Club Pelican

NOTE 30

新国立劇場バレエ団「カルミナ・ブラーナ/ライモンダ(第一幕より)」

(2005年11月3・5日)


「ライモンダ」第一幕「夢の場」

まず最初は「ライモンダ(Raymonda)」第一幕より「夢の場」である。振付はマリウス・プティパ、音楽はアレクサンドル・グラズノフ、改訂振付は牧阿佐美。上演時間はおよそ30分。十字軍の遠征に従軍した恋人、ジャン・ド・ブリエンヌの帰りを待ちわびるライモンダが、彼と再会する夢を見る。

主なキャスト。ライモンダ:厚木三杏;ジャン・ド・ブリエンヌ:デニス・マトヴィエンコ(Denys Matviyenko);第1ヴァリエーション:内富陽子;第2ヴァリエーション:西川貴子。

中世っぽい絵が描かれた幕が面白かった。中世風の扮装をした大勢の人々が馬に乗り、ひしめきあうようにして行進している。中央に身分の高そうな男性、そのやや後ろに女性がいて見つめ合っている。ジャン・ド・ブリエンヌとライモンダなんだろうか。なんかナショナル・ギャラリーにありそうな絵だ。

「カルミナ・ブラーナ」がメインなのに、なんで同時上演が「ライモンダ」なんじゃい、と最初は思ったが、同じ中世だし、それにクラシック・バレエの基本形式を紹介するにはいい選択だな、と後で考え直した。2つの女性ヴァリエーションにあった一部のトリッキーなステップを除けば、「ライモンダ」でみられたほとんどの動きは「カルミナ・ブラーナ」でも使われていた。まったく異なるタイプの作品に見えても、基本の動きは同じだということに気づかされて、とても勉強になった。

ライモンダ役の厚木三杏は、体と踊りのスタイルが非常にすばらしい人だった。その体つきと相俟って、一つ一つのポーズがとても美しく、動きもきれいで端正、丁寧にきっちりと踊っていた。「ライモンダ」にもヴァージョンがいくつかあるのか、2つの女性ヴァリエーションの後にあるライモンダのソロは、私が知っていたのと違ったので、それが少し残念だった。

ジャン・ド・ブリエンヌを踊ったデニス・マトヴィエンコについてはよく分からない。でもたぶんすごく上手なんではないだろうか。ヘタだとは思わなかったから。

主役二人よりすごいと思ったのは、やはり女性の群舞であった。よく揃っているし、一人一人の動きもとてもすばらしい。アラベスクの姿勢で何秒間も静止しているところは、誰も足元がグラついていなかった。また、二手に分かれて、舞台の両脇から大きくジャンプしながら走ってきて、中央で交差するときも、よく衝突しないものだと感心した。

十字の形になってジャンプしながら回転するところも列が曲がることはないし、また片脚で回りながら回転していく(「自転公転動き」と勝手に命名)ところも、間隔は常に一定である。これぞ新国立劇場バレエ団、とあらためて実感した。

でも次の「カルミナ・ブラーナ」のインパクトが強すぎたので、結果として「ライモンダ」は前座的な役割どころか、公演終了後は印象が薄れていたばかりか、「そーいえば『ライモンダ』もやったんだったな」と一時的に健忘してしまうことになった。複数の作品を上演する場合はこれだから難しい。

だがこの公演にやって来た観客の中には、普段はバレエを観ることのない人々が相当数いただろうから、きちんとしたクラシック・バレエを紹介しておくことは大事なことだと思う。また、上にも書いたように、1898年にロシアで初演された「ライモンダ」で使われている踊りの動きが、1995年にイギリスで初演された「カルミナ・ブラーナ」でも使われている、ということが分かったのも、私には収穫だった。


「カルミナ・ブラーナ」

30分の休憩時間をおいて、次は「カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)」である。音楽はカール・オルフの同名曲(1936年)、振付者はデヴィッド・ビントリー(David Bintley)で、1995年にバーミンガム・ロイヤル・バレエによって初演された。上演時間はおよそ60分。

プログラムなどによると、1803年、ドイツのバイエルン王国ボイロンにある修道院で13世紀ごろの古文書が発見された。内容は詩や戯曲などであり、ラテン語とドイツ語で書かれていた。それらの作者は不明だが、おそらくは当時の神学生、修道僧などだろうと推測された。古文書のテキストは整理編集を経て、1847年に「カルミナ・ブラーナ」という題名で発表された。「カルミナ・ブラーナ」とは、ラテン語で「ボイロンの歌」という意味である。

カール・オルフはこの「カルミナ・ブラーナ」の中から24篇の詩を抜き出し、序「運命、世界の王妃よ」、第1部「春に」・「草の上で」、第2部「居酒屋にて」、第3部「求愛」、エピローグ「ブランチフロールとヘレナ」、「運命、世界の王妃よ」という構成の合唱曲とした。

合唱曲とはいえ、オルフは当初から「カルミナ・ブラーナ」は舞踊とともに上演されることを前提としていた。だが、それだと大がかりな公演になってしまうせいか、コンサート形式で上演されることが多い。よって今回の公演は、オルフの本来の意図を実現したものといえる。

ソプラノ:佐藤美枝子;テノール:ブライアン・アサワ(Brian Asawa);バリトン:河野克典;合唱:新国立劇場合唱団;演奏:東京フィルハーモニー交響楽団;指揮:バリー・ワーズワース(Barry Wordsworth)。

主なキャスト。運命の女神(フォルトゥーナ):シルヴィア・ヒメネス(Silvia Jimenez);神学生1:グリゴリー・バリノフ(Grigory Barinov);恋する女:さいとう美帆;ポニーテールの女:遠藤睦子、西山裕子、本島美和;神学生2:吉本泰久;ローストスワン:真忠久美子;神学生3:イアン・マッケイ(Iain Mackay)。

プロローグ

70余名からなるオーケストラが待機しているオーケストラ・ピットの脇にあるドアが開き、黒いシャツを着た合唱団のメンバーがぞろぞろと現れた。観客がかすかにざわめいて、みな面白そうに上半身を伸ばして見やる。合唱団は総勢60名余、オーケストラ・ピットの奥(舞台寄り)にずらりと並んだ。かなり窮屈そうだ。やがて、指揮者と3名のソリストも姿を現わした。よく見えなかったが、ソリストたちは指揮者の前に位置していたのだろう。

天井から指揮台の上にライトが照射され、指揮者のバリー・ワーズワースが顔をのぞかせて観客に挨拶した。早くも大きな拍手が送られる。やがてライトが消えた。客席が静まり返る。このとき会場は緊張感でピンと張りつめていた。指揮者がタクトを振り上げた瞬間、あの凄まじい迫力ある第1曲の前奏が始まった。同時に合唱団が「ああ、運命の女神よ!("O Fortuna!")」とゆっくり叫ぶように歌う。

前奏が終わりかけたところで、舞台の幕が開く。真っ暗な舞台の真ん中が急に明るくなると、そこには肩と腕をむき出しにした膝丈の黒いドレスを着て、黒いハイヒールを履き、黒い目隠しをした女性(運命の女神)が立っている。自分の注意が彼女一人に向かって、線のように集中しているのが分かる。

前奏が終わると、速いテンポ、リズムのよい、しかし押し寄せてくるかのようなメロディ、脚韻を踏んだささやくような歌声で主要部が始まる。運命の女神は両手の甲で自分の顔を挟み、また腕をカクカクと曲げたかと思うと、今度は真っ直ぐに伸ばして鋭く回転させる。姿勢は脚を曲げたり、中腰になったり、直立したりといろいろ。機械的で鋭い、というのが全体的な印象である。

続いて第2曲「運命は傷つける」。天井から細くて白い十字架が何本も降りてくる。ところどころ真っ赤な汚れがついている。舞台の奥に黒い制服に白いカラーをつけた神学生たちが、手を組んでうつむきながら立っている。3人の神学生(神学生1、神学生2、神学生3)が前に出てくる。神学生たちは両手を合わせ、または組んで前に差し出し、さかんに祈るような仕草をする。

3人の神学生は片足を前に踏み出しては、上半身をやや反らした姿勢で両腕を広げる。この動きはなぜかとても印象的であり、ポスターに使用されたのもこの部分である。さすがに舞台写真家はいいところを写すものである。そして全員がゆっくりと何度か回転して移動する。第2曲は同じフレーズが繰り返されるのに合わせて、踊りも同じものを位置を替えながら繰り返す。一つ一つの動きもよく音楽に合わせてある。最後に神学生1だけが舞台上に残る。

第1部 「春に」

第3曲の「うつくしき春」(←韓国の連ドラみてえな名前)から第1部「春に」に入る。曲が一転して静かなものになる。天井から白い大きなシーツやシャツが何枚も吊り下げられた洗濯紐が降りてくる。また舞台奥には緑と黄金色の入り混じった大きな円形の装置が下がっている。円の中は葉の模様である。

黒いおかっぱ頭の女性(春の女)が2人現れる。白く透けた生地に緑の葉の模様が薄く入っているワンピースを着て、その腹は大きく膨らんでいる。彼女たちはうっすらと笑いを浮かべ、大事そうにお腹を抱え、戯れるようにゆっくりと踊る。ここはポワントなし。足袋のようなカバーを着けている。途中で腹と背中に赤ん坊を紐でくくりつけた、同じ髪型と衣装の女性が現れる。

3人の女性は腕や脚をゆっくりと上げて踊る。神学生1はその様子を洗濯物の陰から見つめている。更に同じ扮装の3人の女性が現れる。彼女たちは腹も膨らんでいなければ赤ん坊を連れてもいない。彼女らは妊娠した女性、赤ん坊を連れた女性と対になって踊る。テーマが「春」、キャラクターは妊娠、出産した、またはこれからする女性、そしてこの謎めいたメロディにアンニュイなこの踊り、う〜む、中世だわ、野蛮だわ、異端の教だわ、と心の中で唸る。

神学生1は襟の白いカラーを取って投げ捨てる。そして黒い上着も脱いでしまうと、紐に吊るしてあった白いシャツを身につける(←泥棒じゃん)。女性たちは去ってゆき、第4曲「太陽はすべてをいたわる」になる。バリトンのソロがゆっくりと響く。神学生1は一人で踊り始める。

ジャンプや回転技をふんだんに織り込んでいるが、みなゆっくりなスピードである。やっぱりバリノフ君は動きが柔らかくてよいわ〜。彼は女性たちがいた場所をさまよい、何かを拾い上げる仕草をしてその香りを嗅ぐ。また床にうずくまり、次には横たわったまま背中を反らせる。神の道をドロップ・アウトして異性への甘ずっぱい恋に目覚めたんですな。

第5曲「春の訪れ」になると、途端に明るいメロディになる。出だしの"Ecce gratum!"に合わせて、洗濯物の陰から数人の街の男が、ひょこひょこと顔をのぞかせる。大きな模様のアロハシャツに幅広のズボン、茶髪や赤毛、ヤンキーにしかみえない。洗濯物が引っ込み、天井から煤けた茶色の巨大な壁が降りてくる。彼らは次の飛び跳ねるような音楽に合わせて、そのまま脚を前に高く上げて飛び跳ねる。神学生1もつられて楽しげに飛び跳ねる。

今度はだぶだぶの原色系スーツに茶髪、赤毛、金髪の男たちが現れる。ホストにしかみえない。彼らも飛び跳ねて踊り、またお互いの体の上を飛び越えたり、縦一列に並んで音楽に合わせて「千手観音」のような動きをしたりする(語彙が貧困でごめんなさい)。最後に横に並び、一人ずつカッコよく(?)キザなポーズをキめる。

第6曲は「踊り」で歌はない。天井にはネオン・ライトがきらめいている。舞台が明るくなった途端、おお、これは壮観!舞台の奥を横断して椅子が並んでおり、ずらりと男女が入り混じって座っている。男たちは前述の服装、女は黒髪や金髪のかつらをかぶり、同じようなヤンキー柄の、また白いワンピースを着ている。短い前奏曲の後、全員が一斉に両脚を動かして「座りライン・ダンス」を始めた。ビントリーって、つくづく面白い発想をするわ。

神学生1と、金髪をポニーテールに結び、白いレースのワンピースを着た少女(恋する女)が前に出て踊り始める。みなも椅子の上でそれぞれ戯れ、そして2人一組で踊る。両腕をぐるぐる回して、一見するとゴーゴー・ダンスに見えるのだが、基本はあくまでクラシック・バレエの動きである。このバレエ団の女性ダンサー、みんなスタイルがよくて脚も高く上がるなあ。しかも動きがきちんと合っている。

第7曲の「気高き森」になると、男たちは椅子を前に持ち出し、またひっくり返して置き、その上を乗り降りして踊る。また男たちは椅子に逆向きに座り、馬かバイクのように乗り回し始める(歌詞にそう書いてあるのと引っかけた?)。最後に1人の男が椅子にまたがり、椅子をぶるんぶるんと震わせる。彼はある女を手招きする。女は嬉しそうに男の背に飛び乗る。男は女を背中に乗っけたまま飛び跳ねて退場する(さすがにゆっくりだったけど)。

第8曲「店の人よ、私に紅を下さい」の出だしは笑った。しゃんしゃんしゃんしゃん、と鈴のような音が鳴るのだが、それに合わせて金髪のポニーテールの4人娘が、4頭立ての馬車のように2人ずつ並んで飛び跳ねる。この曲げた状態の脚を交互に前に差し出して飛び跳ねる動きも「ライモンダ」で出ていた。

神学生1が椅子の上に立ち、または床にうつぶせて、しきりに望遠鏡をのぞき込むような仕草をする。その周りにポニーテールの4人娘がまとわりつく。神学生1は4人とそれぞれ踊るが、あまり気が乗らない様子である。

ここでは、神学生1が椅子の上に立つと椅子の背を踏み、そのまま椅子をゆっくりと倒して着地する動きが面白かった。よくケガしないものである。それからポニーテールの少女4人がうつぶせに床に寝そべり、隣にいる少女と片脚をくっつけて高く上げ、奇妙な形を作る(たぶんここであったと思うけど自信なし)のも印象的だった。神学生1が最後に望遠鏡をのぞき込むと、同じく双眼鏡をのぞいていた娘と目が合う(これも歌詞に引っかけている)。

第9曲「輪舞」は前奏が長い。ゆっくりとした静かな音楽である。この長い前奏の間に神学生1とポニーテールの少女が踊る。ネオンは消えて星がきらめき、三日月が浮かんでいる。踊りは「ライモンダ」の「夢の場」で出てきた最初のデュエットと似ている。少女はポワントで立ったまま両脚をぴったりと閉じ、かすかに曲げて静止する。その足元に神学生1が座り、彼女の脚にすがりつく。

やがてメロディが激しく急激なものに一変して合唱が入る(「輪になって踊る」)。少女の前で神学生1が踊る。最後にジャンプして回転していく動きを何度も繰り返す。夢中になって踊る神学生1に対して、少女はなんとなくつまらなそうな顔をしている。

前奏に似たゆっくりした音楽が流れ、「おいで、私の恋人」の合唱になる。そこへヤンキー風の男たちが現れる。少女は彼らを意味ありげに見つめて一緒に踊りだす。うろたえる神学生1。少女は男たちのそれぞれと踊る。再び「輪になって踊る」になると、男たちは神学生1と同じ振りで一斉に踊る。あら、このバレエ団は男性陣もあなどれんわ、とこのへんから感じ始める。

第10曲「世界が我が物となるとも」で、少女は男たちに持ち上げられて踊り、下にいる他の男たちに向かって投げキッスをする。神学生1も彼女の下に立つが、あっさりと無視されてしまう。他の男が少女に近寄ると、彼女は前と同じく、爪先を揃えて膝を曲げた状態で立ち、男がその脚を抱える。恋人を奪われた神学生1は呆然として立ち尽くす。

第2部 「居酒屋にて」

第2部「居酒屋にて」は第11曲「怒りに、心収まらず」から始まる。題名のとおり、激しく荒々しい曲である。暗い舞台の中央に神学生2が現れる。彼は苛立った様子で(←怒ってるんですな)襟の白いカラーを引き抜き、勢いよくブン投げる。彼は大股に走るような仕草をしながら、両の拳を振り回して踊る。

この第11曲は2分ちょっとあるんだけど、その間、神学生2はジャンプ、回転、ジャンプ、回転、と大技ばかりで構成されたソロを踊り続ける。息を整える時間はまったくない。ダイナミックな踊りで見ているほうは痛快だけど、踊るほうは大変だろう。最後に神学生2は床に逆立ち状態になって静止。でもさすがに脚がグラグラしていた。

次は「カルミナ・ブラーナ」の中でもかなり変わった曲、「焙られた白鳥の歌」(第12曲)である。カウンター・テナーによる独唱。ブライアン・アサワは大方のカウンター・テナーとは少し違った歌声をしている。

奥に幕が引かれた劇場の舞台のようなセットが下がってくる。真紅のカーテンが開く。中からはハゲ頭の仮面をかぶり、燕尾服を着た巨漢の男たちが、大きな銀の蓋がかぶせられた皿が乗った机を押して出てくる。男たちはせわしない仕草で銀の蓋を開く。すると、その中から大きな羽根扇を2本持った白い衣装の女性(ロースト・スワン)が現れる。額の上には羽飾り、腰の後ろからは尾羽のようなひらひらした裾が垂れ下がっている。

女性は床に降り立つと、羽根扇を使って手足を緩やかに伸ばし、妖艶な振りで踊る。男たちはその後を追いかけ、彼女をつかまえてみんなで横に抱きかかえ、一斉にむしゃぶりつこうとする。また床に横たわった彼女の体をまたぐようにして縦一列に並び、彼女にのしかかろうとする。そのたびに神学生2は彼女の両足をつかんでその体を引き抜き、彼女を助ける。

女は神学生2と踊るがすぐに離れ、またも挑発的な仕草で、羽根扇をかざして男たちを煽る。それから彼女は羽根扇を両脇に挟んでかがみこむ。腋から背の上に大きな羽根が2枚突き出て鳥のようになる。巨漢の男たち、神学生2は彼女をその姿勢のまま持ち上げる。ここで彼女は鼻の下と両頬を息で膨らませる。こうするとあら不思議、鳥の正面顔そっくりになるではありませんか!

女はそのまま再び皿の上に乗せられる。彼女は不安そうな、怯えた表情になる。巨漢の男たち、そして神学生2までもが、完全にヨダレじゅるじゅるなエロい目で彼女を見つめている。彼女は結局「食われちゃう」んだろうなあ。男たちは皿の乗った机を引きずって幕の後ろに消える。

第13曲「予は大僧正様」になると、神学生2とともに黒服のいかにも不良そうな男たちが大量に現れる。この曲は飲酒を諷刺した詩で、彼らは酒を酌み交わす仕草をする。神学生2はみんなから酒を差し出されて、全部イッキ飲みしちゃっている。

第14曲「われら、居酒屋にあっては」は、弾むようなリズムの、明るくてコミカルな雰囲気の漂う音楽で、歌詞も脚韻はもちろん頭韻(というか同じ言葉を使っている)も踏んでいて、いっそうリズムよく感じる曲である。

ここの踊りはかなり面白かった。神学生2と黒服の男たちが入り乱れての大乱闘シーンで、盛んにメンチきっては人差し指を立てて観客に向けていたが、あれは本来は中指であるべきだ。過激だと判断されたのかもしれない。が、人差し指だとサタデー・ナイト・フィーバーになってしまう。 ・・・ひょっとして、ホントにサタデー・ナイト・フィーバーを狙っていたのか?

あと音楽の使い方が上手で、たとえば神学生2たちが敵対するグループとの乱闘に赴くところでは、「誤れる兄弟のために八度("Octies pro fratribus perversis")」の箇所でテンポをゆっくりめにし、神学生2が指を唇に当てて、仲間に「静かにしろ!」という仕草をしつつ、足音を忍ばせて歩いていた。

それから「主婦も飲む、主人も飲む("Bibit hera, bibit herus")」の段に入る前に歌が途切れて、威勢のよい間奏が流れるのだが、そこで男たちは横一列になって手足を広げ、音楽に合わせてズタズタズタズタ、と大股で前に歩き出してくる。これは個人的にツボにはまった。いかにもなヤンキー歩きという感じでよい。

ここの振付は歌詞の内容とはほとんど関係がない。歌詞はやはり酒について詠んだものだが、ここの踊りはケンカを描いていて、しかも曲のイメージを最優先した振りになっている。大乱闘のシーンでは、男性群舞の美しさに見とれた。乱闘といっても、拳を振り上げて殴り合っているんではない。ぜんぶクラシック・バレエの男性技だけで構成されている。

片脚を真横に上げて半回転したり、回転しながらジャンプしたり、片脚だけでぐるぐる回ったり、ムハメドフ飛び(チャウさん勝手に命名。ジャンプした瞬間に両脚をぴっ、と一瞬だけ開いて閉じる)をしたり、衣装が黒服で、動きが揃っていて、しかもみんな技術がすごいからとてもカッコよかった。

私はこれ見て、このバレエ団の男性ダンサーは、普段あまり踊る機会を与えられていないだけであって、本当は高い能力を持っているんじゃないかという疑問が湧いた。振付者のビントリーによれば、「カルミナ・ブラーナ」は「カンパニーのすべてのメンバーが出演できる」という方針の下に作られたそうだ。その意味でも、今回はいい作品を選んだな、と思った。

さて、神学生2はケンカでブチのめされ、床に倒れこんでしまう。ヤンキーどもは姿を消し、最後の一音に合わせて、一人残ったヤンキーが神学生2にケリを入れ、ここではじめて中指を立てる。これで第2部が終了。

第3部 「求愛」

第3部「求愛」になる。初めは第15曲「愛の神はいずこにも飛び来り」。やわらかな曲調の、静かでゆっくりしたメロディが流れる。舞台の奥には黒いおかっぱ頭で、黒いシースルーの下着姿の女性たち(娼婦たち)が、けだるそうなポーズで笑みを浮かべながら立っている。その上には横に細長い鏡があり、彼女たちの後ろ姿を映し出している。

舞台の脇から、赤いカクテル・ドレスを着て、赤い縁のサングラスをかけた女性(運命の女神)が歩いてくる。髪はひっつめにしてまとめ、白い胸元、肩と腕がむきだしになっている。反対側から神学生3が姿を現す。彼は赤いドレスの女性に目を奪われる。女性も神学生3の視線に気づく。彼女は彼をじっと見つめるが、やがて再びゆっくりと歩き出す。神学生3は彼女の後を追う。

合唱の後に短い間奏があり、それからソプラノの独唱("Siqua sine socio")が入る。間奏は弾むようなメロディで、独唱もそれに合わせて区切るように歌う。この間奏部分で、後ろにいた娼婦たちが並んで、ストリップのように腕を曲げ、腰を左右に振りながらポワントで歩いてくる。これも音楽のイメージにぴったりで、ビントリーは音楽の使い方が実にうまい。娼婦たちは舞台の前で悩ましげなポーズをとる。

第16曲「昼、夜そしてあらゆるものが」はバリトンの独唱である。神学生3が舞台の中央に立ち、黒い上着を脱ぎかけてはやめ、脱ぎかけてはやめ、と逡巡する。しかし彼はついに上着を脱ぎ、襟のカラーを外して床にぽとんと落とし、シャツを脱いで上半身裸になる。そして靴を両方とも脱いで顔に当て、靴下まで脱いでしまう。更に!ズボンまで脱いで白いパンツ(サポーターね)一丁になる。露骨だな〜。これをイギリスでやったのか。でも下品なエロさがないのはさすがだ。

赤いドレスの女性がサングラスを外す。シルヴィア・ヒメネスの素顔がはじめて現れる。彼女は背が高く、手足が長くて、スタイルは完璧。黒髪で、きりりとした顔立ちの美女である。威厳ある運命の女神にぴったり。第17曲「赤い胴着の乙女が立っていた」が流れる。そう、彼女の赤いドレスは、おそらくこの歌詞に引っかけたものである。ヒメネスが一人で踊り始める。

序奏のシーンとは異なり、ヒメネスはここではトゥ・シューズを履いていて、ポワントで踊る。長い手足を存分に駆使した、鋭いキレのある振付である。脚を真っ直ぐに伸ばして、付け根からブン、と耳をかすめるような高さまで上げて1回転させる。両腕も伸ばしたまま爪先立った片足で回転し、上げた片脚を後ろにぐん、と伸ばして上げる。グラつきがまったくなく、いずれも見事に決まる。

第18曲「私の心はため息みつ」はバリトンのソロと合唱。神学生3と赤いドレスの女性が踊る。神学生3はパンツ一丁だが、奇妙な感じはしないのが不思議だ。彼らは一緒に踊るが、まるでケンカをしているかのような踊りで、甘い愛のパ・ド・ドゥという雰囲気はしない。女性が激しい調子で片脚を振り上げ、神学生3はそれを避ける。

だが、第19曲「若者と乙女がいたら」、第20曲「おいで、おいで」で踊るうちに、女性は神学生3や他の男たちを「しつこいヤツ」といわんばかりに突き退けながらも、徐々に神学生3のことが気になっているらしい態度を見せる。そして第21曲「ゆれ動く、わが心」で、女性と神学生3は初めてロマンティックな雰囲気に満ちたパ・ド・ドゥを踊る。

この第21曲「ゆれ動く、わが心」は、「イントゥルティーナ(In trutina)」という原題そのままでも呼ばれ、序奏とエピローグの「運命、世界の王妃よ」と並んで、「カルミナ・ブラーナ」では最もよく知られている曲である。日本では20年位前にテレビCMでキャスリーン・バトルが歌い、あっという間に有名になった。

このパ・ド・ドゥは非常に美しかった。神学生3はパンツ一丁だが。神学生3役のイアン・マッケイは、長身のヒメネスの体を軽々と振り回す。脚を閉じて棒のようになったヒメネスの体を、逆さに高く持ち上げて背中から下ろす。ヒメネスの体が空中で円を描いて美しい。

また、ヒメネスが片足ポワントで立って上半身を下げ、マッケイの体にもう片方の脚を巻きつかせ、マッケイがゆっくりと彼女の体を回す。ふたりが背中合わせに立ち、マッケイが背中でヒメネスを支えて持ち上げる。

最後に、中腰になったマッケイの太腿にヒメネスが腰かけるように座り、両脚でマッケイの腰を挟みながら、その両脚で美しいポーズをとる。これは「そういう」シーンだと思うけど、まったくいやらしい感じがせず、ふたりの手足が形作る線がとてもきれいだった。マッケイはパンツ一丁だが。(←だからもういいって) おかしなことだが、このパ・ド・ドゥを見ていて、まるで「白鳥の湖」のアダージョみたいだな、と思った。

結ばれたかと思った神学生3と赤いドレスの女性だが、第22曲「楽しい季節」になって雰囲気は一変する。音楽の感じも一転して明るく弾むようなものになる。そのとき舞台の奥から体にフィットした白い衣装を身につけた男女が大勢現れ、天井から白い大きな幕がばさっと下りてくる。

この男女の群舞の衣装はよくみるとすごい。女性の胸の部分には乳首を表わす黒いマーク、そして男女ともに、股間にはそれぞれの性器を表わす図形が描かれた飾りが付いている。極めて単純に記号化されたデザインだったけどすぐに分かった。初演時に「成人指定」したというのもうなづける。

神学生3をはじめとする男たち、赤いドレスの女性をはじめとする女たちの間で乱闘が起こる。ここでも音楽の使い方が面白かった。"Oh, oh, oh, totus floreo"が何回か繰り返される部分で、女たちは男たちを挑発するかのように睨みつけながら歩き回る。その歩き方が音楽とぴったり合っている。こういう細かいところでも、ビントリーは音楽のイメージと合う動きを持ってくる。

この曲の歌詞は恋の喜びを情熱的に歌い上げたもので、ケンカではない。なんでケンカしているのか、それは「セックス闘争」だろう。神学生3や男たちは股間に手を当てて前に突き出し、女たちに見せつける。それから神学生3と赤いドレスの女性がサシで殴り合いのケンカになる。しかもグーで。これは笑えた。疲れた神学生3を男たちが手ではたはた、と風を送って励まし、平然とした赤いドレスの女性を、他の女たちが「もっとやれ」というふうにけしかける。女性はニヤリと笑ってうなづく。

しかし、第23曲「私のいとしい人」で、神学生3と赤いドレスの女性は、再び愛のパ・ド・ドゥを踊る。女性が中腰になった神学生3の体を挟み込むようなポーズが繰り返される。前は男性が後ろ向きだったが、今度は正面を向いているので、バッチリ「入ってます」状態になっている(下品な表現ですみません)。ふたりはそのまま両手を放して大きく広げ、女性は上半身をのけぞらせる。セクシーな意味の振りなんだけど、これもとてもきれいだった。でもどういう振りか以前に、なんで支えがないのに女性が床に落ちないのか不思議だった。

エピローグ

神学生3と赤いドレスの女性は手をつなぎ、舞台奥へと歩いて去っていく。第24曲「ブランチフロールとヘレナ」が始まり、ついにエピローグになる。舞台の背景を覆っていた白い幕が一気に落とされる。そこに現れたのは巨大な円形の時計のような装置である。あちこちに光がきらめき、円に沿って黄金色の三角形の飾りで縁どられている。円形の中には六角の星型の飾りがあり、更にその中には、真ん中からひび割れた赤いハート・マーク。

女たちが落ちた白い幕の縁を持つ。男たちがその女たちを抱え上げ肩車をする。女たちが持ち上げた白い幕のせいで、舞台の下半分が見えなくなる。男たちは女たちを肩に乗せたまま前に出てくる。すると、女たちが幕の縁を握りしめたまま男たちの肩から降り、すさまじい勢いで奥へ向かって走り出す。風をはらんだ白い幕がふくらんで舞台全体を覆い、男たちと女たちはその陰に消える。ここは激しい音楽と相まって、圧倒的に迫力ある光景だった。

第25曲「運命、世界の王妃よ」が始まる。神学生3とあの女性が手をつないで再び舞台上に出てくる。しかし、女性は赤いドレスではなく、黒いドレスを身につけている。何も知らない神学生3は隣にいる「恋人」を見て愕然とし、後ずさりながらあわてて逃げ出す。運命の女神はそれを冷然と見やる。

主要部が始まり、運命の女神は序奏と同じ振りで踊り始める。あの機械的な動きの鋭い振りである。やがてその後ろには、女神と同じ黒いドレスを身につけた大勢の運命の神(「フォルトゥーナのクローンたち」だそう)が現れて、女神とともに踊り始める。男性ダンサーも膝丈の黒いドレスを着て踊っていたが、女性ダンサーの数が足りなかったのか?まあ男で人生が狂う女もいるわけだから、男が運命の神でもいっか。

神学生1、神学生2、神学生3も現れ、憔悴しきった様子で、運命の神たちの前に立って踊る。やがて彼らはもつれた足取りで姿を消す。運命の神たちは両腕を大きく広げ、昂然と顔を上げて、冷酷な目つきで前を見やる。最後の音楽が激しく鳴り響く中、舞台の奥に大きな輪が現れ、光がぐるぐると車輪のように回っている。やがて音楽が終わり、幕が引かれる。

カーテン・コールは大いに盛り上がって、観客が非常に興奮しているのが分かった。オルフの音楽はただでさえ人の気分を高揚させるし、ビントリーの振付はオルフの音楽の効果を倍増させるようなものだった。ビントリーの振付について最も強く感じたのは、音楽の使い方に非常に秀でている、ということである。

ビントリーはオルフの原曲すべてを用い、原曲の構成に沿って、またテーマも原曲に従っている。しかしその振付は、時には歌詞の内容に忠実に合わせているかと思うと、時には歌詞の内容を奇抜なアイディアで置き換えて表現してみせ、また時には歌詞の内容を無視して曲のイメージを優先させた振りを施していた。

私はこの作品を非常に楽しんだが、しかしその一方で、ビントリーの「カルミナ・ブラーナ」については、その表現の分かりやすさや娯楽性の強さに違和感を覚える人もいるだろう、とも思った。この作品が新国立劇場で再び上演されるかどうかは、日本のバレエ・ファンが、バレエに庶民的なエンタテイメント性が持ち込まれることを受け入れるか、それとも拒否するかにかかっているだろう。

今回の公演は成功裡に終わったけれども、「カルミナ・ブラーナ」が今後、新国立劇場バレエ団の定番レパートリーになるかといえば、私はその可能性は低いだろうと感じている。だから貴重な公演を目にすることができて、また良い作品に出会えて、心から嬉しく思う。

(2005年11月7日)


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