Club Pelican

Diary 4

2004年1月19日

今日はタイヘンでした。昨日の日曜日もおとといの土曜日も仕事、昨日の夜は3時間だけ寝て今日も朝から仕事、仕事先では、これまで出会った中で1、2を争うほどのアホ男に運悪く遭遇し、ひどくイライラさせられた。もういい大人なのに、世間と自分のママとの区別がまだついていないらしかった。あくせくと7時前に帰ってきて、ローソンチケットOYT先行販売の様子を確かめたらとんでもない事態になっていて、それからあちこちに電話してどーいうことなのか尋ねているうちに、状況は刻一刻と、しかも180度くるくる変わり、あわててその都度サイトの更新をくりかえし、あっという間に数時間が過ぎた。

結局は大山鳴動して何とやら、というのがピッタリの、そう大したことでもなかったが、それでも情報を載せた以上、私にはできるだけ確認する責任がある。私の載せた情報のせいで、いつまでも通じない電話を必死にかけ続けている人がいるかもしれない。その姿を想像するよりははるかにマシだった。

バタバタしているうちにすっかりハイテンションになり、状況が何とか掴めて一段落した後も興奮はおさまらず、ある友人に電話して2時間近くしゃべりまくった。相手してくれて本当にありがとう。

まだ私の脳ミソは少し緊張しているらしく、あまり疲れを感じないしさほど眠くもない。こういうのは本当はヤバイんだろうけど、こればっかりは自然に任せるしかない。休むときには休むだろう。考えてみれば、こんなことはこれまでにもしょっちゅうあった。

これらのことに少しでも建設的で前進的な意味を与えるとするならば、この世の中、すべてはただの人間が動かしていることが分かってよかった。得体の知れない大きな力が機械的に動かしているワケではないのだ。情報のくい違い、システムの失敗、取り越し苦労、骨折り損、まあこれが人間の限界で、かえって人間らしい、ということにしておこう。ただ、あのアホ男だけは激ムカつくけどね。


2004年1月15日

今週と来週は激多忙である。これじゃしばらく更新は無理だな、と思っていたら、ひなさんから“On Your Toes”の感想を頂いた。救いの神とはまさにこのこと。今週末にサイトに上げたい。

2004年1月13日に発表された2003年度“National Dance Awards”( Critics' Circle 主催)で、アダム・クーパーが“Audiance Award ”と“Best Choreography (ミュージカル部門)”を受賞したらしい。

この“National Dance Awards”とはどういう性質の賞なのか、私はぜんぜん分かっていないが、なんにせよめでたいことだ。履歴書に堂々と書けることが増えたし、彼のこれからのキャリアにも、何かの役には立つだろう。賞はもらっておくに越したことはない。

さて、今日あるチケット会社からメール・マガジンが来た。それで甚だしく気分を害した。

一サイトの管理人として私が感じたことに過ぎないが、去年春のAMP「白鳥の湖」日本公演によって引き起こされた、アダム・クーパーをめぐる大熱狂は、そのわずか3ヶ月後にはほぼ沈静化していた。一時沸騰の人気というのは、ふつうはこういうものだ。そんな中で、今でもクーパーに対する思いを持続させている人というのは、アダム・クーパーのファンである。

私もそうした人々の中の一人である。確かに私は面食いだ。ハンサムな男や美男が大好きだ。でもアダム・クーパーは特別だ。アダム・クーパーだから好きなのだ。イイ男でありさえすれば、誰であっても自動的にスライドしてファンになるわけではない。

今日はちょっとフキゲンなので、言葉がきつくなってごめんなさい。でもヤなんだよね、あーいうやり方って。だってあまりにさもしいじゃないですか。

でも一応フォローしておこう。もし来日するならの話だけど、Fritz/Prince Bon Bon/Cupid役のPhilip Willingham君の方が、よーっぽど美青年よ。


2004年1月6日

正月は1週間ほど帰省した。こんなに長く実家で過ごしたのは久しぶりのことだ。自分でもなぜなのか分からないんだけど、私はなんとなく正月が苦手なので、なるべく避けるようにしてきたのだった。あ、やっぱり〜、ってか?(笑)

大晦日ぎりぎりまで実家に帰らず、帰ってもすぐに東京に戻ったりとか、あるいは正月でもさほど大騒ぎしない国に避難して、そこでぶらぶらしながら過ごしたりとか、そうやって毎年しのいできた。今まで、自分ではそうだと意識してはいなかったけど、これはやっぱり正月が好きではなかったんだと思う。

今年はいかにも正月な正月を過ごした。といっても大したことは全然してない。テレビ観て食っちゃ寝の日々である。

紅白歌合戦、曲順を見て、これは今年は白組の勝ちだと分かったね。大トリがSMAPで、しかも「世界に一つだけの花」でしょ〜?こりゃ白が勝ちますと言ってるようなもんだよ。本放送、中居のスピーチで確信。

ウチの実家には、ビデオデッキは一応ある。でも誰もレンタル・ビデオ店に入会していない。それなのになんであるんだろう。母親がときどき、自分の踊りを撮ったビデオを観ているらしいが、これはどうやって観るのか、と私にデッキの操作を聞いてくる始末である。じゃあ、いつもはどうしているのか、と尋ねると、とにかくあちこちのボタンを、手当たり次第に押していると観られるそうだ。

なので、映画はテレビでやってるのを観るしかない。「俺たちに明日はない(BONNIE AND CLYDE)」えらいこと面白かった。映像がきれい。ベッドの上にうずくまって泣くボニー(フェイ・ダナウェイ)を、クライド(ウォーレン・ビーティ)が抱きしめるシーン、フェイ・ダナウェイの下着だけの身体が美しい曲線になって、ウォーレン・ビーティがダナウェイの顔全体を、手でやさしくつかみながら慰めるの。

人々が犯罪者をヘーキでかくまうというのも、アメリカにもこんな時代があったのね〜、と感慨深かった。だって、コソ泥から銀行強盗をさんざん繰り返した挙げ句、銃撃戦で警官を何人も殺しているお尋ね者に、「あんたたちをかくまえるなんて光栄だ。ゆっくりしてってくれ」とか言うんだよ〜。

フェイ・ダナウェイがすごいキレイでびっくりした。美しい顔だちに、華奢な身体、昔の映画なのに、服も今着たっておかしくないくらいおしゃれである。ウォーレン・ビーティ・・・昔はこんな顔だったのか。あの有名な「蜂の巣」ラスト・シーン、この映画に影響を受けた監督って、さぞかし多いことだろう。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、この映画はテレビでバンバンに宣伝していて、かなりな話題作だったように覚えている。やっぱりビョークが出演したから?期待して観たけど、なんなんだこれは。脚本家と監督は、ちょっと変質者的な傾向があるように思う。言い過ぎかな。いいかえるなら、世間知らずというか、本物の現実の悲惨さを知らないというか、あるいは主人公のセルマと同じように、辛くなると自分に都合のよい妄想に逃げ込むタイプなのかも。感動するどころか、不愉快な気分で終わった。姉などは怒って途中で寝に行ってしまった。

日テレ(フジだったかな?)の「ものまね紅白歌合戦」、コロッケの「淡谷のり子のマトリックス」は最高だった。ハラがよじれるくらい大笑いした。前の「ロボット美川憲一」といい、いったいどうやってこういうネタを思いつくかな〜。

あとひとつ発見があった。くりいむしちゅーの有田哲平は、ユアン・ワードロップに激似だ。“Nutcracker!”映像版で、フリッツを演じているワードロップは特にそっくり(とりわけ髪型)。以来、ワードロップを見ると、あ、有田、とか思ってしまう。逆に有田を見ると、あ、ユアン、と思う。これはマズイかもしれない。

東京に戻ると、恐ろしい事実がもうひとつ発覚した。2キロ太っていたのである。う〜ん?ジーンズの太モモのあたりが、ちょっときつくなったかな〜、とは思ったんだけど。尻肉もぶるんぶるん打ち震えるし。1週間で2キロ増。だから正月はキライなんだよ〜(泣)。


2003年12月25日

で、毎晩NHKの「映像の世紀」を観てしまうのであった。昨晩(24日)の第3回目では、ジョゼフィン・ベーカーが踊る映像が紹介されていた。その中には、彼女の実際の歌声が入っているものもあった。

たくさんのバナナの房を腰に巻きつけただけという、ほとんど裸同然の姿で、寄り目のユーモラスな表情をしながら、腰を振って踊っていたり、ゴージャスなドレスに身を包んで歌いながら、やがて周囲のダンサーたちがそのドレスをはぎとっていき、またもや肌を露出した衣装で踊り出したり。今から見ても、手足が非常に長くて、まるで現代のモデルみたいな体型をしていた。

今晩は第4回目だった。当時の政治的スローガンや演説には、ある単語が頻用されていた(今もだが)。字幕やナレーションにも、その単語がこれでもかといわんばかりに出てくる。うんざりした。単語があれば、それが意味するモノが本当に存在する、と思いこむ。言葉は、存在しないモノだって存在するかのようにみせかける。

「言語は無を、非存在を言表できるのです。そして言表によって、それに実在形式を付与できるのです。言語は、名指すことによって社会事象を実在せしめることができるのです。・・・言葉は、いささか単純な唯物論の名のもとに信じられているように、あらかじめ存在する現実を表現したり、反映したりする一種の上部構造なのではありません。言葉が、社会現実の大部分をつくるのです。」

明日は第5回目だ。これは観ないことにする。気分がますます暗くなってしまうだろうから。


2003年12月22日

はやいとこ“Gong Mixed Bill”の感想をまとめようとパソコンを起動した。つけててもジャマにならないしと思って、テレビのチャンネルをNHK総合に合わせた。そしたら、確か10年くらい前に放映していた、NHKスペシャル「映像の世紀」第1回目が再放映されていた。まだ始まったばかりのようだ。

おや、と思って、あわてて空きのあるビデオテープを探して録画した。特に第1回目には、100年も前の珍しい映像が、たくさん紹介されていてとても面白かったし、その中にはイサドラ・ダンカンが踊っている映像があったと記憶していた。この「映像の世紀」シリーズは、一般販売もされている。でもわざわざ買ってまで観る気はしなかった。

パソコンを放りっぱなしにして観ていたら、ルイ・フェローが踊る「蛇の踊り」の映像もあった。これはマーゴ・フォンテーンの「バレエの魅力」で言及されていた踊りである(そこでは「ロイ・フューラー」と表記されている)。100年前に、イサドラ・ダンカンと人気を二分したダンサーだったそうだ。なるほど、写真では分かりにくかったが、こんな踊りだったのか。

ずっと待っていたら、やっぱりあった。イサドラ・ダンカンが貴族のパーティーに招かれ、野外で踊っている映像である。隠し撮りしたもので、わずか数秒にすぎないが、踊るダンカンを撮影した唯一の映像記録だそうだ。次には、明るい笑みを浮かべ、多少照れくさそうな様子で、客の貴族たちに向かって軽く一礼するダンカンの姿。

古代ギリシャかローマ風の、半袖のシンプルなローブに、長いマントを体に巻きつけた、写真に残っている通りの衣装である。両腕を上に高く差しだし、天を仰ぐような姿勢で、恍惚とした表情でくるくると回りながら移動している。ダンスというよりは、動きの激しいパントマイムのようだ。フォンテーンは、ダンサーとしてのダンカンを、あまり高くは評価していない。確かにこれは、バレエとは全く違う種類の踊りにみえる。(でも、100年前のバレエがどんなものだったのか、私はアンナ・パブロヴァの「瀕死の白鳥」の映像しか観たことがないから、エラソーにいえないが。)

ただし、これは部分しか観てないけど、ケネス・マクミランが振り付けた「イサドラ」の踊りとは、非常に似ていると思う。きっとマクミランは、ダンカンの写真はもちろん、この映像も観ていたんだろう。

私が観たのは、サラ・ウィルドーが踊った「イサドラ」だった。それつながりで、「映像の世紀」を目にしたとたん、その中にダンカンの映像があったことを、ふと思い出したんである。いやはや、興味を持ちさえすれば、機会は向こうからやって来る〜。


2003年12月21日

さっきたまたまNHK教育をかけたら、マーラーの「大地の歌」(第3楽章、第4楽章)をやっていた。それからずーっとマーラーだ。さっきは「交響曲第2番」第4楽章(部分)、今は「交響曲第3番」の第1楽章を流している。

やばい。私にはマーラーは鬼門だ。といっても好きなことは好きなんだけど、いったん聴きはじめると止まらなくなる。のめり込む。そして理由もなく鬱とした落ち込んだ気分になる。その夜は必ず聴いた音楽が頭から離れない。なぜかは分からない。そんなわけで、この日記を書いて、あまり浸りすぎないように予防線を張ることにする。

特に「第3番」はダメなんである。大好きだから、よほど気持ち的にしっかりしている時しか聴けない。でも、聴きたいと思うのは、気持ちが弱っている時ほど強くなるから困ったもんである。まさかこの後、第4楽章や第6楽章も流すつもりじゃないだろうな・・・流しやがるようだ・・・ボリュームを高くしちゃった・・・ああ、始まっちゃったよ・・・。♪“O Mensch ! Gib acht ! ・・・”♪

そのまま第5楽章に突入しました。この後の展開はどうなるんでしょう・・・実況してどうする。マーラーの曲の中で、私が最も聴いてはいけないのは、「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の第3曲「」・・・今、最終楽章の第6楽章が始まってしまった。キーを打つ手が鈍くなっている。音楽には、ヒトの脳ミソの中にたやすく侵入して支配する魔力があると思うのは、こんな時だ。私はそんなことを信じたくないんだけど。特にマーラーって、聴いている方の気分を、作曲者の気分の中に引きずりこんでしまう、非常に強い力があると思う。

私が最も苦手なマーラーの曲は、「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の第3曲「私はこの世に捨てられて」(すげえ題名)だ。これはいちばん大好きでいちばん嫌いだ。もうどのくらい聴いてないか・・・1年は経ってるかな。とにかくこれはダメだ。聴くと鬱々とした気分が長く続く。

第6楽章はまだ続いている。ああ、早く終わらないかな・・・終わりそうで終わらないんだなこれが。もうすぐ終わるはずだ・・・そんな引きずってないで終われ。終わった。やれやれ。マーラーの曲、みなさんは聴くとどんな気分になるんだろう?


2003年12月15日

またロンドンに行ってきた。今回は短い滞在だったけど、ロイヤル・バレエの“Gong Mixed Bill”と、マシュー・ボーンの“Nutcracker!”(Sadler’s Wells Theatre)、“Play Without Words”(National Theatre)を観ることができた。ロイヤル・バレエの“Gong Mixed Bill”は4人の現代の振付家の小品を集めたものだったし、“Nutcracker!”と“Play Without Words”は、ともにマシュー・ボーンの振付とはいえ、かなり性質が異なっていると思うので、気分的には6人の振付家の作品を一挙に観た感じがする。

第一の目的はもちろん、ロイヤル・オペラ・ハウスでバレエを踊るアダム・クーパーを観ることだったけど、短期間で複数の振付家の作品を観たことで、今となっては、よい振付とはなんなのか、よい作品とはなんなのか、よいダンサーとはなんなのか、といったことを考えさせられる機会となった。 詳しいことはいずれまた「雑記」にでも書くけれど、ここで簡単に各作品の印象を書いておく。帰ってきたばかりでちびっと疲れているため、表現が多少キツいものになるかもしれないけど(いつもってか)、その点はご容赦ください。

ボーンの“Nutcracker!”は最高に面白かった。これはまた何度でも観たい作品だった。とてもユーモラスでコメディだといってもいいけれど、でももちろんそれだけの内容ではない。衣裳や舞台装置はとてもカラフルで、キラキラしたクリスマスっぽい雰囲気の飾りがたくさん用いられているから、子どもが観ても充分に楽しめる。そして大人はそれに加えて、また別の意味でも楽しめるし、実はけっこう奥の深い内容だということが分かってくると思う。それにしても、第2幕の「スウィーティーランド」は大爆笑の連続で、特に「結婚パーティー」のシーンで、デカいウェディング・ケーキの上でダンサーが一斉に踊りだしたときには、マジで笑い死にしそうだった。

“Play Without Words”もとても面白かった。でも、文句なしにすばらしい!!と断言するには、ちょっとためらわれるようなモヤモヤ感が残った。ハデな踊りがなかったから、というのではない。舞台も演出も構成も踊りも「斬新で独自性がある」とは思うんだけど、よくいえば実験的かつ野心的な試みで、わるくいえば、なんだかボーンの自己満のための作品というか、あるいは、ボーンとNew Adventuresというコミュニティの内部だけで自己完結している、という雰囲気がそこはかとなく漂っていた。このコミュニティとごく近い周辺にいる、批評家や舞台鑑賞の玄人さんたちのウケはさぞよかったろう。でも、そこから離れた位置にいる、私のような普通の観客に対しては、少し不親切じゃないかと思った。

ロイヤル・バレエの“Gong Mixed Bill”は、ひとつひとつの作品自体がどうなのかは云々できないけど、不幸な偶然とアクシデントが重なって、公演全体としては後味のよくないものになってしまったと思う。特に最終日(12日)は本当に気の毒だった。もちろんダンサーたちは何も悪くない。彼らはきちんと踊っていた。でも、作品の選定、内容、上演の順番のバランスは、決していいものではなかった。これは芸術監督をはじめとするスタッフや振付家たちの責任だと思う。それからこれは以前な問題だけど、音響機器の調整くらいはきちんとやれ、と思った(“Qualia”)。おかげで何の罪もないダンサーたちが、観客の八つ当たりをくらうはめになってしまった。

ファンの欲目も入っているが、この“Gong Mixed Bill”で上演された4つの作品の中では、アダム・クーパーとゼナイダ・ヤノウスキーが踊った“Proverb”(William Tuckett振付)だけが異質だった。そして、これが唯一、人間味のある共感できる作品だった。

作品のテーマや内容は“Duet”と同じだと思うんだけど、振付がいよいよ洗練されていて、その動きが表現している感情やストーリーもはっきりしていた。機械人形みたいな意味不明の動きでもなく、欧米人によくみられる気恥ずかしい東洋趣味でもなく、他の演目と似たような音楽でも構成でもなかった。

クーパーとヤノウスキーの踊りは見事で、息がぴたりと合っていたし、なにしろふたりの腕の動きのなんと流麗だったことか。クーパーはやっぱりバレエも踊った方がいい。もったいない。あの独特の動きと味は、あなたにしか出せません。

ある方から、ヤノウスキーのロイヤルでの立場は、クーパーのそれとよく似ている、というご指摘をもらってから、彼女には興味を持っていた。今回、彼女の踊りを見て気づいたんだけど、ヤノウスキーは、細くて腕と脚が長いあの体型、そしてしなやかでキレのある鋭い動きも、クーパーとよく似ているのであった。

“Gong Mixed Bill”は作品ごとにカーテン・コールが行われたが、“Proverb”には毎回、すさまじい大きな拍手と喝采が送られていた。最終日のカーテン・コールは特に盛り上がって、ついにはヤノウスキーが涙ぐんで今にも泣き出しそうな表情になり、クーパーが彼女の顔を胸にかかえこむようにして強く抱きしめていた。

プログラムにあるふたりのリハーサル風景の写真も、うっとりするようなすばらしいものばかり。いろんなショットがあるけど、これをみると、このふたりは、演技や踊りのカタチだけで表現しているんじゃなくて、内側からもすさまじい勢いで感情を発散させているのがよく分かった。“Proverb”の振付を担当したタケットは、このふたりにまさにふさわしい踊りを作り上げたものだなあ、ダンサーをよくみているなあ、としみじみ感じた。


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