Club Pelican

NOTE

小林紀子バレエ・シアター第82回公演

「レ・パティヌール/二羽の鳩」

(2005年11月13日)

同じ週の木曜日にシュトゥットガルト・バレエの「オネーギン」、前日の土曜日に「ロミオとジュリエット」を観たばかりでさすがに疲れていた。でもチケットを取ってしまったことだし、この小林紀子バレエ・シアターはいいバレエ団なので、頑張って観に行った。で、早い話がやっぱり無理して「連戦」するのはよくない、ということを思い知らされた。あまり集中して見ることができなかった。そんなわけで、この感想はかなりそっけない。

会場であるゆうぽうと簡易保険ホールに行くと、チラシ配りのお兄さんやお姉さんがいなかった。会場の中に入ると、プロのバレエ団として充分に高いレベルを持つカンパニーだと思うのにどうしてこうなってしまうのか、カウンターの上にはダンサーへの差し入れ、プレゼント、花束やらの「内輪アイテム」がどっさり置いてあり、更に観客も前と同じくほとんど身内(同じ業界の人、家族、親戚、友人)ばかりで、まさに「お発表会」といった雰囲気である。

同じバレエなのに客層が見事に分離してしまっているのが、日本のバレエ公演の不思議なところだ。海外の有名バレエ団の公演と日本のバレエ団の公演とでは、客層がはっきりと異なっている。日本のバレエ団の公演がいまだに「お発表会」から脱け出せないのは、一般の観客を集めることができないせいだろう。また、一般の観客も日本のバレエ団となると、あまり興味が持てないようである。

確かに観に行くほどもない「お教室」的バレエ団もあるかもしれないが、小林紀子バレエ・シアターは、少なくともスターダンサーズ・バレエ団よりは技術的レベルの高いカンパニーだと思う。でもスターダンサーズ・バレエ団は、小林紀子バレエ・シアターよりは、一般の観客を集めることに成功している。小林紀子さんがいくら「イギリスのバレエを日本に紹介したい」といったところで、一般の観客が観に来ないようでは「紹介した」ことにはならないと思う。

客席はやはりあまり埋まっていなかったが、閑古鳥というほどでもない。まんべんなくどのエリアにも観客が散らばっていて、バランスのよいチケットの売り方をしたものである。ただし、これはバレエ団の面子を保つにはいい方法だが、観客に対しては不親切だ。センター席が空席なのに、端っこの席を売りつけるようなやり方には感心できない。

最初の演目は「レ・パティヌール(Les Patineurs)」で、この題名はおフランス語。意味は「スケートをする人々」である。振付はフレデリック・アシュトン(Frederick Ashton)、音楽はジャコモ・マイヤベール(Giacomo Meyerbeer)作曲、コンスタント・ランバート(Constant Lanbert)編曲、1937年にサドラーズ・ウェルズ・バレエ(現ロイヤル・バレエ)によって初演された。

あらすじは特になく、スケートに興じる人々の姿に想を得て作られたバレエである。上演時間は30分ほど。主な出演者。青い上着の少女:中村麻弥、伊藤真知子;青い服の少年:倉谷武史;白い服の少女:大森結城;白い服の少年:冨川祐樹;赤い上着の少女:楠元郁子、高畑きずな。このうち、白い服の少女(ホワイト・ガール)は、初演時にはマーゴ・フォンテーンが踊ったそうだ。

背景にアール・ヌーヴォー調の白いアーチが立ち並んでおり、天井からはいろんな形の提灯がぶら下がっている(←これホント。盆踊りかと思った)。その奥から、冬の外套と帽子を身につけ、ブーツを履いた人々が、2人一組になって両手をつないで縦一列になり、摺り足のような動きで移動してくる。片脚の膝を微かに曲げ、片脚を後ろに上げるというポーズで、まさにスケートをしている姿そっくり。

といえば連想する方々も多かろう、そう、この「レ・パティヌール」は、マシュー・ボーンが「ナットクラッカー!」でパロっていた作品なのである。分かってはいたが、つい「ナットクラッカー!」の例のシーンを思い出してしまい、おかしくて仕方がなかった。

大勢の人々が出てきて楽しそうに滑って踊っていった後、青い服を着た二人の少女(ブルー・ガール)が腕を組んで、おっかなびっくりとした顔と足取りで出てくる。二人は滑りそうになって手や足をバタバタさせ、よろめきながらコミカルな踊りを踊る。

誰もいなくなった後に、青い服を着た少年(ブルー・ボーイ)が現れる。両手を後ろに組んで、本当にスケートをしているような摺り足でやって来て面白い。彼はトリッキーで複雑な様々なステップで構成されたソロを踊る。よく回っていたし、よく跳んでいました。両足のステップやポーズも変わっていました。これ以上は覚えていません。でもブルー・ボーイを踊った倉谷武史君はとても上手でした。

その後に白い服を着たカップル(ホワイト・カップル)が登場してパ・ド・ドゥを踊る。このカップルは、夏に観た「ソワレ・ミュージカル」でもパ・ド・ドゥを踊っていた二人である。このパ・ド・ドゥは、たぶん華麗だったんじゃないかな。忘れちゃいました。

でも確か、ホワイト・ガール役の女性ダンサーが、ここで32回転をやったんじゃなかったかな?それとも別の女性ダンサーだったかもしれない。おおすげえ、と思ったけど、回るうちにだんだんと左斜め前にずれて移動してきたことを覚えている。

再び人々が滑りながら現れる。青い服を着た二人の少女や青い服を着た少年も現れ、一緒に踊る。この作品では青い服を着た少年が「テクニック担当」らしく、ことあるごとに舞台のあちこちで見事な技を披露していた。プログラムには「誰よりも目立とうと、コマのように回っています」とある。そーいえば、片脚を真横90度に伸ばしていつまでもぐるぐる回っていたような気が・・・。または、その場でピョンと跳んで、その瞬間に両足のかかとをすばやく何回か交差させる、という動きをずっと続けていたような気も・・・間違っていたらすみません。

初めはおぼつかない足取りだった青い服を着た二人の少女も、もうすっかり慣れたようで、流麗な足さばきで滑りながら現れる。彼女たちと青い服を着た少年とが踊る。そして赤い服を着た二人の少女(レッド・ガール)が現れ、余裕綽々に二人で踊る。

最後にまた人々が現れ、白い服のカップル、青い服の二人の少女、青い服の少年、赤い服の二人の少女も一緒に踊る。みなが踊っているうちに、天井からきらきらと輝く雪が舞い降りてくる。これはとてもきれいだった。そしてフィナーレ。たぶん全員で一斉に同じ振りを踊って終わりだったと思う。

踊りとは関係ないが、この公演は生オケであった。演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団、指揮は渡邊一正で、この「レ・パティヌール」も次の「二羽の鳩」も、演奏が実にすばらしかった。3日前と前の日にシュトゥットガルト・バレエ団の日本公演を観に行って、そこのオーケストラがかな〜りひどかったので、公演の規模も注目度も劣るけど、オーケストラはこっちのほうが全然いいじゃん、と感動した。

また踊りとは関係ないが、この公演で用いられた「レ・パティヌール」の舞台美術一式(セット、衣装など)は、売りに出ていたのを小林紀子バレエ・シアターが購入したそうである。現在、バーミンガム・ロイヤル・バレエに貸し出している「ソリテイル」(ケネス・マクミラン振付)の舞台美術も、売りに出ていたのを買って手に入れたそうである。そうやってバレエの舞台美術は世界を循環していくのね〜。ちょっとグローバルな感慨を覚えたわたくし。

続いては「二羽の鳩(The Two Pigeons)」である。振付は同じくフレデリック・アシュトン、音楽はアンドレ・メサジェ(Andre Messager)の原曲をジョン・ランチベリー(John Lanchbery)が編曲したものである。初演は1961年のバレンタイン・デーにロイヤル・バレエによって行なわれた。じゃあ当日のロイヤル・オペラ・ハウスは、さぞラブラブなカップルでいっぱいだったことだろう。

バレエ「二羽の鳩」には、アシュトン版に先立ってメラント版というのがあり、このメラント版がオリジナル・ヴァージョンにあたる。ラ・フォンテーヌのおとぎ話をもとにアンリ・レニエが脚本を作り、アンドレ・メサジェが曲をつけて、ルイ・メラント(Louis Merante)によって振付が施された。初演されたのは1886年、パリ・オペラ座においてである。

メラント版の登場人物は、二羽の鳩を象徴する一組のカップルであるグルーリとペピオ、ジプシーの娘であるディアリ、そしてジプシーたちであり、これはアシュトン版と変わらないようである。だがストーリーの異同ははっきりしない。アシュトンは脚本を書き直したそうなので、メラント版とはストーリーも少し異なるのかもしれない。

メラント版「二羽の鳩」の原題は、当然"Les Deux Pigeons"というフランス語であったが、アシュトンは脚本を書き直し、新たに振付を施して上演するにあたり、作品名を"The Two Pigeons"と英語に改めた。メラント版とは別個の版であることを示すためと、イギリスの観客にとっつきやすい印象を与えるためだったそうである。

アシュトン版「二羽の鳩」は全二幕、上演時間は60分ほどである。主なキャスト。少女:島添亮子;少年:山本隆之;ジプシーの女:斉藤美絵子;ジプシーの女の恋人:中尾充宏;近所の女性:板橋綾子;ジプシー・ボーイ:恵谷彰。

少年役にはもともとロバート・テューズリーが出演予定だったが、ケガのため山本隆之(新国立劇場バレエ団シーズン契約ダンサー・ソリスト)に変更になった。ちなみに山本君は、この前の新国立劇場バレエ団「カルミナ・ブラーナ」公演で、神学生3(第3部に出てきてまっぱになるヤツ)を担当したダンサーである。

あえて触れさせてもらおう。このアシュトン版「二羽の鳩」は、アダム・クーパー、サラ・ウィルドー夫妻に縁のある作品である。ウィルドーは2002年にスコティッシュ・バレエ公演で「少女」役を踊ったが、クーパー君はそれよりはるか昔の1989年、ロイヤル・バレエ上級学校卒業公演で「少年」役を踊っているのである!そのころはまだ清く汚れなきピチピチの青少年だったクーパー君の「少年」は、さぞ初々しかったことだろう。

第一幕。そこは屋根裏部屋らしく、舞台の奥いっぱいに、屋根の形に沿って途中で折れ曲がった大きな窓がある。窓の外には鉄柵に囲まれた小さなベランダがついており、近くの家々の屋根や街並みが見える。ちなみに、この「二羽の鳩」の舞台美術は、すべて小林紀子バレエ・シアターの自前ですって。

少年が大きなスケッチ・ブックを持ち、向こうの椅子に座っている少女の姿を写生している。少年は白いシャツにこげ茶のベスト、アイボリーのズボンを穿いている。少女は髪をきっちりと上に結い上げて、純白の袖なしの膝丈ドレスを身につけている。よほど長い時間ポーズをとらされていたのか、少女は少年の目を盗んで、組んでいた両手をほどき、だら〜っと体を崩して椅子からずり落ち、両脚をバタバタさせる。

少年はそれを見咎めて少女に近づき、再びポーズをとらせるが、少女はまたもや少年の目を盗んでだらしないポーズになる。少年がスケッチ・ブックを床に叩きつけ、怒りを爆発させる。少女は驚きながらも少年にしなだれかかり、彼の怒りを静めようとする。少年は少女と踊るが、しかしすぐにまたムクれて手を離し、そっぽを向いてしまう。

ロバート・テューズリーの代役を務めることになった山本隆之だけど、少女役の島添亮子とのタイミングもバッチリだし、踊りも自然でもたつきやぎこちなさがない。たぶんもともとアンダースタディだったのだろう。山本君はイケメンで背が高く、なんといっても足が非常に長い。体つきは他の男性ダンサーたちよりがっちりしているが、決してムキムキではない。逆にしなやかな体つきをしている。顔も小さくて、やや大柄で長身な体と釣り合いが取れている。

二人の仲がなんとなく険悪になったところで、近所のおばさんに引き連れられ、少女の友人たちが鈴なりになって入ってくる。少女と友人たちは踊りだすが、少女役の島添亮子の踊りは、他のダンサーとはやはり明らかに違う。動きはしなやかで柔らかくて繊細で、しかも力の移動を感じさせない自然さを持ち、実はかなり強靭な筋力を持つ人なのかな、と思う。少年は椅子に座り込み、近所のおばさんに向かって、少女のだらしない様子をそっくりそのまま再現してみせる。これはおかしかった。

第一幕ではお笑いシーンが随処にあった。少年は椅子から立ち上がり、その前に立って隣の少女には目もくれない。そっぽを向いてしまった少年の背後で、少女は悲しげな顔で少年が座っていた椅子を引き寄せて座り込む。少年は少女から顔を反らしたまま再び椅子に腰かけようとして、そのままべちゃっと尻餅をついてしまう。古典的ギャグだが、バレエでやるとなぜかおかしさ倍増。

いきなり白い鳩が1羽、窓の外をばさばさっと飛んで横切っていく。それがいかにも本物の鳥っぽかったので、よくできた人形だな、と感心した。うーむ、この作品はなんてことない素朴なストーリーだが、あの飛んでいった鳩は少年の気持ちや願望を象徴しているんですな。少年は面白くなさそうな顔でベランダに出て、一人で物思いに耽っている様子である。山本君は演技もナイスで、少年はなんかもっと大きな理由で退屈でつまらなく感じていて、だからこそ少女に対してもあんなに異常に怒ったのだ、ということが分かる。

少女の友人たちもベランダに出る。彼女らは下に何か見つけた様子で、盛んに手を振って招きよせようとする。ん?鳩を?と思ったが、違った。原色系の衣装に身を包んだジプシーの一団が入ってくる。友人たちが手招きしていたのはジプシーたちで、家の中に招いて音楽や踊りを披露してもらおうというのである。

ジプシーの女が手足をしならせた妖艶な振りで、あるいは弾むようなリズムで生き生きと踊りだす。彼女は髪をほどいて垂らし、髪飾りをつけ、大きく開いた胸元の縁に沿って金の房が付いている黒いドレスを身につけている。少年はジプシーの女に見惚れ、心奪われた表情で彼女と一緒に踊り始める。ジプシーの女もまんざらではない様子である。

少年役の山本隆之君の踊りは、第二幕で分かったことには、決して特に秀でてテクニカルだというわけではないんだけど、なんか独特の魅力がある。体や手足のポーズがきれいで、しなやかで色っぽいっていうの?決していやらしい意味ではなくて。顔やスタイルがいい、踊りにも独特の魅力がある、個性的、・・・ちょっとファンになっちゃったかも。

少女はそれに憤慨し、ジプシーの女の踊りを真似して踊ってみせる。が、誰が見ても不恰好。上手な人がヘタに踊るとこうもおかしいものか。少女はジプシーの女と張り合うように並んで踊ってみせる。しかしどうみても少女の踊りはぎこちなくて子どもっぽい。

少年はもうすっかりジプシーの女にぞっこんになっている。事情を察した友人たちは、ジプシーたちにおひねりを与えて退散させる。ジプシーの女もヒモに手を引かれ、少年との別れを惜しみつつ去る。

ジプシーの一団が去った後、少年はやにわにスケッチ・ブックを取り上げ、彼らを追って部屋から出て行こうとする。少女は必死で止めるが、少年はすっかり頭に血がのぼせて見向きもしない。少年が出て行ってもなお、少女はベランダの上から手を伸ばし、少年を引きとめようとする。が、少年はついに去ってしまったようで、少女はベランダの柵にもたれて泣き伏す。第一幕が終了。

第二幕が始まると、そこはジプシーたちの野営地である。サーカス団みたいなコンテナ型の馬車がいくつも並び、ジプシーの男女が大勢行きかっている。金持ちの人々がひやかしがてら通り過ぎると、ジプシーたちは彼らの相手をするフリをして、脇からこっそりと財布や懐中時計などの貴重品を盗み取る。

ジプシーたちが踊り始める。チャールダーシュみたいな音楽にのせて、激しく情熱的な振りの踊りである。女性たちは原色系の色とりどりな、幾重にもかさなったフレアー・スカートを身につけ、男性たちは濃い色のボレロに膝丈のズボン、という出で立ちである。その中で白っぽい衣装のジプシー・ボーイが妙技を披露する。

スケッチ・ブックを抱えた少年が息せき切ってやって来る。少年はあのジプシーの女を見つける。ジプシーの女も少年の姿を認めると、嬉しそうに走り寄って彼に抱きつく。少年とジプシーの女は踊り始めるが、そこへ女のヒモであるジプシーの男が割って入り、女の手を引っ張って行ってしまう。

ジプシーの男は女になにやら耳打ちする。そして少年、ジプシーの女と男が三人で踊り始める。この踊りが、マクミランの「マノン」第一幕最後で、レスコーとマノンがG.M.をたらしこむために三人で踊る場面とそっくりなのである。少年とジプシーの女が踊っていると、女はふとジプシーの男と踊りだし、男はうまく誘導して女を再び少年と踊らせる。状況も似ているし踊りの全体的なイメージもそっくりだった。これはたぶんマクミランが模倣したんではないか。

再びジプシーたちの群舞になる。回って踊るジプシーの女たちのスカートが、舞台じゅうでひらひらと大きく翻り、ここは色彩的にかなり美しかった。少年が恋するジプシーの女も少年と一緒に、また時には男たち全員と踊り、男たちに抱え上げられる。少年も必死に踊って、他の男たちに負けまいとし、また女の気を引こうとする。ここでの少年のソロはかなり技巧的な踊りであった。

第二幕ではジプシーたちの群舞が数回くり返される。最初はきれいだと思ったけど、あまりに何度も同じような踊りをやるので、途中でちょっとお腹いっぱいになった。早く物語が進展しないか、と思っていたら、ジプシーの男たち数人が、ロープを持ち出してきた。

彼らはロープを少年の体に引っかけ、そのまま少年を引きずりまわしていたぶる。アシュトンお得意の「アイテム踊り」である。ここで面白かったのが、少年の後ろに、濃い灰色のマントを肩からかぶったジプシーの男たちが立って両腕を広げる。そうするとまるでコウモリのように見える。少年は「白い鳩」だからねえ。鳩は鳥類でハト目ハト科、コウモリは哺乳類でコウモリ目。しょせん種の違いは越えられないのよ。

倒れ伏した少年を彼らはあざ笑い、少年が恋したジプシーの女も、少年の体にぺっ、と唾を吐きかける。バレエではお下品な仕草に観客が笑う。女はそのまま振り返ることもなく行ってしまう。女をはじめとして、ジプシーたちは最初から少年のことを仲間だなどと、露ほども思っていなかったのである。

舞台の前面に大きな木の柵が設けられ、ジプシーたちはその前を横切って次々と自分のねぐらへ帰っていく。木の柵の間から、ロープをかけられたままの少年が突き出される。少年はロープをひきずったまま踊り、やがて何かを思い出したかのように走り去る。

場面は変わって、再び屋根裏部屋。少女が腕を曲げて背中にぴたりとくっつけ、顔と上半身を伏せて床の上に座り込んでいる。寒さに震える鳩がよくこんな姿勢をしている。その横には丸い大きな背の椅子が1脚置かれている。

青年が部屋のドアを開けておずおずと戻ってくる。その肩にはなぜか白い鳩が1羽とまっている。質感があるし、よくできた人形だな、と思って見ていたら、鳩の体や首がちょこちょこ動くではないか!人形じゃなくて本物の生の鳩だったのだ!

少年は鳩を椅子の背の上にそっと置く。少年は少女とゆっくりと踊り始める。だが、見ているこっちはすでに踊りどころではなくなり、鳩が飛び立ったらどうしよう、フ○をしたらどうしよう、雰囲気ブチ壊しだ、と勝手にハラハラしていた。ゆっくりな踊りではあったが、少年と少女が一斉にジャンプをしたり、少年が少女を高く持ち上げたり、という大柄な技もあったので、鳩が怯えるんじゃないかと心配した。

でもよほど人に慣れていてお利口さんな鳩なのか、少年と少女が踊っている間も、椅子のそばに少年と少女が座り込んだときも、ずっとじいいーっと止まっていた。でもここが正念場だ。観客の注意が椅子を挟んで床に座り込んだ少年と少女に集中しているまさに今、もし鳩がフ○をしたら・・・。

ここで、舞台の右袖からもう1羽、白い鳩が飛んできた(というか投げ込まれた)。たぶん1羽が止まっている椅子の背に飛び乗って、一緒に並ぶはずだったのだろう。その下には手を取って見つめあう少年と少女。いい演出である。が、残念ながら鳩は後ろの床に降り立ってそのまま座り込んでいた。まあ鳩はともかく、少年と少女は静かに微笑み合いながら手を重ね合わせる。幕が引かれる。

1時間ちょっとの短い全幕作品で、ストーリーは他愛ないが、よく構成されたいい作品だった。踊りやポーズに「鳥」を連想させるものを織り込むアイディアもすばらしい。コミカルなシーンも多かったし、登場人物の心情もよく説明されていた。演出に本物の鳩を使うという大胆な試みもよい。また少年と少女に「二羽の鳩」を象徴させ、少年(鳩)が飛び込んだジプシーの世界をコウモリのイメージで表現するなど、象徴的で示唆に富んでいた。

ただ、アシュトンについては、何もこの程度の内容の作品でここまで頑張らんでも、とも思った。なるほど、ジョン・クランコやケネス・マクミランの存在は、彼に危機感を抱かせるに充分だったろうと納得した。このことについては、2005年11月13日分の「不定期日記」にも書いてありますので、よかったら見てね。

でも疲れていた頭で観たせいで、どうも細かくはよく覚えていない。よって振付とかはほとんど忘れてしまったし、書いた踊りについても自信がまったくない。きっと間違いが多々あると思いますが、どうかご寛恕下さい。

今度上演されるときには、ちゃんとしたアタマを用意して観に行きます。

(2005年11月27日)


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