Club Pelican

NOTE 10

2004-05 年末年始バレエ鑑賞記

(1) 新国立劇場バレエ「くるみ割り人形」(2004年12月25日)

今朝いきなり思いついたのが、「そうだ、『くるみ割り人形』に行こう。」 明日でもいいが、思い立ったが吉日、できれば今日のほうがよい。どこかでやっているだろうが、でもどこでやっているのか調べる方法が分からない。とりあえずチケットぴあで検索してみた。

そしたらおりしもクリスマス、複数のバレエ団が「くるみ割り人形」を上演するようである。当日券で入るしかないから、次のような条件で選んだ。 1.近場である。 2.会場の座席数が多い。 3.公共性が高い(内輪の「お発表会」的でない)。 4.あまりに有名すぎるダンサーが出ない。 そして寒い懐具合と相談してもう一つ。 5.チケット代が高くない。

というわけで、新国立劇場バレエの公演に行くことにした。開演が午後3:00だったので、2:00には着くようにした。新国立劇場は西新宿の隣にあり、最寄り駅は京王新線(都営新宿線直通)の初台駅で、駅の地下通路から階段を上るとすぐ目の前である。

ボックス・オフィスに行くと、すでに数人が並んで当日券を購入していた。さすがにセンター席は無理だったが、サイド席で割と条件のいい席が残っていた。価格は8,400円。

新国立劇場はいい劇場であった。1階1列目から急な傾斜がついているので、前の人の頭がジャマで舞台が見えない、ということはまずない。更にホールが馬蹄形をしており、最後列は舞台から100億光年の彼方、ということもない。

演目が演目だけに子どもの観客が多かったが、みんなお行儀良くしていた。むしろ親御さんの「シィーッ」と子どもを叱る声のほうが耳障りであった。

「くるみ割り人形」は純粋に踊りを楽しむための作品だと思う。今更ストーリーにツッコミを入れても仕方がない。華やかで美しく、且つ幻想的な舞台装置や衣装なども見どころだろう。新国立劇場の舞台は非常に奥行きがあり、背景の幕や舞台装置を幾重にも重ねていて、とても立体感があった。

第一幕はクリスマス・パーティーのシーンだけで終わる。衣装はロココ調、横ロールのヅラをみんなかぶっていたので、最初はしまったぁー!と思ったが、慣れればそんなに気にならない。でもあの大人たちの衣装は、色彩もデザインも、あまりセンスがいいとはいえない。素材も安っぽい。

第二幕からは踊りがメインになったのでとても楽しかった。ネズミたちは目が光っているところがチャーム・ポイントである。ネズミ隊を撃退した後、人間化したくるみ割り人形は、途中でダンサーが入れ替わる。役名も「王子」になる。

今日の王子役はマイレン・トレウバエフという人で、王子役が出てきた瞬間、センター席一帯から一斉に拍手が起こった。それからも彼が登場する都度、同様に拍手が起こっていたから、とても人気のあるダンサーなのだろう。

第二幕はなんと20分しかないのだが、最後の雪の踊りはとても美しくてきれいだった。チュチュ姿の女性ダンサーたちが大勢出てきて、安心したというか、やっぱりバレエはチュチュでなくては、とか思った。その中でメインの踊りを踊るダンサーが2人いて、片方の人が特にすばらしかった(名前はどちらの人か分からない)。

第三幕は1時間近くもあったが、次から次へと色々な踊りが展開されるので全然飽きない。最後の王子とマーシャ(西山裕子)のグラン・パ・ド・ドゥの前に、「バラのワルツ」という大勢での踊りがある。この中にもメイン的な踊りを踊る複数のダンサーがいて、女性ダンサーの1人がやはりとりわけ目を引いた(誰かはやっぱり特定できない)。

王子役のトレウバエフは、ぽーん、とゆったり高く跳ぶジャンプが印象的だった。ただ踊っている最中に、ずっと歯を見せて口を開けっぱなしにしているのは感心できない。ヴァリアシオンのために出てきたときには、指揮者に向かってなぜか大きく頷いた。それとともに音楽が始まったから、出だしの合図だったのだろうけど、観客にそうと悟られるのはよくないと思う。

また、これは彼の責任ではないが、軽く跳び上がった瞬間に、両足をすり合わせるか交差させるかしながら前に出てくる動きで、いきなり音楽が超スローテンポになった。ダンサーの踊りの動きに合わせて、オーケストラが音楽のテンポを変えたのだった。明らかに不自然で、聴いているこちらが思わずぎっくり腰になりそうだった。音楽に合わないような振付は無理があるのだから、もっと適切な振付に変えたほうがよい。

群舞はとにかく見事で、一糸乱れず、とはまさにこのことか、と思った。特に女性の群舞はすばらしい。女性ダンサーの層は、男性ダンサーのそれに比べてかなり厚いようである。女性ダンサーたちの整然とした美しい踊りに感嘆した。

別の演目でまた女性の群舞を観たい、と思ったので、帰りに再びボックス・オフィスに寄って「白鳥の湖」のチケットを購入しようとした。オデット/オディール役として外人のゲスト・ダンサーが出演する日が数日あった。たぶん有名な人なんだろうから、その日を外して残席を調べてもらった。

そしたら意外なことに、新国立劇場所属の女性ダンサーが主演する日のほうが、圧倒的に良席が少なくなっていた。仕方がないので、ゲストが主演する日のチケットを買った。でもなかなか良い席だった。白鳥の群舞はさぞ観る甲斐があるだろう。

話は変わるが、イープラスから得チケのメールが来た。その中に「レニングラード国立バレエ団」の公演で、13,000円のチケットを6,500円で販売します、という冗談みたいな話があった。面白いので申し込んでみた。席は当日、会場に入るまで分からない。さて、どんなすばらしい(恐ろしい?)席を割り当てられるのか。結果は後日。

(「不定期日記」2004年12月25日原載)


(2) レニングラード国立バレエ「新春特別バレエ」(2005年1月2日)

会場は東京国際フォーラム・ホールAである。チケット当日引き換えカウンターでチケットを受け取る。なにせ半額割引だから、と覚悟はしていたが、案の定、列と席の番号を一目見て、きっと最後列の端っこだな〜、と思った。

ロビーに入ると、「くるみ割り人形」第二幕のグラン・パ・ドゥでマーシャが、「白鳥の湖」第一幕でオデットが、「眠りの森の美女」第三幕でオーロラ姫とフロリナ王女が着る衣装が展示されていた。胴体部分が尋常でなく細い。このチュチュに入るカラダって、骨とか内臓の配置とか、いったいどうなっているのだろう。

ホールAの真下の1階では「人体の不思議」展をやっていた。この華麗なチュチュのちょうど下あたりで、本物の「人体の全身の筋肉モデル」とか「人体の全身の輪切りモデル」とかが展示されているはずである。そこの研究員でも連れてきて質問してみたいものだ。

今回の来日公演共通のパンフレットが売られていた。値段は2,000円である。買わなかったけれど、パンフレットは1センチ以上の厚みがあり、フルカラーの写真も満載だったから、値段相応の内容だと思う。マシュー・ボーンとかアダム・クーパー関係の公演パンフレットなんて、薄っぺらくて貧弱な内容なのに同じ値段だよ。

レニングラード関係のビデオやDVD も販売されていた。公演会場では通常より高い値段で売られている場合が多いので買わない。あとTシャツ(2,500円)も色違いで2種類あった。私が見ていたときにオジさんが購入していたが、オジさん、自分で着るのかなあ。

ホールに入ろうとして座席表を見た。ところが、私の席がない。あわてて案内係の人に聞いた。そしたら、ただ単に私が入り口を間違えただけであった。ホールAは巨大なので、各入り口近くの座席しか表示されていないらしいのである。

ホールに入った。いや〜、デカいデカい。客席が。詰め込めるだけ詰め込みます、という意気込みが感じられる。ホールCもそうだったが、国際フォーラムは、舞台に比べて客席が異常に広い。自分の席に着いたらびっくり、確かにすごく後ろだけど、最後列ではなかった。席もなんと、限りなく最中央に近いセンター席。なんでこの席番で最後列じゃないのだ、端っこじゃないのだ、と逆に驚愕する。

舞台は水平線のように遠かったが、しかし別に腹は立たない。6,500円ならまあこの値段だろう、と納得した。でもチケットの額面は13,000円である。この席を、本気であわよくば13,000円で売ろうとしていたのだろうか。購買意欲を煽るため、本当は最初から割引して売るつもりだったのではないか、と邪推もしたくなる。

第1部は「くるみ割り人形」第二幕「おとぎの国」(と書いてある)。つい先日、新国立劇場バレエの公演を観たばかりだが、踊りの振付はこちらのほうが面白い。新国立劇場バレエの公演では、これなら別にいなくてもいいんじゃないかと思うほど、ドロッセルマイヤーの役回りが地味だったが、こちらのほうは冒頭でドロッセルマイヤーのソロがあった。

スペイン人形(と書いてある)の踊りも、いい意味で派手で華々しい。女性ダンサーはタチアナ・ミリツェワで、背中と脚がくっつくようなジャンプがすごかったが、これはこのバレエ団では特に珍しくはないことが観ているうちに分かってくる。このバレエ団は、超軟体ダンサーの集まりだったのだ。

振付で面白かったのが中国の人形(と書いてある)で、中国の京劇でよくある技を取り入れていた。女性ダンサー(ナタリア・ニキチナ)が長い棒を床すれすれに振り回す。すると男性ダンサー(アレクセイ・クズネツォフ)がそれを避けて巧みなジャンプを展開する。

パストラル(こう書いてあるが、新国立劇場の公演では「パ・ド・トロワ」と呼んでいた)の女性ダンサー2人(ナタリア・エゴロワ、エレーナ・ニキフォロワ)もすばらしかった。その後に道化役の男女のダンサー2名による踊りがあった。彼らの踊りが終わって、観客が拍手をすると、彼らは観客に向かって指を唇に当ててみせる。観客が静まったところで、あの有名な「ワルツ」が始まるという次第である。よい工夫である。

マーシャ役のダンサー(アナスタシア・ロマチェンコワ)はよかったけど、王子役(アントン・プローム)のサポートがぎこちなくて、足を引っ張られているようで気の毒だった。ロマチェンコワがきれいにピルエットしているのに、王子役の止め方がマズいせいか、次のアラベスクがグラつく、逆さまになった女性を支えるキメのポーズでもガタつく。まあこれは片方だけがわるいんではなくて、男女双方の責任なのかもしれない。

でも王子のヴァリアシオンで、彼は「片脚を曲げたピルエット→グラン・フェッテ(?)→片脚をまっすぐ伸ばしたピルエット」をしていた。私は男性ダンサーがグラン・フェッテ(らしき動き)をするのを初めて見たので、これはすごく面白かった。

第1部ですでに50分が過ぎた。私が最も楽しみにしていたのは、次の第2部「『白鳥の湖』第一幕二場 〜オデットと王子、湖畔の出会い〜 」(と書いてある)なのであった。

お待ちかねの第2部が始まる。例の「ちゃ〜ららららら〜らら〜」というおなじみのメロディが流れる。さすがに会場中がシーンと静まりかえり、みんなが息をつめて緊張しているのが分かる。

ジークフリード王子(ミハイル・シヴァコフ)は、スタイルのとても良い人であった。濃紺の上衣に白タイツで、いかにも王子様っていう感じでりりしい。でも今回はほとんど踊らなかったので、踊りがどうなのかは分からない。

白鳥たちは、踊りは美しかったが、数が大量なだけにトゥ・シューズの音も大きくて、タップ・ダンスのようであった。床にも問題があると思われたし、音楽が静かなのでシューズの音が余計に響くのである。

オデット姫(イリーナ・ペレン)が姿を現すシーン。両腕を波打たせながらパドブレで現れる。その直後、トゥでゆっくりと歩く彼女のステップに合わせて、音楽のテンポが急に緩くなった。予想はしていたが、年賀状書きと大掃除で筋肉痛になった右肩が脱臼しそうになる。

これだけためるのなら、その後のグラン・ジュテは鳥が羽ばたくように華麗に決めてほしかったが、小振りなジャンプで終わったので拍子抜けした。舞台の左で毛づくろいをするところでは、前に出した足を踏み外してポーズが崩れた。

王子とのアダージョで、王子がオデットの腰を頭上まで持ち上げて回り、オデットがその上で開脚するシーンがある(それから王子がオデットの腰を支え、オデットは片足でピョンピョン跳びながら前に進んでいく)。このシーンは、王子役の持ち上げ方やオデット役のポーズのとり方によっては、かなり見苦しい有様になってしまう。

でもミハイル・シヴァコフは頭上高くイリーナ・ペレンを抱え上げてスムーズに回り、イリーナ・ペレンは背中を大きく反らせ、両脚を180度に開脚してピンと伸ばしたままの姿勢を保っていた。こうするとまったく下品でないばかりか、むしろ上品でなんとも美しいではないか。観客の間からほおおお〜、とため息が漏れた。

あとオデットのソロの出だしはすばらしかった。ここは丁寧だった。体は柔らかい、両脚は6時だっけ?5時55分だっけ?耳にくっつくくらい上がる。動きはゆっくりなのに、片脚で直立したままバランスが崩れることもない。

それでもいったいなんなのか、この違和感は。主役を踊るくらいだから優秀な人なんだろうけど、どう表現すればいいのか、全体的に雑で粗い感じがする。難しい技巧よりも、もっと基本的なポーズというか、たとえばアラベスクが美しくない。伸ばした四肢の方向がバラバラで、しかも一瞬ももたずにすぐに崩れる。

リズムのよいコーダでも、オデットが登場するシーンでいきなりまた大きくテンポを緩めた。あそこまでになると、バレエではごくふつうのことである、という範囲をかなり逸脱していると思う。

ダンサーと関係ないことでも不運が重なった。オデットと王子が踊るアダージョで、出だしのヴァイオリンが最初の音を思いっきり外しやがった。同じ奏者かは分からないが、ヴァイオリンのソロは、後でチェロが加わるところでも音を外していた。アダム・クーパーじゃないんだから(←コイツはアカペラで外した)。

更に、このいちばんいいところで、どっかのオバさんの咳が止まらない。しかも何か気管に詰まりでもしたのか、「ゲホッゲホッウゲェッ」という、こっちまで「もらいゲ○」しそうな咳がえんえんと続いていた。

こうして最も楽しみにしていた「白鳥の湖」は、最も肩すかしな結果に終わった。この第2部は30分。あっという間だった。

第3部は「眠りの森の美女」第三幕「オーロラ姫の結婚式」である。演目表を見て、心の中でマズい、と叫んだ。これは私がいちばん苦手なアレだ。「白い猫」、「長靴をはいた猫」、「赤頭巾ちゃん」、「狼」・・・・・・。もう疲れたし帰ろっかな、と思ったが、2005年の年頭に当たり、己を鍛錬するために敢然と立ち向かうことにした。

試練は冒頭から始まった。入場曲が響いて、貴族や王様や王妃様が続々と登場する。男性は全員がルイ14世だった。しかもなぜかみんな赤毛。でも女性たちは控えめな銀髪の横ロールで、マリー・アントワネットはいなかった。ドレスも豪奢で華やかである。

結論を先に言ってしまうと、この「眠りの森の美女」がいちばん見応えがあったのである。リラの精(エレーナ・コチュビラ)は登場するなり、足を耳のそばまでくっつけて振り下ろしながら前まで歩いてきやがった。しかもひとつひとつの動きが丁寧で、終わりまで決して手を抜かない。単なる軟体人間ではない。実に美しかった。

なんか宝石の踊りらしいが、その中で白い衣装を着た女性ダンサー(おそらく「ダイヤモンド」のオリガ・ステパノワ)もすばらしかった。

いちばん感動したのが、オーロラ姫(エレーナ・エフセーエワ)とデジレ王子(ドミトリー・ルダチェンコ)の踊りであった。冒頭での4人の男性ダンサーをまじえた踊りでは、あの「女性ダンサー逆さ挟み決めポーズ」がビシッと見事に決まった。全然ブレなかったし、ふたりの手足の角度も互いに美しく映えるような位置に収まっていた。

この冒頭での踊りでは、オーロラ姫が4人の男性ダンサーにかつぎあげられ、その上で中国雑技団がよくやる「シャチホコ」みたいなポーズをしていた。バレエとアクロバットとの境目ギリギリの技だが、美しいという印象が強かったのでアクロバットではない。

デジレ王子のルダチェンコはサポートがすばらしかった。ソロで踊ったときにはそうすごいとは思わなかったが、でも常に自信満々で偉そうな態度をしているのがよかった。

動物キャラと赤頭巾ちゃんは役そのもののために除外。ちなみに7人の子どもが舞台で踊っていたが、どうみてもみな純和風な顔立ちで、ロシア人にはみえなかった。たぶん日本人だと思う。ガキがご愛嬌で図々しくプロの舞台に上がるのも私は好きではない。よって除外。

過去に放送した番組を再編集した正月番組みたいな演目からいって、この公演に来ていたのは、私のようなバレエ素人がほとんどだったろうと思う。観客の反応はおとなしかった。ダンサーたちにはちょっと気の毒なことであった。

終演後、クロークでコートを受け取るのに時間がかかった。帰りにステージ・ドアの前を通りかかると、数人のダンサーがファンにつかまっていた。また、私が地下鉄の駅で電車を待っていると、ダンサーらしき人々が続々とホームを歩いてきた。それで分かったのだが、ダンサーは女性も男性もみんな背が高い。女性はみな165〜170センチだったし、男性も180センチはあったと思う。

上演中から思っていたけど、やっぱりロシア人っていうのは男も女もきれいなのね。顔立ちが整っていてプロポーションもいい。しかもガリガリな感じはしなくて、男は男らしい、女は女らしい肉がちゃんとついている。それでみんな軟体でテクニカルに踊る。

先日、新国立劇場の「くるみ割り人形」を観て、なんだか男性ダンサーの影が薄いな、と思った。でも、このレニングラード国立バレエでも同じように感じた。男性ダンサーはどこでも人材不足なのかもしれない。

あとはやっぱり、この「チャイコフスキー三大バレエ」の「いいとこ取り」公演で、男性ダンサーが踊る場面が圧倒的に少なかったことからいって、男性ダンサーが活躍できる機会や作品がもともと限られているんではないかと思った。機会がなければ育たない。もったいないことである。

(2005年1月3日)


新国立劇場バレエ「白鳥の湖」(2005年1月7日)

この公演を観に行って心からよかったと思う。クラシック・バレエの公演でこんなに感動したのははじめて。年末にこのバレエ団の「くるみ割り人形」を観て、女性の群舞がとても美しかったのでなんとなくチケットを買ったのだが、私の判断は正しかった。

席はすごく後ろの方だったが、新国立劇場(オペラ劇場)は後ろの席でも舞台を遠く感じない。また席はセンター・エリアのズバリ真ん中で、「白鳥の湖」でこんな眺めのいい席が当たるなんて、1時間も並んで初詣に行った甲斐があったというものだ。

これはもちろん冗談で、去年のクリスマスにこの公演のチケットを購入したとき、空席状況がいささか奇妙だったので不思議に思った。おそらく何らかの理由で特定の列の席が新たに売り出されたばかりのとき、偶然のタイミングで私がボックス・オフィスに立ち寄ったということなのだろう。

第一幕では、道化役のグリゴリー・バリノフがとにかくすばらしかった。テクニカルでしかも丁寧、ぽーん、ぽーんと柔らかく弾むような踊りは、私の好みである。ムキになってここぞとばかりに技術を披露するといったあさましさが微塵もなく、ゆとりある態度でさりげなく巧みな技を織りこんで踊っていた。

彼のユーモア溢れる演技もほほえましかった。王子や王子の家庭教師(ゲンナーディ・イリイン)をからかってさまざまないたずらをし、パ・ド・トロワでは女性たちにちょっかいをかけてフラれてしまい、ドナルド・ダックの口をして(笑)イジケている。

第二幕の冒頭で、彼は「コール・ド・バレエとこびとの踊り」で長めのソロを踊った。道化役という存在と、そういう役を割り当てられたダンサーが、バレエ界ではどんな評価を受けるものなのかは知らない。でも道化役という役柄も、役柄に合わせて振り付けられた細かく難度の高い踊りも、そしてバレエ・ダンサーとしても、この人はもっと評価されるべきだと思う。グリゴリー・バリノフがカーテン・コールに姿を現さなかったのは納得できない。

第一幕で王子の成人を祝う野外パーティーのシーンの最初で、従者たちが狩った白鳥のぬいぐるみ(よくできている)を捧げて持ってきたのがナイスな演出だった。ぐったりした白鳥の胴体と首を従者たちがつかんでいる姿は、少し残酷でグロテスクで強烈な光景だった。

またこれは、王子が王妃から贈られたボウガンで、オデットを射ようとする伏線(?)にもなっているのだろう。現代人には、白鳥を狩るという感覚は今ひとつピンとこないから(国によって違うだろうけど)。

家庭教師が1冊の本を手にしていて、王子は盛んにそれをのぞきこんでいた。あの本はいったい何なんだろう。

悪魔のロートバルトは市川透という人であった。メイクが少し宝塚入っていたが、とてもハンサムで美形のロートバルトで、私はもちろん大歓迎である。しかしやはり悪魔の役なのだから、もっとアクの強い邪悪さを漂わせたほうがいい。悪役はもっとドスを利かせるべきである。更にこの人は踊りが小さくあくせくとしていて、第一、二幕では迫力がいまひとつであった。第三幕ではようやく本領発揮という感じになった。

ジークフリード王子はイーゴリ・コルプであった。彼はゲスト・ダンサー(マリインスキー劇場バレエ)である。髪型が王子役にしては珍しい丸刈りであった。丸刈りで舞台用メイクをしているので、最初はまるでおカマの王子みたいで気色悪かった。でも私は男性バレエ・ダンサーによくあるダサい「ライオン・カット」が好きではないので、いっそ丸刈りのほうが好ましい。

さすがに外人らしく、動きは大きいし余裕のある踊りっぷりであった。彼は回転の技が少し苦手なのか、最後にバランスを崩すことが時折あった。またジャンプするときに、後ろの脚を奇妙な形に曲げてしまう独特のクセがあるようだ。でもそんなことはつまらないアラ探しで、それ以外の技術のすばらしさに関しては、いちいち列挙する必要もないと思う。

それにコルプは姿勢が非常に美しく、これが最も印象に残った。男性でもアラベスクとかアティチュードとか呼ぶのだろうか?後ろに伸びた脚は長く形もきれいで、それらのポーズの最後で更にぐぐーっ、と爪先まで一気に伸ばす。それがとても魅力的であった。

そして動きが丁寧でゆっくりである。細々したミスはあっても、常に落ち着いていて余裕がある。外人と日本人とを比べると、たとえ実力が伯仲しているとしても、舞台上での態度がデカいかどうかで印象がかなり違ってくる。舞台では、常に堂々と自信たっぷりな態度をしていたほうがポイントが高い。

第一幕では、パ・ド・トロワを踊った女性2人(厚木三杏、寺島ひろみ)がすばらしかった。それぞれソロを踊ったが、いずれも甲乙つけがたいすばらしさだった。本当にこのバレエ団は女性ダンサーに恵まれている。

オデット/オディール役はディアナ・ヴィシニョーワで、彼女もゲスト・ダンサー(マリインスキー劇場バレエ)である。気品の漂う黒髪の美女。そして超軟体であるのはいうまでもない。なよやか系ダンサーらしく、動きが繊細で優雅である。

感心したのは、いつでもどこでも両脚は180度以上全開という下品な自己顕示をせず、おそらく不必要と判断したのだろう場面では、あえて控えめな表現をしていたことである。一方、決めなければならないところでは、驚異的な身体的素質と技術をさりげなく駆使して見事に成功させていた。

私は初めて目にしたのでメモしておく。ヴィシニョーワが片脚を横に真っ直ぐ伸ばしたまま、支えもなしにトゥで回転していたのがとてもきれいだった(このポーズのピルエットやジャンプは、男性の踊りではよく見る)。王子役が同じポーズで半回転ジャンプしていたのもダイナミックでよかった。

ヴィシニョーワもやはり、速さでごまかすことは決してせず、動きの一つ一つを丁寧に、ゆっくり、じっくりと最後まで手を抜かずにこなしていた。また両腕を波打たせる動きがとてもなめらかである。第一幕のアダージョはとても美しい踊りとなった。でも王子役のコルプの「女性ダンサーろくろ回し」がヘタだった。オデットが湖へと戻っていくシーンでは、ヴィシニョーワは客席に背を向けて後ろ姿を見せながら退場する。これは印象的だった。

ヴィシニョーワはパワフル系ではないらしいが、スタミナにも欠けるタイプなのか、それとも今日は疲れていたのか、第一幕二場コーダで、オデットが両腕を羽ばたかせながら軽く跳び、その瞬間に両足を細かく交差させる動きでは、最初は順調だったが段々と足が動かなくなっていって、最後は跳び上がるだけになってしまった。

第二幕のグラン・パ・ド・ドゥで登場するシーンでも、王子に持ち上げられてアティチュード、それから両脚を交互にゆっくりと振り上げて下ろす、という振りになっていた。彼女はロシア人だから、オディールが高慢な表情で、ひとりでアティチュードをビシッと決めて、その後ジャンプして両脚をダイナミックに振り上げて下ろす、という動きをするだろうと私は期待していたので、少し物足りなかった。

「ロシア人だから」というのは、ロシアのバレエ団のダンサーだから、という意味で、つまりマイヤ・プリセッカもユーリヤ・マハーリナも出だしはひとりだけで踊っていたから、ヴィシニョーワもそうするはずだと私は勝手に思い込んでいたのである。

オディールっていうのは、美しくて高慢でクールで、というのが私の理想だが、同時に悪魔の手先らしい邪悪さというか、汚らわしさやいかがわしさが多少あったほうがいいと思う。それがいちばん出るのが、オデットの幻影を見て一瞬のあいだ正気に戻った王子に、オディールがオデットのマネをしながら近づいていくシーンである。

ヴィシニョーワは、表情にははっきり出さなかったものの、やや背中を丸めた姿勢でオデットと似たような仕草で王子に近寄っていく。卑しくて邪悪な雰囲気が漂っていてよかった。

オディールのヴァリアシオンは完璧で、王子と踊っているときより数倍も魅力的だった。ヴィシニョーワは音楽性が皆無というわけではないし、許された範囲内で自分独自の形に踊りを工夫できる能力も持っているらしかった。こういう能力を持っているのはダンサーとして大きな強みである。

コーダの32回転では、ダブルのターンを2回までは入れた。が、それにはリズム的な規則性がなかったし、というよりは途中で疲れてしまったのか、ダブルのターンは2回であきらめ、最後はずっとシングルだけで通したようだった。終わりのほうは回転する速度自体も遅くなった。

同じバレエ団に所属しているからか、王子役のイーゴリ・コルプとオデット/オディール役のディアナ・ヴィシニョーワは、動きがよく似ているところがある。上にも書いたが、アラベスクとかアティチュードとかの最後で、後ろに伸ばした片脚を更にぐぐーっ、と伸ばしながら微かに上げるところである。

第三幕では、2羽の白鳥(大森結城、川村真樹)のソロが印象的だった。てっきり第一幕でパ・ド・トロワを踊ったダンサーたちと同じ人かと思ったが、今プログラムを見ると違う人である。あらためてこのバレエ団の女性陣はすごいと思う。

全幕を通して、群舞はやはり思ったとおり感涙もののすばらしさであった。トゥ・シューズの音は少し響いたが、先日のレニングラードの騒音に比べたら全く気にもならない。手足の上げ下げの高さもタイミングも揃っている、列も一直線、移動するときも線が崩れない、外国のバレエ団の半端な個人主義からくるバラバラさとはえらい違いである。

第三幕の幕が開いたとたん、青い背景に白い衣装の白鳥たちがかがんでいる風景のあまりな美しさに、観客の間からため息が漏れた。第三幕の冒頭、白鳥たちと黒鳥たちの群舞もすばらしかった。

舞台装置と衣装はヴャチェスラフ・オークネフで、極めてセンスの良い美術であった。湖畔のセットは柳のような枝葉が天井から美しく垂れ下がり、背景はブルー。第二幕、王宮のホールのセットも、大きな窓が並んだ壁が奥行きのある舞台に斜めに置かれ、その窓の一つにオデットがもがき苦しむ姿が映る。

オディールの衣装は、私にとってはこの公演での最優秀デザイン賞である。もちろん黒のチュチュだが、胸とスカートの部分に、光る素材の冴えたブルーの飾りがあしらわれている。バレエの衣装には奇妙なデザインのものも多いから、こういうクールなセンスを持つ人を起用したことはすばらしい。

そしてロビン・バーカーの指揮は、バレエ音楽において現実的に非常にバランスの取れたものであった。踊りに合わせてテンポを急に緩めることはしていたが、唐突で不自然な感を与えることのないように工夫されていた。

バランスよく緩急をつけ、同じ音楽でも時に激しく大きくしたり時に小さくしたり、踊りと音楽がお互いに作用しあって舞台全体が盛り上がるような演奏になっていた。先日の「くるみ割り人形」とはオーケストラも違っており、今回は東京交響楽団であった。ほとんどミスがなかった(ミスがない演奏はない。大事なところでのミスがほとんどなかった、という意味)。

知名度やキャリアでいえば、レニングラード国立バレエ団公演で指揮しているアンドレイ・アニハーノフの方がはるかに上なんだろう。でも私にとっては、どちらかがどちらかに全面的に合わせるのではなく、音楽と踊りの双方が働きあって、ドラマティックな効果を高めたロビン・バーカーの指揮は、アニハーノフよりはるかにすばらしかった。

この「白鳥の湖」を観て、いくらバレエの真髄は踊りで感情や情緒や雰囲気を伝えることにあるとはいっても、やっぱり仕草や表情での演技も重要だよな、と思った。イーゴリ・コルプはメランコリックな王子様で、第一幕から表情が一貫してずっと暗かった。

ディアナ・ヴィシニョーワはよく分からない。まあふつうのオデット/オディールだった。彼女のオデットは、弱々しくて自分では何もできないお姫様。第三幕の終盤では、自分ひとりで、また王子と一致団結してロートバルトを撃退するのは無理な話としても、そんなおとなしくロートバルトにさらわれてばっかりいないで、身をよじって抵抗するとか、断固拒否の態度を示すとか、積極的な意思表示をすればいいのに。

「白鳥の湖」は超ドラマティックなバレエである。ストーリー性も極めて強い作品であることをあらためて実感した。美しい独特な振付の踊りに加えて、難しいマイムばかりではなく、仕草や表情とかで登場人物の性格や感情がもっとはっきりと表現されるといいなあ、と思った。

(2005年1月8日)

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