劇場バレエのダンサーが主役を踊る公演も2回ある。その顔ぶれをみるに、残念ながら逆立ちしてもザハロワとウヴァーロフにはかなわないだろう。とはいえ、上にも書いたように、バレエ・ダンサーの「凄さ」にもいろいろある。彼らは彼らなりの「凄さ」で、「白鳥の湖」という舞台を作り上げるのかもしれない。それでも、ザハロワ、ウヴァーロフと彼らとの間に大きな格差があるのは、誰も否定できない事実だ。

差のありすぎるダンサーを同じ演目にキャスティングするのは適切なことなのだろうか。私は確かにいい思いをした。でも、ザハロワとウヴァーロフほどのダンサーを、わざわざゲストに呼ぶ必要などあったのだろうか、という疑問が残る。全公演の主役を新国立劇場バレエのダンサーが踊ってもよかったのではないか。そのほうが、舞台全体のバランスがよくなったのではないか。また、チケットはそれでもさばけるだろう。現にさばけているのだから。

こんなことは今まで感じたこともなかったが、今回の公演のおかげで、ゲスト・ダンサーの必要性(人材不足のためではなく、話題づくりのための)について少し考えさせられた。

(2006年1月8日)


新国立劇場バレエ「白鳥の湖」

(2006年1月9日、新国立劇場・オペラ劇場)

by saiさん

あの日、私は少し頭痛がして 直前まで初台に行こうかとぐずぐずしておりました。しかし 気を取り直して出かけました。時間ギリギリで到着し、第一幕が始まりました。最初の王子の場面は少々退屈でしたが、ザハロワの白鳥が登場すると、舞台に完全に引き込まれました。恐るべし、ザハロワ!終わるころには、頭痛どころか気分も晴れ晴れ、すっきりしていました。あの素晴らしいオデットとオディールに圧倒されました。

「白鳥の湖」の音楽を聴くと、ここはこんな踊りでアダムさまがこう動いて、などとマシュー・ボーンのSwan Lakeが脳内再生されるんです。あまりにも繰り返し観たため、正統派「白鳥の湖」がなかなか頭に入ってこないのですが、ザハロワのすばらしい踊りと演技で久々に正統派を堪能することができました。

オデットの繊細さ、オディールの妖艶さ、どちらもよく表現しており、文句なしに美しかったです。白鳥を表す腕や手の動きは特にすごかったです。やわらかく、腕や手が物語っている感じでした。 ほんと、こんなすごさはギエム以来です。

私はザハロワの足技より、手や腕に目がいってしまいました。足は、同じくらいすごいギエムやバッセルなどを観たので、あの優雅なロシア風の白鳥にみえる手と腕が心に残りました。

「白鳥の湖」は古典バレエの技術や様式美が次々に出てきて、この振り付けを完全に踊れるダンサーはそうたくさんはいないだろうと思います。32回のグラン・フェッテができるダンサーはいると思いますが、一人二役を完全に踊りきるダンサーは何人いるでしょうか?それとあの繊細な手と腕の動き!鳥系ダンサーという言葉もあるくらいなので、独特の動きですね。

私はザハロワに心奪われ、王子さまは添え物のように見えました。もともと「白鳥」の見せ場はほとんど女性ダンサーにあると私は思います。男性にも活躍の場を与えたのがパリオペのヌレエフ版らしいので、一度観てみたいです。

さて、今回は三階席センターだったので、舞台全体がよく見えました。おかげでコール・ドのフォーメーションの美しさがよくわかりました。席のおかげで群舞もよく見えて楽しめました。新国立のコール・ドは動きもよくそろって美しかったです。道化役の吉本泰久さんも 動きが生き生きとして、「カルミナ・ブラーナ」に続き、ファンになりました。これからが楽しみです。

感動のあまり、まとまりがなくなりました。すみません!でも、年始めに大当たりの舞台でよかったです。ほんとに久しぶりの正統「白鳥の湖」でした。やはりストーリーとしてはマシュー・ボーン版がおもしろいです。古典のは、踊りを構成するためのストーリーだからなのでしょうか?

春が近づいたらまたいろいろ観に行きたいです。

(チャウ宛メールより抜粋)


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