Club Pelican

London Diary 2

2003年8月21日

King’s College Apartment第1泊目の朝である。昨夜は爆睡した。もう「朝食バトル」は必要ない。コーヒーを淹れ(インスタントだけど)、牛乳を注ぎ、スーパーで買ったサンドイッチ、ヨーグルト、ラズベリーをゆっくりと食べる。牛乳の味は日本と微妙に違う気がする。ヨーグルトは変わりない。生のラズベリーは、日本ではちょっと高級なスーパーや果物専門店を除いて、たいていのスーパーではまずお目にかかれない。缶詰や乾燥させたものならあるけれど。酸味が強くて生食にはむいていないから、と聞いたことがある。カフェやレストランで出されるケーキやアイスクリームなど、デザートのトッピングにはひとつふたつ置いてあることがあるが、私は酸っぱい果物が大好きなので、生のラズベリーをこころゆくまで食いたいもんだと思っていた。プチ夢のひとつが叶った。・・・・・・気楽だ。最初からこうすべきだった。

今日は、昼は“Three Sisters”、夜は“On Your Toes”と連続観劇である。昼過ぎにはまたWaterlooへ戻ってこなければならない。午前中は「クーパー君ゆかりの地めぐり」第2弾として、Sadler’s Wells Theatre見物に出かけることにする。95年にボーン版「白鳥の湖」が初演された劇場である。最寄り駅はNorthern LineのAngel駅。Angel駅周辺はにぎやかだったが、劇場へ向かってしばらく歩くと、人通りが少なくなり、道の両脇に立っているのは、二階建てで小さくて古そうな建物ばかりとなった。改装中か、もしくは新築中なのか、工事作業用の鉄板やシートがかぶせられている建物が多かった。

途中、“Old Red Lion Theatre”という、とても小さくてこれまた古そうな劇場があった。1階がパブになっているため、そういう名前のパブなのかと思ったが、ロンドン市街地図には劇場マーク(仮面みたいなデザイン)がちゃんと付いているから、現役の劇場なのだろう。道に面した部分と同じ幅しかないとすれば、かなり狭い劇場のはずである。最近はどんな演目を上演しているのだろう。中に入ってみればよかった。

角を曲がってしばらく歩くと、Sadler’s Wells Theatreに着いた。ところで、このSadler’s Wells Theatreは、マーゴ・フォンテーンの本とかに出てくる、あの「サドラーズ・ウェルズ劇場」なのか?このまえ行ったTheatre Museumに、古いSadler’s Wells Theatreの写真があった。今のSadler’s Wells Theatreは、おそらく全面改装されたのか、見た目はすごく新しい。外壁は赤いレンガ風タイルでおおわれ、玄関のある劇場正面は全面ガラス張りというとても近代的な外観。正面のガラス部分に“Sadler’s Wells Theatre”と赤く書いてある。Theatre Museumで見た写真と比べると、左に劇場の玄関があって、建物が右に長く伸びているという形は同じだった。とすると、やっぱりこれはあの「サドラーズ・ウェルズ劇場」なんだろうか。

ボックス・オフィスは開いていたので、来シーズンの演目が載ったパンフレットやチラシなどをもらってきた。なるほど、確かに“matthew bourne’s nutcracker!2 Dec 03 - 24 Jan 04”、“matthew bourne’s swan lake 13 July - 4 Sept 04”と書いてある。“Swan Lake”、クーパーは出演するのかねえ・・・。

野村萬斎がこの8月末から9月初めにかけて、ここで「ハムレット」を上演するらしい。大したもんだ。ウチの町内の掲示版にポスターが貼ってあったのを見たことがある。学生服みたいな衣装で髪が逆立っていた。狂言を1回しか観たことないけど、野村萬斎はなかなかすごい奴だと思う。あのうりざね顔と華奢な体(これが着物を着て舞台に立つと大きくなる)に似合わない、野太くてよく響く声がいい。

帰りにちょうど昼になったので、Angel駅前にあるタイ料理屋に入った。ガイドブックに「ロンドンっ子たちの間では、今、エスニック料理が大流行!」とか書いてあったような気がする。ビュッフェ形式でちょっとずつ食べられるからちょうどいい。

さて、その“Thai Buffet”、内装はオール中国。壁には中国の大詩人の詩が書かれた額縁、対聯、縁起物の古銭の形をした飾り、清代風の絵柄の大きな壷。隅っこに言い訳がましくタイ風のコテコテなキンキラ仏像が置いてあるだけ。店員同士がしゃべっているのもすべて北京語。料理。どうしたらこんなにマズくできるんだろうと不思議。何の肉か分からない(BEEFとあった)炒め物、衣しかない春巻、同じく中身の入っていない揚げ物、甘酸っぱい漬物、極太木綿糸みたいな硬くて噛み切れないヌードル(味付けなし)、タイ米。なのになんで店内は満席なんだろう。なんでこんな店がやっていけるのか。ぬるいぞロンドン。ちょっと腹が立ったので、サービス料は払わないで店を出た。

Waterloo駅に戻り、駅構内のMARKS&SPENCER(これもスペルあいまい)で買い物(だから私は好きなんでスよ、ドラッグ・ストアとかスーパー・マーケットとかが!)。品揃えはこっちの方がいい気がする。なんと寿司まで売ってる!ネタは総パステル色で目に優しい色合い。冷凍食品で面白いのは、メインとつけあわせが1セットになった品が多いことだった(ロースト・チキンにポテト、とか)。

National TheatreのLyttelton Theatreで“Three Sisters”を観る。観客の平均年齢層はおそらく70〜100代ってとこだろうか。聞こえてくる英語がなんかチガう。音の高低差が激しく、口調はゆっくり。服装は仕立てのよさげなワンピース、スーツ。上品で趣味のよいアクセサリー。ひょっとして、来てはならぬところに来てしまったかも。はっきりいって私は浮いている。「日本の人がいるわよ」という声が聞こえてくる。

“Three Sisters”、もちろんケネス・マクミラン振付“Winter Dreams”の原作である。日本語翻訳版を読んでいたし、今回のNicholas Wright版も一応ざっと目を通した。でも、読むのと聴くのとではやっぱり違う・・・。ストーリーの展開に困ることがなかったのがまだ救いだった。

舞台装置や衣装は厳格なくらいに原作の時代設定に忠実。よかった、SF近未来版「三人姉妹」とかじゃなくて。衣装はバレエと大差ない。特に男性の軍服はバレエとほぼ同じ(というより、バレエの方が同じなのか)。市街で起こった大火災が終息した朝、その救援活動で疲れきったイリーナとオリガが服を脱ぎ、下着姿でベッドに入って寝るシーンがある。そこで分かったことには、コルセットやシュミーズ、ペチコートに至るまで、女優たちはすべて当時と同じものを身に着けていたのだ。ビックリした。それに、舞台装置や衣装の品質の良いこと!!建物や家具は重厚で質感があり、小道具の細工は精緻。演出の流れは実に自然で、俳優たちの演技もすばらしかった。いちばん高い席でも30ポンド(5730円)なのに、こんなしっかりした、レベルの高い舞台を観られるなんて。

ちなみに、ソリョーヌイ役の俳優は、ガレッジ・セールのゴリか、勝俣州和、または渡辺篤史(「お宅拝見」みたいな番組で「いいね、このヒノキの柱」とか言ってる人)にソックリ。人物はひたすら粗暴で単純、もう少し深い役作りをして、ソリョーヌイの複雑な性格を表現してほしかったわ(ちょっと批評)。

上演開始が午後2時、第1・2幕の後に20分の休憩時間、そして第3・4幕。終演は5時20分だったから、ぴったり3時間の公演であった。第3幕が始まってしばらくの間、私の真後ろに座っていた観客が、アイスクリームをフガフガいいながら食べていた。ニオイからするとイチゴ味だな。Lサイズどころかバケツサイズでも買ったのか、なかなか食べ終わらない。やっとそのフガフガ音とイチゴ臭が止んだと思ったら、今度は隣に座っていた兄ちゃんが、いきなりカバンからリンゴを取り出して、がりがりとかじり始める。まあ気楽なカンジでよろし。

“Three Sisters”は、「もし・・・・・・なら私の人生はもっとよかったはずなのに」という、おなじみのテーマをとりあげた作品。最後、連隊の移動とともにヴェルシーニンが去り、トゥーゼンバッハは殺され、オリガ、マーシャ、イリーナの3人だけが残される。軍楽隊が奏でる音楽が徐々に遠ざかっていくのを聴きながら、マーシャが言う。「彼らは私たちを残して行ってしまう。しかも彼らのひとりは永遠に去ってしまった。永遠に。そして私たちは取り残された。私たちの人生をやりなおすために。私たちは生きていかなければならない・・・私たちは生きていかなければ・・・。」

オリガが続けて言う。「彼らがあんなに陽気に演奏していると、また人生が価値あるものに思えてくるわ。時間は過ぎていって、私たちの姿は消え、私たちは忘れ去られる。私たちの顔、私たちの声、私たちが生きていたことさえも。だけど、私たちの苦しみは、私たちの後に生まれてくる者たちの喜びに変わるのよ。平和と幸福が世界にあふれ、そしてそのとき、彼らは私たちを思い出して、私たちに感謝してくれるでしょう。私たちの人生はまだ終わりではないのよ。私たちは生きていくでしょう。彼らは陽気な音色を奏でているわ。もう少しでいいから、演奏が長く続いてくれさえすれば、私たちはすべてを理解できるでしょうに・・・なぜ私たちは生きるのか、なぜ私たちは苦しんでいるのか・・・ああ、それが分かりさえすればどんなにいいか・・・どんなにいいか!」

その傍らでチェブトゥィキンが新聞を読みながら言う。「なんでもないことだ!なんでもないことだ!」 オリガは最後につぶやく。「知っていさえすれば・・・知っていさえすれば・・・。」 お約束だけど、やっぱり涙がちょちょぎれそうになった。

夜は“On Your Toes”観劇。

このページのトップにもどる

2003年8月20日 (2)

衛兵交替式が終わり、観光客たちは潮が引くように散っていった。騎馬警官たちも去り、バッキンガム宮殿前の道路には、騎馬警官の乗った馬が落としていった馬フンのみが虚しく残された。Victoria Memorialを間近に見てから帰ろうと思い、道路を渡ってVictoria Memorialへ向かう。馬フンを踏まないよう足元に細心の注意を払わねばならない。

Victoria Memorialへの階段をのぼりかけたところで、階段の上に立っている2人の日本人女性の姿が目に入った。あり?なんだか見覚えがあるなあ、と思ってよく見たら、なんとそれはひなさんとそのお友だちだったのだ!!ビックリしながら声をかける。3人とも一瞬呆然として黙り込んだ後、誰ともなくあまりのおかしさに笑い出した。もちろん、私たちはお互いの昼間のスケジュールなんて、教えあってもいなかったのである。

尋ねてみれば、2人もその日の朝、突然にバッキンガム宮殿の衛兵交替式でも見物しようか、という話になったのだという。前の日記に書いたように、私も交替式が始まる30分前に見に行くことを決断したのである。同じ日に行こうと思いついたのもおかしいのに、だだっ広くてしかも観光客でごったがえしているバッキンガム宮殿の前で偶然に会うなんて!!

ところが、これには更に後日談があったのだった。つい最近、8月20日(1)の日記をご覧になったある方からメールを頂いた。私がロンドンにいたこの週、その方もロンドンに滞在していて、“On Your Toes”を観劇されたそうである。しかもちょうどこの日に、やはりバッキンガム宮殿の衛兵交替式を見にいらしていたのだという。更にそのうえ、私が儀式を見ていた場所や衛兵行進の見え方についての記述から察するに、どうもその方と私は、ほぼ同じポジションにいたらしいのである。

つまり、“On Your Toes”を観に来ていた日本人のうち、最少でも4人が、同じ日にバッキンガム宮殿の衛兵交替式を見ていて、うち2人がほぼ同じポジションに期せずして居て、その後うち3人が、これまた期せずして偶然その場で出くわしたということになる。いや〜、世界は狭いっす。こんなこともあるんですね。(「バッキンガム宮殿の奇跡」と命名。)

おりしもその前日に鼻血が大量に出て人恋しかった私は、これ幸いとばかりに2人にひっついていくことにした。2人はこれからパブに入ってパブ・ランチ(略してパブラン)を楽しむという。それは好都合。ひとりでパブに入るのはコワイし寂しいから、私も便乗させてもらうことにしよう。グッドラック。

途中、バッキンガム宮殿の側門を警備するおまわりさんに、ひなさんが声をかけ、写真を撮らせてもらっていた。私もさっそくそれに便乗、一緒に写真を撮りたいと彼らに頼んだ。おまわりさんはニコニコと笑いながら快く承諾してくれた。やけにフレンドリーである。公務員のクセに腕に入れ墨をしていて、ちょっとヤンキー入っていたが。

Victoria駅近くのパブに入る。古い木造でシブい作り。机や椅子が不ぞろいなところがまた古さを感じさせる。階段をのぼるとギシギシと音が鳴るのも趣き深い。ひなさんがカウンターに行き、全部オーダーしてくれた。すべて客からカウンターに赴いてオーダーし、その場で清算する。飲み物はカウンターで受け取り、軽食はできあがり次第、店員がテーブルまで運んできてくれる、というシステムらしい。

私はギネス・ビールと「鮭のパイ包みゆで芽ジャガイモ添え」を頂く。グラスに注がれた黒ビールは、色がほぼ3層に分かれていた。いちばん上層はとろりとしたクリームのような泡で、それが下にいくに従って、グラデーションのように徐々に色が黒くなっていき、いちばん下層は完全な漆黒。私はビールがあまり好きではないけど、これはおいしかった。ビール(それとも発泡酒?)独特の安っぽい苦さがまったくなく、コクのある濃厚な味わいである。

それに、人とおしゃべりしながらの食事は本当においしかった。人と旅をするのも楽しそうだ、いや、きっと楽しいだろう、と心から感じた、貴重で楽しい思い出となった。2人と別れたあと、私はまたSt.James's Parkに戻った。再び水鳥たちをしばらく眺めてなごんだ後、地下鉄でWaterloo駅へ。夕方になる前にやっておきたいことがあった。Waterloo駅の荷物預け所でトランクを受け取り、部屋を予約しておいたKing's College LondonのStamford Street Apartmentsにチェックインした。

King's College Apartmentは、あの「鉄道貫通轟音激震ホテル」から直線距離でわずか100メートルくらいしか離れていなかったろうが、Royal Festival Hallへはより近くなった。たぶん徒歩5分・・・かからなかったかもしれない。なにせ、Stamford Streetの角を曲がれば、すぐ向こうに、Waterloo Bridgeの横にあるRoyal National Theatreが見えるのだから。

Apartmentは口の字みたいな形をしており、道路に面した入り口から自分の部屋のドアに行き着くまでに、カード式のキーで3つのドア、別鍵で部屋のドア、これに24時間警備の人間のガードマンを含めて、全部で5重のチェックをくぐりぬけないといけないのだった。外から中へ入るのはもちろん、中から外へ出るのにも、同様に5重のチェックをパスしないと出られない。セキュリティがこれほど厳重なのは心強かったが、やっぱりこの辺は治安に問題があるのかもしれない。

さてさて。中庭に入ると、お菓子や飲み物の自販機があった。地面は歩道用タイルが敷きつめてあったけど、何本か大きな樹が立っていた。構内は静かで人影はなく、風が吹くたびに木の葉がさわさわ、と爽やかな音をたてる。

各フロアには共同の台所がある。ガスクッカーはもちろん、電子レンジも備え付けられている。でも、肝心の調理道具がない。どーしろっていうんだ。サービスのコーヒーがおいてある。プラスチック製のカップをまずひとつ頂戴する。部屋に入る。典型的な学生宿舎の部屋である。スプリングの弱い、小さくて狭いパイプ・ベッドに、おそろいの椅子が1脚、窓には安っぽい粗末な布のカーテン、書架付きの大きくて広い学習机。シャワー・ルームの洗面台も実に簡素で、シャワーのパイプはところどころさび付いている。テレビはないが、今の私にはなにしろ静けさが必要だ。それにどうせテレビがあってもほとんど見ないのだから。いちばん嬉しいのは、小型冷蔵庫が付いていること。さて、お楽しみといきましょう。スーパーに買い出しだ!

スーパー・マーケットのSainsbury's(スペルあやしい)で買いまくる。一度やりたかったんだよ〜、これ。水、ジュース、牛乳、コーヒー、ヨーグルト、シリアル、パン、お菓子、果物、冷凍食品・・・やれ楽しや。でも、サイズがことごとくデカいのが困りもの。この半分の量でいいんだけどなあ。冷蔵庫に入りきるかな。

食器がないので、中に使い捨てのスプーンやフォークが入ったインスタント食品をいくつか買った。それにさっきのプラスチックのカップがあれば、朝食やおやつの食器にはいちおう困らないだろう。昼と夜はどうせ外で食べるかテイク・アウト(テイク・アウェイと言ってたが)だし。こんなことなら、機内食の使い捨て食器を持ってくればよかったな。・・・こういうことしてると、なんだか学生の頃を思い出す。やたらとウキウキした気分になった。

夜は“On Your Toes”観劇。部屋に帰ってからさっそく買ったものを食べ、シャワーを浴びた。今晩はゆっくり眠れそうだ。

このページのトップにもどる

2003年8月20日(水) (1)

今日の朝食担当も、あの寡黙な働き者のオジさん従業員だった。でも朝食をとっているのは私ひとり。このホテルは、泊まってる人が全然いないのか。無理ないけど。食べ終わって席を立つと、オジさん従業員は、はじめてニコッと(正確にはニヤッと)笑って「またのご宿泊を歓迎しますよ」と言った。私は口では「ありがとう、ぜひ」と答えながら、心の中では「もう二度と来ないよ〜ん」と思っていた。(ヴェラ「今日や明日だけじゃないわ、永遠によ!!」)

Waterloo駅の荷物預け所に大きいトランクを預け、地下鉄でSt.James's Parkへ向かう。St.James's Park駅を出る。この辺の建物は、白い外壁に、簡素で質朴だけど上品な作りのものが多い。古いのか新しいのかは分からない。辺りは静かで人通りは多くなく、歩道も道路もきれいで落ち着いた雰囲気である。

駅から北へ歩くと、白い建物と建物の間に、緑のこんもりした木立が見えてきた。柔らかい緑の色が目に入ったとたん、何だかホッとした。St.James's Parkの南側をふちどる並木道である。公園内に入る。あの水鳥どもは元気かね。公園の真ん中には大きな池があり、その周りは金網で囲ってあって、人間は立ち入ることができない。金網に沿って歩く。いろんな種類の水鳥たちがたくさんいる。ここの鳥たちは人間を怖がらない。自分から近づいてきて、エサをくれ、と要求する。

リスもいる。一匹のリスが金網の上をちょろちょろと器用につたって歩いてきた。リスは遊歩道の上にぱっと降りると、道を横切って向かいの草地へ行こうとする。リスは私の前を通り過ぎようとしたところで、ふと立ち止まって私を見た。目が合う。と、そのリスは私の右脚をよじよじよじ、といきなりすごいスピードでよじ登ってきた。アタシは木とおんなじかい。小さな手足が私の脚をつかむ感触はとてもかわいくて心地よい。そして真っ黒い瞳で私の目をじっと見る。

「鳥たちにエサをやらないで下さい」という看板が金網にくくりつけてある。とーぜんそれを守っている人は誰もいない。人々はベンチに座って、あるいは水辺に立って、パンをちぎっては鳥たちやリスに放り投げる。パンの入った袋を持ったおばあさんが金網の前に立ち、水に浮かぶ鳥たちにパンを投げ与えてやっている。1羽の大きな鴨が、金網越しにそのおばあさんの前にのっしのっしとやって来た。くちばしで金網をくわえると、金網をがたがたがたがた、と前後に激しく揺らす。こんな意思表示のやりかたをどうやって覚えたのか。おばあさんは「あなたもほしいの?」と笑いながら、その鴨にもパンを投げてやる。

さて、厚かましくもかわいい鳥たちを楽しみながら、私は時間が気になっている。もうすぐ11時だ。このSt.James's Parkの隣はバッキンガム宮殿。せいぜい歩いて2、3分。ロンドンといえばバッキンガム宮殿、バッキンガム宮殿といえば、あの黒い毛の長い帽子に赤い軍服の宮殿護衛兵。ロンドンのガイドブックや地図には必ず写真が載っている有名なアレだ。

ロンドン、というよりはイギリスの象徴になっている、あの宮殿護衛兵たちの行進を、ぜひこの目で見たい・・・でも、でもあまりにお約束ではないのか?フツーは誰も行かないような穴場を探し当てて、このサイトでさりげなく自慢し、いかにも「旅の達人」、「旅の通」ぶりたいのに・・・。そりゃ、ロンドン水族館には行ったし、ロンドン・アイにも乗ろうとしたし、去年はケンジントン宮殿だって、ロンドン塔だって、ウエスト・ミンスター寺院だって行ったけどさ。よりによって、バッキンガム宮殿の衛兵交替式(Changing the Guard Ceremony)を見たい、だなんて!

ガイドブックに書いてあった言葉が浮かぶ。「最低でも30分前には行ってグッド・ポジションを獲得しておきましょう。」儀式開始は11時半。もうすぐタイム・リミットだ。・・・・・・。私は足早に公園の中を通り抜け、宮殿の方へ向かった。やがて、白亜で重厚な作りのバッキンガム宮殿が見えてくる。正門前の広場には金色のVictoria Memorial像が輝く。すでに宮殿前は交替式を見にきた観光客で溢れかえっている。騎馬警官が大勢いて、通行車両や観光客たちの整理を始めていた。

どこがグッド・ポジションか分からなかったので、とりあえず人のいっぱいいるところへ行った(←安易)。正門前の道路に面したガードレール前に陣取る。子どもを楯に前に割りこもうとする図々しい家族連れから自分のポジションを死守しながら、儀式の開始を待った。周りには英語をしゃべっている人が全然いない。中年のおまわりさんが観光客たちを整理しながら言う。「行進はあそこから中に入って、それから出てきてこっちを通ります。よく見えますから、写真はちゃんと撮れます。ここから動かないで下さいね。」親切なおまわりさんだ、と思ったが、しかし彼のこの言葉の重点は、「よく見えます」にではなく、「ここから動かないで下さいね」にあったのである。ナゼなら、そこはグッド・ポジションではなかったからだった。

軍楽の音が徐々に近づいてきた。やがて、軍楽隊、そして銃を肩に立てかけた護衛兵たちが行進していく姿が目に入った。おお、確かにみんなあの格好をしている!!カンドー!!しかし、彼らは私たちのいる場所から遥か遠くに離れた道を通っていて、その姿は豆つぶのように小さい。自分たちのいる場所がグッド・ポジションではない、と悟った観光客たちが、なだれをうって衛兵たちの方へ駆けていこうとする。それを騎馬警官や徒歩の警官たちが必死に押しとどめる。あの中年のおまわりさんはこれを恐れていたのである。警官たちは毎日こんな仕事をやっているのか。大変だ。儀式が行われる宮殿の前庭は当然立ち入り禁止。宮殿の鉄柵に群がる人々の頭の向こうから、軍楽が次々と演奏されていき、衛兵たちが儀式の言葉を叫んでいるのだけが聞こえてくる。

やがて儀式が終わったらしく、任務を終えた護衛兵たちの帰還行進が正門から出てきた。彼らは今度は私たちがいる前の道路を行進してきた。でもVictoria Memorialに近い方を通っていたから、やっぱり豆粒のように小さく、せいぜい小豆が大豆になった程度であった。それでも観光客たちは一斉にカメラのシャッターを切る。軍楽隊が最初にいたけど、彼らが演奏するのは、ごく普通の軍隊マーチばっかりだった。ほら、バグパイプみたいなので演奏する、いかにもイギリスっぽい民族音楽があるでしょ。私が期待していたのはアレだったんだけど・・・。

結局、炎天下の中(この日のロンドンは快晴)1時間も待って苦労した割には、ほとんど見えなかった。骨折り損のくたびれもうけ。収穫といえば日に焼けたことかな。考えてみれば、ワタシの人生こればっか。己が人生をしみじみと考える。

本日の教訓: (1) バッキンガム宮殿衛兵交替式のグッド・ポジションは、間近に儀式が見たいなら宮殿の鉄柵に貼りつくこと、遠目でもいいから行進と儀式の全体が見たいならVictoria Memorialの上。 (2) 超有名な観光名所に行くときは、事前にガイドブックをよく読んでおきましょう(←基本中の基本)。


このページのトップにもどる