Club Pelican

THEATRE

「白鳥の湖」
("Swan Lake")
Choreography:Graeme Murphy
Concept:Graeme Murphy, Janet Vernon, Kristian Fredrikson
Set and Costumes:Kristian fredrikson, M.C.Escher's Rippled Surface
Lighting design:Damien Cooper
Reproduced by:Francis Croese


注:このあらすじは、オーストラリア・バレエ団により、東京文化会館で2007年7月13、14日に行われた上演に沿っています。登場人物の性格や行動の描写は、当日踊ったダンサーの演技を、私なりに解釈したものです。また、もっぱら私個人の記憶に頼っているため、シーンや踊りの順番、また踊りの振付などを誤って記している可能性があります。


序奏が始まると同時に幕が開く。舞台の奥は真っ暗で、その前に白い紗のナイトガウンを着たオデットが、背中を見せて立っている。オデットは肩をすくめてうつむき、両腕を胸の前で交差させて、両手の指を鳥が羽ばたくようにゆっくりとなめらかに動かしている。観客からは、オデットの背中から小さな羽根が生えていて、それが羽ばたいているかのように見える。

オデットが前を向く。片脚を後ろにゆっくりと伸ばしてアラベスクをする。白いガウンの裾が闇の中に広がって美しい。しかし、オデットの表情はなぜか冴えない。舞台の右には濃いグレーのカーテンが天井から垂れ下がっている。オデットはそのカーテンの向こうが気になるようだ。彼女は不安げな表情でカーテンの奥をのぞきこむと、ショックを受けたように後ずさる。だが間を置かずに、彼女はあわててカーテンの陰に隠れる。

それと同時に、裸の上半身にサスペンダーをつけ、ズボンを穿いたジークフリート王子がカーテンの陰から飛び出してくる。ジークフリート王子は誰かを探しているようだ。カーテンの陰に隠れたオデットは、王子に気づかれないように走り去る。王子はカーテンをつかむと舞台の左まで引っ張っていく。

すると突然、カーテンの表面が盛り上がり、まるでレリーフのように肉感的な女性の体が浮き出る。女性の体が浮き出るたびに、王子は夢中になって彼女の体を両手でなぞる。カーテンの端から女の白い腕が差し出される。王子はその手を取る。カーテンの奥から、白いシュミーズを着て髪をさばいたロットバルト男爵夫人が現れる。

王子とロットバルト男爵夫人は激しく抱き合う。ここの踊りではアクロバティックなリフトが多かった。王子がロットバルト男爵夫人の腰を支えて高く持ち上げると、ロットバルト男爵夫人は正面を向いて180度開脚したまま落ち、それを王子が受け止める。またロットバルト男爵夫人は両脚を伸ばして王子の腰を挟み、王子は彼女の体を斜めに倒して振り回す。ロットバルト男爵夫人の長い髪の毛がなびき、またむき出しになったロットバルト男爵夫人の白い腕の動きはしなやかで、妖艶な美しさを漂わせていた。

一部の伝統版で、ロットバルトがオデットを白鳥に変えてしまうシーンに使われている劇的な音楽を、王子とロットバルト男爵夫人との激しいラブ・シーンに使っていて、これが音楽にとてもよく合っていた。ほー、そうきたか、と感心。

ロットバルト男爵夫人はベッドに仰向けに倒れこむ。その上に王子が覆いかぶさる。舞台が暗くなって序奏が終わる。このプロローグに相当するシーンで、王子とロットバルト男爵夫人が愛人の関係にあること、オデットは王子に愛人がいるらしいことになんとなく気づいていて、漠然とした不安を抱えていたこと、しかし彼女はそうした現実を直視せずに逃げてしまったことが示されている。


第一幕

いったん幕が閉じ、やがて賑やかな音楽になってファンファーレが鳴り響く。王子とオデットとの結婚式が始まる。幕が上がると、一転してそこは明るい白いきれいな庭園。天井には透かし彫りのような波模様の飾り、舞台の左にはバルコニー、そして、舞台の奥には真っ青な水をたたえた円い湖があり、その両脇からは白い階段が弓なりに伸びている。

結婚式に招待された客たちが続々と集まってくる。男性はグレーの軍服かスーツを着ており、女性は淡い色の生地の上に白いレースを重ねた、品の良いデザインのドレスを着て、頭には正装用の小さな帽子をかぶり、日傘を手にしている。華やかな音楽に乗せて、2人の士官が回転やジャンプを織り交ぜて踊る。男同士でリフトをしたり、片腕を握り合ったままジャンプをしたりしていて、とてもダイナミックだった。王子の姉である第一王女とその夫が現れ、王子の弟である公爵の婚約者は登場するなり、湖を見つめていた公爵に悪戯っぽく抱きついてキスをする。

この招待客たちが集まってくるシーンで、ダンサーたちの動きがしばらくスローモーションになる。音楽には合っていると思うが、演出としてはやや古くさく、またあまり意味も効果もないと思った。

バルコニーの上に、淡いグレーの軍服を着た王子と、純白のウェディング・ドレスに身を包んだオデットが姿を見せる。人々はバルコニーの下に集まってお辞儀をし、王子とオデットは人々の前でキスをする(←「世紀のロイヤル・キス」と呼ばれたあれのパロディですな)。

ワルツが始まる。オデットと王子はバルコニーから下りて一緒に踊る。オデットのウェディング・ドレスは後ろの裾が3メートルくらいもある長いもので、オデットはドレスの裾をつまみ、長い裾を大きく翻してくるくると回り、時に王子がオデットのドレスの裾でオデットを包み込むようにして踊る。また女性たちがオデットのドレスの裾を持ってたなびかせ、王子がオデットの体を高く持ち上げる。

この長いドレスで踊るシーンは意外とあっさり終わってしまった。王子はオデットの前で人差し指と中指を立てた右腕を上げて天を指し、オデットへの永遠の愛を誓う。素直に感動するオデット。オデットはブーケ・トスをする。お約束どおり、ブーケは王子の弟の婚約者がキャッチする。しかし婚約者は無邪気に喜ぶ。王子とオデットは、お色直し(向こうにもそういう習慣があるのかどうかは知らないが)のためにいったん退席する。王女、その夫、王子の弟の公爵、その婚約者、他に日傘を持った女性たち、そして男性たちが踊る。

着替えた王子とオデットが再び現れる。王子はグレーのスーツ、オデットは白いレースの膝丈ドレスを着ている。王子とオデットはバルコニーに上がって、踊る人々を眺めている。王子とオデットは仲むつまじい様子で、見つめ合ったり、なにやら言葉を交わしたりと、とても幸せそうである。

新たな客が登場する。ロットバルト男爵一家である。ロットバルト男爵と男爵夫人は子どもたちを連れている。ロットバルト男爵夫人も白いレースの服を着ているが、レースの下に緑がかったグレーが入った洗練された色合いとデザインのドレスだった。ロットバルト男爵夫人の姿を見つけた王子は、途端に彼女に目が釘付けになり、落ち着かない様子になる。それを知ってか知らずか、ロットバルト男爵夫人は他の招待客たちと次々と挨拶を交わす。

ロットバルト男爵一家は王子とオデットのところに挨拶にやって来る。王子はロットバルト男爵夫人の手を取ってキスをする。オデットはロットバルト男爵夫人と握手しようと手を差し出すが、ロットバルト男爵夫人は気づかないふりをしてそれを無視する。ワルツがたけなわになろうとし、オデットは踊る人々の輪を見つめている。王子もワルツを見つめているが、その手はバルコニーの下にいるロットバルト男爵夫人の顎や首を愛撫している。

音楽がいかめしいものに変わり、女王が夫をともなって登場する。女王の服装と髪型とメイクが、(今よりもやや)若いときのエリザベス女王そっくりで笑える。王子はオデットを女王に引き合わせる。女王は王子には親しげな態度で祝福するが、なぜかオデットにはちらり、と目をやっただけである。王子は気を遣い、女王の後を追って、あらためて女王にオデットを紹介する。

女王は今度はオデットの挨拶に応ずるが、オデットのドレスの肩になにか付いている(汚れている)、と注意する。さっそく嫁いびりである。あわてたオデットは助けを求めて王子に駆け寄るが、なんと王子はちゃっかりロットバルト男爵夫人と身を寄せて見つめ合っている。ロットバルト男爵夫人はそ知らぬ顔で王子から離れる。

ロットバルト男爵夫人は、舞台の右奥に設けられた小さなステージの前に立ち、なにやら紹介する。結婚式のお祝いになるような出し物を上演する、ということらしい。小さなステージに幕が下ろされる。その幕の表面に描いてあった絵(ロットバルト家の紋章?)が不気味で、顔は女で胴体は蛇と鳥が合体したような、奇怪な紋様だった。出し物もこれが結婚式のお祝いか?と思えるようなものである。

小さなステージの幕が上がると、そこにはハンガリーの民族衣装を着た女と男が無表情に立っている。男のほうはハンガリー風デザインで、草色に白い花模様の入った軍服を着ていて、黒い毛皮のマントを垂らしている。女も似たような草色のドレスを着て黒いエプロンを垂らしている。やがてふたりはチャールダーシュを踊り始める。

第三幕(もしくは第二幕)で踊られるはずのチャールダーシュを第一幕に持ってきたわけで、しかもなぜチャールダーシュなのかというと、ロットバルト男爵夫人はハンガリーの出だからということである(プログラムより)。

このチャールダーシュは明るく元気で健康的な民族舞踊ではなく、なぜか淫靡な雰囲気の漂う踊りとなっていた。ハンガリーの民族衣装を着た男は、女のフトモモに手を沿わせて、さわさわさわ、と女の尻を撫でるし、女は女で「お黙りこの卑しい奴隷が!」的表情で男の背中を踏みつけていた。

男と女が小さな舞台を下りて踊り始めると同時に、脇から同じ衣装を着た男と女たちがわらわらと出てきて群舞になる。最後に音楽のテンポが速くなっていくところでは、コンサート並みの凄まじい速さにしていた。弾むようなリズムと速くなっていくテンポが、聴いていてとても心地よかった。

それはさておき、チャールダーシュの間に、いつのまにか王子はオデットの傍を離れて、さりげなくロットバルト男爵夫人に近づいていく。王子とロットバルト男爵夫人は踊る人々の陰で身を寄せ合っている。オデットは王子の姿を探し回る。チャールダーシュが終わると、王子とロットバルト男爵夫人は離れ、ふたりとも何事もなかったかのように他の客たちと歓談している。オデットは戸惑う。

音楽がパ・ド・トロワのアダージョになる。踊るのは王子とオデットとロットバルト男爵夫人である。というより、王子とロットバルト男爵夫人が踊っているところへオデットが割り込もうと努力している。オデットはなんとか王子と踊ろうとして、王子とロットバルト男爵夫人につきまとうように踊り、またふたりの間に挟まって、ロットバルト男爵夫人に代わろうとする。しかし王子の視線はロットバルト男爵夫人に釘付けで、その手や腕は一瞬の間だけオデットの体を支えるが、いつのまにかするりと抜けて、再びロットバルト男爵夫人の体を支える。

王子とロットバルト男爵夫人が抱き合って踊っているその横で、オデットは空気を抱くようにして同じ振りで踊る。最後、オデットとロットバルト男爵夫人が王子を挟むようにして立ち、ロットバルト男爵夫人が王子の肩に手を置き、アラベスクをして終わる。オデットは王子の足元にかがみ込み、勝敗はもはや明らかである。

舞台が暗くなり、王子のヴァリアシオンになる。オデットは舞台の左奥、ロットバルト男爵夫人は舞台の右前面に立っている。その線上で王子はゆっくりと踊る。オデットとロットバルト男爵夫人のどちらを選ぶべきか悩んでいるわけだ(ああ、アホらし)。

でもこの踊りは面白かった。王子は非常にゆっくりなスピードで、時には速いスピードで回転し、ジャンプし、連続バランス技をして、難しそうな動きで踊る。腕の形も独特で、頭の上で組んだり、背中に回したりと、まあ王子の苦悩を表しているのだろう。最後、王子は悩みぬいた末にロットバルト男爵夫人のほうへ手を伸ばす。

再び舞台が明るくなり、次は女性のヴァリアシオンである。王女、王子の弟の婚約者を中心として、女性たちが一斉に踊る。王子の弟の婚約者は元気いっぱいに、キトリみたいなエビぞりジャンプをし、また人々の列の間をくぐって、王子の弟と追いかけっこをしてはキスをする。

男性のヴァリアシオン。アングロサクソン系のイケメンで、しかも軍服やスーツを着たステキな殿方がたくさん、ダイナミックに跳躍し、また回転して踊る。音楽も力強くて迫力満点。しかもみな踊りが端正でカッコいい。

コーダ。男性と女性たちが一緒に組んで元気に踊る。途中からさっきチャールダーシュを踊ったハンガリー・グループも加わって、踊りはいっそう賑やかな雰囲気となる。そのさなか、ロットバルト男爵夫人はつまらなそうな顔で、小さなステージの上にひとり佇んでいる。そこへ王子が近づく。王子とロットバルト男爵夫人は喧騒に紛れて抱き合う。オデットはついにそれを目撃してしまう。オデットは人並みをかき分けて、王子とロットバルト男爵夫人のところへ行こうとする。

群舞が狂ったように踊り続ける中、王子とロットバルト男爵夫人は再び離れる。オデットがようやく小さなステージの上にたどり着いたときには、もうふたりはいない。王子とロットバルト男爵夫人は舞台の左右に分かれて立ち、静かにお互いを見つめあっている。オデットはその真ん中にあたる舞台奥から、なすすべなくそれを見つめる。オデットの顔は悲しそうに歪んでいる。

踊り終わった人々の間を抜けて、オデットが王子のところへフラフラと歩いてやって来る。通常は第三幕(もしくは第二幕)「黒鳥のパ・ド・ドゥ」で用いられる音楽のイントラーダが勢いよく響く。これはチャイコフスキーの原譜では第一幕に配置されていたが、後になって第三幕(もしくは第二幕)に移された。ブルメイステル版「白鳥の湖」では原譜どおり第一幕に戻されており、このマーフィー版も原譜に従ったことになる。

勢いのある華麗な音楽に乗って、オデットはいきなり男性の客に熱烈なキスをする。間を置かずに、オデットは次々と男性客たちと踊りまくる。その表情は何を考えているのか分からない。オデットは軽やかにジャンプし、男性客たちは戸惑いながら跳びまわるオデットを支えて回転する。オデットは飛び跳ねながら男性客たちの間を渡り歩き、男性客たちはオデットの体を高々と横に持ち上げてくるり、と回転させる。

驚いた王子はオデットに近寄ろうとするが、オデットは口元をぐっと結んで、王子の胸に足をかけて蹴り飛ばす。そしてロットバルト男爵夫人を威嚇するように、彼女のすぐ横で脚を高く上げてジャンプし、片脚を蹴り上げる。ロットバルト男爵夫人は驚きつつもムッとした表情になる(ダンサーによって「無視ヴァージョン」もあり)。

オデットはロットバルト男爵夫人の手を引っ張って、王子に向かって何度も突き飛ばしてふたりをくっつける。王子とロットバルト男爵夫人は愛人の関係にある、とみなに暴露したのだ。さあ、もっと抱き合えば?堂々とイチャイチャすれば?とオデットはヤケクソになっている。王子とロットバルト男爵夫人は居心地の悪そうな表情になる。オデットは最後に湖に身を投げようとするが、男性客たちに止められる(これはコーダの最後だったかも)。

ここの踊りはスピード感に満ちていて、リフトとリフト、ジャンプとジャンプの間にほとんど時間を置かないで一気に踊りを繰り広げる。ついにブチキレたオデットの乱行を表わしているとはいえ、弾むような、そしてキレの良い音楽とも合っていてとても見ごたえがあった。

オデットはふらついた足取りで後ずさる。彼女の背後には憤然とした表情の王子がいて、イントラーダの終わりと同時にオデットは王子にぶつかる。途端にオデットは怯えた悲しげな表情になる。

音楽がアダージョになる。王子とオデットはゆっくりと踊り始めるが、それは愛の踊りではもちろんない。王子は冷たく、また怒りのこもった表情でオデットの首や頭を押さえつける。オデットは必死になって、王子の手を取って自分の頬に当てようとする。彼女は王子に自分だけを愛してもらいたい。しかしその都度、王子はその手を振り払う。オデットは自分の顔を両手で覆い、身をすくめて、王子のほとんどドメスティック・バイオレンスといってもいいような扱いを受ける。

王子は自分の所業がオデットを追いつめたことはよく分かっている。しかし、結婚式という晴れの舞台で、招待客たちの面前で自分に恥をかかせたことが許せない。王子はオデットの手を乱暴に取って、彼女の手を彼女の胸と下腹部に当てさせる。お前の義務はセックスして世継ぎを生むことだ、身分と立場をわきまえろ、というわけだ。

舞台の真ん中で、オデットはうずくまってしまう。音楽が王子のヴァリアシオンになる。しかし、最初に踊り始めたのはロットバルト男爵夫人だった。ロットバルト男爵夫人は胸を張り、手足を真っ直ぐに伸ばして踊り、招待客たちに向かって「これは何かの誤解ですわ、私にはやましいことは何もありませんのよ」と訴える。

打ちのめされたオデットに追い討ちをかけたのが王子だった。王子はうずくまっているオデットを助け起こすでもなく、オデットを冷たい視線で見下ろし、彼女の体の上を跨ぐようにしてジャンプして踊り、ロットバルト男爵夫人に同調してオデットを非難する。

人々がうずくまっているオデットを取り囲む。そこでコーダの音楽が始まる。人々は驚いて後ずさる。人々の輪の中から、オデットがグラン・フェッテをしながら飛び出してくる。続いてグラン・ジュテをしながら、オデットは舞台中を大きく移動しまくる。オディールによる32回転の音楽を、オデットの狂乱の踊りに用いたわけで、なるほど、これは面白い使い方だな、とまたもや感心した。

音楽が「主題」、もしくは「情景」になる。事態を見かねた女王が台座から下りてくる。抜け目のないロットバルト男爵夫人は、女王に向かってわざとらしい殊勝な表情になって、これは誤解だ、と弁明する。だが女王は事情を察しているようで、「言い訳は結構」とロットバルト男爵夫人を静かに、しかも厳しく制する。王子も女王に弁明しようとするが、女王は「ここは王室の体面を保つことが何よりも大事です」という表情で、王子に落ち着くよう命じる。

ロットバルト男爵夫人が再び女王に近づいて耳打ちする。なにかを助言したようだ。女王は大っぴらに頷きはしないものの、それが良策だ、と納得したらしい。女王は王子を説得し、王子はためらいながらも、やむを得ない、という表情で頷いて「それ」を承知する。

女王は床に座り込んでいるオデットに近づき、威厳ある態度でオデットをたしなめる。自分の気持ちを訴えようとするオデットを女王は手で制する。オデットは女王にすがりつこうとするが、周囲の人々に遮られる。もはや、オデットは完全に「狂人」扱いされている。招待客たちもオデットと目を合わせようとしない。

パ・ダクシオン(通常は家庭教師と道化によって踊られる)。オデットはふらふらと立ち上がり、完全に目がイっちゃってるが、しかし悲しげな表情で王子を見つめながらゆっくりと踊りだす。演奏のテンポも通常よりかなりゆっくりめである。

オデットは頭を両手で抱え、怯えた目つきをしており、完全に混乱している。いつもは道化が連続ピルエットをする音楽では、オデットはもはや正常ではない表情で、上半身は動かさず、足だけでピョンピョンと飛び跳ねて踊る。ジゼルのように飛び跳ねるだけではなく、ジャンプして着地するたびに両足の位置が変わっている。それを超高速でやってのける。

音楽が終わると同時に、黒いスーツを着た医者らしき男性が2人のナースを連れて現れる。ロットバルト男爵夫人が女王に「献策」したのはこれだったのだ。看護婦がオデットに近づく。オデットは怯えて逃げようとする。しかし医者が優しくオデットをなだめ、オデットはようやく落ち着いて医者にもたれかかる。オデットは医者とナースに付き添われて(連行されて)姿を消す。ロットバルト男爵夫人はそれを見届けると、してやったりという笑みを浮かべる(あー、ヤな女!)。

音楽が「フィナーレ」もしくは「情景」になる(白鳥のライト・モチーフが出てくるところね)。連れて行かれるオデットの姿を見送りながら、王子は悔恨と自責の念に満ちた表情で、「なんでこんなことになってしまったんだ」(←それはてめえが悪いせいだ)というふうに首を振る。

人々がみな去った後、会心の笑みを浮かべたロットバルト男爵夫人が王子に近づく。彼女は王子の手を取って奥の階段を上がり、「邪魔者はこれでいなくなったわ、私たちふたりだけの世界がやって来たのよ」と言わんばかりに、王子に微笑みかける。

ロットバルト男爵夫人は、それからなんと女王が腰かけていた玉座に座って王子を差し招く。ためらっていた王子は、やがてロットバルト男爵夫人に救いを求めるような顔で駆け寄り、跪いて彼女の膝に頭を乗せる。ロットバルト男爵夫人は満足そうに微笑みながら王子の頭を撫でる。第一幕が終わる。


第二幕

幕が上がると、舞台の前面に白い壁が聳え立っている。壁の中央には大きな張り出し窓があり、舞台奥に向かってせり出している。右側の白い壁には水道管の絵が描かれていて、その下にはバスタブとシャワーのセットが置いてある。張り出し窓の傍には白い毛布に身をすっぽりとくるんだオデットが膝を抱えて座り込み、病的な動きでガタガタと震えている。オデットは病院に入院させられてしまったのだ。

長い看護服を着たナースが2人やって来る。妙に大きな白いナース帽をかぶっており、彼女らの表情は見えない。ナースたちはオデットをなだめながらシャワーを浴びさせようとする。オデットは怯えて嫌がる。暴れるオデットをナースたちは無理やり引きずってバスタブの中に入れ、シャワーを浴びさせる。

シャワーを浴びたオデットは、ぐったりと力尽きたようにバスタブの縁に両腕をかける。それはまるで鳥が羽根を広げたような姿勢で、オデット=白鳥であることを前もって暗喩しているようだ。このシーンの音楽は原譜どおり「情景」を用いている。また特に第二幕と第四幕で、マーフィー版はレフ・イワーノフの原振付を必ず各場面に散りばめ、観客に伝統版の踊りを想起させる手法を用いることで、観客にこの作品が「白鳥の湖」であることを忘れさせないようにしている。

ナースたちはオデットをバスタブから引き上げ、オデットに白い膝丈の寝巻きを着せる。男性の看護師たちがやって来てバスタブを片づける。本物の水なんか使ってないのに、マメにタオルで床を拭いていたのが芸が細かくてちょっと感心。オデットは裸足だが、素足に肌色のテープのようなものを巻いていた。音楽が劇的に高まる。伝統版ではロットバルトが登場して踊る。ここで窓の外にナースたちの列にまぎれて王子がやって来たのが見える。オデットはそれを目にするなり、ますます怯えて震える。

音楽が次の「情景」になる。伝統版では王子がここで登場する。マーフィー版でも王子が医者にともなわれて登場する(笑)。医者はオデットを診察すると、壁の陰に隠れている王子と何事かを話し合う。伝統版で王子がオデットに出会う場面の音楽にさしかかると、王子は意を決してオデットの前に歩み出る。

オデットは王子を見た途端、びくりと大きく震える。それから床に座り込んで両脚を伸ばし、張り出し窓の下の壁の表面を、「エアー・ポワント」(←勝手に造語)でなぞる。伝統版では、王子に出くわして驚いたオデットが、爪先立ちで震えるような細かいステップを踏む。それを観客にイメージさせている。

伝統版で怯えたオデットが王子から逃げ回り、やがて王子に引きとめられて一緒に踊るシーンの音楽で、オデットは王子からひたすら逃げ回り、王子はなんとかオデットをなだめた末に彼女をとらえる。しかしオデットは四肢を突っ張って王子から逃れようとする。更に、伝統版でロットバルトが現れるところの音楽で、窓の外に黒い毛皮に身を包んだロットバルト男爵夫人が現れる。男爵夫人は庭で王子を待っているようだ。オデットはそれを見つけて更にショックを受け、再び王子を激しく拒否する。

王子はあきらめてオデットの前から立ち去る。音楽はまさに伝統版でロットバルトに脅かされた王子がいったん逃げてしまう場面のものである。庭で退屈そうに歩き回っていたロットバルト男爵夫人が微笑み、やがて王子の姿が窓の外に現れる。王子とロットバルト男爵夫人は身を寄せ合って病院を後にする。オデットは去っていく王子とロットバルト男爵夫人の姿を窓越しにいつまでも見つめ続ける。窓の外を、大きな白いナース帽をかぶり、白くて長い看護服に身を包んだナースたちが、整然と列をなして歩いていく。

オデットは床に下りて立ちつくす。するといきなり、彼女を閉じ込めていた白い壁と大きな張り出し窓が持ち上がって消えていく。窓があった場所の向こうには庭ではなく暗い湖が広がっていて、白鳥たちが水面に浮かんで身を休めている。

舞台の奥に直径10メートルはある巨大な円形のオブジェが斜めに置かれている。プログラムによると、これはM.C.エッシャー(M.C.Escher)の「波形表面(Rippled Surface)」という作品で、表面はなるほど白い波がたゆたっているような模様となっている。舞台の背景も円形のオブジェと同じ波の模様で、舞台の床にも波うつような光が照射されている。舞台は濃いブルーであり、その中で細い絹糸が交差したような白銀の波模様がきらきらと輝いている。とても美しい風景である。

音楽が伝統版で白鳥たちがジグザグ行進をするものになる(「情景」)。オブジェの上で身を折りたたんで休んでいた白鳥たちが、次々と目を覚まして腕や顔をゆっくりと上げる。白鳥たちがオブジェから下りてきて、オデットの姿は白鳥たちの間に消える。

白鳥たちのチュチュはシンプルなデザインで、ビーズや刺繍などの飾りがまったくない。スカートは傘型の短い丈のものではなく、クリノリンの入っていない膝丈のもので、スカートの裾は削がれたようになっている。

奇妙なのは白鳥たちの頭の飾りで、頭の片方にはお馴染みの白鳥の羽根をかたどった形の飾りを付けているが、もう片方に付けている飾りの形はただの長方形である。これはナース・キャップの名残りらしい。オデットはナースたちの姿を見て、彼女たちを白鳥の群れだと思い込んだのだ。

湖から上がってきた白鳥たちは不揃いなジグザグ行進をしながら舞台の前に出てくる。伝統版で白鳥たちがジグザグ行進をするタイミングからはかなり遅れているが、それでも音楽に合っているのが面白い。

やがて4羽の白鳥、続いて2羽の白鳥が姿を現わす。ここは伝統版でのタイミングと同じである。白鳥の群舞は16人、これに4羽の白鳥と2羽の白鳥を足して、合計22人から成る。白鳥たちは円形の湖の縁に沿って身をもたせかける。

伝統版でオデットが再び現れて王子に白鳥たちの命乞いをする音楽で、湖のいちばん奥に、みずからも白鳥の衣装を着たオデットが、ぐったりと座り込んでいる姿が浮かび上がる。オデットは頭に飾りを何も付けていない。白鳥たちがジグザグ行進をしている間に、湖のセットの陰で衣装を着てトゥ・シューズを穿いたらしい。セットの陰ではテンパってたんだろうなあ。オデットが湖から上がってくる。すると、2羽の白鳥がオデットを優しくいざなって去る。この2羽の白鳥はオデットの世話をしているナース2人が幻影に転じたものである。

白鳥の群舞はレフ・イワーノフの振付とはまったく違っていたが、そう斬新でも奇抜な振付でもなかった。雰囲気もイワーノフの振付とよく似ている。ただ、100%ピュアなクラシックの振付ではなく、必ずどこかひねって工夫してある。しかし、かといって100%コンテンポラリーの振付でもない。ちょっと不思議な踊りだった。

また20人そこそこの群舞で、セットも衣装もシンプルだが、ダンサーたちはいずれも身長が高く、プロポーションもすっとしてきれいで、踊りもよく揃っていた。縦一列に並んで交互に逆を向き、一斉に腕を前に出してアラベスクをするところなんかもすごくきれいだった。

オデットが出てきてソロを踊る。えっ、いきなり最初に踊るの?と唐突な感がした。もっとも、伝統版では、このオデットのヴァリエーションは、王子とオデットのグラン・アダージョ、小さな白鳥たちの踊り、大きな白鳥たちの踊りの後で踊られるものの、チャイコフスキーの原譜では本来ここに置かれていた。マーフィー版はそれに従ったようだ。

このオデットのソロは、イワーノフの振付を随処に取り入れていて面白かった。第二幕の踊り全般にいえることだが、「イワーノフの振付をパクった」というよりは、「イワーノフの振付をイメージさせるようにわざと織り交ぜた」と表現したほうがしっくりくる。たとえば、イワーノフの振付で、オデットが片脚を後ろに上げて小さく2回ジャンプした後アラベスクをする振りや、両足を揃えて回転しながら羽ばたく振りなどである。

ただ、特徴的なのは、イワーノフのそれぞれの振付を全面的に物真似するのではなく、一部だけを採用していること、似たような振りに変えていること、また音楽のタイミングを常に後にずらしていることだった。あと、最も伝統版と異なることには、オデットのこのソロにはなんだか不健康で澱んだ雰囲気が漂っていて、オデットは手足をぐんにゃりと曲げて、力なくうつろな表情で踊るのだった。だから、踊りだけを見せるのではなく、心を病んでいるオデット、という設定をきちんとリンクさせてある。

次の4羽の白鳥の踊り(小さな白鳥の踊り)は、このお馴染みの踊りにはさすがに手が出せなかったのか、ほとんど改変が加えられていなかった。違っていたのは、白鳥たちが途中でつないだ腕を器用に入れ替えて、前を向いたり後ろを向いたりしていたこと、また輪を作ってぐるぐる回っていたこと、顔の向きをそれほど大げさに変えていなかったことくらいである。

だが、続いての2羽の白鳥の踊り(大きな白鳥の踊り)は、マシュー・ボーン版も真っ青なパワフルでダイナミックな踊りだった。手足を真っ直ぐに伸ばした、豪快な180度開脚ジャンプをとにかく繰り返すのである。しかも2人同時にやる。更に動きが完全に揃っている。極めつけは2人とも最後までパワーが落ちない。これほどパワフルに跳びまくられては、ボーンももう「男性でないと音楽にふさわしい迫力が出ない」とは言えないだろう。

グラン・アダージョの音楽が始まり、再び白鳥たちが出てくる。オデットも2羽の白鳥にともなわれて舞台の脇から現れる。すると、反対の脇から、白いシャツ、サスペンダーにズボンという衣装の王子が、ナース2人にともなわれて現れる。この2人はちゃんと現実のナースの格好をしている。ここでオデットの妄想と現実が、ほんの一瞬のあいだ交錯する。しかし、ナースたちにともなわれて出てきた王子もまたオデットのファンタジーである。それはオデットがそうあってほしいと願っている夫のファンタジーだ。

王子は静かな表情でオデットと踊り始める。イワーノフの振付とはだいぶ違うようにみえるが、ほとんどがイワーノフの有名な振付を「反転」させた振付だった。また、ここでもイワーノフの振付をイメージさせる似たような振付が施され、音楽のタイミングもすべて後ろへずらされていた。

イワーノフの有名な振付、後ろへ倒れるオデットを王子が支えて抱き起こし、オデットがアラベスクをするところの音楽では、オデットは王子の腕にぶら下がるようにして上半身だけを前に倒す。王子はオデットの体を支えたまま体の向きを反対に変える。オデットは上半身を90度だけ起こし、同時に片脚を後ろに伸ばしていって、最後には180度開脚する。

オデットが王子に持ち上げられるたびに開脚する振りの音楽では、伝統版でオデットが持ち上げられるタイミングからやや遅れて、王子はオデットの腰と左脚を支えて垂直に持ち上げ、オデットは右脚のみを耳の傍まで高く上げて一瞬静止する。これはとてもきれいな振付だった。また、伝統版とは異なるタイミングで、オデットは王子に支えられながら片方の爪先を小刻みに震えさせる。

音楽が「フィナーレ」になる。まず白鳥の群舞が出てきて踊る。またもや伝統版で、白鳥たちがステップを踏みながら数列ずつ前に出てくる動きを彷彿とさせる。面白かったのが、最後にオデットが出てきて、羽ばたきながら小さくジャンプした瞬間に両足を細かく交差させる振りを、最初に白鳥の群舞数人がしていたことだった。それからオデットが出てきて、オデットも同様に羽ばたきながら小さく跳び上がって両足を細かく交差させる。

このように、マーフィー版はイワーノフの振付を逆にしたり、部分的に取り入れたり、似たような振りに変えたり、果ては他者に踊らせたりすることで、イワーノフの振付を巧妙に剽窃、というか効果的に利用していた。

最後、王子はオデットを高々と持ち上げ、その周りを白鳥たちが取り囲む。王子とオデットは寄り添うが、なぜか白鳥たちが二手に分かれて、王子とオデットとを引き離してしまう。王子とオデットはそれぞれ舞台の脇に消える。

「情景」が演奏されると、病院の白い壁と大きな張り出し窓のセットがまた下りてきて舞台の前面をふさぐ。オデットはファンタジーの世界から現実に引き戻される。伝統版でオデットがロットバルトの魔力によって王子と引き離されるシーンの音楽にさしかかると、オデットは窓の外を抱き合って通り過ぎていく王子とロットバルト男爵夫人の姿を目にする。

美しい白鳥たち、王子との甘美な踊りのすべては、オデットの幻想に過ぎなかったのだった。オデットは窓辺に呆然として佇む。


第三幕

ロットバルト男爵夫人の主催するパーティー会場。セットは黒を基調としており、カーテンはすべて黒、舞台天井の奥には黒と銀のシャンデリアが燦然と輝いている。舞台右奥には黒い大きな鉄製の扉があって、客たちが次々と入ってくる。男性たちはみな黒のタキシード、女性たちは黒地に金銀のラメやビーズを織り込んだドレスを着ている。第一幕、王子とオデットの結婚式のシーンでは、セットも衣装もみな白が基調であったのに対して、まったく正反対の色彩となっている。

通常はお城の舞踏会の始まりに演奏される「情景」に合わせて、第一幕の冒頭で、軍服を着て一緒に踊っていた男性2人が、今度は黒のタキシードを着てまたも一緒に踊っている。踊りも第一幕とそっくりで、男同士で手をつないで豪快なジャンプをしたり、跳んだ瞬間に回転したりした後、ふたり並んで床に片膝ついてポーズを取る。こいつら、ひょっとしてゲイのカップルだったのか?

王子とロットバルト男爵夫人はぴったりと抱き合って、もはや人目を憚らないていたらくである。彼らは客が到着するたびに面倒くさそうに立ち上がり、しかし愛想良く客たちを迎える。客の中には第一王女とその夫もいる。王子とロットバルト男爵夫人の仲は、もはや王室公認のものとなっているらしい。

「ワルツ」が始まり、王子とロットバルト男爵夫人をはじめとする客たちは一斉に踊り始める。この踊りの振付が、ワルツというよりはまるでタンゴで、王子とロットバルト男爵夫人は、人々の真ん中で体を密着させて組んだ片腕を前に伸ばし、片足を前に出すようなステップで踊る。

途中でまたファンファーレが鳴る。ワルツのメロディが大きく演奏されると同時に、王子の弟である公爵の婚約者がバカ全開、いや、パワー全開で走って飛び込んできて、びゅーん、と威勢よく跳んで公爵に向かってダイビングする。公爵は婚約者の体を見事にキャッチ、彼女の体をぐるぐると振り回す。このダイビングは音楽と合っていてよかったです。私は婚約者の彼女、けっこう好きだなあ。

最後にロットバルト男爵夫人を中心として、女性たちがみなで一斉に踊る。腕を柔らかくたわめ、爪先立ちになってゆっくりとしたステップを踏み、ドレスの裾を翻して片脚だけで回転し、なまめかしい雰囲気が漂う。再びファンファーレが鳴り、召使たちが黒い大きな鉄の扉を開ける。

ロットバルト男爵夫人は新しく来た客を出迎えるために扉の前に行く。他の客たちも今度は誰が来たのかと興味津津に待ちかまえる。だが、ファンファーレが鳴り終わっても誰も現れる気配がない。みなは顔を見合わせて訝る。

「情景」の通常はオディール登場の音楽が演奏される。同時に、舞台奥に集まっていた客たちが突然、わっと驚いたように飛び退く。黒いカーテンの前にはいつのまにか、白いヴェールをかぶり、白いドレスに身を包んで、婉然とした神秘的な微笑をたたえたオデットが立っていた。

1回目に観たときには扉のほうに気を取られ、オデットがどこから現れたのか分からなくて、おのれ、してやられたり、と悔しかった。それで2回目に観たときに、オデットが現れた舞台奥の真ん中に注意していた。そしたら、舞台奥を覆う黒いカーテンのちょうど真ん中に割れ目があって、そこからオデット役のダンサーが出てきたらしかった。前を客たちが隠しているので、いきなりオデットが現れたように見えるわけだ。お見事です。

客たち、王子、ロットバルト男爵夫人は呆然とする。だが公爵のおバカな婚約者は素直に嬉しがり、親しげな態度でオデットに近づく。オデットはまだ狂っていると思っている王女がやんわりとそれを遮る。ロットバルト男爵夫人は、一体どういうことなのよ、という表情で王子とコソコソ話をする。

オデットはまだ頭がおかしいのか?とみなが判じかねているうちにも、オデットは微笑を絶やさずにみなに会釈して回る。そうするうちに、客たちはオデットが健康を取り戻してやって来たのだと思い始めたようだ。女性たちは次々と片膝を折り、男性たちは直立不動でお辞儀をして、皇太子妃であるオデットに恭しい態度で挨拶する。

オデットが王子とロットバルト男爵夫人が立っているところに近づいてくる。ロットバルト男爵夫人は、傲然とした態度でオデットを睨みつける。しかし、オデットはロットバルト男爵夫人の視線を平然と受け止め、逆にロットバルト男爵夫人を見下すかのように冷たく微笑する。

音楽が「パ・ド・シス」のアントレになる。非常にゆっくりと演奏されていた。オデットはジゼルのようなポーズを取って踊り始める。すぐさま男性たちが魅入られたような表情で、我先にとオデットと踊り始める。彼らはオデットのために手で階段を作り、オデットはその階段を上っていく。また彼らはオデットをみなで高く持ち上げて運ぶ。オデットは両腕をゆるやかに伸ばし、両脚を広げて空を漂う。長い袖つきの白い紗のショールが闇の中にふんわりとたなびいて美しい。王子はその姿を呆然と見つめる。

次に女性たちもオデットの魅力に取り込まれてしまう。男性たちの列に女性たちまでもが加わって、自分たちの手を差し出してオデットのために階段を作る(もっとも実際には、女性ダンサーたちは男性ダンサーたちの手の下に手を差し込んでいた)。オデットはやはりその階段をゆっくりと上っていく。ここでロットバルト男爵夫人にとって更に思いもよらないことが起こる。

階段の先には王子が待ちかまえていて、王子は階段を上りおえたオデットの体を支えて下ろす。王子はオデットをじっと見つめたまま、その肩からショールを脱がせる。「パ・ド・シス」の第2ヴァリエーションが演奏される。第一幕に引き続いて、王子はまたオデットとロットバルト男爵夫人のどちらを選ぶか、「苦悩のソロ」を踊る(←ダメだこの男は)。

振付は第一幕のソロと同じように、ゆっくりした回転やジャンプやバランス技などで構成されていた(気がする)。ただ、第一幕のソロと違うのは、狼狽したロットバルト男爵夫人が王子の踊りに絡んでくるところである。ロットバルト男爵夫人は、オデットに心を奪われつつある王子を自分のところに取り戻そうと、必死になって王子にすがりつく。

今のオデットはもはや、結婚式での世間知らずな小娘でもなく、病院に閉じ込められた気の狂った病人でもない。何を考えているのか分からない謎めいた微笑を浮かべて、余裕のある態度で振舞う魅力的な「大人」の女性になっている。オデットは相変わらず微笑みながら、ロットバルト男爵夫人にすがりつかれている王子を目の端で冷然と見やり、王子から遠ざかって行ってしまう。王子はロットバルト男爵夫人を一顧だにせず、あわててオデットの後を追う。

王子とオデットは向かい合う。王子がオデットの手を取り、ふたりはゆっくりと踊り始める。ここで使われた音楽は、ウラジーミル・ブルメイステル版「白鳥の湖」の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」のアダージョである。これはブルメイステル自身によって発見されたチャイコフスキーの未発表パ・ド・ドゥ曲のアダージョであり、ジョージ・バランシンもこの曲を用いて「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」を振り付け、またルドルフ・ヌレエフも、自らの改訂した「白鳥の湖」(ウィーン国立歌劇場バレエ団版)第三幕「黒鳥のパ・ド・ドゥ」に使用した。生で聴くといっそう美しい曲である。

流れるような優しい旋律に乗って、オデットと王子はふたりきりで踊る。オデットは手足をゆるやかに伸ばし、王子がオデットの体を支えてゆっくりと持ち上げる。すっきりした清潔感のある振付で、王子とロットバルト男爵夫人の踊りがねっとりした油っぽい振付だったのとは対照的である。

ロットバルト男爵夫人は、王子とオデットの踊る姿を屈辱感に満ちた表情で見つめている。だが彼女はそれでも必死に平気な様を装い、客たちの間を渡り歩いて彼らに声をかけて回る。しかし客たちは各々の睦言に夢中で、ロットバルト男爵夫人はいつのまにかつまはじきにされてしまい、果てにはあっちへ行ってくれ、と邪険に追い払われる。

王子とオデットのアダージョが終わる。間を置かずに、屈辱に耐えかねたロットバルト男爵夫人が黒いカーテンを思い切り引きずりおろす。ガシャッ!という大きな音が響き渡る。音楽が「ロシアの踊り」になる。ロットバルト男爵夫人はひとりで舞台の上で踊り始める。

「ロシアの踊り」はチャイコフスキーが後に補足したもので、「ハンガリーの踊り」、つまりチャールダーシュの次に配置された。第一幕で、ロットバルト男爵夫人が「王子とオデットの結婚のお祝い」として、卑猥な感じのするチャールダーシュを踊らせたが、その続きを今度はロットバルト男爵夫人自身が踊るわけである。

ロットバルト男爵夫人の「ロシアの踊り」は振付がとても面白かった。ロットバルト男爵夫人は、背筋をぴんと伸ばして立ち、上半身はほとんど動かさず、足と爪先だけを細かく複雑に動かして踊る。時にトゥ・シューズの先端で床を打って、また手を打って音を出していた。いかにも気性が激しくてプライドの高い女の踊りといった感じである。途中で音楽が激しく速くなるところでは、パワフルなジャンプをして舞台を左右に横断し、最後には足と爪先を素早く細かく動かす。

だが、ロットバルト男爵夫人が必死に踊っているのに、客たちは故意に彼女から目を逸らして無視する。オデットも王子も客たちと平然と歓談している。よく考えたら、ジャンプして舞台を駆け回り、最後に足と爪先を速いスピードで複雑にひっきりなしに動かすのは、第一幕の最後でオデットが王子に訴えるように踊っていた踊りの振付と同じだった。

そして、必死に踊るロットバルト男爵夫人を間に挟むようにして、王子とオデットは舞台の左右の端に立って互いを見つめあう。第一幕で王子とロットバルト男爵夫人が見つめ合っていたように。こうして、オデットとロットバルト男爵夫人の立場は完全に逆転する。

ただ注意しておかなければならないのは、オデットとロットバルト男爵夫人の役回りは逆転するものの、彼女らは結局、同じ土俵の上で勝ち負けを競っているに過ぎない、ということだ。なるほどオデットは、王子をはじめとする男性たち全員を虜にするような悪魔的な魅力を振りまいている。しかし、オデットのそのような「魅力」は結局、オデットがかつては負けを喫したロットバルト男爵夫人の「魅力」となんら変わりがない。それは世の男性たちの多くが女性に望む、ステレオタイプな「いい女」の魅力である。

ロットバルト男爵夫人は最後に王子に向かって身を投げ出す。王子は彼女の体を受け止めるが、「醜態をさらすな」といわんばかりに突き放してしまう。追いつめられたロットバルト男爵夫人は、召使を呼び寄せて何事かを言いつける。

音楽が「情景」になって再びワルツが流れ、王子とオデットは踊り始める。しかし、伝統版で、王子がオディールを愛する誓いを立てるシーンの劇的な音楽になったところで、オデットが入院していた病院の医者がナースを連れて現れる。どうやらオデットは病院を抜け出してきたらしい。ロットバルト男爵夫人はオデットを再び病院に閉じ込めようとして、召使に病院に連絡させたのである。

ロットバルト男爵夫人はそ知らぬ顔をして顔をそむけている。医者とナースたちの姿を目にした途端、オデットの表情が一変して、再び病院にいたときと同じような怯えた表情になる。王子があわてて割って入り、医者からオデットを庇おうとする。場が騒然となる中、オデットの姿が忽然と消える(また後ろのカーテンの割れ目から出て行った)。

王子は必死になって、みなにオデットを探すように命令する。男性たちが幾手に分かれてオデットを探しに走っていく。ロットバルト男爵夫人が王子にすがりつく。しかし王子の頭の中にはもうオデットのことしかなく、まったく彼女に取り合おうとしない。王子は男性たちに指示を飛ばしつつ、自分もオデットを探しに走っていく。

それを止めようとしたロットバルト男爵夫人は王子にぶつかり、その反動で床に叩きつけられる。王子は彼女を助け起こさないばかりか振り返りもしない。てか、ロットバルト男爵夫人にぶつかったこと自体に気づいてない(うわ最低)。

誰もいなくなったパーティー会場にロットバルト男爵夫人だけが取り残される。彼女はよろよろと起き上がると椅子に座り込み、放心したような表情でぼんやりと前を見つめる。


第四幕

夜の湖のほとり。王子に命じられた数人の男性がオデットを探して闇の中を走ってくる。そこへ王子も現れる。しかしオデットは見つからない。王子は更に探すよう彼らに命じ、彼らは再び駆け去っていく。ひとり残った王子は後悔に満ちた表情で天を仰ぐ。

舞台の左から、結婚式のバルコニーがせり出てくる。その上には純白のウェディング・ドレスをまとったオデットがいる。王子は彼女の手を取ってバルコニーから下ろす。白い長い引き裾が広がる。王子はオデットと踊ろうとするが、オデットは怯えたように身をすくめて床の上を転がり、ドレスの裾で自分の体全体を隠してしまう。王子は裾の端を持って彼女をドレスごと自分のもとへ引き寄せようとする。

どことなく悲しそうな顔のオデットは王子のもとへ引き寄せられるが、引き寄せられるうちにウェディング・ドレスが脱げていく。白いドレスの下は黒いドレスで、オデットは悲しげな表情のまま、ウェディング・ドレスの中から脱け出す。結婚式の日、純白のウェディング・ドレスを着て幸せに浸っていたオデットを、闇の世界に追い落としたのは他ならない王子なのだ。王子は白いウェディング・ドレスをいとおしそうに抱きしめると姿を消す。

この第四幕でオデットが着ているのは、第二幕でオデットがファンタジーの中で着ていた白鳥の衣装の黒ヴァージョンである。舞台の中央の奥には、黒い布に表面を覆われた円形の湖のオブジェが置かれている。やがて白鳥たちも現れるが、彼女らもオデットと同じように黒い衣装を身に着けている。すべては闇の世界で、絶望しきったオデットの心がそのまま反映されている。

黒衣の白鳥たちが静かに踊り始める(「小さな白鳥たちの踊り」)。ここの群舞にも面白い振りがあった。白鳥たちが互い違いに逆を向いて縦一列に並んでアラベスクをするのだが、それぞれが隣のダンサーが上げている片脚を支え持ったまま、ゆっくりと上半身を上下させる。シーソーみたいだった。

白鳥たちは数名で集まって三つの輪を作り、オデットはそれぞれの輪の中で踊る。その中で、爪先立ちでアラベスクをしたオデットの軸足を白鳥たちが手で回して、オデットをゆっくりと一回転させていた。あれは1人でもバランスを崩したら大変なことになっただろうなあ。

王子が息せき切って駆け込んでくる。彼は白鳥たちの輪の中にオデットの姿をようやく見つけ、彼女を助け起こす。しかし、オデットの心は混乱してしまう。突然、空に稲妻のような光が走り、鋭い光が凄まじい勢いで点滅する(「情景」の嵐の音楽を用いている)。白鳥たちの群れは恐怖におののいてバラバラに飛びまわった末に姿を消す。

舞台上には舞台の脇に逃げ込んだオデットと、混乱するオデットを目にして狼狽する王子だけが残される。だが、伝統版で王子がオデットのもとへ駆けつけるシーンの音楽(「フィナーレの情景」冒頭部分)で、王子は意を決したようにオデットのもとへ真っ直ぐすべり込むように駆け寄り、オデットの両脚をかき抱いて目を閉じる。王子は今度こそ本当にオデットを選んだのだ。稲妻が止む。オデットは解き放たれたような表情で目を閉じる。

王子とオデットはゆっくりと踊る。ふたりは最後に床に重なるように倒れ伏す。ふたりの間には、ようやく静かで暖かい愛情が漂っている。

しかし、そこへロットバルト男爵夫人が王子を探して現れる。彼女はまだ王子をあきらめてはいなかったのだ。ロットバルト男爵夫人は苛立っているかのようなステップを踏んで踊る。そして彼女はついに王子とオデットを見つけてしまう。ロットバルト男爵夫人はふたりのもとに駆け寄り、王子とオデットを力ずくで引きはがす。

王子はロットバルト男爵夫人を激しく拒否するが、ロットバルト男爵夫人はあくまであきらめようとしない。いくら突き飛ばされようと、いくら引きはがされようと、ロットバルト男爵夫人は王子の体に必死に飛びつき、貼りつき、すがりつき、私を捨てないで、と王子に哀願する。

ロットバルト男爵夫人と王子との醜い修羅場に背を向け、オデットは目を閉じて立ち尽くしている。私を愛して、捨てないで。見返りを求める一方的な愛。執着の塊のようなロットバルト男爵夫人の哀れな姿は、かつてのオデットの姿に他ならなかった。

王子がこれまでになく激しい勢いでロットバルト男爵夫人を突き放す。ロットバルト男爵夫人は疲れ果てた様子で、ようやくあきらめて去っていく。王子は再びオデットに駆け寄る。静かに佇んでいたオデットは、いきなり王子の顔を両手で包むと、王子の唇に情熱的なキスをする。そして彼女は姿を消してしまう。

王子はオデットを探して舞台の上を駆け回る。やがて、暗い湖の中央に、オデットの姿がぼうっと浮き出る。オデットは浮かんだり沈んだりしながら、白鳥のようにゆっくりと羽ばたいている。

湖のオブジェの真ん中に穴が開いていて、オデット役のダンサーはそこから上半身だけを出している。オブジェの下には男性ダンサーがいて、彼女をリフトしているらしい。このリフトは縦の上下運動だったから、かなりしんどかっただろう。

オデットは王子を見つめながら、両手を自分の胸に当て、それから右腕を天に向かって真っ直ぐに伸ばして、中指と人差し指を立てる。第一幕の結婚式で王子がオデットにしていた仕草で、あなたを永遠に愛する、という意味だ。王子もオデットに向かって同じ仕草をし、永遠の愛を誓う。そしてオデットはゆっくりと湖の底に沈んでいく。

オデットの姿が湖の中に吸い込まれていくにしたがって、真っ黒な湖の水面もオデットの姿とともに消えていって、最後には白く輝く水面が現れる。オデットは、相手からの見返りを求める愛ではなく、相手を愛することそのものを喜びとする愛を選んだ。オデットの心はようやく救われたのだった。

王子は白く輝く湖を背にして、自分がどんなに大事なものを失ったのかに気づく。王子は絶望した表情で天を仰ぎ、その場に呆然として立ちつくす。

(2007年7月25日)


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