Club Pelican

NOTE 29

「危険な関係」ロンドン公演 (3)

(2005年8月10-14日)

ヴァルモンとトゥールヴェル夫人のデュエットが終わったとき、日によって拍手が起きたり起きなかったりした。私は拍手しないほうがいいと思うが、やはり盛り上がったシーンの後には拍手する観客が出る。指揮者(スティーヴン・レイド)は当日の観客の反応によって、次のシーンの効果音や音楽を始めるタイミングを決めていたようだ。拍手が起きたらしばらく演奏を止め、拍手が起きなかったら、即座にあの不気味な音楽と効果音を流し始める。

ソファーの上でヴァルモンがトゥールヴェル夫人を抱きかかえ、ふたりは眠りにつく。背景の真っ暗な窓の向こうを、いくつもの松明の炎がゆっくりと動いていく。観客がシーンと静まり返る。これまでの幸福な雰囲気とはまったく異なる、禍々しい何かが起こる前兆である。ヴァルモンが首を左右に振ってうなされ始める。

舞台のあちこちから、黒装束の人物たちが奇怪な仕草で姿を現わす。四つん這いになったり、手足を妙な形に曲げたり、床を転がったりしながら、彼らはヴァルモンとトゥールヴェル夫人ににじり寄る。仮面をつけているが、何回か観たら髪型や背格好、体型で大体だれだか分かるようになった。最初にヴァルモンの手足をつかんでソファーから引きずり下ろすのは、ジェルクール役とダンスニー役。舞台の前面で奇妙な姿勢で静止するのはプレヴァン役。

彼らの奇妙な動きも、人によって微妙に違っている。「ブキミならど〜でもいいよ〜ん」とかクーパー君に言われているのだろうか。マイケル・コピンスキ君が舞台の前面で静止するポーズはかなり異様であった。頭から胸元のあたりまでを床にべったりとつけた逆立ち状態で、ずいぶん長いこと止まっていた。両脚がピンと伸びてぜんぜんグラつかない。このポーズの強烈さでは、コピンスキ君がイングラム氏に勝利しました。

最終公演では、このシーンにサイモン兄ちゃんが飛び入り出演していた。何で分かったのかって?ハゲで背が高くて体がデカかったからですよ(笑)。特に修行僧のような後頭部の形ですぐに分かりました。クーパー君の片方の足首をつかんで、ソファーから引きずり下ろすのを手伝っていた。それに舞台上にいる人物の数をかぞえたら10人いた(通常は9人)。

話は前後するが、暗闇の中で扉が開き、真っ赤なドレスを着たメルトイユ夫人が現れる。その周りにいたのは女性陣。セシル、ヴォランジュ夫人、ロズモンド夫人役。ヴァルモンがメルトイユ夫人に近づくと、メルトイユ夫人は両腕と片脚を高く上げてヴァルモンを脅す。鋭く切り裂くような手足の動きが凄まじくも美しい。

ヴァルモンは怯えた顔つきになるが、ふと気づいたように首にかけているトゥールヴェル夫人の十字架を外し、気弱な笑いを浮かべてメルトイユ夫人に差し出す。クーパー君の、「ほ、ほら、このとおり、十字架をもらったんだ・・・・・・」という感じの、うろたえてメルトイユ夫人の機嫌をとるような表情が哀れである。

メルトイユ夫人は哄笑して十字架を投げ捨てる。ヨランダ・ヨーク・エドジェルは、高貴で涼しげな顔立ちなのに、「キャハハハハ・・・・・・・」と狂ったようにカン高い声で笑う。ただサラ・バロンもヨランダさんも、十字架を投げ捨てる仕草はちょっと迫力不足であった。日本公演では壊れるんじゃないかと思うくらいに威勢よくブン投げていたのが、今回はヴァルモンが拾いやすいように軽く投げるだけである。実際に壊れたアクシデントがあったのかな。

もちろんここのシーンは原作にはない。またこれはヴァルモンの見た悪夢であり、リアル・メルトイユ夫人が、ヴァルモンの手を取ってトゥールヴェル夫人の首を絞めさせようとしたのではない。原作にないこのシーン、私はとてもすばらしい解釈だと思う。ヴァルモンが本気で恋してしまったことをメルトイユ夫人に揶揄されてムキになり、トゥールヴェル夫人を裏切るという原作のそっけない記述を、非常に現実味のある理由で説明しているからである。

それは、ヴァルモンはトゥールヴェル夫人を愛したことで、本物の愛を得たと同時に、激しい罪悪感にも苛まれることになってしまった、という理由である。ヴァルモンは、悪人の自分にはトゥールヴェル夫人を愛し愛される資格などない、と心の奥で感じている。こうした自信のなさや罪悪感が、知らず知らずのうちに愛する者への暴力に変化してしまう。クーパー君はどうして、こうしたタイプの暴力のシステムを知っているのだろう。

目が覚めたヴァルモンは、自分がトゥールヴェル夫人の首をつかんで持ち上げていることに驚愕し手を放す。彼はあわてて立ち上がる。その瞬間、窓の向こうにメルトイユ夫人の姿が白く浮かび上がる。このメルトイユ夫人は、実はヴァルモン自身に他ならない。

ヴァルモンは逃げようとするが、メルトイユ夫人が手を引くと、彼は四肢を引きつらせ、引っ張られるように後ずさる。メルトイユ夫人が一転して手を放し、突き飛ばすような仕草をした瞬間、ヴァルモンは今度は逆に前にがくっとつんのめる。この間のクーパー君、バロン、ヨランダさんのタイミング合わせが見事。特にクーパー君はずっと正面を向いているので、メルトイユ夫人の仕草は見えないはずである。それなのに全然ずれない。バロンやヨランダさんがクーパー君の様子を見て合わせている、という感じもまったくしない。

ヴァルモンはソファーの近くに引き寄せられる。ソファーの背にもたれ、両腕を広げて頭と上半身をのけぞらせて苦しそうな表情を浮かべる。その後、ソファーに手をかけて両脚を大きく開いてから、体を前に反転させる動きは、もう少し丁寧にやってほしかった。開脚したまま腕力だけで体を床から浮き上がらせるのもすごいんだろうけど、なんかあの動きの流れだと、もうちょっと脚を開いてグロテスクなポーズにしてほしい、という期待が湧くのだ。

でもその直後、ソファーの肘掛を後ろ手につかんだまま、のけぞるような姿勢で両足を何度も空回りさせる動きはいい。メルトイユ夫人の呪縛(自分自身の罪悪感)から逃れられない感じがよく出ていた。ところで、私はこの「ヴァルモン乱心」のシーンが特に好きなので、描写がかなりマニアックになってますがすみません。

ヴァルモンはベストを身につけ、急いでトゥールヴェル夫人の部屋を去ろうとする。目覚めたトゥールヴェル夫人には訳が分からない。ヴァルモンは自分が愛する人を傷つけてしまうことを恐れている。それがぶっきらぼうな態度で彼女から離れるという行動になってしまう。トゥールヴェル夫人は彼を抱きしめ、自分の頭に触れさせ、前のデュエットと同じ動きで踊って、ヴァルモンに自分たちの愛を思い出させようとする。

ヴァルモンはそのときは我に返って穏やかな笑顔を浮かべ、トゥールヴェル夫人と踊り、彼女を抱きしめる。しかし、彼の両手はトゥールヴェル夫人の首に伸びてしまう。ヴァルモンはギョッとした表情になり、彼女から乱暴に身を離す。ヴァルモンからベストを剥ぎ取ろうとしたトゥールベル夫人を背中に背負って、腕に引っかかったベストを支えにして振り回す動きは、毎回思うがよく考えついたものである。

再びメルトイユ夫人の姿が浮かび出る。メルトイユ夫人は何かをつかみ上げて投げつける。ヴァルモンはトゥールヴェル夫人をつかみ上げて床に投げつける。東京公演の前半数回の公演ではハードにやったが、後はソフトなものに変更された動きである。てっきりキャストの安全を考えてソフトバージョンに変更したんだと思っていたが、実はそうじゃなかったらしい。たぶん日本の観客には耐え難い、と判断したのだろう。今回は思いっきり投げつけていて、トゥールヴェル夫人は床にバシン!と叩きつけられていた。

メルトイユ夫人がそう動くとおりに、ヴァルモンはトゥールヴェル夫人の髪をわしづかみにし、彼女の腕を後ろにねじり上げる。ヴァルモンはそうしながらも、「もうやめてくれ!」という悲愴な表情で首を盛んに横に振る。でも止まらない。愛しているのに暴力を振るってしまう。ヴァルモンはトゥールヴェル夫人を突き放す。メルトイユ夫人の姿が消える。トゥールヴェル夫人は絶望した表情を浮かべて走り去る。

ヴァルモンは目をつぶり、混乱した表情で頭をかきむしる(前にも書きましたがこのシーンのベスト振付賞)。しかし、やがて彼は正気を取り戻したように力強い表情になり、両手で自分の頭を挟んで、メルトイユ夫人がいた方向にぐぐーっと向けさせる。それから「ウアッ!」という激しい唸り声を出して、何かをかなぐり捨てるように両腕と片脚を激しく空中に投げ出す。

メルトイユ夫人の呪縛からようやく逃れたヴァルモンは、追いつめられたように絵の描いてある壁にもたれる。彼は目を閉じて天を仰ぐが、トゥールヴェル夫人の出て行った方を見つめる。舞台の中間にあるガラスの壁がスライドして、ヴァルモンの姿を隠す。それと同時に、舞台奥のガラス窓が全部開く。窓の外は雨が激しい音を立てて降っている。

雨が降るのはほんの数分である。サドラーズ・ウェルズ劇場のセット搬入口は道路に面しており、終演後に搬入口の前を通ると、搬入口からポンプで水を排水溝に流して処理していた。搬入口の扉の隙間から中をちょろっと除くと、舞台のセットが見えた。搬入口を数メートル入るとすぐ舞台脇なのである。

トゥールヴェル夫人が逃げてくる。混乱して呆然とした痛々しい表情。ヴァルモンの短剣を抜き取って、それが十字架に見えたとき、彼女の顔は途端に崩れて、涙でくしゃくしゃになる。トゥールヴェル夫人は雨の降りしきる外に出て、短剣を一気に自分の腹に突き刺す。ヴァルモンは駆けていって、倒れた彼女の体を抱きかかえる。

日本公演では、トゥールヴェル夫人はずぶ濡れになっていたが、今回は雨に打たれていなかった。雨が降り注ぐ寸前の場所で倒れているらしい。奥のガラス窓が閉まり、同時に舞台の中間にあるガラス窓のセットが再びスライドしてきて、真ん中で止まる。

日本公演と大きく違うのは、ここから始まるラスト・シーンである。静かな音楽が流れる中、舞台の両脇の扉が同時に開き、メルトイユ夫人とセシルがそれぞれ現れる。彼女らはまったく同じ動作で椅子を引き出してくると、椅子に手をかけて180度開脚アラベスクをしたり、椅子に座って様々なポーズをとる。これらは完全な左右対称になっている。セシルの表情が妖艶な女のそれになっているのが印象的。

この椅子を使った踊りは面白かった。椅子の上で両腕を広げて片膝ついて立ち、もう片脚を前に伸ばす。そしたら伸ばした片脚をそのまま横にぐるっと回す。メルトイユ夫人のいるほうの扉が開き、ダンスニーが入ってくる。日本公演では上半身裸だったが、今回はシャツを着ている。セシルは椅子をまたぐようにして背中を見せて座っている。背中の線と顔を傾げた角度、脚の曲げ方や伸ばし方が美しい。

メルトイユ夫人はダンスニーを誘惑している。素足の爪先でダンスニーの太腿をつつつ、となぞり、ダンスニーの肩に手をかけてシャツを脱がせようとする。ダンスニーは最初は戸惑っていたが、徐々にメルトイユ夫人に惹かれていく。

ヴァルモンが部屋に戻ってくる。セシルは扉の陰に隠れ、ヴァルモンを目隠しする。ヴァルモンは反射的にセシルを抱きしめかける。ついトゥールヴェル夫人だと思ってしまったのである。しかしセシルだと分かると、ヴァルモンは彼女を突き放す。

セシルは訝りながらも再びヴァルモンにまとわりつく。第一幕最後のシーンと同じパターンの振りで、セシルの脚のポーズや動きが特徴である。第一幕のセシルの脚は鋭角的で動きも激しかったが、このシーンでは、なんかこう女っぽい曲線を描き、動きもゆっくりになっている。

ヴァルモンにすがって脚を後ろに高く上げた後、その脚をゆっくりと曲げながら前に回す。このとき、トゥで床につけている脚もかすかに膝を曲げており、こうするとなぜか妙に色っぽい。それから前に回した脚をヴァルモンの体に巻きつけて上半身を反らせ、体全体でヴァルモンに絡みついているようなポーズになる。

あとはセシルがポワントで立ったまま、前に出した脚をかすかに曲げ、もう片脚は後ろに伸ばしてヴァルモンの背中によりかかる。ヴァルモンが片脚を軸にゆっくりと半回転すると、セシルも同じポーズのまま半回転する。だからなんだといわれれば困るのだが、つまりはなぜか印象に残った美しい振りだったということです。

ここは目が忙しくて困った。メルトイユ夫人とダンスニー組、ヴァルモンとセシル組を往復して観ていなければならなかった。メルトイユ夫人はダンスニー陥落に成功し、投げやりになったヴァルモンはセシルを抱く。だがダンスニーは良心が咎めるのか、メルトイユ夫人に嫌気がさしたのか、メルトイユ夫人から離れようとする。もちろんメルトイユ夫人はそれを巧みに引き留める。そしてヴァルモンも耐え切れない表情になり、セシルから身を離す。

ダンスニーとヴァルモンは舞台の中央で背中合わせに立つ。これも左右対称になっている。メルトイユ夫人とセシルはなおも彼らに笑顔でにじり寄っていく。冒頭のセシルとメルトイユ夫人の「左右対称踊り」と、ダンスニーとヴァルモンの「左右対称立ち」は、どんなことを示したかったのか、いまいち分からない。何かを比較しているのだろう。それでもセシルとメルトイユ夫人の場合は、ああ、セシルもついに「メルトイユ夫人化」したか、と思った。

でもダンスニーとヴァルモンが女たちから同時に逃れて立ちつくすのには、どういう意味があったのだろう?左右対称だから見た目に面白いとかいう理由だろうか?一つだけ言えるとしたら、最初は主導権を握っていたはずの男が、最終的には女に追いつめられている、という構図である。

ヴァルモンはふと短剣を手に取り、セシルの喉元と手首に当て、それから苦しげな顔になって床に転がり、短剣を自分の腹に当てる。セシルはそれをもぎ取る。ヴァルモンはセシルを抱き上げ、椅子に座って彼女を膝の上に乗せ、悲しそうな表情で抱きしめる。ダンスニーはメルトイユ夫人に一礼して去ろうとする。

メルトイユ夫人はダンスニーの肩を抱えて放さない。ヴァルモンはセシルを床に下ろして、彼女の上に覆いかぶさる。メルトイユ夫人は冷たい笑いを浮かべてその様子を見やると、ゆっくりと指さしながらダンスニーの顔をそちらに向けさせる。

ここからのヴァルモンとダンスニーの乱闘シーンはすごい迫力があった。舞台でこんなに迫力ある乱闘シーンが演じられるのは珍しいのでは。しかもダンス劇で。演奏されているバロック調の音楽とのアンバランスがまたいい。

この乱闘シーンも日本公演とはだいぶ変わっていた。まずダンスニーの「椅子攻撃」がなくなった。それからヴァルモンの「足引っかけ倒し攻撃」もなくなった。「首絞め攻撃」もなくなり、基本的に剣のみでの戦いになった。貴族はこうでなきゃいけないし、第一、反則技はいけない。だがセシルがヴァルモンから取り上げた剣をダンスニーに手渡すのはいかがなものか。セシルは二人の乱闘を必死に止めようとしているのだが、ここだけはダンスニーをけしかけているかのようであった。しかもヴァルモンは丸腰である。

メルトイユ夫人は、とっくの昔にあでやかな微笑を残しつつその場を後にしている。ヴァルモンはダンスニーの剣を余裕でかわす。丸腰にもかかわらず、剣を突き出すダンスニーに対して、「さあ刺せ」といわんばかりに両腕を広げる。このシーンで、最終日、クーパー君はよほどエキサイトしたらしい。声は立てなかったが、ダンスニーに向かって叫ぶかのように口を開けた。チャウさんには分かりました。クーパー君は「ヘイ!」と叫んでいたのです。フランス貴族が「ヘイ!」とは言わないと思います。ついイギリス兄ちゃんの地が出てしまったらしい。

両人が剣を交えるところはフェンシングの試合を観ているかのようであった。殺陣なのに動きや剣の音が音楽とバッチリ合っているのも迫力倍増である。あら、今、書いてたら、その音楽がいきなり自動脳内再生されたよ。ヴァルモンはダンスニーの長剣を弾き飛ばし、短剣を握っているダンスニーの手首を剣で傷つける。ダンスニーは痛みで短剣も落としてしまう。

ヴァルモンはダンスニーを一顧だにせず、憮然とした表情で立ちつくす。すると、後ろのガラス窓がぼうっと明るくなり、短剣を両手で握ったトゥールヴェル夫人が現れる。彼女はゆっくりと短剣を腹に突き刺すと倒れ、黒装束の人物に抱えられて消える。ヴァルモンの顔色が変わる。

ダンスニーは必死で長剣を構える。窓の向こうに再びトゥールヴェル夫人が現れ、短剣を腹に突き刺す。ヴァルモンはそれを見ると手で顔を覆い、そして首にかけていた彼女の遺品の十字架にキスをする。ヴァルモンはいきなりダンスニーにかかっていくと同時に途中で剣を投げ捨て、差し出されたダンスニーの剣をつかんで自分の腹に深く突き刺す。息を呑んで見ていた観客の間から、低く"Oh!"という声が漏れる。

ヴァルモンは椅子に寄りかかって倒れる。腹に血糊を付けなければならないので、客席に背を向けて倒れるのだが、時々、片手をもぞもぞやってて、血糊を付けてるのがバレバレだった。日本公演ではそんなにバレバレじゃなかった気がするが・・・。もう少し自然にやってもらえたら幸いである。

メルトイユ夫人が現れる。ヴァルモンの死体を起こしてその血を唇に塗った後の、サラ・バロンの演技が凄かった。彼女は両腕を曲げて硬直させて、ヴァルモンの死体を凝視している。睨みつけているといってもいいくらいに。最終日の公演では、荒い息を吐く開けたままの口から、なんと唾液が垂れていた。女優だ。あら、このシーンの音楽(効果音?)がまた脳内再生。

正装したメルトイユ夫人が前に歩み出てくる。その後ろや脇に黒装束の人物たちが現れる。彼らが手に持った松明を消していく度に、メルトイユ夫人は「アアッ!」と呻くような声を上げ、表情は歪み、背筋を伸ばしていた姿勢が崩れていく。彼女は青白い閃光の中に消える。

幕が上がってカーテン・コール。驚いたことに、舞台両脇の壁と窓のセットが上がって、舞台袖の様子がむき出しになっている。大道具や小道具、衣装などが無造作に置かれているのが見える。昔の物語はもうおしまい、現実の世界に戻ったんですよ、と言われているようだったし、また廃墟のようでもあった。

やはり日本よりも観客の元気がいいのが嬉しい。確か、ジェルクールとヴォランジュ夫人、プレヴァンとロズモンド夫人、セシルとダンスニー、メルトイユ夫人、トゥールヴェル夫人、最後にヴァルモン、という順に出てきた。日本公演ではメルトイユ夫人役のサラ・バロンが出てきたあたりで盛り上がったが、今回はロズモンド夫人が出てきた時点でブラボーと喝采が飛びまくった。

セシル役のヘレン・ディクソンとダンスニー役のダミアン・ジャクソンが出てきたときには、ひときわ大きな拍手喝采が起こった。そしてメルトイユ夫人役のサラ・バロンが出てきた。会場は大歓声に包まれた。おそらくは彼女がバレエのバックグラウンドを持っていないというだけの理由で、ある舞踊批評家はバロンのことを「魅力に欠ける」と評した。でも、アダム・クーパーとサラ・ウィルドーが共演者であるという状況で、バロンは彼らに引けをとらない圧倒的な存在感を示し、「危険な関係」をクーパーとウィルドーの「夫婦善哉」にさせなかった。

トゥールヴェル夫人役のサラ・ウィルドーが出てくる。彼女の踊りはキャストの中でダントツに優れていた。ディクソンのすばらしい踊りは振付に助けられた面が強いが、振付に加えて、踊りによってその人物の心情を表現して観客に伝える能力においては、ウィルドーはほとんど天才的といっていい。この人は決して単なる「女優」で終わらせてはならない。「ダンサー・アクトレス」であるべきだ。

最後にヴァルモン役のアダム・クーパーが出てきた。拍手喝采が最高潮に達したのは言うまでもない。キャストは手をつないで前に出てきて一礼した。サラ・バロンが指揮者のスティーブン・レイドを迎える。レイドとキャストたちはオーケストラに向かって拍手した。嬉しかったのは、観客がオーケストラに向かって、キャストに負けない拍手喝采を浴びせたことである。音楽のすばらしさへの喝采であるのはもちろん、演奏したオーケストラも公平に称賛する姿勢はすばらしい。

カーテン・コールは毎回3〜4回は行なわれた。キャストが全員出揃って、前に出てきてお辞儀をする段階で、スタンディング・オベーションが始まる。日本では軽いノリで行なわれるが、イギリスはけっこうシビアだそうである。ロイヤル・オペラ・ハウスでは、イレク・ムハメドフのさよなら公演になった「マイヤーリング」のカーテン・コールで目にしたことがある。

イギリス在住の方によると、イギリスで、しかもサドラーズ・ウェルズ劇場で、スタンディング・オベーションが行なわれたので驚いたそうだ。大きな声では言えないが、去年に行なわれたマ○○ー・ボ○○の「○鳥○湖」サドラーズ・ウェルズ公演でさえ、スタンディング・オベーションは起きず、「どういう反応をしていいか分からないといった風の」おざなりな拍手だけだったという。これは実に意外な目撃情報であった。

キャストたちは嬉しそうに目を見合わせて、喝采を受けながらなにか話していた。特にサラ・バロンの嬉しそうな笑顔は印象的だった。クーパー君は表情を抑えていたが、目を輝かせて客席を見据えていた。カーテン・コールは数回やるとあっさりと終わってしまう。観客もあっさりと席を立つ。最終日もいつものカーテン・コールと変わらず、数回で終わった。センチメンタルな雰囲気は一切ない。イギリスはこうだ。もう慣れた。

ところで、ブラボー・コールについてである。日本では「ブラボー!」と発音する。ある日の公演のこと、私の隣にいたのはイタリア人たちであった。彼らはカーテン・コールでブラボーを連発していた。イタリア人によると、正しいブラボーの発音は「ブラァヴォ!」である。「ァ」は強くやや長く発音し、音を低い位置から高い位置に一気に上げる。勇気のある人は何かの公演でトライしてみて下さい。

日本公演版に比べると、振付や演出にかなりな改変があったロンドン公演版「危険な関係」であるが、改変にはより磨かれて洗練されたものもあれば、あまり効果的でないものもあった。くどいマイム、あまりにストレートすぎる過激な振りや仕草がなくなったのはよかった。

また、キャストたちが組んで踊るとき、一分の隙もなく完全にバッチリ合ったタイミングで自然に踊っていたのには、本当に目を見張った。特にクーパーとヘレン・ディクソン(セシル)のデュエットは、筆舌に尽くしがたいすばらしさである。

セシルが変貌していく過程を表すシーンが大幅に追加されたことについては、確かにこれは必要なことだったと思う。でも、いかにも辻褄を合わせました、という間に合わせ感が常にあった。とりわけ第二幕冒頭の群舞のシーン、あの短い間にセシルの心がコロッと180度変わってしまうのは、やはり大きな無理がある。

最後のシーンで「左右対称」が強化されたのも、私にはなんでそんな必要があったのか理解できない。特にダンスニーとヴァルモンが女たちから逃げて立ちつくすシーンは、ちょっと不愉快であった。女を悪者にして、まるで男は被害者だ、といわんばかりな雰囲気が漂っている。ちょっと待てよ、と言いたくなる。セシルをそういう女にしたのは、ヴァルモン、てめえだろ、と。

クーパー君はこれからも改変を加えるつもりなようだが、この作品にはこれ以上、手を加えないほうがいいと私は思う。これは「アダム・クーパー初期の振付作品」として、このへんで妥協してもいいのではないか。無理して手を加えまくると、逆に作品全体がガタガタに崩れてしまう恐れがある。

また、ほぼ同じキャストが毎回の公演に出演していたのもどうかと思った。毎回出演はキャストに負担をかけるだろうし、それに内輪主義的で閉鎖的な感じがする。「危険な関係」は作品として立派に成立できる。すべての役をせめてダブル・キャストで上演してもよかったと思う。異なるキャストによって違う味を堪能できるのも、観るほうにとっては楽しみなのである。

キャストにはそれぞれカバーがいたのだから、ダブル・キャストは不可能ではなかったはずである。彼らにも出演の機会を与えてほしかった。特にサイモン兄ちゃん。あれほどの優秀なダンサーを無駄に3週間余も待機させっぱなしとは、いったいどういう了見か。特定のダンサーに役を独占される悔しさは、クーパー君はロイヤル・バレエ時代に嫌というほど味わったはずだ。サイモン兄ちゃんのヴァルモン、マイケル・コピンスキ君のダンスニー、とうとう姿を見なかったSimone Saultのセシルやトゥールヴェル夫人が観たかった。

二度目ということもあって、この感想は少し辛口になってしまった。でも初めて製作・脚本・振付を担当した全幕作品にしては、このアダム・クーパー版「危険な関係」は完成度が非常に高い。それぞれの役柄は徹底して解釈され、さりげない演出にも原作を深く読み込んでいることが窺える。また仕草や踊りによって具体的な意味を構築すると同時に、先に完成していたという音楽に振付を完全に連動させ、音楽と踊りがお互いに効果を高めあうようにして、物語を作り上げていっている。

クーパー君は自由に作品を作るほうが向いている。まだまだ道のりは遠いし現実的な障壁も多いだろうが、これからもいい作品を生み出していってほしい。

(2005年9月14日)


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