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NOTE 16

メルトイユ侯爵夫人考

今回の「危険な関係」の舞台では、とりわけサラ・バロン演ずるメルトイユ侯爵夫人が強烈な個性と大きな存在感を発揮した。彼女は独特の鋭い目つきと冷ややかな表情でメルトイユ侯爵夫人の感情や性格を見事に表現し、彼女の一つ一つの表情、仕草、踊りは観客の視線を釘付けにした。

私にとって最悪の予想は、この「危険な関係」がアダム・クーパー(ヴァルモン役)とサラ・ウィルドー(トゥールヴェル夫人役)夫妻の「おノロケ舞台」になるのではないか、ということだったので、クーパー君がごく普通の良識を持っていたことにも安心した。

だがこの舞台におけるメルトイユ侯爵夫人のキャラクター設定には賛否両論があった。ひたすらお色気で男をたぶらかし、人を睨んだり邪悪な笑いを浮かべたり、怒りや憎しみの感情が激するとそれを爆発させるメルトイユ侯爵夫人に対して、こんな描き方はあまりに単純に過ぎるのではないか、という思いを抱いた観客は少なくないと思う。

私がみなさんから頂いたメールの中には、こうした疑問やわだかまりを綴ったものがいくつもあった。私が「不定期日記」で今回の舞台を褒めまくったことに遠慮してか、ほとんどの人が、でも舞台だからあんなふうに単純化して分かりやすくしたのでしょうね、としめくくっていた。

クーパー君が、メルトイユ侯爵夫人のキャラクターを、舞台だから分かりやすく単純化して示したのかどうかは分からない。そんなことはどっちでもよい。私には違和感がなかった。なぜなら、あれがメルトイユ侯爵夫人の本質だと思うからである。

確かに人間の心はとても複雑で、狡猾な悪女であるメルトイユ侯爵夫人の心の内に、彼女がああならざるを得なかった哀しみを認め、それにスポットを当てたキャラクター設定にしてもよかったのかもしれない。

私も原作の日本語訳版を読んで、確かにメルトイユ侯爵夫人は哀しい人間だと思った。当時の女性たちが置かれていた制限の多い状況の中にメルトイユ侯爵夫人を据えてみると、彼女はああなるべくしてなったのだと理解できたし、それだけに同情もした。

たぶんそれは、たとえメルトイユ侯爵夫人が虚構の人物であっても、時代も立場も違っても、同じ女として、メルトイユ侯爵夫人の心情に共感できるものがあったからだと思う。

原作では、メルトイユ侯爵夫人はジェルクール伯爵とセシルとの結婚に関して陰謀をめぐらす一方で、様々な問題を抱えている。

ラクロの原作にあるメルトイユ侯爵夫人の手紙を読んでいくと、本筋の物語が進行する一方で、彼女がある訴訟を抱えていることが分かる。当初、彼女はそれを大したこととは思っておらず、自分が勝つ自信が充分にあったようだ。

しかし、途中からメルトイユ侯爵夫人の手紙には焦りが見え始める。彼女は法律や判例に照らしてみると、訴訟における自分の立場が、最初に思っていたほど有利ではないらしいことに不安を覚える。

法律や判例の影響を受けずに彼女が勝訴できる要素は、彼女の社会的名声、社交界の彼女に対する好意的な評価、そして彼女自身の美貌など、裁判官の心証に訴えるものだけであった。

そんな彼女を更に苛立たせたのが、ヴァルモンがトゥールヴェル夫人に本気で恋してしまったことである。ヴァルモンは自分とトゥールヴェル夫人とが結ばれた一夜の様子を、興奮の冷めやらぬまま、得意気に、こと細かに書き綴り、無邪気にメルトイユ侯爵夫人に送りつける。彼女にとってこれ以上の侮辱はない。

メルトイユ侯爵夫人は、ジェルクール伯爵のような小物に捨てられても、あれほど執念深く恨み続けて復讐を計画するほど異常にプライドが高い。ましてヴァルモンまでが、彼女が見下していたトゥールヴェル夫人に本気で夢中になってしまった。

ヴァルモン自身は、自分がトゥールヴェル夫人を本気で愛していることに気づいていなかった。しかしヴァルモンの手紙を読んだメルトイユ侯爵夫人は、即座にそのことに感づいたのである。だから彼女は揶揄と皮肉に溢れた返事をしてヴァルモンを挑発した。

それまでのヴァルモンにとって、恋愛は勝ち負けのゲームに過ぎなかった。本気で恋することは負けを意味した。彼はメルトイユ侯爵夫人からそのことを嘲笑されて感情的になり、それに反駁するために愚かな行動に出てしまう。

ヴァルモンはトゥールヴェル夫人に恋した自分を否定しようとして、わざと売春婦と出歩いて遊ぶ。それこそメルトイユ侯爵夫人の思う壺であった。その姿を当のトゥールヴェル夫人に目撃されてしまい、彼女は大きなショックを受け、それが原因で後に狂死する。

メルトイユ侯爵夫人はヴァルモンに手紙を送り、自分の挑発に乗ってヘマを仕出かしたヴァルモンに、更に追い討ちをかける。その文中にはゾッとする文句がある。

「私があの女を刺したとき、というよりは、私があなたの切っ先に手をそえたとき、私はあの女が競争者であること、あなたがしばらくでもあの女を私より好きにおなりになったこと、あなたが私をあの女より一段下にお置きになったことを忘れませんでした。」(伊吹武彦訳「危険な関係」) 「あの女」とはトゥールヴェル夫人のことである。

そしてヴァルモンは、おそらくはメルトイユ侯爵夫人がそう仕向けたのだろう、ヴァルモンとセシルとの関係を知ったダンスニーと決闘した末に命を落とす。これは非常に巧妙な策であった。

どちらが勝っても、どちらが負けても、決闘の原因を明らかにできない。原因が明らかとなれば、死んだ者はもちろん生きている人々すべてが汚名を蒙ることになる。原因が明らかにならなければ、決闘に勝った者は殺人罪でそのまま監獄行き、事実は闇に葬られる。いずれにせよ、メルトイユ侯爵夫人は自分に累が及ぶことはないと侮っていた。

しかしヴァルモンの死後、ダンスニーがヴァルモンから託されたメルトイユ侯爵夫人の手紙を世間に公表したことで、メルトイユ侯爵夫人の「醜悪の極み」(ヴォランジュ夫人による表現)である生涯や主義と、彼女自身が引き起こした、また彼女が陰で糸を引いていた一連の悪事が周知の事実となってしまう。

メルトイユ侯爵夫人は社交界(すなわち世間)での名声を一気に失い、逆に人々から軽蔑されて、まったく相手にされなくなってしまう。それが原因で、裁判でも彼女は完全に敗訴する。ヴォランジュ夫人の最後の手紙で、メルトイユ侯爵夫人が抱えていた訴訟の詳しい内容が明らかになる。

メルトイユ侯爵夫人の訴訟相手は、彼女の亡夫、メルトイユ侯爵の子どもたちであった。メルトイユ侯爵夫人とメルトイユ侯爵の子どもたちは、メルトイユ侯爵の遺産相続をめぐって争っていたのである。

どうやらメルトイユ侯爵夫人はメルトイユ侯爵の後添いであって、彼女と争ったメルトイユ侯爵の子どもたちは先妻の子であるらしい。そして、裁判沙汰にまでなったということは、メルトイユ侯爵夫人とメルトイユ侯爵の子どもたちとの関係は険悪であることはいうまでもない。

ヴァルモンとダンスニーによって真実が暴露されたことで、メルトイユ侯爵夫人が保持していた社会的な名声は失われ、彼女は非難と嘲笑の対象となって社交界から追放される。更にメルトイユ侯爵夫人は天然痘にかかって美貌をも失ってしまう。

彼女をそれまで支えていた一切のものが消失し、そのために裁判でも彼女は完全に敗訴し、全財産を没収されることになった。これだけで充分にみじめな末路だが、ダメ押しがその後のメルトイユ侯爵夫人の行動である。

彼女は遺産をめぐる裁判に敗訴するやいなや、手元にあった貴金属類や銀器などをすべて持ち出して夜逃げしてしまうのである。その上、メルトイユ侯爵夫人が逃亡した後、彼女が莫大な借金をしていたことが判明する。

裁判に勝訴したメルトイユ侯爵の子どもたち、またヴォランジュ夫人も含めたメルトイユ家の親族たちは、メルトイユ侯爵夫人が残した多額の負債を、全員で分担して返済しなければならない破目に陥る。

原作者のラクロは、メルトイユ侯爵夫人には更に悲惨な末路が待ち受けていたことを注記しているが、その詳しい内容は明かさないままに物語を終わらせている。

いったいメルトイユ侯爵夫人とは何者なのか。なぜ彼女はこんな人間になってしまったのか。なぜこんな行動をとらなければならなかったのか。メルトイユ侯爵夫人の手紙、そして彼女について述べた人々の手紙を読むと、メルトイユ侯爵夫人の主義や行動の動機が浮かんでくる。

メルトイユ侯爵夫人は母親の厳しい教育と監視の下に育ち、なんら性教育を受けないままに(だから彼女は手を尽くして自分で知ろうとした)、おそらく彼女よりはるかに年上のメルトイユ侯爵の後妻として嫁がされた。

彼女と夫との関係はどうだったのか。メルトイユ侯爵夫人述べている。

「しかし主義に忠実である一方、夫ほど気の許せないものはないとおそらく本能的に感じていた私は、多感であるゆえにこそ夫の目にはかえって冷静に見せようと決意しました。後には、この表面の冷ややかさが夫の盲目的信頼の揺ぎない基礎になりました。私はさらに考え直して、そのうえに年相応の軽率さをさし加えました。そこで私が夫を思いきってほめ上げれば上げるほど、夫は私を子供扱いするのでした。」(同上)

つまり、メルトイユ侯爵夫人は夫の前では徹底して無知で愚かな女を装い、そんな妻に夫は能天気に満足していた、という夫婦関係がみえてくる。

そしてメルトイユ侯爵夫人には実の子どもがいないらしい。なさぬ仲であるメルトイユ侯爵の子どもたちとの関係は良好とはいえず、侯爵の死後は遺産をめぐって裁判沙汰になるほど関係が悪化した。

メルトイユ侯爵の遺産をめぐる裁判の影響によって、彼女は財産を思うままに使うことができなかった。そんな彼女の優雅で豪奢な生活は、実は莫大な借金によって支えられていたのである。

こうしてみると、メルトイユ侯爵夫人の生育環境や結婚の状況は、セシル・ヴォランジュとそっくり同じである。

セシルは修道院で寮生活をしていたが、メルトイユ侯爵夫人はそうではない。しかし、彼女たちの母親は子どもに対して、ともに非常に厳格な人々であった。そして母親たちは娘の心情にはおかまいなく、夫婦生活については何も教えられていない若い娘と、娘たちよりもはるかに年上の男たちとの結婚を決めた。

そして、メルトイユ侯爵夫人の夫であったメルトイユ侯爵と、セシル・ヴォランジュの婚約者であるジェルクール伯爵もよく似ている。ともにロリコンで処女信仰を持っており、妻にするならバカでおとなしい控えめな女がいい、と考えている。

性に関してはまったく無知識、かつ処女であるあどけない無邪気な少女を初夜の寝床で犯す。多くの中年男性にとって、これ以上に性的興奮をそそられるシチュエーションはないだろう。更に妻がひたすら無知で愚かでおとなしく、常に夫を崇め奉ってくれるとなれば、男としての自分のプライドも満たされる。

メルトイユ侯爵夫人は、そんな男性たちを限りなく憎悪していたのだろう。彼女の主義や行動は、彼女が自分を守るための武器であり、またそうした男性たちへの復讐でもあった。

彼女がヴァルモンを焚き付けてセシルを誘惑させたのは、女に対して現実離れした願望を抱いている、ジェルクールに象徴される男たちに一矢報いてやることだった。処女ではないばかりか、男を手玉に取る術を身につけた大人の女を、そうとは知らない男たちが嬉々として妻とする様を嘲笑したかったのである。

同時にそれは、娘の心情を一貫して無視し続けた上に、幼い少女であった自分を中年のロリコン男に嫁がせた母親に対する仕返しであった。メルトイユ侯爵夫人は、セシルを昔の自分に、またヴォランジュ夫人をメルトイユ侯爵夫人の母親に重ね合わせて見ていただろう。

セシルに処女を失わせ、セシルに恋愛ゲームを仕込んで今の自分そっくりに仕立て上げようと計画したことは、ジェルクールへの意趣返しであると同時に、「今度こそは」母親の思うとおりになってたまるものか、という強い決意があったのである。

またセシルが実の母親であるヴォランジュ夫人よりも、親類とはいえ他人のメルトイユ侯爵夫人のほうを信頼し、母親に隠し事をするようになったこと、また事情を知らないヴォランジュ夫人もメルトイユ侯爵夫人を頼りにするようになったことも、メルトイユ侯爵夫人にとっては自分の母親に対する復讐であり、また勝利であった。

だがメルトイユ侯爵夫人はセシルを好きだったのでは決してない。むしろ憎しみの念のほうが強かったのではないだろうか。

一つには、セシルは昔のメルトイユ侯爵夫人とそっくりな状況に置かれているのに、セシル本人はその不合理さに気づいておらず、唯々諾々として母親の言うことに従おうとしていたからである。セシルはこのままだと、いずれヴォランジュ夫人やメルトイユ侯爵夫人の母親そっくりになるだろう。

二つには、メルトイユ侯爵夫人の愛人の一人であるダンスニーがセシルに恋しているからである。しかもダンスニーは、セシルが嫁入り前の娘だからという理由で、セシルには指一本触れようとしない。男性たちにとっては、処女であるセシルは大事にする価値がある。だが未亡人であるメルトイユ侯爵夫人は、あくまでセックスが一番の目的であるゲーム感覚の恋愛対象にしかならない。

三つには、セシルがほかならぬメルトイユ侯爵夫人自身だからである。メルトイユ侯爵夫人は、昔の、そして今の自分と同じくらいに、セシルも不幸にしてやりたかった。セシルがこのまま何も知らずに、平穏で幸せな結婚生活を、人生を送るのは許せない。

ヴォランジュ夫人、メルトイユ侯爵夫人の母親、トゥールヴェル夫人は、結局のところ、世間でいう「よき妻」、「よき母」である。彼女たちは愚かで無知だが、彼女たちなりに平和な人生を送っていた。しかしメルトイユ侯爵夫人は違う。

メルトイユ侯爵夫人は、自分も含めた女たちが置かれている境遇の不合理さを自覚していた。自覚してしまったからこそ、メルトイユ侯爵夫人は不幸であった。彼女はヴォランジュ夫人、メルトイユ侯爵夫人の母親、そしてトゥールヴェル夫人を軽蔑する一方で羨んでもいた。

手をこまねいていたら、セシルも柵の中で飼われる羊のような、幸せな結婚生活を送ることになってしまう。それは耐え難い。自分と同じように、セシルも不幸にならなければならない。それでなくてはあまりに不公平だ、とメルトイユ侯爵夫人は感じたのである。

今回の舞台では、原作でヴァルモンがセシルを誘惑して処女を失わせる一段は、暴力を用いた明らかな強姦として表現された。

あの場面は、大きな生理的嫌悪感を抱かせるほどのものではないにしても、それでも振付や演技自体は、はっきりと強姦であることを示していた。だから観ていてかなり複雑な気持ちになった。あの場面で第一幕が終了するが、拍手が少なかったのはそのせいである。

だが、私はメルトイユ侯爵夫人のセシルに対する気持ち、そしてヴァルモンに対する気持ちを考えると、ドンファンな色男ヴァルモンが、うら若き乙女であるセシルを上手に誘惑して物にする、というロマンティックな見せ場にするよりは、残酷な強姦として表現したほうが納得できた。

メルトイユ侯爵夫人は基本的にセシルを憎んでいる。セシルに昔の自分をオーバーラップさせて、セシルを自分と同じようにひどい目にあわせてやらないと気がすまない。またヴァルモンを、強姦という、色男としては最低な行為に及ばせることで、ヴァルモンの価値も貶めることができる。

こう描写することによって、セシルを仕込んで男性や母親たちに復讐しようとする一方で、セシルに嫌悪感を抱いてズタズタに引き裂いてやりたいと願い、更にヴァルモンを愛していると同時に憎んでもいる、というメルトイユ侯爵夫人の複雑な心情がはっきりする。

かつて自分が傷つけられた人が、後に他人を傷つける立場になる、という現象は多く存在する。昔では姑の嫁いびり、現代では学校や職場でのいじめ問題、家庭内児童虐待の世代間連鎖、犯罪者中における被虐待経験者の割合、あと通り魔事件の犯人の動機なども、たいていは自分がかつて傷つけられたことに由来する八つ当たりである。

メルトイユ侯爵夫人が男性を甚だしく憎悪していることは、原作ではプレヴァンの事件でも詳細に描かれている。メルトイユ侯爵夫人は社交界で高潔で気高い貞淑な未亡人として名を馳せている。プレヴァンはそんな彼女をわがものにしてみせる、と人々と賭けをする。それを耳にしたヴァルモンはメルトイユ侯爵夫人に事前に警告する。

事情を知ったメルトイユ侯爵夫人は、そ知らぬ顔をしてプレヴァンの誘惑に乗ったフリをする。プレヴァンは忍んで彼女の部屋にやって来るが、いよいよ、というところで彼女は呼び鈴を鳴らす。

前もって彼女と示し合わせていた彼女の召使たちは、何事かと駆けつけて彼らの女主人を救い、プレヴァンは女性に乱暴狼藉を働こうとしたと大恥をかいた上、軍律(当時の貴族の男性たちはほとんどが軍に属していた)によって入獄させられる。

今回の舞台では、このエピソードはメルトイユ侯爵夫人のセシルへの「傲慢な男をどう手玉にとってやるかの模範演技」として用いられている。原作ではそういう位置付けではないものの、このエピソードを効果的に転用したと思う。

メルトイユ侯爵夫人がヴァルモンと秘密を共有し、彼に対しては時に本音を書き綴るほどになったのは、ヴァルモンがメルトイユ侯爵夫人の憎悪する男性とは違うタイプだったからである。ヴァルモンは確かに色事師ではあるが、彼が興味を示すのはみな既婚の大人の女ばかりである。

ヴァルモンが口説き落としたがるのは、自分の中に性欲があることを自覚している成熟した女である。トゥールヴェル夫人を口説く過程でも、彼はまずトゥールヴェル夫人の反応を注意深く観察し、彼女の中にある、自分の結婚生活への疑問や不満、うごめいている性的な欲求を確認した上で、彼女に恋文を書き綴る。

つまりヴァルモンは、女を口説き落とすプロセスでは、常に彼女が内心ではどう感じているのか、どう思っているのかを考慮した上で次の行動に出る。彼にとっては、目的を達成することよりも、目的を達成するに至るプロセスそのものが楽しいのである。だからセシルのような、思春期を迎えたばかりの未熟な少女などは相手にならず、性的な関心など持てないのである。

メルトイユ侯爵夫人の依頼を最初は断ったのも、セシルみたいなガキに比べれば、性欲と道徳との間で煩悶しているトゥールヴェル夫人のほうが、ヴァルモンにとってはるかに魅力的であったからである。ヴァルモンのこうした女の趣味こそが、メルトイユ侯爵夫人とヴァルモンとが、共謀して悪事を働く仲にまで発展した理由だと思う。

メルトイユ侯爵やジェルクール伯爵とは違い、ヴァルモンはたとえ身分が高かろうとも、無知で愚かな女は大嫌いだった。相手の女が聡明で狡猾で貞操堅固で難攻不落であればあるほど、ヴァルモンの戦意は高揚し、彼は嬉々としてゲームを仕掛ける。それは単なる口説きというよりは、頭脳合戦である。

原作では、メルトイユ侯爵夫人はヴァルモンへの手紙でセシルの美しさを述べたて、更にセシルとヴォランジュ夫人を、ヴァルモンが滞在しているロズモンド夫人の城館へと赴かせる。そこでようやく、ヴァルモンはトゥールヴェル夫人をじっくりと口説き落とす間のヒマつぶしに、セシルを誘惑しようという気になる。

舞台でも、当初ヴァルモンはセシルに興味を示さない。メルトイユ侯爵夫人はヴァルモンの顔をセシルに向けさせて関心を持たせようとする。それでもヴァルモンが反応しないので、メルトイユ侯爵夫人は再びセシルを指さし、ヴァルモンにセシルを犯すように唆す。だがやはりヴァルモンは笑って首を振る。

メルトイユ侯爵夫人は結局、ヴァルモンのポケットにセシルの部屋の鍵を無理にねじこむが、ヴァルモンはその鍵をダンスニーに押しつけてしまう。そこで彼女はまた策を講じ、セシルとダンスニーの恋に障害を設ける(ヴォランジュ夫人に告げ口する)ことで、ダンスニーから鍵を取り上げて再びヴァルモンに渡す。

ヴァルモンはメルトイユ侯爵夫人にとって、共犯者であると同時に唯一の理解者でもあった。しかしヴァルモンがトゥールヴェル夫人と本気の恋に陥ったことで、メルトイユ侯爵夫人のプライドはまたも傷つけられてしまう。傷つけられるどころか、打ち砕かれてしまうのである。

唯一信頼していた相手によって誇りを踏みにじられたメルトイユ侯爵夫人は、ヴァルモンを憎悪するようになる。そしてヴァルモンとトゥールヴェル夫人との間を、彼が軽率な行為に及ぶように仕向けて破綻させた後、次にはダンスニーを操って、ヴァルモンをも殺してしまう。メルトイユ侯爵夫人のこの徹底した弱さはいったい何なのだろう。

なるほどメルトイユ侯爵夫人は哀しい人間には違いない。なまじ頭が良くて聡明だったから、心の中にやり過ごすことのできない怒りや恨みをいっぱいに抱えていた。しかしだ。自分が傷つけられたからといって、他人を傷つけてはならないのである。これは生きていくうえでの基本中の基本であるルールだ。

自分が不幸であることは、自分が他人を不幸に陥れる免罪符にはならない。単純な理屈である。今回の舞台では、他人を騙して傷つけ、果ては死に追いやるメルトイユ侯爵夫人を美化して描かなかった。

ヴァルモンも同様である。悪人をカッコよく、魅力ある人物に描かなかった。彼の邪悪な本性、そして自信満々で傲岸不遜な態度の裏にある、たやすく混乱に陥る極端な気の弱さや自信のなさをそのままに表現した。

私は悪徳をロマンティックに捉えたり、美化したりする傾向には賛同できない。メルトイユ侯爵夫人とヴァルモンは悪い人間である。彼らの醜い本性を容赦なく暴露し、決して美しい描写でごまかしたりしなかった今回の舞台は、私にとっては実に納得できるものだったのである。

(2005年4月24日)


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