Club Pelican

NOTE

シュトゥットガルト・バレエ団日本公演

「ロミオとジュリエット」
(ジョン・クランコ版)

(2005年11月12日夜公演)


主なキャスト。ロミオ:フィリップ・バランキエヴィッチ(Filip Barankiewicz);ジュリエット:スー・ジン・カン(Sue Jin Kang);マキューシオ:エリック・ゴーティエ(Eric Gauthier);ベンヴォーリオ:マリジン・ラドメイカー(Marijin Rademaker);ティボルト:イヴァン・ジル・オルテガ(Ivan Gil Ortega);パリス:エヴァン・マッキー(Evan Mckie)

ローレンス神父/ヴェローナ大公:アレクサンドル・マカシン(Alexander Makaschin);ジュリエットの乳母:ルドミラ・ボガート(Ludmilla Bogart);キャピュレット公:ローランド・ダレシオ(Rolando D'Alesio);キャピュレット夫人:メリンダ・ウィザム(Melinda Witham);モンタギュー公:ディミトリー・マジトフ(Dimitri Magitov);モンタギュー夫人:クリスティーナ・パザール(Krisztina Pazar);ロザリンド:サラ・グレザー(Sarah Grether)

ジプシー女たち:エリサ・カリッロ・カブレラ(Elisa Carrillo Cabrera)、オイハーン・ヘレッロ(Oihane Herrero)、カーチャ・ヴュンシェ(Katja Wunsche);カーニバルのダンサーたち:ローラン・ギルボー(スペル不明)、ラウラ・オーマレイ(Laura O'Malley)、ミハイル・ソロヴィエフ(Mikhail Soloviev)、カタリーナ・コジィルスカ(Katarzyna Kozielska)、トーマス・ダンエル(Tomas Danhel)

公演も直前な11月4日、イープラスから「女性のお客様限定で、お得なペアシート販売が決定!あなたの“ロミオ”とお二人で観劇してみては?」という、もはや開き直ったとしか思えない爆笑宣伝メールが来たので予想はしていた。案の定、1、2階席は埋まっていたが、3、4、5階席には空席が目立った。マニュエル・ルグリ主演の「オネーギン」は、ぎゅうぎゅうの完売御礼だったというのに。

「ダンスマガジン」やプログラムに掲載されていたルグリのインタビューによれば、ルグリの「オネーギン」出演は、シュトゥットガルト・バレエ団ではなく、日本の主催者側の意向で決定したらしい。余計なことをしてくれた、と思ったが、ルグリでなければ客は来ない、という主催者側の判断は正しかったことになる。シュトゥットガルト・バレエ団の日本での知名度はまだまだのようだ(ちなみに「オネーギン」の感想は、「不定期日記」2005年11月10日分にあります)。

「ロミオとジュリエット」は11月12日に2公演、13日に1公演が行なわれた。ロミオ役とジュリエット役のキャストはすべて違う。私は昼が苦手なので12日の夜公演を選んだが、いちばんの理由はシュトゥットガルト・バレエ団の有名なプリマ、スー・ジン・カン(ジュリエット役)の踊りを一度は見ておきたかったからだった。「期待の新星」であるダンサーはこれからいくらでも観られる。

プログラムにあるプリンシパル、ソリストたちのプロフィールを読んで気づいたことには、彼らのほとんどは20代であり、30代のダンサーは2人ほどしかいないようだ。シュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督であるリード・アンダーソンは、1996年の着任時にバレエ団の若返りを図り、大量のダンサーを解雇して、団員の平均年齢を25歳に引き下げたそうだ。

現在のプリンシパルとソリストは、95年以降に入団したダンサーがほとんどである。そんな中で、スー・ジン・カンだけが例外だった。彼女は86年に入団、97年にプリンシパルになっている。つまり20代後半で、アンダーソンによってプリンシパルに選ばれたということだ。

アンダーソンはなぜ古株ダンサーの大量解雇という強硬策を採ったのか、クランコ版の「ロミオとジュリエット」を観て、なんとなく分かった。クランコの「ロミオとジュリエット」は、体力勝負の作品だったのである。クランコの「オネーギン」は、シュトゥットガルト・バレエ団芸術監督就任以後の作品としては、おそらく異質なものに入るだろう。つまり彼がその以前に属していた英国ロイヤル・バレエ向けの作品だろうということである。

第一幕

クランコの「ロミオとジュリエット」では、ロミオもジュリエットも積極的で行動的、且つ明るい性格である。どちらかというとロミオがちゃっかりしたお調子者、ジュリエットは機転の利くしっかり者という感じであった。ロミオが惚れっぽいのはどの版も同じだ。冒頭、ロミオ(フィリップ・バランキエヴィッチ)がデカいマントを大きく翻らせて走ってくる。デカいマントは恋する男の必須アイテムらしい。

舞台装置は両側に3枚の壁が前後して重なり、背景にはアーチ型の橋が渡してあって、上を人が行きかうことができる。このセットをいろいろな場面で上手に使いまわしていた。やって来たロミオはその橋の上に手紙を放り投げる。やがてそこにロザリンド(サラ・グレザー)が現れる。ロザリンドは高慢な表情で、その手紙をロミオに投げ返す。むなしく恋文を拒否されたロミオは、「まあ仕方ないかあ」という苦笑いを浮かべて去る。

次に一転してそこはマーケットのある広場となる。街の人々が屋台や商品を乗せた車を引いて現れ、またジプシーの女たち(つまり売春婦たち)も姿を見せて、商品の取引やケンカなど雑多で賑やかな光景が繰り広げられる。そこにキャピュレット家とモンタギュー家の人々も集まってきて(←なぜだろう)、両家はいきなり大乱闘になる。

両家の乱闘シーンで面白かったのが、衣装の色分けで両家の区別がつくことだった。キャピュレット公、夫人、ティボルトらは、モスグリーン、黄色、グレーを基調にした衣装を、モンタギュー公、夫人、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオらは、えんじ色、茶色、オレンジがかったサーモン・ピンク、赤を基調にした衣装を着ていた。入り乱れて闘っても、衣装の色でどっちがどっちだか区別がつき、仲裁に入ったヴェローナ大公を真ん中に挟んで両家が対峙すると、左右で色がはっきりと異なるのである。

あとは、キャピュレット公とモンタギュー公自らが、でっかくて太い剣を両手で持って、よろよろと闘っているのが笑えた。さすがに夫人同士は顔を合わせてつん、とお互いを無視しただけだったが、いっそのことビンタで殴り合いのケンカになればもっと面白かったのに。でも街の広場で乱闘になるなんて、キャピュレット家とモンタギュー家って、しょっちゅう抗争事件起こしてる八王子とか多摩とかの暴走族みてえ。

嬉しかったのが、ティボルト役がイヴァン・ジル・オルテガだったことで、これがまた実にカッコよかった。スレンダーな長身、男前な顔、鋭い目つきで、いかにもティボルトのイメージにぴったりで、まさにはまり役である。でもティボルトは、クールぶってる割にはけっこう情けないキャラクターだった。

ダンサーたちは、帽子をかぶったり頭に布を巻いたりしているキャラクターを除いて、ほとんどがヅラなしの地毛で登場した。ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオ、ティボルト、みんな素の髪型(いまどきの若者の短髪)である。ジプシーの女たちも長い髪をほどいて垂らしていて(付け毛かもしれないが)、マクミラン版の悲惨なヅラの女たちよりもはるかに魅力的だ。この後に出てくるジュリエットも地毛だった。

橋の前に1枚の壁が下りてくると、そこはジュリエット(スー・ジン・カン)の部屋。ジュリエットが乳母と戯れていると、母親のキャピュレット夫人が現れる。夫人は長いマントつきの白いドレスを手に携えていて、ジュリエットはそのドレスを目にした途端、喜んで母親にしがみつく。後でも出てくるんだけど、クランコ版では、キャピュレット夫人はジュリエットのことをそれなりに愛している、という設定になっている。それでジュリエットも母親にいきなり抱きつけるわけ。

でも母親はジュリエットを静かに制し、きちんとひざまづいてお辞儀をしてからドレスを受け取るように促す。ジュリエットはそのとおりにする。で、そのジュリエットがもらった舞踏会用のドレスというのが、ドレスは白地に赤いリボンが織り込まれたもので、マントがオレンジがかったサーモン・ピンク。これはロミオのシャツの色とほぼ同じ色で、これでジュリエットの後の運命がすでに分かってしまう。

ジュリエットはドレスをかざしてぶんぶん振り回し、飛び跳ねて踊る。子どもっぽいという感じもするけど、それよりも活発で屈託のない性格なのだ、という雰囲気のほうが強い。乳母とのやりとりの最中、ジュリエットが自分の両の胸に手を当てる、という仕草があったけど、ここでスー・ジン・カンはにまっ、と笑っていて、「これでアタシもオトナの仲間入りなのね」と好奇心いっぱいに楽しみにしている感じだった。

ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが、キャピュレット家の舞踏会に忍び込む前の踊りはすごかった。両足を揃えて踏ん張って、ぴょんと飛び上がって空中でくるくると回る。高さはあるし回転数もすごい。しかもこれを何度も何度も連続して繰り返す。着地も変わっていて、大体は普通に両足を交差させた状態で着地していたけど、1回だけ床に片膝つけた状態で着地した。ジャンプして両脚を開くとか、片足だけで回転するとか、他の技ももちろんあったけど、この連続ザンレールがいちばん印象に残っている。三人ともテクニックの差がほとんどなくて、みなすばらしかった。

キャピュレット家の舞踏会のシーンでも、衣装の色や模様が統一されていた。男性も女性も黒地にくすんだ金色、というパターンである。その中で、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオだけは赤地にくすんだ金色、という衣装。上衣の模様は同じなのだけど、観客には三人がどこにいてもすぐに分かる。三人は顔全体を隠す仮面の他に、更に黒いアイ・マスクをつけている。

思い出したが、冒頭の広場におけるシーンの踊りでは、群舞による手拍子、足踏み音が多用されていた。この舞踏会のシーンでも、音楽に合わせて群舞が足踏みで拍子をとっていた。マクミラン版よりも大きな音を立てていて、より効果的だった。

ジュリエットはパリスと引き合わされて踊る。嫌がっているようにはみえず、「結婚なんて、まあこんなものなのかしら」という風である。パリスがジュリエットを持ち上げて、ジュリエットはその間に両脚を緩やかに開く、という振りが多かった。スー・ジン・カンは、東洋人とは思えないすごい体型をしていて、手足の長い、長身のスレンダー美人である。ポーズや腕の動きが美しい。

ロミオの目的はロザリンドだったのだが、舞踏会デビューしたジュリエットの魅力にたちまち心を奪われてしまう。ここでナイス演出。ジュリエットと近距離で顔を合わせたとたん、ロミオはアイ・アスクを取ってジュリエットに素顔を見せる。それでジュリエットもロミオに一目惚れしてしまう。マスクをつけたままのロミオにジュリエットが惹かれる、という演出の版もあるけど、でもよく考えたら、それはおかしいでしょ?素顔も分からない男に一目惚れする女がいるか?カオは大事だよ。

マキューシオとベンヴォーリオはあわてて、ロミオに再びマスクをつけるよう促す。ティボルトはなんだかコイツはおかしいぞ、と疑い始める。だが再びマスクをつけたロミオはジュリエットの手を取って、みなの面前で踊り始める。憤然とするパリス。

マキューシオとベンヴォーリオはその場をごまかすために踊り出す。彼らは順番に、舞台の脇から、奥から、橋の上からと唐突に姿を現わし、みなの注意を引き付ける。踊りはコミカルで、二人ともとぼけた笑いを浮かべ、摺り足で体を左右に揺らすという振りが基本だった。途中、マキューシオはすごい技を連発していたような気がするがよく覚えてない。でも橋の上に現れたベンヴォーリオがジャンプして空中で前転したのにはびっくりした。橋はかなりな高さがあり、しかも幅も狭いので、とても危険な振りだったと思う。

やがて客たちは舞台の奥に移動して、ジュリエット一人が舞台に残る。ここでもナイス演出で、舞台の奥では、紗幕を隔てて、客たちがゆっくりとした動作で踊り続けているのが見える。ジュリエットのところへロミオが現れる。

二人は踊り始める。ここでの振りはゆっくりした踊りで、特に激しい動きとか、アクロバティックな振りはない。ジュリエットは母親がやって来たのに気づいて、ロミオに隠れるよう促す。ここでもジュリエットは機転を利かせて、しれっとした顔で具合が悪い、というフリをして母親を出て行かせる。ティボルトやパリスもやって来るが、ジュリエットは如才なく立ち振る舞って彼らを去らせる。ジュリエットは頭がいいしっかり者だ、という印象が強い。更にジュリエットの乳母も、ロミオの正体に薄々気づいていながら、二人の恋に協力する。

だがロミオとジュリエットが踊っていると、抜け目ない男、ティボルトが突然姿を現わす。ティボルトは物陰に隠れたロミオに近づいて「お前はロミオだろ」と詰め寄る。観念したロミオはティボルトに顔を向ける。ティボルトは剣を引き抜いてロミオに突きつける。だがキャピュレット公がやって来てティボルトを制止する。

舞踏会が終わって客たちは帰っていく。マキューシオとベンヴォーリオは、ロミオの姿が見えないことを訝りながらも去っていく。これもいい演出で、ロミオはそのままキャピュレット家の庭とかに潜んでいたんだろう。それで第一幕最後の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」につながるわけである。

舞台奥に渡された橋は、今度はジュリエットの寝室のバルコニーになっている。背景には月が出ていて、バルコニーには青白い色のライトが当てられ、とても美しい情景になっている。ジュリエットが現れて、胸を手で押さえ、ロミオのことが恋しいという、うっとりとした表情を浮かべている。そこへ出ました、またもやデカいマントを大きく翻しながら走ってくるロミオ。

ジュリエットは嬉しそうな笑顔を浮かべてロミオを見つめる。ジュリエットがバルコニーから庭に降り立つ演出もよくて、ジュリエットの部屋のバルコニーには庭に下りる階段がついていない。年頃の娘の部屋のバルコニーに階段がついているのは不用心だとかねがね思っていたので、このほうがよいと思う。ジュリエットはバルコニーの縁にぱっと腰かけ、ロミオが彼女の腰を支えて庭に下ろす。この間、二人は待ちきれないといった様子で、動作も実にすばやかった。ロマンティックな恋人たちというよりは、活発で生き生きした若いカップル、という感じでほほえましい。

ロミオの衣装は前開きの白いブラウスに白いタイツで、ヘンなフリルとかが付いていないシンプルなデザインであった。ジュリエットは袖なし、膝丈のネグリジェ姿。ロミオ役のフィリップ・バランキエヴィッチは背がとても高く(185センチ以上あるんじゃないか)、痩せた体型の黒髪の美男子である。ロミオがジュリエットの前でソロで踊るシーンでは、踏み切ってぽーんと高く飛んだ瞬間に、ぎゅりぎゅりぎゅりぎゅり、と空中ですごい勢いで回転した。またジャンプして回転した後、片脚だけで着地して、そのままもう片方の脚を後ろにぐっと伸ばすとか、みなきれいに決まっていた。

シュトゥットガルト・バレエ団のダンサーは、男性も女性もみな背が高く、また美形ぞろいで、体のスタイルも抜群によい。しかもバレエを踊るための身体的な素質にも恵まれているようで、テクニックのレベルは非常に高い。ダンサーを雇用する際にかなり厳しい基準を設けているのではないかと思う。ただテクニックのすごさについては、やはり年齢の若さによるところが大きいだろう。「みんな元気だな〜」というのが全体的な印象である。

バルコニーのパ・ド・ドゥは、ロミオの技術がすごかったこと以外はあまり記憶がない。踊り自体はそんなに美しいとか、ロマンティックだとかとは思わなかった。偉そうなことを言わせてもらえば、クランコの振付は音楽性に欠けているところがある。なんでこの音楽にこんな平凡な振付を当てはめるんだ、という箇所がけっこうあった。盛り上がれるところをみすみす外しちゃっている。(でも第三幕の寝室のパ・ド・ドゥはとてもすばらしかった。)

踊りの終盤でキスシーンがあったが意外にあっさり終わった。ロミオは再びジュリエットを持ち上げてバルコニーに戻す。それからが面白くて、名残の尽きないロミオはバルコニーの柵にぶら下がり、懸垂みたいに伸び上がってジュリエットに近づこうとするのである。ロミオ、オランウータンみたいにぶら下がってまでジュリエットが恋しいかー!と吹き出しそうになった。このように、すっごく明るいのである。クランコの「ロミオとジュリエット」は。

第二幕

第二幕最初のシーンは再び広場である。街の人々やジプシー女たちの群舞で始まる。ここで群舞が輪になって、全員で「指パッチン」をして拍子をとっていた。初めはカスタネットを持っているのかと思ったが、本当に指を鳴らしていたようだ。ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオも姿を現わす。ジプシー女たちが彼らにしなだれかかり、ロミオに酒を勧める。でもロミオはジュリエットのことが頭から離れず、酒を飲む気にはならない。

でも結局、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオ、ジプシー女たち、街の人々は、全員が入り乱れて陽気に踊りだす。ここの踊りはユニークでしかもすごい迫力があった。高度なテクニックてんこもり、若さ爆発、パワー全開である。

ロミオはここでもびゅんびゅん跳んでぐるぐる回っていた。確か片脚を横90度に上げたまま、ずっと回転し続けるのもあったと思う。全然ブレないしグラつかない。恐るべし、シュトゥットガルト・バレエ。

ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが、3人のジプシー女とそれぞれ組んで踊るところでは、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオがその場でジャンプして開脚(180度開いてる)、着地した瞬間に間髪おかず女たちを高くリフトして、女たちは半ば逆さになりながら開脚してきれいにひらりと半回転し着地する。この振りを舞台を大きく回りながら何度もやっていた。

また、女たちが着地した瞬間に床に膝をつき、音楽に合わせて手で床をバンバン、と叩いて拍子をとっていた。これも何度も繰り返された。手拍子、足踏み、指パッチンと並んで、とても面白いアイディアだ。

突然、弾むようなリズムの音楽が流れて、カーニバル・ダンサーの一団が行列を作って登場する。主要なダンサーは5人(男性3人、女性2人)で、虹色のカラフルな道化風の衣装、顔もピエロのように真っ白に塗りたくっている。後に続く一団は牛やら鶏やらのかぶりものをしている。

カーニバル・ダンサーの踊りは、上海雑技団みたいな軟体技とアクロバティックな技で構成されていた。女性ダンサーが側転する。男性1人が逆さまになり、その脚を男性2人が片方ずつ持って逆コンパスみたいにぐるぐる回す。そして高く持ち上げられた男性の脚の上を女性2人が跳び越えたり、また脚の下をくぐりぬけたりする。ぜんぜん覚えていないが、男性1人を残りの4人が天秤棒のように担いでいる写真もプログラムに載っている。

そこへジュリエットの手紙をことづかってきたジュリエットの乳母が現れる。乳母はロミオを探して人々に尋ねて回る。マキューシオやベンヴォーリオは彼女をからかい、わざと違う人物を教える。乳母は最後にようやくロミオを探し当てる。ロミオが手紙の封を開いて読み始めると、人々は寄ってたかって興味津々に後ろからそれを盗み見ようとする。ジュリエットからの求婚の手紙だと知ったロミオは、嬉しさのあまり太っちょの乳母を持ち上げ、夢中になってぐるぐると勢いよく回し続ける。これには会場から笑いが漏れた。

シーンは変わって、ヴェローナの街を取り囲む城壁と、その向こうに街並みが見える風景が描かれた背景となる。そこへ人間の頭蓋骨を片手に持ち、粗末な籠を手に提げたローレンス神父が歩いてくる。神父といっても、頭蓋骨を持って、みずぼらしい茶色の修道服を着ているから、民間画に描かれたファウスト博士を連想させる。大体、仮死状態になる薬を持ち歩いているような怪しげな坊主だから、このほうがイメージに合っている。

そこへピンクがかったオレンジ色のドレスを着たジュリエットが走ってやって来る。ジュリエットは神父の前に跪いてまず祝福を受ける。でも彼女はロミオがなかなかやって来ないので、不安そうにしきりにあたりを見回す。そこへロミオがようやく到着する。

ロミオは一直線にジュリエットに駆け寄ろうとするが、神父に遮られて、まず祝福を受けるよう諭される。ロミオは不承不承ながらも跪いて祝福を受けるが、しきりに首を伸ばしてはジュリエットの方を見つめて落ち着かない様子である。ロミオは祝福が終わろうとするやいなや、ささっと立ち上がり、ジュリエットに向かって突進する。これは笑えた。神父は「やれやれ」という表情をする。ロミオとジュリエットは結婚の誓いをする。

場面はまた広場。カーニバルの踊りは最高潮を迎えている。興奮冷めやらないロミオも戻ってくる。みなが熱狂的に踊っている最中、抜いた剣を持ったティボルトが一人で現れる。ここはちょっと唐突な感じがした。ティボルトはロミオを見つけると、はめていた黒い皮の手袋を片方脱いで床に叩きつける。自分と決闘しろ、というのである。

だがロミオは手袋を拾い上げると、それを静かにティボルトに返す。ティボルトは手袋をひったくるようにして受け取り、その手袋でロミオの顔をひっぱたいて挑発する。それでもロミオは応じない。それを見ていたマキューシオが怒りを爆発させ、剣をとってティボルトと闘い始める。

マキューシオはティボルトの剣を軽くいなしては、ティボルトをバカにするように両手を広げて踊り、また途中で酒杯を手にとってあおる。ティボルトって、血の気が多くていきがっている割には弱いなあ。マキューシオは机の上に軽く跳び乗り、ティボルトの剣を受ける。ティボルトは完全にマキューシオのいいようにあしらわれている。

ロミオが途中で割って入り、マキューシオの肩をつかんで闘いをやめさせる。ところが。ロミオはマキューシオの両肩をつかむと、なぜかまた前に押し出す。そこにいたのは剣を突き出したままのティボルト。ロミオに押し出されたマキューシオの腹に、ティボルトの剣がぐっさりと突き刺さる。貫通。ロミオ、マキューシオ、ティボルトは「あり?」という顔。これはコントか?

だが物語は進行する。マキューシオのダイ・ハードな2分間が始まる。おどけた表情でティボルトに剣を向けるが、その足元はふらついている。よろけながら酒をあおり、馴染みの娼婦を抱きしめて、それからやっと倒れる。娼婦はマキューシオの剣をつかんでティボルトに突進しようとするが、周りの人々に止められる。

倒れていたマキューシオは、いきなりむっくりと起き上がって歩き始める。後ろの観客が「なかなか死なないわね〜」とささやくのが聞こえた。まったくだ。マキューシオは笑いを浮かべてロミオとベンヴォーリオの肩にもたれかかる。そしてがっくりと頭を垂れ、そのまま床にくずおれて死ぬ。

悲憤のあまり、ロミオは剣をとってティボルトに突進する。でもマキューシオが死んだのはオマエのせいだろが、とツッコミを入れたかったが・・・。また剣の音を響かせながらの闘いが始まるが、ロミオは比較的簡単にティボルトをやっつけてしまう。で、ティボルトは刺されてから5秒くらいでバッタリ倒れて死ぬ。

そこへバッチのタイミングでキャピュレット夫人が駆けつける。死んでいるティボルトを見た夫人は、ティボルトの死体を抱きしめて嘆き悲しむ。ロミオは夫人の足にすがって許しを請うが、夫人は怒りの形相でロミオを突き飛ばす。またバッチのタイミングで、大きな担架を持ったキャピュレット家の家来たちが現れる。彼らはティボルトの死体を担架に乗せる。

ここでキャピュレット夫人が、観ている側が思わずギョッとするような行動をとった。夫人はティボルトの体の上にがっ、とまたがって座り、そのまま家来に運んでいかれるのである。キャピュレット夫人ていうのは、結局ティボルトを愛していたんでしょ?でもキャピュレット夫人のこの露骨な動作にはさすがにびっくりした。ロミオは後悔の念に苛まされながら立ち尽くし、第二幕が終わる。

第三幕

第三幕最初、ジュリエットの寝室のシーンでは、東京文化会館の舞台の奥行きの深さにまずびっくり。いったい何十メートルあるんだろう。40メートルくらいは余裕でありそうだ。舞台のかなり奥に天蓋つきのベッドが置かれている。その後ろにはアーチ型の大きな窓がいくつもあって、白いカーテンが引かれており、カーテン越しに朝日の光が射し込んでいる。

ベッドの上にはロミオがジュリエットを抱いて横たわっている。ロミオはまどろみながら左腕を上げ、緩やかに動かす。ふたりが抱き合って眠っている姿と、ロミオが左腕を緩やかに上げる動作は、第三幕最後のシーンでも繰り返される。やがて目覚めたロミオはそっと起き上がってカーテンを開く。すると、窓の向こうに更にバルコニーの柵があって、背景に昇りかけた太陽が輝いている。凝ったセットだ。シュトゥットガルト州立劇場の舞台もかなり奥行きがあるんだろうな。

ジュリエットの体の下にはロミオのマントが敷かれている。ロミオは彼女を起こさないよう、そっとマントを引き抜く。しかしジュリエットはその感触で目覚めてしまう。これはいい演出である。ジュリエットはあわてて起き上がってロミオに抱きつくと、ロミオのマントを奪い取って大事そうに胸に抱える。健気だ。ここから「寝室のパ・ド・ドゥ」が始まる。

第一幕の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」よりも、この「寝室のパ・ド・ドゥ」のほうが断然よかった。激しい情熱的な振りが多い。ロミオがジュリエットの体を抱き上げると、腕の中で彼女の体をくるっと回転させ、それから彼女の体を背中に回して着地させる。ジュリエットが一人で片足だけで回転してから間を置かずに、ロミオが彼女の背中に片手を添えて持ち上げ、くるくると振り回す。いずれもとても美しかった。

中でもいちばんよかったのは、ロミオがジュリエットの体を斜めに倒して支えた姿勢のまま、ジュリエットがポワントで両足を激しく痙攣させるようなステップで歩いていくところである。地団駄を踏んでいるようにも見え、ロミオに去ってほしくないという、ジュリエットの辛い心情がありありと表現されていた。

ロミオが去った後、ジュリエットはベッドに飛び込んで泣き伏す。そこへ乳母がやって来て、ジュリエットに起きるよう促す。同時にキャピュレット公、キャピュレット夫人、パリスが入ってくる。キャピュレット夫人は黒い喪服を着ている。ジュリエットは起き上がり、青いストールを肩にかけて部屋の隅に立ち尽くす。第一幕でのお気楽そうな顔とはもう完全に表情が変わっていて、強い鋭い眼差しで前を見据え、両親や婚約者には見向きもしない。

パリスはジュリエットに近づいて、彼女の手に接吻しようとするが、ジュリエットは手を引いてそれを拒む。ジュリエットは嫌だという表情で首を振りながら、何度も乳母にしがみつく。それから父のキャピュレット公にすがりついて必死に訴えるが、キャピュレット公は娘を乱暴に突き飛ばす。ジュリエットは今度は母のキャピュレット夫人にすがりつく。

キャピュレット夫人はジュリエットを抱きしめ、娘を庇うような仕草をみせる。ところが、夫のキャピュレット公にじろりと睨まれると、夫人は途端にジュリエットを床に突き飛ばし、冷たい無表情になってしまう。キャピュレット夫人は娘を愛してその気持ちを思いやっているのに、夫が怖くて逆らえない。更には、彼女自身が好きでもない男(キャピュレット公)と結婚させられて、初めて本当に愛したのはティボルトだったのだ、ということが窺われて、キャピュレット夫人もかわいそうな女の人なんだな、と思った。

すっかり影が薄いジュリエットの婚約者パリスについてだが、プライドの高さはうかがわせるが、他の版とは違って、決してロリのエロ男ではなく、穏やかで優しそうな感じのいいヤツである。ジュリエットはロミオと出会いさえしなければ、パリスと結婚してもそれなりに幸せな人生を送れたんではないかな、と思えるようなキャラクターだ。

唯一ジュリエットを庇い続けた乳母もキャピュレット公に睨まれ、身を引いてうつむいて控える。ジュリエットは乳母に近づけず、父に近づけず、母に近づけず、婚約者に近づけず、追いつめられた表情になって、4人の真ん中で凍りついたように動けなくなってしまう。ジュリエットが置かれた状況をこういうふうに視覚化してみせるクランコはすごい。

キャピュレット公、夫人、パリス、乳母は、ジュリエットを一人残して部屋を出ていく。ここからのジュリエットの演技は、マクミラン版では見どころの一つなので、オペラグラスを持ち上げて見る人が多かった。私もそうしてしまった。でもこれはクランコ版だった。ジュリエットはベッドの縁には腰かけず、部屋の中を思い悩みながら盛んに行きつ戻りつし、やがて何かを思いついたような表情になって、青いストールを翻しながら走って部屋を出ていく。

場面はまたヴェローナの街を遠くに望む野原。ローレンス神父がたたずんでいる。ジュリエットが必死な表情で走ってきて、神父にすがりつく。ローレンス神父は彼女の頭を撫でて慰めるが、しばらくじっと考え込む。やがて神父は思い切ったように小さな銀の瓶を籠から取り出し、ジュリエットに差し出す。

神父は飲み干すような仕草をし、それから両手を胸の前で交差させる。つまり「飲んだら死ぬよ〜ん」と言っている。ジュリエットは怖がって首を振るが、神父は手を振ってそれを否定し、・・・この後どうやったんだっけ?忘れちゃった。とにかく、死んでも生き返るよ〜ん、ということを説明し、ジュリエットは恐れつつその小瓶を受け取る。

ジュリエットは部屋に戻ると、小瓶をベッドの布団の下に隠す。キャピュレット公、夫人、パリスが再び部屋に入ってくる。ジュリエットは静かな顔でパリスの前に跪いてお辞儀をする。キャピュレット公、夫人、パリスは安堵した表情になり、彼女の部屋を後にする。

ジュリエットは小瓶を取り出すと、それを手に持って踊る。怖がってなかなか口をつけることができない。しかし、ロミオのことを思い出したのか、いきなり幸せそうな表情を浮かべ、やがて意を決して小瓶を飲み干す。彼女は大きく息を吐きながら(音が客席まで聞こえた)床に倒れるが、なんとか起き上がってベッドにたどりつくと、ばったりと倒れ伏す。

そこに白い大きな花を一輪ずつ持ったジュリエットの友人たちが現れ、友人たちによる群舞になる。音楽はあのマンドリンみたいな音色のやつで、マクミラン版では第一幕の舞踏会のシーンで使われている(ジュリエットがひょうたんみたいな形の楽器を弾くところ)。振付は全く覚えていないが、友人たちが互いが持っている花で輪を作り、その上を1人のダンサーが飛び越える、という振りだけ記憶に残っている(だからなんだ、と思ったが)。

キャピュレット夫人、乳母が入ってくる。キャピュレット夫人は純白のドレス(アンダースカートが黄色)という明るい色の衣装で現れる。結婚式だからだろうが、さっきの真っ黒な喪服と印象が180度違う衣装なのでちょっとびっくり。ジュリエットの友人たちは白い花を夫人に手渡す。キャピュレット夫人は受け取った白い花束を、「眠っている」ジュリエットの足元にそっと置く。皮肉な演出で、お祝いの花のはずなのが、実は弔いの花になっている。

乳母がジュリエットを起こそうとして、彼女が死んでいることに気づく。お祝いムードが一転して乳母や友人たちが嘆き悲しむ一方、母親のキャピュレット夫人は、ジュリエットの体を起こして後ろからぐっと抱きしめる。ジュリエットの頬に自分の頬をつけ、目を閉じて静かに強く抱きしめている姿は感動的だった。クランコ版では、キャピュレット夫人の存在がけっこう大きい。

次はジュリエットの葬式のシーンである。ここは舞台装置を使った演出が面白かった。舞台の奥にある橋の上に、ジュリエットの葬列が現れる。ジュリエットの死体は棺の上に横たえられている。ライトは暗く、辛うじて人々の黒い影が見えるくらい。人々はジュリエットの棺を橋の向こう側から下ろす。同時に橋の下が明るくなり、ジュリエットの棺が徐々に下がってくるのが見える。橋の下が地下墓室になっているというわけ。

いよいよ最後のシーンである。ジュリエットが横たわっている棺が舞台の奥に青白く浮き上がっている。パリスがやって来る。彼はジュリエットの頬に接吻をすると、棺の右側の縁にすがりつくようにして泣き崩れる。パリスはイヤなヤツではないんだよねえ。

このラストは感動的なシーンのはずなのだが、マキューシオが死ぬシーンと同様、クランコってナニ考えてんだ、という展開になった。ロミオが現れる。ロミオはパリスがいることに気づかず、ジュリエットの棺の左側の縁にすがりついて泣き崩れる。客席から見ると、棺を挟んでロミオとパリスが左右対称でおんなじポーズをとっているわけである。

これだけで爆笑モノなんだけど、それからロミオとパリスは同時に身を起こして、ジュリエットの姿を見ようとする。ここで、棺の両側から顔をのぞかせたロミオとパリスの目が合う。これは絶対にウケ狙いに違いない。私は噴き出しかけたが、誰も笑わなかったのでガマンした。

ロミオとパリスは決闘になるが、あっけなくロミオの勝ち。パリスは刺されて即死する。ロミオはジュリエットの体を起こし、引きずって踊る。しかしジュリエットの身体は力なく垂れ下がる。ロミオはジュリエットの体を抱き上げ、再び棺の上に横たえる。

ロミオは短剣を引き抜いて一気に自分の腹を刺す。彼はジュリエットを抱き寄せ、棺の上に身を横たえる。それから左腕を上げて緩やかに動かし、やがてその手がぱったりと下に落ちる。第三幕の最初で、ふたりが一夜を明かして寝入っている姿が、このように今度は死の場面で再現される。

ジュリエットの体がゆっくりと動き、彼女が目を覚ます。ジュリエットはロミオが横にいるのを見て嬉しそうに笑い、ロミオの体を抱きしめる。ロミオと一夜を明かした朝だと勘違いしているのだろう。寝室のシーンと地下墓室のシーンを比べると、ベッドと棺の位置は同じ、抱き合って横たわっているロミオとジュリエットのポーズは同じである。

しかし、ジュリエットはロミオが死んでいるのに気づいて愕然とし、棺から飛び降りてあたりを走り回る。彼女はパリスの死体を目にする。ジュリエットは自分が今いるのが部屋ではなく地下墓室だということや、自分が薬を飲んでから何が起こったのかをすべて悟る。

ジュリエットは立ちつくして天を仰ぎ、顔をくしゃくしゃにして慟哭する。彼女はパリスが握っていた短剣をもぎとり、自分の腹に突きたてる。ジュリエットは棺のところまでよろよろと歩いていくと、ロミオの体の上に仰向けにかぶさり、やがて息絶える。


カーテン・コールはそこそこ盛り上がった。「オネーギン」では、ダンサーたちがみなマニュエル・ルグリを尊重して、自分たちはルグリよりも常に一歩後ろに下がっていた。でも今回はダンサーたちが一列になり、舞台いっぱいに横に広がってオーケストラ・ピットの縁に沿って立ち、喝采に応じていた。

ジュリエット役のスー・ジン・カン一人だけに花束が贈られたが、彼女はそれを床に置くと、他のダンサーたちと手をつないで前に出てきてお辞儀をした。ほとんどのダンサーが若いせいか、みな自然体で気さくな感じで、妙に「舞台ズレ」していないようだった。カーテン・コールは基本的に舞台の延長なのだと思うけれども、彼らの素朴で思いやりのある態度には非常に好感が持てた。

「ロミオとジュリエット」という作品には、私はドラマを期待している。別に高度なテクニックをこれでもかと披露してくれる必要はない。もちろん披露してくれればすごいとは思うけれど。クランコ版の「ロミオとジュリエット」では、テクニックやトリッキーな振付が演技よりも重要な位置を占めている。「技のデパート」(by 舞の海)的な印象が強い。

また、クランコ版のロミオとジュリエットのキャラクターは、明るく単純で思い込んだら一直線な若者で、後先考えずにまっすぐ行動して悲惨な結果を招いてしまった、という感じである。

だからあまり感動はしなかった。でもシュトゥットガルト・バレエ団のダンサーたちによる、若さのはちきれる溌剌とした踊りや高度なテクニックを見せてもらえて、まことに眼福であった。クランコの他の作品もますます観たくなった。

(2005年11月17日)

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シュトゥットガルト・バレエ団日本公演

「オネーギン」

(2005年11月10日)

今日はシュトゥットガルト・バレエ団日本公演「オネーギン」(ジョン・クランコ振付)を観に行ってきました。主なキャストは、オネーギン:マニュエル・ルグリ、レンスキー:ミハイル・カニスキン、タチヤーナ:マリア・アイシュヴァルト、オリガ:エレーナ・テンチコワ、ラーリナ夫人:メリンダ・ウィザム、乳母:ルドミラ・ボガート、グレーミン公爵:イヴァン・ジル・オルテガです。

ルグリはパリ・オペラ座バレエ団のエトワール、アイシュヴァルト、テンチコワ、カニスキン、オルテガはみなシュトゥットガルト・バレエ団のプリンシパルという、まさにゴールデン・キャストでの上演となりました。ちなみにグレーミン公爵役のイヴァン・ジル・オルテガは、すっごい男前です。

前もって言っておかなければなりません。私は2002年の夏、ロイヤル・バレエが上演した「オネーギン」を観ています。オネーギン役はアダム・クーパーで、その他のキャストはもちろんみなロイヤル・バレエの団員でした。私は初めて観たり聴いたりしたヴァージョンを絶対視する傾向があり、ましてそのときの舞台には、私の大好きなクーパー君が出演していたのですから、あれから3年の時を経て、ロイヤル・バレエの「オネーギン」は、私の中で美化され、理想化されて、絶対的な基準となっているのです。

今となって思えば、私は今回の公演を観るべきではなかったのかもしれません。私の中にある2002年の美しい思い出と今回の舞台とは、大きな隔たりがありました。シュトゥットガルト・バレエ団のダンサーたちは技術の水準が総じて高く、この点ではロイヤル・バレエよりも上だと思います。ただ、演技についてはロイヤル・バレエの足元にも及びません。

タチヤーナ役のマリア・アイシュヴァルトは、目の大きな黒髪の美女で、身体は非常にしなやか、動きは優美そのものでした。オリガ役のエレーナ・テンチコワも同様で、トリッキーなリフトやステップで構成されたパ・ド・ドゥやソロを巧みかつ正確にこなしていました。レンスキー役のミハイル・カニスキンは技術がとても安定しており、ゆっくりとしたやわらかな動きで、見せ場となるソロを見事に踊りきっていました。

ただし、みな表情や仕草の語彙に乏しく、何を考えているのかが分かりにくいのです。「オネーギン」は、細かくきっちりとした筋書きのあるドラマティックなバレエだと思いますが、それぞれがどんな動機によって行動し、その結果をどう受け止め、どのような考えで次の行動を起こしているのかが、さっぱりつながらないのです。

タチヤーナ役は「オネーギン」の主人公であり、彼女の行動がこの物語を進めていくのですが、タチヤーナ役のアイシュヴァルトの演技は、教えられたとおりにやっているようにしか見えず、今ひとつ生々しさというか、ついこっちが引き込まれるような現実味がありません。

いちばんのミスキャストは、やはりマニュエル・ルグリのオネーギンであったと思います。ルグリがダンサーとしていかに超一流であるかは、第一幕にあるオネーギン唯一のソロでの端正できっちりした踊り、女性ダンサーと組んで踊っているときの細緻で正確な足さばき、女性ダンサーをリフト、サポートする技術の完璧さで垣間見ることができました。

でもリハーサル不足なのは明らかでした。持ち前の技術で辛うじてフォローできていた、という感が強かったです。それでもタチヤーナとの2つの大きなパ・ド・ドゥでは、女性ダンサーとタイミングが合わず、ぎこちない踊りになってしまった箇所がいくつもあり、その結果、音楽を外したり、音楽に遅れてしまうということにもなりました。

致命的なのは、オネーギンという役柄の解釈がほとんどといっていいほどできていなかったことです。一貫してひたすら無表情なだけで、とりわけ第二幕、オネーギンがなぜあんな愚かな行動に走ってしまったのか、その動機が観客に分かるように説明されていませんでした。

第二幕では、オネーギンはほとんど踊りません。静かに座っていたり、立ち尽くしていたりするのがほとんどで、後はタチヤーナやオリガと組んで踊るシーンが少しあるだけです。でも、オネーギンの心の中で何が起きているのかは、まさに彼が座っている間や立ち尽くしている間にすべて説明されるのです。ルグリはオネーギン役を踊ることをずっと願っていたそうです。ならばルグリはオネーギンをどういう人物として表現したかったのでしょう。私にはついに分からずじまいでした。

ルグリの優れた力量を存分に発揮できる作品や役柄は他にたくさんあるはずで、どうも今回はせっかくの優秀な能力を無駄に浪費してしまった、という感じがします。ルグリ目当てでやって来たファンの中には、あんまり踊らないし、演技は何考えてるか分からないし、ルグリの影が薄いことにちょっとがっかりした人も多かったのではないでしょうか。

会場も適切だったとは思えません。出演人数に比して舞台が広すぎました。群舞は男女合わせて24人です。第一幕の民族舞踊のシーンには迫力ある雰囲気を、第三幕の舞踏会のシーンには華やかな光景を期待していましたが、舞台が広すぎたために群舞の両脇がガラ空きになってしまい、こじんまりとしたものになってしまいました。第一幕の民族舞踊のシーンでは、男女のペアの列が二度目に走って出てきたときには、スタミナ切れしたのか、走るスピードは遅くなり、女性ダンサーの脚も上がらなくなっていました。

更には、オーケストラがひどかったです。それとも会場の音響のせいなのでしょうか。出るべき音が出ない、外す、音がひずむ、ゆがむ、遅れる、といったことが頻繁に起こって、聴いてるほうが白けてしまいました。つい先日に新国立劇場でものすごいオーケストラを聴いたばかり(「カルミナ・ブラーナ」)ですから、余計にそう感じられたのかもしれません。

結論をいえば、今回の舞台はかなり期待はずれなものに終わりました。クランコ作品上演の本場シュトゥットガルト・バレエ団公演で、しかもゲストがマニュエル・ルグリ、ということで、とても楽しみにしていたのですが・・・。あの美しい思い出をもう一度、と過剰な期待を抱いた私も悪いですが、会場、オーケストラ、キャスト、踊り、演技など大事な諸要素が、この作品が含んでいるすばらしさを充分に引き出すことができなかったのも確かだと思います。

公演はあっけなく終わり、観客は今ひとつ舞台に没入することができないままにカーテン・コールを迎えました。ブラボー屋さんは大忙しのようでした。同じ声なのですぐに分かります。この日記を書いている今も、つい数時間前に観たばかりの舞台なのに、印象がとても薄くて、はるか昔のことのようです。これでいいんだろうか、と非常に複雑な気分です。

(「不定期日記」2005年11月10日原載)


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