Club Pelican

NOTE 26

小林紀子バレエ・シアター第81回公演

(2005年7月22、23日)

会場は新国立劇場の中劇場。ここは本当にいい劇場である。座席の列と列との間が広くとってあるので、窮屈な思いをせずに済む。客席の傾斜も急で、前の人の頭が邪魔になって視界が遮られることもない。

演目はケネス・マクミランの「ソワレ・ミュージカル(Soiree Musicale)」と「招待(The Invitation)」、マリウス・プティパの「ライモンダ(Raymonda)」第三幕である。演目が面白いなあ、と思ってチケットを取った。もちろん一番の目的は「招待」である。

ところが、小さな劇場なのに、客席は3分の2も埋まっていなかった。観客も例によってお教室のお弟子さんたち、その父兄(圧倒的に母親)、バレエの同業者、出演者の知り合いや友人、バレエ界の関係者ばかりである。いい演目なのにもったいない。それにこのバレエ団はレベル高いぞ。なぜ一般の客はそんなに観に来ないのだ。

この公演のステージングとプロデュースを担当したジュリー・リンコン(Julie Lincoln)は、プログラムの中でこう言っている。「日本のバレエ界の指導的な地位にある方と話したのですが『日本人はまだ"白鳥"や"眠り"といったクラシックの定番作品を見たいという人の方がずっと多いので、新しい傾向のものの上演は難しい』とおっしゃったのです。それを聞いて私は本当にショックを受けました。私は日本のバレエ界のことをよく知っているつもりです。そんなことは絶対にないと確信しています。」 リンコンさんには悪いが、そんなことは絶対にあると思う。

ともあれ、演目はとても面白いので、小林紀子バレエ・シアターの芸術監督である小林紀子の経歴を見てみた。なんとこの人はロイヤル・バレエ・スクール出身者である(1961〜63年)。たぶんアッパー・スクールだろう。ロイヤル・バレエの公演にも出演経験がある。また1983年以来、イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスの日本代表も務めている。

それで意欲的にイギリスのバレエ作品を上演しているらしい。これまでの上演演目を見ても、ニネット・ド・ヴァロワ、フレデリック・アシュトン、マイケル・コーダー、ケネス・マクミラン、デレク・ディーンの、しかも日本では絶対に上演されそうにない作品を多く紹介している。次回の公演もアシュトン作品2本立てである(「二羽の鳩」、「レ・パティヌール」)。

ちなみに、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス監修の「マイム事典("Mime Matters")」で、マイムを紹介していたパメラ・メイが、この6月に亡くなったそうだ。「マイム事典」の後半で出てきて、ずっとマイムを実演してみせたり、指導したりしていたおばあちゃんである。

プログラムによると、「ソワレ・ミュージカル」は、ニネット・ド・ヴァロワの90歳の誕生日をお祝いする記念公演のために作られたもので、初演は1988年、どうやらロイヤル・バレエ・スクールによって上演されたようだ。上演時間は20分弱である。振付者のマクミラン夫人のデボラ・マクミランは、プロのバレエ団による上演を希望していたため、小林紀子バレエ・シアターが上演を申請したという。今回は去年に引き続いての再演だそうである。

舞台美術はデボラ・マクミランが担当している。背景は質素で、中にカーテンがかかった、縦に細長い枠が中央にあり、その上には時計のような絵がある。両脇には大きな鉢に植えられた細く大きな葉っぱの絵。中央の枠は銀色の素材で縁取られていて、開幕が開いて開演した途端に、その銀色の縁取りにライトが照射されてキラキラ光る。

ダンサーの衣装はイアン・スパークリングのデザインにより、男性は軍服風の帽子、上衣、白いタイツ、女性はストラップレスの上衣だが、やはり胸の前に軍服のような飾りがついている。下は短いチュチュで水玉模様が入っている。男性の上衣は赤と青、女性のチュチュは主役が赤、群舞は青と黒である。

音楽はロッシーニの音楽をブリテンが編曲したもので、「マーチ」、「カンツォネッタ」、「チロレーゼ」、「ボレロ」、「タランテラ」の5曲から成っている。踊りはそれに対応して「オントレ」、「パ・ド・ドゥ」、「パ・ド・カトル」、「ヴァリエーション」、「フィナーレ」の5部に分かれている。

「オントレ」は出演者全員による群舞で、主役の男女一組による踊りもある。「パ・ド・ドゥ」は主役の男女によって、「パ・ド・カトル」は男性4人によって、「ヴァリエーション」は主役の女性ダンサーによって踊られる。「フィナーレ」は再び出演者全員が踊る。

お祝いのために作られた作品なので、音楽も雰囲気も終始明るい。「オントレ」は複数の男女のペアが前で、女性の群舞が後ろで踊る。男女のペアと女性の群舞は、それぞれ同じ振りを一斉に踊る。この時点で、この小林紀子ダンス・シアターが高いレベルのカンパニーであることがすぐに分かった。全員の動きやポーズが端正できちんとしている。

途中から主役の男女のペアが出てきて中央で踊る。最初にふたり並んで、両足を速く細かく何度も交差させる、という動きをするのだが、これが実に見事であった。22日は大森結城と富川祐樹が主役を踊った。ふたりともすばらしく、特に大森結城は大柄で踊りもダイナミック、私の好みである。

相手役の富川祐樹は彼女を支えているばかりで、ソロで踊る部分がほとんどなかった。でもかなり高い能力を持ったダンサーだと思う。ところが、彼は大森結城よりも背が低くて体も細い。そのせいで、ふたりが一緒に組んで踊ると、ヴィジュアル的に不揃いな感が強かった。

富川祐樹が大森結城をサポートするときには、大森結城のほうが背が高いので、富川祐樹が一生懸命に爪先や腕を伸ばしたり、彼女をリフトするときには、グラついたり腕や脚がガクガクしていた。個々人は優れたダンサーだと分かるだけに、もったいないことであった。

23日に主役を踊った高橋怜子と中村誠は、ヴィジュアル的にはバランスがよかった。リフトやサポートにも無理がなく、見た目の自然さでいえばこちらのペアのほうがよかったと思う。ただ大森結城も高橋怜子も、踊りにそれぞれの持ち味や個性があって魅力的であった。大森結城はダイナミック、高橋怜子は穏やかな感じである。主役の男性がソロで踊るシーンがなかったのは実に残念だ。

面白かったのが男性4人による「パ・ド・カトル」で、難しそうな技術がてんこもりであった。ジャンプや回転が主な振りである。「ムハメドフ飛び(一瞬の間に両脚を鋭角的に開いた後、閉じて着地するジャンプ)」もあった。しかもそのジャンプをした後に、更に半回転して膝をついて着地するのだからすごい。

変わっていたのは、同時に、また時間差で同じ振りを踊るのは珍しくはないが、時に同じ振りを踊るときに、逆方向に動きながら、同時に鏡に映したように動きも逆向きにしていたところである。たとえば一方は前を向き、もう一方は後ろを向く。また一方が右まわりで回転すると、もう一方は左まわりに回転する。これは踊るほうはかなり大変だろうなと思った。

そういえば、確か主役の女性ダンサーの踊りで、回転したり、ジャンプしたりするときに、常に体を客席に背を向けた状態で踊る部分があった。

なにせ短い演目だし、見た目に楽しい以外は大して面白くもない作品なので、あまり詳しいことは覚えていない。でもこのカンパニーにはすごいダンサーが揃っているぞ、ということを発見できたのがいちばんの収穫であった。

次はとうとう「招待」である。初演は1960年、ロイヤル・バレエによって行なわれた。マクミランは1955年から振付活動を開始したそうなので、この作品はマクミランの初期の作品として位置づけられているらしい。音楽はマティアス・セイバー(Matyas Seiber)がこの作品のために作曲したものである。

プログラムによると、この「招待」の権利は、ロイヤル・オペラ・ハウスとバーミンガム・ロイヤル・バレエが所有しているという。作品によって、権利がバレエ団に所属したり、個人に所属したりするようだ。ところが、上演許可の権利を持っているのは故マクミラン夫人のデボラ・マクミランらしいのである。権利が分散しているということだろうか。彼女はこの「招待」の日本初演に当たって、「ソワレ・ミュージカル」とともに監修を務めている。

この作品はアダム・クーパー、サラ・ウィルドーがロイヤル・バレエで共演した唯一の作品であり(クーパーが「夫」役、ウィルドーが「少女」役)、しかもこの作品に対する二人の見解が相違しているので、前々から興味を持っていた。クーパーは「招待」を非常に気に入っているようで、「マイヤリング」とともに大好きな作品としていつも挙げている。

しかし、サラ・ウィルドーは、当時すでに同棲していたクーパーとの共演とはいえ、あまり嬉しくはなかったと言っている。彼女の言葉から、この「招待」は、女性ダンサーにとっては辛い作品なのではないか、と私は思っていた。

「招待」の上演時間は1時間で、一幕物の作品である。が、観終わった後は非常に疲れた。脳ミソをフル回転させないといけなかったからである。簡単で分かりやすい演出やマイムも多用していたが、踊りの振りそのものに意味があるために、それを読み取るのに集中しなければならなかった。

また音楽と踊りは繋がっていて、音楽と踊りが相互にライトモチーフ的な役割を果たしていた。更にそれらをアレンジして別の意味を持たせたりしているので、非常に面白かったが、この作品の中における「言語体系」みたいなものを理解するのに手間がかかった。私にとっては1回観るだけでは理解が難しく、2回観といてよかったと思う。

この作品のストーリーや踊りなどについては「名作劇場」に書いてあるので、よかったらそちらもご参照下さい。

少女を踊った島添亮子は、その踊りを一見して、このカンパニーでは別格の優秀なダンサーだと瞬時に分かった。小柄で目鼻立ちのはっきりした美人だが、動きが他の女性ダンサーとは全然違う。軽やかでしなやか、自然にふわっと踊る。かなりパワフルでスタミナがある人だと思うけど、それを感じさせない。ジャンプは軽いけど高くて、跳ぶときのポーズも美しい。体も柔らかい。

あとは、妻を踊った大和雅美もすごかった。上背があって脚が長く、表情での演技もよかったけど、身体で心情とか感情とかを表現できる人だと思う。特に脚での演技は凄まじい迫力に溢れていた。これは島添亮子も同じで、体の動きで(しかもバレエの定式的な動きで)演技する、というのはどういうことなのか、この前のダーシー・バッセルのマノンと併せて、少しだけ実感できた気がする。

夫を踊ったパトリック・アルモン(Patrick Armand)は、プログラムの写真を見るとすごいイケメンなのだが、今回は役柄上ちょび髭をつけて出演した。フランスの出身で、履歴からすると年齢は40ちょっと過ぎくらいだろう。若い頃からフリーランスで世界のいろんなバレエ団と共演してきたダンサーのようである。中でも縁が深いのはイングリッシュ・ナショナル・バレエらしく、主役を多く踊っている。

彼は小林紀子バレエ・シアターのゲスト・プリンシパルで、2001年以降、毎年このカンパニーの公演に参加している。この公演の最後の演目である「ライモンダ」第三幕は、彼とジュリー・リンコンとの共同プロデュースによる。振付の変更を担当したそうだ。

さすがは外人でしかもベテランだけあって、表情がとても雄弁だし、ただでさえ冷たい夫が徐々に混乱して我を失っていく変化の過程もよく分かった。特にぐっときたのが、少女を乱暴したあと、彼女の横でかがみこんで、顔を両手で覆い、声にならない声で激しく嗚咽するシーンだった。唸るような息遣いだけが聞こえて、すごい迫力があった。

少年を踊った後藤和雄は、踊りが丁寧できっちりしており(一人で踊る場面はあまりなかったが)、島添亮子や大和雅美との踊りでもタイミングがバッチリ合っていた。最初のシーンで、少女役の島添亮子と並んで同じ振りを踊ったり、手をつなぎながら同時にジャンプするところなんて、二人の動きが完璧に連動していて、見ていてとてもきれいだった。

少女役の島添亮子は極端に小柄なので、いかにも可憐な少女にはぴったりな雰囲気だが、後藤和雄は背が高くて割と大柄である。でもぎこちない仕草、また戸惑った表情によって、少年らしい感じがよく出ていて無理がなかった。

今回は同一のダンサーが毎回この作品を踊った。難しい作品だと思うけど、贅沢を言わせてもらえば、別のダンサーでも観たかった。踊る人によって、まったく違った色合いになる作品だと思う。高い表現力や演技力が必要な作品なので、各々の役作りがはっきりと出る。こういう類の作品は非常に興味深い。踊りの能力はもちろん、ダンサーの人間的な「中身」まで透けて見えるから。

公演初日(7月22日)の「招待」終演後のカーテン・コールには、ステイジングを担当した上記のジュリー・リンコンとともに、監修のデボラ・マクミランも舞台の上に姿を見せた。私は少し恥ずかしい思いだった。だって客席がスカスカだったのが、舞台上から見えただろうから。この前のロイヤル・バレエの「マノン」とはえらい違いだ。「マノン」の原点ともいえる「招待」を観にきても、絶対に損はないと思うんだけど。

私にとっては、クーパー君はやはりマクミランの大きな影響を受けている、ということも実感できた。「危険な関係」については、「マノン」や「マイヤリング」の影響が指摘されることが多かったが、私は「招待」もクーパー君にとっては同じくらいに重要な作品だと思う。

テーマ、演出、振付、また最も重要なことに、振付にどのようにして意味を持たせるかといった手法において、「危険な関係」は「招待」と非常によく似ている。クーパー君の原点を見たという点でも有意義であった。

最後はおなじみ「ライモンダ」第三幕である。なんで唐突に「ライモンダ」やねん、という気もするが、真っ暗な「招待」の雰囲気から気分を変えてもらおうという配慮だろう。でもこの「ライモンダ」の舞台装置や衣装は、ロイヤル・バレエ・ツーリング・カンパニー(現バーミンガム・ロイヤル・バレエ)がかつて使用したデザインを再現したものだという(←最後までイギリス路線にこだわる)。

ライモンダは斉藤美絵子で、ジャン・ド・ブリエンヌはロバート・テューズリー(Robert Tewsley)である。テューズリーは、この「ライモンダ」第三幕のためだけにわざわざ来日したらしい。なんでこれだけのために?と思ったのだが、プログラムによると、彼も小林紀子バレエ・シアターのゲスト・プリンシパルで、これまでの公演でも主役を踊っているし、これからの公演にも出演が予定されている。

彼はロイヤル・バレエ・スクール出身で、ナショナル・バレエ・オブ・カナダ、シュトゥットガルト・バレエ団、英国ロイヤル・バレエ、ニューヨーク・シティ・バレエでプリンシパルとして活躍し、現在はフリーランスのダンサーである。

彼が英国ロイヤル・バレエに在籍していたのはわずか半年余りで、これは当時ロイヤル・バレエの芸術監督であったロス・ストレットンの在任時期と一致している。テューズリーのレパートリーは、クラシックからモダン、コンテンポラリーまで幅広い。

彼のレパートリーは、ジョージ・バランシン、アンソニー・チューダー、ジェローム・ロビンス、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミラン、ジョン・クランコ、イリ・キリアン、ジョン・ノイマイヤー、ウィリアム・フォーサイスなど、まさにバレエ界のオール・ラウンダーである。そしてこれは、ストレットンがプランを立てていたロイヤル・バレエの新レパートリーにズバリ当てはまっている。ストレットンの需要には、テューズリーはまさに適任者であった。

ロバート・テューズリーは金髪の男前で、背が高く大柄、顔が小さくて脚が長くスタイルがいい。彼が舞台に登場したときには、うっ、なんていい男なんだ、これは期待大、とドキドキした。ところが肝心の彼の踊りを観て、コイツは何のために来たんだ、と気抜けした。なんと言ったらいいのだろう。テューズリーの踊りは普通だった。ヘタじゃないけど、とびぬけて上手でもない。特にすげー!というところがない。少なくとも「ライモンダ」については。

ルックスは抜群で、踊りだってそつなくこなしている。なのに、平凡で薄い印象しか残らない。なぜだ。カルロス・アコスタ、ヨハン・コボー、ジョナサン・コープ、イヴァン・プトロフの踊りを思い浮かべて、うーむ、テューズリーがロイヤル・バレエを辞めたのも無理ないな、と納得した。技術的にも彼らより突出しているとは思えないし、それを補って余りあるこれといった個性も特徴もない。

「ライモンダ」の舞台装置や衣装は、白と金色を基調にしたデザインで、とても美しかった。何層もの白い壁が天井に重なり、その両脇に大きなイコンが飾られている。舞台の脇にもバルコニーつきの装置が左右対称でいくつも置かれている。

ライモンダは斉藤美絵子で、そんなに上手いとは思わなかったけど、まだ新人で主役に抜擢され始めた人らしいので、これからが伸び盛りなのだろう。現に、おお、これはすごい、と目を奪われた時が何度もあった。バランスをビシッと決めたときとか、また片足のトゥで立ったまま、もう片足を複雑に動かしながら移動していくときとかも、微動だにしなかった。

最後は明るい華やかな雰囲気で終わった。演目が面白くて観に行ったが、ダンサーの質も高く、演目の選定にも一貫した主義のある優れたバレエ団だった。この小林紀子バレエ・シアターはおすすめである。日本のバレエ団はこんなにすばらしい。一般のお客さんもどんどん観に行きましょう。

(2005年7月30日)


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