Club Pelican

London Diary 3

2003年8月25日

今日はとうとう帰国の日。でも飛行機は午後だから、午前中にもう1ヶ所くらいどっかに行けるな、と思っていた。ちょうど近場に面白そうな博物館があった。ところが、朝起きてニュースを見ていると、アナウンサーが番組の終わり際にこう言った。「よい休日を!!」 ・・・休日?今日は月曜日だろ、とあわててガイドブックを見る。そしたら「イギリスの祝日:・・・8月25日 Summer Bank Holiday」と書いてあるではないか!そうか、“On Your Toes”が昨日に続いて今日も休演なのは、祝日だったからなのね・・・。

大規模な博物館や美術館なら開いているだろうが、ぜんぶ観られるわけがない。午後1時過ぎにはPaddington駅に戻って、Heathrow Expressに乗らなくてはいけないのに。B&Bをチェック・アウトした後、Paddington駅の荷物預け所にトランクとおみやげの入った大きな紙袋を預けた。地下鉄に乗り、ダメモトでその小さな博物館に行ってみることにした。

Camden Town駅で下車。しばらく歩いてその博物館に向かう。Camden Townはなんだかひっそりとして人気がないところだった。休日はみんな家の中で静かに過ごしているのか、店もほとんど閉店していた。そして、やはりその博物館も休館だった。実はその博物館には去年もフラれていた。今年もだ。縁がないのかなあ(←自分が不注意なだけ)。また今度チャレンジしよう。

仕方なくPaddingtonに戻ることにする。Camden Town駅のホームにも人影はほとんどない。ベンチに座って市街地図を広げる。なんとかもう1ヶ所どっか行けないかな、と探す。スカーフで頭を覆ったおばさんが隣に座った。私が地図を見ていたせいだろう、おばさんは話しかけてきた。どこから来たのか、どのくらい滞在しているのか、1人で来たのか、などの質問の後、おばさんは「私は昨日ニューヨークからロンドンに着いたのよ。出身はギリシャのサイプロスよ。私の顔はそうでしょう?」と言い、自分の顔を指さした。そう言われても、私には分からない。私は「私には西方の人たちの顔の区別はつかないんです」と答えた。だいたい、ギリシャは西方と東方のどちらに属するのかさえも知らないんだから。

おばさんは言った。「そう。私たちには、西方の国の人間だったら、だいたいどの国の人間か分かるのよ。でも、東方の人たちの顔は、私たちには違いが分からない。同じことだわね。」 電車がやって来た。

Paddington駅に戻る。もう面倒になったので、荷物を受け取り、Heathrow Expressにとっとと乗り込んだ。空港の免税品店で買い物でもしよっと。Terminal4で降りる。飛行機のチェックインは、あんまり待たされずに済んだ。セキュリティ・チェックを通る。出国審査はまったくない。どの国も同じざんす。

使い残したポンドを使おうと思ったが、残金は40ポンドしかなかった。いくらTax Free Shopでも、これじゃなんにも買えない。それに、ほとんどの店は日本にもある。でも面白いことに、大英博物館のショップが出店していた。所蔵品のレプリカなどを売っている。アクセサリー類はエキゾチックでなかなかステキ。古代エジプトのミイラの入った石棺のミニチュア・モデルなんかもよかったが。でも高い。手が出ない。

出発ゲートがなかなか決まらない。いちばん遠いゲートまで15分かかるんでしょーが。早く決めてよ。離陸1時間前、つまり搭乗開始30分前になって、ようやく“Gate 4”の表示がモニターに出る。超近くであった。でもさっさとゲートに向かった。ゲート前の待合室の椅子に座る。もうそこはイギリスではない。そして搭乗。

長い1週間だった。それとも短かったのかな。


2003年8月24日

午前10時ぎりぎりにKing’s College Apartmentをチェックアウトし、Waterloo駅から地下鉄に乗ってPaddington駅へ向かう。帰国は明日。今夜泊まるところはまだ決めていなかった。でも、とにかくNorfolk SquareやSussex Gardensに行けばB&Bがたくさんある。この時間ならどこかは必ず部屋が開いているはずである。

Paddington駅のドーム型の出口を出て、まずはNorfolk Squareへ。徒歩で1、2分。すぐ目の前である。トランクを引きずりながらNorfolk Squareへ入る。ここは特にB&Bだらけ。とあるB&Bの玄関にハゲのオヤジが立っていた。目が合う。オヤジは「部屋を探しているのかい?」と声をかけてきた。そうだと答えると、「今なら空いてるよ。今日はカーニバルがあるから、これから混んでくるよ」と言う。声をかけられると断りきれない。日本人の悪いクセである。疲れて少しヤケクソな気分になっていたせいもある。ついつられて、ふらふら〜、とそのB&Bにチェックインしてしまった。

フロントの壁には、サイババのタテヨコ各2メートルくらいの特大ポスターと、同じくサイババの小さなブロマイドが何枚も貼ってある。ナゼにサイババ!?なにかマチガえた気がするが、どうせ1泊だけだから、もうどーでもいいや。それにオーナーがサイババ・ファンのB&Bなら、安心して泊まれる・・・かもしれない。

まだ11時にもなっていなかったけど、部屋が空いていたので入れてもらえた。が、通されたのはツイン・ルームだった。他人とシェアするのはイヤだとオヤジに言うと、シングルの料金で、私1人で使っていいという。部屋は普通のB&Bであった。細長い窓からは、Norfolk Squareの木立が見える。私はこのNorfolk Squareが結構好きなのであった。車もめったに入ってこないし、もちろんユーロスターも通らない。静かだし窓から木立が見えるのはいい。

Paddington駅前のカフェでお昼ごはんを食べることにする。なかなか混んでいる。メニューを見る。多すぎてワケが分からない。セットとかコースとかじゃなくて(当たり前だ)、ワン・プレートとかの簡単なものがいいなあ、と思って周囲を見わたすと(注:私はメニュー選びに窮すると、周りの客が食べているものを盗み見て、あれと同じものをくれ、と安易にオーダーするクセがある)、客が食べているのは、なぜだかすべて朝食メニューだった。これは今でも不思議だ。本当に、客の全員が全員、朝食メニューを食べていたのである。

メニューを見ると、この店は“Breakfast”だけでも10種類くらいあった。周りが朝食メニューを食べていると、私も朝食メニューを頼まなくてはならない気がしてくる。日本人の悪いクセである。というわけで、私は“Breakfast”の“Chef Special”(ちょっと値段高め)というのを頼んだ。たかだか朝メシで「シェフ・スペシャル」ときたもんだ。

ウェイトレスが、コーヒー、オレンジ・ジュース、三角切りにしたトースト2枚、ガラスの器にてんこもりに盛ったオレンジ・マーマレードをまず運んできた。トーストにはバターがついていない。あり、と思ったら、バターはトーストにすでに塗られていた。じゃ、バター・トーストに、更にオレンジ・マーマレードを塗って食え、ということか。これですでに500、いや、700kcalはイってるかな。

やがて朝食のオカズが乗ったデカ皿が運ばれて来る。事ここに及んで、私はようやく“Chef Special”の意味を理解した。“Chef Special”とは、「ひたすらなんでもアリの超特盛」という意味だったのである。ちなみに皿の上に盛られていたもの:目玉焼き2つ、ロースト・トマト(中玉)1個、スライスしたロースト・マッシュルーム(デカい)2、3個分、極太特長ソーセージ1本、ベーコン1枚、おなじみソース煮豆どっぷり、あと、これはなんなのか分からないが、直径は5〜7センチで、1センチくらいの厚さで輪切りにされた真っ黒い色の、ところどころにクルミ(?)らしい粒が入ったもの(肉か穀類かも不明)2枚。まだあった。ソース煮豆の下を発掘すると、ハニー・シロップにくぐらせた1/2枚分のフライ・トースト(うげ〜)が埋没しているのが発見された。これにプラスバター・トースト2枚(with オレンジ・マーマレード)である。これを全部食えってか。

で、どうなったか。もちろん食ったよ。全部。アタシは、残せないんでスよ。貧乏性だから。無理やり喉元まで押し込みました。これで鉄板3000kcalくらいは摂取したな。もうイングリッシュ・ブレックファストなんぞ一生涯食うもんか、と思いながらカフェを後にする。・・・ところで、あの黒い輪切りになった物体は、いったい何だったんだろう。味はどうかというと、味はなかった。なんかぽそぽそして、マズイとは言わないが、おいしいとも言えない。1回経験として食べれば充分だ、というお味である。

今日は買い物をしようと思い、オックスフォード・ストリートからリージェント・ストリートへと、典型的なおのぼりさん買い物ルートをたどることにする。だって小さな博物館や小さいお店は、日曜日はみんなお休みなんだも〜ん。なんで日曜日に休むんだよ。日曜祝日こそかきいれどきだろが。(←働きバチ日本人の考え方を押し付けないようにしましょう。)

歩くたびに、ハラからたぽたぽ、という音が聞こえる。再び地下鉄に乗る。私はOxford Circus駅で降りたいと思った。そこに行きたい店のひとつがあったからだった。ところが、Paddington駅からBakerloo Lineに乗れば直に行けたものを、私はナゼか、Circle LineかDistrict LineでNotting Hill Gate駅まで行き、そこでCentral Lineに乗り換える、という七面倒なことをしてしまったのである。地下鉄路線図ではそうは見えないのだが、後で市街地図を見なおしたら、このルートははっきりいって超遠回りであった。

Notting Hill Gate駅でCentral Lineに乗り換えようとした。そしたら、あら不思議、ナゼか駅の外に出てしまったではありませんか!乗り換えができなかったのである。なんでやねん、と思って、地下鉄の運行状況を示す黒板を見ると、「本日はノッティン・ヒル・カーニバルのため、当駅は下車専用です。隣のHolland Park駅かQueensway駅で乗車してね」と書いてあった。あっ、B&Bのオヤジが言ってた「カーニバル」って、これのことだったのか。なるほど、道路(Bayswater Road)の両端には人垣ができ、警官たちが待機し、カーニバル盛り上げ用ホイッスルや帽子を売る人々が歩き回っている。

カーニバルの列はまだ見えなかったけど、ホイッスルを吹いたりしてみな楽しそう。浮き浮きした雰囲気を味わえるだけでも充分に楽しい。歩いてQueensway駅へ行くことにする。Kensington Gardensの北端にさしかかると、絵や小物を売る露店がたくさん並んでいた。小物はともかく、絵は自前か?歩きながら鑑賞させてもらった。

ようやくOxford Circus駅に着く。ひょっとしたら、Paddington駅から歩いた方が早かったかも、という思いが頭をかすめたが、考えないようにする。知らない街だもん、こんなこともあるさ。いくつかお店を回りながら(特にCD屋)、ついでに「クーパー君ゆかりの地めぐり」第3弾。Oxford Streetを東進して、Tottenham Court Road駅まで行くと、Dominion Theatreがあった。ボーン版「白鳥の湖」ロンドン再再演が行われた劇場である。今は“We Will Rock You”を上演している。

通販のDance Books、ロイヤル・オペラ・ハウスのショップ、その他のCD屋を見て思ったこと。ダンスやバレエのビデオ、DVDに関しては、ロンドンで売られているものと、日本で売られているものとは、そう大差ないんじゃないだろうか。むしろ、日本のお店の方が、よほど品揃えがいいとさえ思う。ただし、クラシック音楽のCD、ビデオやDVDとかについては、ロンドンではあちこちの店で売っているのに、日本の店ではほとんど見かけない作品があったりする。とりわけオペラなど。

Dominion Theatreを見学してから、またOxford Circusに戻り、今度はRegent Streetを南下する。某有名高級デパートに寄ったら、客は日本人しかいなかった。また、某有名アロマ製品の店で品物を見ていたのも、やっぱしほとんどが日本人。ホント、日本人はロンドンの観光収入の向上に貢献してるわ。私も家族や友人たちへのおみやげを購入したのだが、なんとなく疑問があった。それは、イギリスの有名ブランド、ショップの商品のほとんどは、なにもわざわざ当地で買わずとも、日本で購入できるのではないかということだ。店頭販売でも、通販でも。でもこれも考えないようにした。

最終目的地はPiccadilly Circusである。この辺のとある大きな店で品物を見ていたら、店員が寄ってきて、もう閉店ですと言われた。気がついてみたら、客はほとんどいなくなっていた。時計を見たらまだ6時前である。超繁華街の大きな店でも、こんなに早く閉店するんだなあ。日曜日は特に早いのだろうか。もっと稼げイギリス人。

そろそろ西日が射してきた。最後は「クーパー君ゆかりの地めぐり」第4弾でシメることにする。ボーン版「白鳥の湖」のあの記録的なロングラン公演、そして「シンデレラ」公演が行われたPiccadilly Theatreを見学する。今は“Noises Off”というコメディ作品を上演している。

Piccadilly Circus駅から地下鉄でPaddingtonに戻る。地下鉄の出口から直に外に出る。地下鉄の通路の途中に、背を向けて半ケツ出して寝ているホームレスがいた。いいのかな、半ケツ、と思いながら通り過ぎた。

エスカレーターに乗っていると、若い男の白人4人組が横をドカドカと歩いて上っていき、通りすがりに私に向かって「ジャップ、ジャップ」と言いたれた。どうして私が日本人だと分かったんだろう。あの某有名デパートの大きな紙袋を持っていたからか。それに、どうして彼らは私にあんなことを言ったのだろう。ちゃんとロンドンの地下鉄のルールを守って、エスカレーターの右側に立っていたのに。

言い返したかったけど、私は彼らがどの国の人間なのか知らない。それに、なにせ相手はデカい図体の男4人組である。無視するしかない。去年、同じような風采のクズどもが、ロシアのおばさんたちに向かって、バカにしたような口調で、デタラメにロシア語の真似をして囃していたのを見たが、そのおばさんたちも、彼らを徹底的に無視していたから。とはいえ、激ムカついたし、ショックだったし、コワかった。それ以上はからまれなかったけど、おかげで駅を出てからも、しばらくはビクビクしていた。

さてここで問題。「ジャップ」と罵る人たちがいます。そして、欧米人客には何も言わないのに、日本人客だと見てとるや「ここでは写真撮影は禁じられていますよ」と特に注意して下さる人たちがいます。この両者の間には、違いはあるでしょうか。それともないでしょうか。ちなみに私が感じた不愉快度は、両者ともに同じくらいでした。

いったんB&Bに戻ってから、夕食を買いにまた外に出る。何にしようか、とPaddington駅周辺を歩き回る。カーニバルのせいか騒がしい。ホイッスルの音が聞こえてくる。駅前にパトカーが2台止まっていた。人だかりができている。私も何事かと見物する。隣にいたサリーを着たインド系の女性が、「何が起こったんですか?」と聞いてきた。私は「分かりません。私も待っているところです」と答えた。

やがて、ホームレスらしい男性が、警官2人に腕をつかまれ、引きずり出されてきた。文字どおり引きずり出されてきた。男性は何か大声で喚きながら、激しく足をばたつかせて抵抗している。ズボンがずり下がって、半ケツになっている。あれ?地下鉄の通路で寝ていた人と同一人物か?黒い髪も、黒い汚れた服も似ている。何をやったんだろう。パトカーの後ろ(ワゴン式で、後部座席は拘留スペースになっている。“Billy Elliot”で、ビリーの兄ちゃんのトニーが逮捕されるシーンに出てきたのと同じ)に放り込まれても、何か怒鳴りながら、内側からガンガンとドアを蹴っている。

ロンドン滞在最後の夜の夕食は何にしよう。やっぱりこれだな・・・フィッシュ・アンド・チップスだ。今回はまだ食ってない。あまり大きすぎないのを取ってもらって、だっぷりと酢をふりかけてもらった。隣の店で飲み物やお菓子(またやってしまった)を買ってB&Bに戻ると、オヤジはまだ玄関に立っている。一日中ここに立っているのか、と尋ねると、そうだ、と言う。疲れないか、と聞くと、疲れない、これが私の仕事だから、と言い、私が手に持っていたフィッシュ・アンド・チップスの紙包みを見て、「ディナーはフィッシュ・アンド・チップスかい?」と面白そうに笑った。

テレビを観ながら(地上波はつまんねえ番組ばっか)食う。なんかこのB&B、部屋のドアの鍵がちゃちいけど、大丈夫なんだろか。ぴったり閉めて鍵をかけてるのに、ドアの隙間から部屋の外が見えるぞ。ロンドン滞在最後の夜はあっけなくすぎた。もう寝る。

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2003年8月23日

今日は昼と夜と“On Your Toes”を連続鑑賞する。ロンドンでこの公演を観られる最後の日だから。昨日、ビルの間から見えたセント・ポール大聖堂が妙に印象的だったので、午前中はセント・ポール大聖堂を見学し、時間が余ったらまたMuseum of Londonに寄ることにする。

昨日に引き続き、地下鉄に乗ってSt.Paul’s駅で降りる。大聖堂のドームがランド・マークになるから、地図はいらない。超ラク〜。大聖堂の裏庭から入る。裏庭は草地で、この日は割と天気がよくて日が射していた。たくさんの人が草の上に座ったり、寝転んだりしている。のどかだ。

ところが、大聖堂の正面に回ってみたら、建物の側面と正面は、工事用の白いカバーでほぼ全体が覆われている上に、白いパネルの壁が設けられていて、建物の傍には近づけなかった。セント・ポール大聖堂は改修中だったのである。

まあ外観の写真はガイドブックにいくらでも載っているからかまわないんだが、内側が見られないのは惜しい、と思っていると、「中は開館しています」という文と、「入り口はこっち」の矢印マークがプリントされた張り紙が、工事用外壁に道筋に沿って貼ってあった。それに従って歩いていく。

内部は確かに開館していた。が、中もやはりところどころ改修中で、白いカバーがかけられている。とはいえ、聖堂は長くて大きくて天井は高く、上も下も横も、見わたすかぎりひたすら豪華でキンキラキン。セント・ポール大聖堂の由来は古く、最初に建てられたのがなんと西暦604年で、そのときは平べったい2階建ての質素な建物だったらしい。その後、最初の大聖堂は火災で焼失、西暦1087年に二代目の大聖堂の建物が落成した。三角屋根に鋭い円錐形の尖塔を持つ、尻に刺さると痛そうなノルマン様式のデザインである(ミニチュア・モデルが展示してある)。

ところが、二代目の大聖堂は、あの有名な1666年のロンドン大火(The Great Fire of London)でまたもや全焼してしまった。その2年後の1668年から大聖堂再建計画が始まり、建物のデザインをどの様式にするかですったもんだした後(デザインを決めるだけで7年間もモメたらしい)、ようやく建設が始まり、1710年に三代目の建物、つまり現在の大聖堂が完成したそうだ。

なんかガイドブックみたいになってきたが(というかこれ、みーんなガイドブックの敷き写しなんだけどね)、セント・ポール大聖堂は王室関係の行事(故ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式とか)や、政治家・軍人などの葬礼に使われてきた。地下聖堂には、有名な軍人の石棺や追悼碑、また戦役で死んだ将兵たちの追悼碑が置かれ、彼らのための小さな礼拝堂が設けられている。

有名どころではネルソン提督やウェリントン将軍、また18世紀末から第二次世界大戦、朝鮮戦争までの戦死者たち、そして同じく軍隊つながりなのか、フローレンス・ナイチンゲールなど。他に2個の欠損部分の多い石棺があった。16世紀のものだったから、ロンドン大火でかろうじて焼け残ったものだろう(中身はどうなってるか知らないが。密封石焼状態?・・・ごめん)。

石棺の場合、蓋の上に故人が生前の姿(おそらく原寸大)で横たわっている石像が浮き彫りにされているものがある。彩色が施され、非常にリアル。両手は胸の前で組み合わせているが、目だけはカッと見開いているから、少し気味が悪い。この2個の石棺の上にも故人の石像がついており、その格好からすると、やはり軍人らしかった。

あとは、現在の大聖堂をデザインしたクリストファー・レン、詩人のウィリアム・ブレイク、彫刻家のヘンリー・ムーアなど。彼らを除けば、このセント・ポール大聖堂は、ウエストミンスター寺院と比べると、ちょっとタカ派っぽい教会なようだ。

さて、ゆっくり見てたらロンドン博物館に寄る時間がなくなった。昨日買いそびれたガイドブックを買いたかったんだけど。仕方がない。また今度の機会にしよう。・・・やっぱりアタシはトロいのかな〜。

ぎりぎりで“On Your Toes”昼公演(2時半開演)に間に合う。気のせいかもしれないが、なんだかみんな、ちょっと力抜いてないか?でも楽しかったからいいけど。

終演は5時半。夜公演までたった2時間しかない。ほんと、過酷な労働だ。演ずる方も観る方も。

いったんApartmentに戻ってひと休みする。この日記を途中まで書き、明日の朝のチェックアウトのために荷物をまとめ、腹ごしらえをする。MARKS&SPENCERで食べ物を買いすぎたため、明日の朝食の分を残して一生懸命に片づける。げふっ。そうこうしているうちに、あっという間に7時を過ぎる。また急いでRoyal Festival Hallへ。徒歩5分とはいえ、やはりアセる。

これがロンドンでの最後の“On Your Toes”観劇である。集中して観て脳裏に刻み込まねばならない。明日から2連休のせいか、出演者たちはみなノリノリだった。とりわけイレク・ムハメドフはすばらしい!!!

私にとってはこの日が最後の観劇だが、出演者たちにとっては違う。公演はあと2週間もある。私たちはこのことをよく分かっていた。それでも、帰る足どりは重かった。特に、楽屋口の前を通り過ぎるときには。未練がましくだらだらと歩きながらも、それでもRoyal Festival Hallを後にしようとしたちょうどそのとき、アダム・クーパーとサラ・ウィルドーのふたりが、私たちの前を通り過ぎた。

とっさにひなさんが声をかける。クーパーとウィルドーは立ち止まってくれた。ひなさんがクーパーと話をしているのに乗じて、私はためしに聞いてみた。「『オン・ユア・トウズ』は日本に来るんですか?」 クーパーはあっさりと答えた。「ああ、来年ね。」 来年!?彼にしては断言しやがったぞ。私「いつ?」 クーパー「それはまだはっきり決まっていないんだよ。」

ふたりが話をしている間に、ウィルドーに話しかける。私「アダムが、『オン・ユア・トウズ』は来年日本に来る、と言っていました。」 ウィルドー「ええ。」 私は図々しく迫った。「『オン・ユア・トウズ』が日本に来るのなら、あなたは絶対に参加して下さいね。」 ウィルドーは微笑みながら、穏やかな口調で言った。「できれば。」 私はこのとき相当アタマに血が上っていたと思う。鼻血は出なかったけど。更に言った。「約束して!」 ウィルドーはなんとも答えがたい、という様子で、ただただ微笑むばかりであった。いつのまにかクーパーがそれを聞いていたらしく、うわっははは、と大声で爆笑していた。

そして私たちは、クーパーとウィルドーにさよならを言って見送った。帰り、私たちはまたホテルのバーで飲んでおしゃべりをした。やっぱり誰かと一緒っていいなあ。私は、ひなさんは落ち着いているな、と思っていたのだけど、彼女は内心アセりまくりで、クーパーと話したときにはひたすら夢中で、よく覚えていないという。ただ覚えているのは、と、ここで重要な証言が飛び出した。クーパーは汗クサかったそうだ。クーパーが汗クサいだなんて〜〜〜!!!アダム・クーパーの汗のニオイ、・・・・・・な〜んて羨ますぃ〜〜〜!!!私もぜひ嗅ぎたかったぞ。

これで、クーパーは終演後シャワーを浴びてないんでは、との疑いが濃厚になった。Royal Festival Hallにはシャワー設備がないのか、それともシャワーを浴びる時間も惜しいほどに、一刻も早く家に帰りたいのか(たぶん後者)。でも汗だらけで気持ち悪くないんだろうか?帰りの車の中でも、汗クサさが車内に充満するはずだ。ウィルドーは苦情を言わないのか。愛の力は偉大だ。

というわけで、ロンドンでの“On Your Toes”観劇はすべて終了。とても楽しかった。ひなさんたちは、またApartmentまで送ってくれた。再びありがとう!!

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2003年8月22日

King’s College Apartment第2泊目。昨夜も熟睡。2晩続けてよく眠ったので体調がよい。昨日と同じく、スーパーで買ってきたいろんなものを食べてゆっくりし、シャワーを浴びてバッチリ目を覚ます。

歩いてLambethにあるMuseum of Garden History、ついでにLambeth Palaceに行くことにする。最初はテムズ河畔を歩いていったが、この日の天気は曇りで風もやや冷たかった。Westminster Bridgeまで来たところで進路を変更し、Lambeth Palace Roadを歩いて行くことにした。なんかすごく細長くてデカい病院があり、小さな窓がぽつりぽつりとある建物の赤茶色の壁が、道に沿っていつまでも続いている。地図を見てこれは歩いていけると思ったが、けっこう遠かった。

Lambeth Palace とMuseum of Garden Historyはぴったりと隣接しており、一見したところではその境目が分からない。でもどちらも同じ年代の建設ではないかと思う。建物の外観が似ている部分があったから。Museum of Garden Historyの建物は、白っぽい自然石をレンガのように積み上げたもので、もともとは“St. Mary-at-Lambeth”という教会であった。1700年代、チャールズI世とII世の庭師であったTradescant一族の墓がある。

国王の庭師であったこのTradescantさんたちは、アフリカ、ヨーロッパ、ロシアや北アメリカから、さまざまな草花や樹木、植物を収集した。現在の博物館もそれらの再現につとめているという。博物館は1977年の創設で、というのも、当時この古い教会の建物を取り壊すという計画が持ち上がり、それを避けるためにMuseum of Garden Historyとしてオープンさせることにしたのだそうだ。

運動と寄付によって、さまざまな植物の収集と古い時代のガーデニングの道具のコレクション、建物の補修が行われ、庭には17世紀スタイルの“knot garden”(「幾何学紋様の花壇」だそうだ)が復元された。ロンドンの博物館は、ほとんどが表向きは観覧無料だが、実際には、「寄付(donation)」と銘打った、事実上の観覧料を徴収するところが多い。公的な補助金が出ないらしいので、こうでもしないと経営を続けられないのかもしれない。あの大英博物館でさえ事情は同じだという(ニュースでやっていた)。このMuseum of Garden Historyも、3ポンドのdonationをお願いされた。もちろん払った。

この元17世紀の教会St. Mary-at-LambethであるMuseum of Garden Historyは、決して大きいとはいえない聖堂の内部を、博物館、ショップ、カフェの3部分に無理矢理分割して経営している。カフェは繁盛しているが、古い時代の庭道具コレクションの展示スペースとショップには、人が全然いない。ロンドンの不思議。劇場、美術館、博物館のカフェは、いつでも客であふれかえっている。彼らはいったい何者なのか。どこから来るのか。観光客か。それとも地元人か。

さてコレクションの古い時代の庭道具、私はガーデニング好きではないので、18世紀の芝刈りバサミだの、19世紀のジョウロだのを見ても感動できないのは仕方がない。箱庭用の小さな人形はかわいかったけど。じゃあなんで来たのか。なんとなく庭が見たかったからである。

カフェの油っこそうな食べ物の匂いが、古い聖堂内に充満している。壁をよく見ると、あちこちに故人を追悼する石碑(memorial stone)や青銅のパネルが嵌め込まれている。ウエストミンスター寺院とかにあるのと同じアレである。1700年代末から1900年代初め(第1次世界大戦)くらいまで。

庭に出ると、庭がすごく小さいのにまずガックリ。それにあの17世紀スタイルの“knot garden”も、すでに花の盛りの時季を過ぎていたせいか、色合いも地味で、紋様もはっきりせず、さほど見事でもなかった。ロンドンの美しい庭園が見たいのなら、やっぱり7月〜8月上旬に行くのがよいと思う。

庭にも石碑があり、またいくつか石棺もあった。地面の敷石に紛れて嵌め込まれている追悼碑は、やっぱりつい踏まないようにしてしまう。(別に踏んでもいいから地面にあるんだろうけど。)

それに、踏むと碑の表面の文字が磨滅してしまう。すでに字が消えかかっている追悼碑がいくつもある。読めるものは読んだけど、日本の墓とは違って、その人の生涯とか、亡くなった経緯とか、家族構成とか、追悼する文章が簡単に書いてあって興味深かった。それから、石棺の浮き彫りが、4面それぞれに違っていて、ちょっとグロテスクで怖かったけど面白い。何のモティーフなんだろう。7つの頭、コウモリのような羽根、胸に乳房のあるドラゴン(?)がいて、その足元に髑髏がころがっていたり、いろんな様式の建物がすべて粉々に破壊された、荒廃した街の風景だったり。

Lambeth Palaceも見たかったけど、入り口がどうしても見つからなかったのであきらめた。なんかすごく身分の高いナントカ大司教の住居だそうだ。建物は塀の外から見ることができた。ロンドン塔のように、時代ごとに建て増ししていったのか、様式がいちじるしく不統一。赤レンガ、自然石、切り出した白っぽい石など、いろんな外壁、いろんな形の建物が何棟もつながっている。

また地下鉄に乗り、St.Paul’s駅で降りる。今度はMuseum of Londonを見学にいく。Barbican駅で降りた方が早かったのかな?でも駅からすぐに着いた。新しいビルがいっぱい立っている。ガイドブックによると、この辺は1940-41年のロンドン大空襲(“the Blitz” マシュー・ボーンは「シンデレラ」でこれをドラマの舞台に設定した)で、ほぼ壊滅した一帯だったそうだ。

Museum of Londonは、円形で外壁は総ガラス張りという超近代的なデザインの建物。名前のとおり、ロンドンの歴史を紹介する博物館である。発掘品などの展示があって、時代毎のロンドンの街並みや、人々の服装、飲食、住居などの生活を復元したミニチュア・モデルはとても面白かった。ローマ帝国時代、ロンドンはLondiniumという名前で、“lond”とは「何もない土地」という意味だった、とか書いてあったように思う。早い話が、ローマ帝国時代のロンドンは「ド田舎市」という名前だったのである。でも辞書で調べると、全然違う意味(「勇敢な」だと)が書いてある。どっちか分からない。まあどーでもいい。

ロンドンはさすがに古い街だけあって、今でも工事とかで地面を掘ると、ひょっこりと昔の遺構や文物が顔を出すことがあるらしい。古い時代の家の床の彩色タイルが、1部屋分そっくりそのまま出土したこともあり、それは博物館内にそのまま展示されている。ロイヤル・オペラ・ハウスの改修工事中にもなにかが出土したそうだ。ローマ帝国が崩壊した後、ロンディニウムは廃れ、おまけにナントカ女王率いるナントカ族が攻めてきて、ロンディニウムはすっかり破壊し尽された。

展示されている発掘物を見ていくと、時代的にうまくつながらない部分があることに気づく。ロンドンの歴史的変遷については、穴ぼこのようにまだ分かっていないことが多いようだ。展示品で充実しているのは、やはり19世紀のヴィクトリア朝のもの。これらはもちろん発掘品や出土品ではなく、そのままどこかの家に残っていたものだろう。

当時の商店街を復元したフロアがあり、「シャーロック・ホームズ」に出てくるような街並みに、馬車や人が行きかう音が効果音で流されている。その一角にはナゼか、当時の監獄の一部をそのまま移設して展示したスペースもあり、こんなところに閉じ込められると思うとゾッとする。一番下のフロアには、馬車とか車とか列車の一部(現物)とかがあったような気がするが忘れちゃった。

中庭からはLondon Wallの一部が眺められるようになっている。日本でもたぶん大昔はそうだったんだろうが、ロンドンも大昔は街全体を城壁で囲んでいたのだろう。去年ロンドン塔に行ったときにも、Tower Hill駅をすぐ出たところに似たようなものがあった。

閉館時間(5時50分)10分前に出る。帰り際にカウンターでMuseum of Londonのガイドブックを買おうと思ったら、まだ閉館時間じゃないのに、カウンターの本棚にはカバーがかけられていて買えなかった。ちゃんと時間まで仕事しろイギリス人。

St.Paul’s駅に戻る。着いたときには気がつかなかった。近代的なビルの間に、暗くくすんだブルー・グレーのドームと、切り立つ尖塔が見えた。セント・ポール大聖堂である。そういえば、ここは“St.Paul’s”駅だった・・・。

Waterlooに戻り、またまたMARKS&SPENCERで買い物。夜は“On Your Toes”観劇。終演後、ひなさんたちとホテルのバーで一杯(だけでは済まなかったが)やりながらおしゃべりする。感想を話し合ったりするのは本当に楽しい。帰り、Waterloo駅周辺はちょっと危ない、ということで、ふたりは私をApartmentまで送ってくれた。ありがとう!!


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