Club Pelican

Diary

2005年11月27日

Hot PepperのテレビCMについてですが、ホットペッパーの公式サイト で今までのシリーズがすべて見られます。「みとり的バレエの楽しみ」の美鳥さんから教えて頂きました。ありがとうございます。私のお気に入りは、やはり「食べました!」編と「まだ前奏」編です。爆笑必至なので、ぜひご覧下さい。実はみなさん好きだったのね、ホットペッパーのCM。


2005年11月24日

小林紀子バレエ・シアター「レ・パティヌール/二羽の鳩」公演の感想を書き上げる前にギエムの公演に行ってしまい、ギエムの公演が面白かったのでこっちの感想をまず載せました。今週末に時間がとれれば、「レ・パティヌール」と「二羽の鳩」の感想も掲載したいと思います。「レ・パティヌール」はアイディアが面白かったし、「二羽の鳩」はロマンティックな演出も楽しめる作品でした。

ギエムの公演で年内の舞台鑑賞は終わりました。でもまたふときざして、いきなり「くるみ割り人形」でも観に行くかもしれません。チラシもいっぱいもらったし♪ クーパー君は今ごろ、シェフィールドなんていう、冬の日照時間が5時間くらいしかなさそうな寒くて暗い街で振付にいそしんでいるのね。まあ頑張って下さい。お早いロンドン(今はハンプシャーだっけ?)へのお戻りと、ご自身が出演なさる舞台公演(←切に希望)、そしてまた日本にいらっしゃる日をお待ち申しております。私はその間、舞台鑑賞で勉強させてもらいながら、あなたの経歴をねちねちと書いていくことにいたしましょう。

さっき"Hot Pepper"(無料のクーポン・マガジン)のCMやってたけど、また新しいヴァージョンになっちゃったよ。あれは「ニュー・シネマ・パラダイス」じゃないか?まだ1回しか見てないから断言はできないが。最近は名作続きだなHot Pepper。

私が好きだったのがこの前の「アマデウス」編である。モーツァルトがピアノを弾いている。が、なぜかそれは古賀政男風演歌のメロディ。サリエリがぶるぶると震える手で楽譜を握りしめ、やがて気弱な声で歌いだす。「・・・居酒屋クーポン♪」 ピアノを弾くモーツァルトがツッコミを入れる。「ここ、まだ前奏。」 これは見るたび大笑いしていたので、終わっちゃって実に残念。

("Hot Pepper"テレビCM「アマデウス」編はまだ放映されているそうです。お知らせ頂きました。わ〜い、また見られるといいな。チャウ11月26日記す)


2005年11月13日

12日夜にシュトゥットガルト・バレエ団の「ロミオとジュリエット」(もちろんジョン・クランコ振付)、本日13日は小林紀子バレエ・シアターの「レ・パティヌール/二羽の鳩」(フレデリック・アシュトン振付)を連チャンで観に行ってきました。いずれもとてもよい舞台でした。

でもさすがに疲れたので、感想はまた日を改めて書きたいと思います。いろいろと面白い発見もありました。同じ週にアシュトンとクランコの作品を観たというのも興味深い縁です。最初はなんで公演日をずらさないのか、と思いましたけれどね。

アシュトン版「二羽の鳩」は1961年初演、クランコ版「ロミオとジュリエット」は1962年初演、またクランコの「オネーギン」は、1965年にシュトゥットガルト・バレエ団によって初演されましたが、本来はマーゴ・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフ主演を想定した、ロイヤル・バレエのために案出された作品でした。

アシュトンがクランコの台頭を快く思わなかったことが、クランコがイギリスを離れて、シュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督に就任する結果につながった、というのは有名な話です。初演時期がほとんど同じな「二羽の鳩」と「ロミオとジュリエット」を観て、なんとなくそれはあり得る話だな、と思いました。

「二羽の鳩」が当時のアシュトンにとっては精一杯の「演劇的バレエ」だったのだ、という感じがしたのです。もちろん「二羽の鳩」はいい作品で、これは私の深読みのし過ぎかもしれませんけど、第二幕のジプシーの踊りには、ケネス・マクミランの「マノン」(1974年)を連想させるものさえありました。というか、明らかに影響関係があると思います。

でも全二幕1時間の短い作品であるにも関わらず、「二羽の鳩」は意味のない踊りが延々と続き、時に退屈で冗長でした。それでも面白く演劇的にしようと工夫しているのはよく分かったのですが、やはり古い形式が身に染みついてしまったアシュトンの限界を感じさせる作品です。

クランコの「ロミオとジュリエット」はさほどドラマティックではないのですが、それでも舞台美術、演出、振付によって、登場人物の性格、人間関係、物語を観客に瞬時に悟らせるよう、また劇的な効果を高めるよう構成されていました。それも軽々と、余裕をもって、です。

これはアシュトンが危機感を抱いたのも無理はないな、と思いました。しかもアシュトンとクランコは、振付における発想のパターンがよく似ているのです。でも、クランコが1965年に「オネーギン」を発表したころ、アシュトンの作品は「マルグリットとアルマン」(1963年)、「真夏の夜の夢」(1964年)の域に依然としてとどまっており、その10数年後に至ってもなお「田園の出来事」(1976年)のような作風のままでした。

マクミランはこの二人とはまた違いますが、アシュトンとクランコを足して更に発展させるとマクミランになるような感じです。どのバレエ書にも書いてあるようなことなんでしょうが、彼らの作品を観て、このことが現実味をもって感じられた収穫の秋でした。


2005年11月10日

ここの日記は「雑記」に移動しました(シュトゥットガルト・バレエ団日本公演「オネーギン」)。


2005年11月3日

新国立劇場バレエ団の「カルミナ・ブラーナ」を観に行ってきました。この作品は予想していたよりはるかに良かったです。詳しくは後で「雑記」にでも書きますが、構成、振付、演出、美術もいいですし、なにより音楽が絶対的にすばらしい!テンポはほんの少しゆっくりでした。でもまったく気になりません。

また、初演にも関わらず、新国立劇場バレエ団のダンサーたちは、すっかり作品に融け込んで、実にすばらしいパフォーマンスを披露していました。このバレエ団がいかに優秀か、あらためて実感しました。

私は今まで、新国立劇場バレエ団は専ら女性ダンサーの質が高い、としか思っていませんでした。でもこの作品を観て、男性ダンサーの質も相当なものであることに気づきました。「カルミナ・ブラーナ」は、団員を総動員しているんじゃないかと思うくらい、ダンサーが多く出てくる作品です。特に男性の群舞のシーンは圧巻でした。動きが揃っているのはもちろん、個々人の踊りがみなすばらしいのです。あまりの迫力と美しさに思わず鳥肌が立ちました。

ビントリーによる各シーンの設定や踊りはおおむね原曲に沿っています(時代は現代ですが)。でもそんなに厳密に縛られているわけでもなく、歌詞の細かな内容よりは、音楽から受けるイメージを重視した振付を行なっています。それぞれの曲のイメージにぴったりな振りを施しているところは、マシュー・ボーンを彷彿とさせます。

新しい作品でも、優秀なバレエ団がやるとこんなにすばらしい舞台になるんだな、と感心しました。客の入りも上々で、反応もかなり好意的なものでした・・・というよりは、有名な古典作品でもないのに、世界的スター・ダンサーが出演しているわけでもないのに、観客があんなに熱狂しているのを見たのは初めてです。

今回の公演は思い切った試みだったと思いますが、大成功したと言っていいのではないでしょうか。振付者のデイヴィッド・ビントリーは、この作品が日本の観客に受け入れられるかどうか心配だったそうです。でもそれはどうやら杞憂に終わったようですね。

更には、音楽や歌がただの「伴奏」ではなく、舞台上にいるダンサーたちの踊りと同じくらい重要な役割を果たしていました。カウンター・テナーに人気歌手のブライアン・アサワを持ってきたのも大きかったでしょう。ソロを受け持つ歌手たち、合唱、オーケストラのメンバーたちにも大きな拍手と喝采が送られて、私はとても感動してしまいました。いい舞台でした。

今日の公演には、バーミンガム・ロイヤル・バレエから2人のダンサーが出演していました。一人は「運命の女神」、もう一人は「第3の神学生」を踊りました。最初と最後のシーンで「運命の女神」が踊るソロの振りは、実に独特で印象的なものでした。しばらく頭から消えなさそうです。

バーミンガム・ロイヤル・バレエつながりで、違う話題を一つ。スターダンサーズ・バレエ団が来年にピーター・ライト版「ジゼル」を上演するそうです(2006年2月4・5日、ゆうぽうと簡易保険ホール)。ジゼルはバーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパル、佐久間奈緒が、アルブレヒトはロバート・テューズリーが踊る予定とのこと。

今度は「カルミナ・ブラーナ」つながりの話題です。今年のクリスマス(24・25日、なかのZERO大ホール)に、O.F.C.という団体(?)がカール・オルフの「カトゥリ・カルミナ」、「アフロディテの勝利」、「カルミナ・ブラーナ」3部作を一挙上演するそうです。「合唱舞踊劇」だそうで、バレエ・ダンサーも多数参加します。気になる方は O.F.C. (電話:03-3367-2451)まで。

最後はぜんぜん関係のない話題。来年の1月14・15日に東京シティ・バレエ団が「カルメン」を上演します(於新国立劇場中劇場)。これはまったく新解釈の「カルメン」で、「大都市・東京の朝の出勤風景からこのバレエは始まる」んだそうです。んで、カルメンはキャリアウーマン、ホセはカルメンが勤務する会社の警備員なんだって。

で、カルメンは社内機密を盗んで、ホセはそれに巻き込まれて警備主任に重傷を負わせてしまって、それで警察に追われる身になるんだそう。エスカミーリョも出てくるみたいだけど、どういう設定かは不明。IT企業の若きやり手社長とかでしょうか。


2005年11月2日

最後に書いた日記から2週間近く経ってますねー。また「経歴」もほとんど1ヶ月ぶりです。その間ずっとひとさまに甘えていたわたくし。忙しかったのと疲れたのとで、なかなか筆が進まなかった(というか気が進まなかった)のですう。人間だからこんなこともあります。

それはそうと、例の女子高生による実の母親毒殺未遂事件には驚きました。これだから子どもっていうのは怖いです。妄想を実行しちゃうから。なんかイギリスに実在した毒殺魔の男に憧れていたそうですが、いかにも子どもならではの非現実的なファンタジーです。

これからの彼女を待っているのは容赦ない苛酷な現実です。どうするんでしょうね。たとえば精神に異常をきたすとかいう方法で現実から逃げ続けるのか、それとも現実を受け入れて一生のあいだ自分の罪に苦しみ続けるのか。私が思うに、彼女はたぶん前者の方法をとるでしょう。

大人もファンタジーを抱きながら生きているとは思うのですが、子どもと違うのは、絶えず自分を叩きのめす現実にさらされている、という点でしょう。たとえば生活するために働かなければいけない、人間関係でイヤな思いをする、自分のこれからに不安や焦りを感じるなどです。これらは決して愉快なものではありませんが、でも今回のような事件が起こると、これなら現実でイヤな目に遭ったほうが全然マシだな、と思えてくるから不思議なものです。

子どもはしょせん、親に食わしてもらっている立場です。ファンタジーの中だけで生きることが許されます。この女子高生みたいに、現実のほうを自分の妄想に従わせようという心得違いを起こす子どもも、たまには出るでしょう。

やっぱり辛い現実とファンタジーと、健全に生きるためには両方が必要で、片一方だけではいけない、とつくづく思います。

ひとつだけ疑問なのは、あの女子高生の家庭です。彼女がグロテスクな嗜好を持っていることは明らかだったのに、なぜ2ヶ月以上も通報が遅れたのか、しかも警察が捜査に着手したきっかけは、彼女の兄が病院に相談したことだったなんて、私には不思議でなりません。

祖父母、父親、そして被害者となった母親の影が薄い気がします。特に父親は、今回の事件発覚にどのように関わっていたのでしょう。彼女が妄想に浸りきってしまった原因の一つは、たぶん彼女の家庭にも求められるのではないかと思います。


2005年10月20日

昨日から目の奥が痛んで、瞼がしきりに痙攣するようになりました。今は「経歴」用の資料を読みつつ書いているのですが、やはり資料を読んだり、パソコンに向かったりすると目が痛くなり、瞼が痙攣を起こします。お風呂に入ったらいくぶん改善するので(リラックスするから?)、これは疲労とストレスが原因なのでしょうね。たぶん仕事のせいです。

というわけで今週中の「経歴」更新は無理なようです。でも、その代わりといってはなんですが、非常に興味深い記事を寄せて頂きまして、それを掲載することができそうです。楽しみにしていて下さいね。イギリスのストーリー・バレエ(こういう言葉があるのかどーかは知らんが・・・)に関することです。

日本は外国のバレエ・カンパニーが多く来日して公演を行なっているので、非常に恵まれた環境にある、ということをよく聞きます。でも私はそうは思いません。日本には確かに多くの外国のバレエ団やダンサーがやって来ますが、大体はいつも同じ顔ぶれと演目でしょう?珍しい演目が上演されるとしても、ガラ公演などでその断片が上演されるに過ぎないのがほとんどではないでしょうか。

それはバレエ公演を主催するプロモーターの数が限られていて、彼らの好みによって、招聘されるバレエ団やダンサー、果てには演目が限られてしまうせいだと思います。日本の一部のバレエ団は、独自のレパートリーを開拓して頑張っていますが、でも海外の有名バレエ団やダンサーにはかなわない。

何を言いたいのかというと、バレエ公演を主催するプロモーターさんには、もっと多くのバレエ団や作品にも目を向けてほしいということと、少数ながらも強いポリシーを持って一般受けしない作品を上演している日本のバレエ団をもっと応援しよう、ということです。

個人的な欲を言えば、イギリスの振付家によるストーリー・バレエを、もっと日本で観られるようになるといいなあ、と思います。


2005年10月17日

ダーシー・バッセルが今シーズンをもってロイヤル・バレエを退団することを明らかにしました。来年の6月がロイヤル・バレエ団員としての最後の公演になるということです。クーパー君は89年にロイヤル・バレエに入団して間もない頃、いきなりコール・ド・バレエの中から抜擢されて「白鳥の湖」のジークフリードを踊りました。バッセルはそのときのオデット/オディールでした。彼らはその後も頻繁に組んで踊っており、クーパー君はバッセルがプロデュースした公演にも参加したことがあります。

退団といっても完全な引退ではなく、バッセルは今後もプリンシパル・ゲスト・アーティストとしてロイヤルの舞台には立つそうです。これはシルヴィ・ギエムと同じ身分らしいので、今までと同じとまではいかなくても、バッセルはこれからも比較的コンスタントに出演するのではないでしょうか。

でも舞台への出演頻度がそう激減するわけでないとしても、団員とゲストという立場は大きく異なります。しかもバッセルはこう言っています。「私は私の家族ともっと多くの時間を過ごすことになるでしょうし、レパートリーの選択についても、より自由が得られるでしょう。」(「スコッツマン」10月13日) 彼女は現在36歳、だんなさんと二人の幼い娘さんがいて、下の子はまだ2歳にもならないそうです。

つまりバッセルが退団するのは、たとえば他のカンパニーに客演したり、世界の振付家と「コラボレーション」を行なったりして自分のキャリアを高めたいからではなく、空いた時間を自分の家族と過ごすことに当てたいかららしいのです。

「私はロイヤル・バレエに身を捧げてきたし、自分の仕事を愛しています。でも私が選んだのは、自分の家族と一緒にいることのほうでした。踊ることは肉体的にかなり消耗することで、もしそのせいで私が子どもたちをないがしろにすることになったら、私のバレエは苦しいものになってしまいます。」

彼女は一人目の娘さんをみごもっているときに妊娠中毒症に罹ってしまったので、7週間の早産で帝王切開で出産することになり、彼女自身も数日間、生死の境をさまよったそうです。7月のロイヤル・バレエ日本公演「マノン」のカーテン・コールで、舞台上で静かに、またはクールに微笑んでいた彼女にそんなことがあったなんて、想像もつきませんでした。

でも家族への思いと同時に、バッセルはバレリーナとしての自分の「引き際の美学」を強く語っています。「私は自分自身が要求する水準ですべてのレパートリーを踊れるうちに、バレエ一筋に打ち込む時期を終わらせたいといつも願っていました。」(「テレグラフ」10月14日)

「私は優雅に身を引きたいといつも考えていました。難しい決断だったけれど、私は踊れなくなった作品を自分のレパートリーから外す、ということはしたくなかったし、自分が『白鳥の湖』を踊れなくなる日を待つつもりはありませんでした。私はもう踊れなくなるまで踊っているダンサーを多く目にしてきましたから。」

「いつかは私も観客に大目に見られる日が来ることは分かっています。それこそが、私が普段から35歳で引退したいと言っていた理由でした。私は徐々に消えていなくなるダンサーの一人にはなりたくありませんでした。それは最も辛いことです。でも私が自分の水準を保てる限り、私は踊り続けるでしょう。」(以上「インディペンデント」10月14日)

bellet.coではさっそく噂が飛びかい、彼女が退団を決意した最も大きな理由は、ロイヤル・バレエ内に彼女の相手役を務める特定の男性ダンサーがいないことだろう、と推測する人々もいます。

それが本当かどうかはさておき、私はプリマ・バレリーナといっても、いろんなタイプの人々がいるんだな、と思いました。バレエこそは自分のすべてだから、死ぬまで踊り続けるという人、バレエも大事だけど家族はもっと大事という人、観客から「往年の名ダンサー」扱いされる前に潔く身を引きたいという人、私はどれが正しいとはまったく思わず、それぞれのタイプのダンサーに、均しく大きな魅力を覚えます。

バッセルはバレエがすべてじゃない人だな、というのは、舞台上の彼女のパフォーマンスを見てなんとなく分かりました。悪い意味ではなく、オンとオフとをきっちりと区別して切り替えることのできる人だと思います。これが、彼女のパフォーマンスに常に漂うバランスのよさや安定感を生み出していたのでしょう。大人の女性の成熟した天真爛漫さ、とでもいうのでしょうか、彼女のパフォーマンスには、たとえ悲劇であっても、観客に心理的な止めを刺さない優しさや暖かさみたいなものがありました。

反対に、年をとって「踊れなくなっている」のに、あくまで舞台に立ち続けるダンサーもいます。批評家から批判されても、観客から同情の目で見られても踊り続ける。こういう人はとにかく踊ることが好きで好きでたまらないんでしょう。もしくはどうしても踊りから離れられないのでしょう。私はこうした人々には、ダンサーかどうかは関係なく、切ない「人間の業」みたいなものを感じます。そして私は彼らにも大いに惹きつけられるのです。


2005年10月15日

"Wallflowering"を頑張って読んでます。これは中年夫婦の話で、夫のクリフと妻のペグは40〜50代後半という設定になっています。クリフは真面目一筋に仕事してきたサラリーマンで、昔ながらの亭主関白な男です。クリフは「特別な」人間になりたいという子どもっぽい願いを捨てきれない一方で、現実の自分がデバラでハゲで冴えない普通の中年男だということも認めざるを得ないのです。ペグは地味でおとなしい専業主婦で、毎日をひたすら夫や子どものために尽くして暮らしています。でも彼女は女性雑誌や女友だちの影響で、徐々に自分のそんな姿や生活に疑問を感じ始めます。

やがてペグの疑問と不満は具体的な行動として現れます。クリフもそれに気づきます。20年以上ものあいだ続いていた、幸せだったはずの(ペグは自分を幸せだと思い込もうとしていたのです)二人の関係に軋みが出てきます。さてこの後はどうなるのでしょう。続きが楽しみです。ちなみに、登場人物は現実のクリフとペグ、そして「踊るクリフとペグ」です。華麗に踊るクリフとペグは、二人がそれぞれ思い描く理想化された自分の姿なのだそうです。

チケットぴあからのお知らせメールで、新国立劇場バレエ団の「白鳥の湖」が来年のお正月に上演されるということです。新国立劇場バレエ団の「白鳥の湖」ならまた観たいです。それに今回のゲストはスヴェトラーナ・ザハロワという人で、この前テレビで放映していた新国立劇場バレエ団の「ドン・キホーテ」で、もんのすごい32回転をやっていたダンサーです。

チケット一般発売初日は今日でした。早めに申し込もうと思っていたのに、夜になるまですっかり忘れていました。さっきようやく思い出してぴあに行ったら、おおすげえ、ほとんど売り切れではありませんか!ザハロワの出演する日が。人気者なんですね。それでもなんとか隅っこの席を入手しました。

ザハロワについては、「ザハロハ」(←ハワイ?)、「サバロワ」(←魚?)など、実に楽しい誤表記がぴあやイープラスのサイトでありました。でも楽しみです。生ザハロワ。

9月中旬に小林紀子バレエ・シアターから公演のチラシが送られてきました。演目はフレデリック・アシュトン振付の「二羽の鳩」と同じくアシュトンの「レ・パティヌール」です。個人的にアシュトン作品2連発、というのは気乗りがしないので悩みます。妙だなあ、と思ったのは、チケットの一般発売が8月2日なのに、どうして今ごろチラシがわざわざ郵送されてきたのだろう、ということです。

前に小林紀子バレエ・シアターの公演を観に行ったとき、決して盛況とはいえなかったので、ダンサーもみないいし、演目もいいのに、どうしてこんなに客がいないんだろう、と疑問に思いました。後で聞いたら、確かアメリカン・バレエ・シアターの日本公演と日程がズバリ重なっていたらしいんですね。あ、たぶんそのせいだ、と思い当たりました。

ひょっとしたら今回もそうなんじゃないか、と思って公演日を見たら、案の定、シュトゥットガルト・バレエ団日本公演とズバリ重なっています(11月12、13日)。なかなか難しいことなのかもしれませんけど、もうちょっと公演日程というものを考えたほうがいいのではないかと思います。たとえば公演日を1週間ずらせば、もっとチケットが売れたんじゃないでしょうか。

どうしようかと悩みましたが、1回分だけ購入しました。「二羽の鳩」や「レ・パティヌール」なんて、やっぱり演目が珍しいし、こんな機会でもなければ、日本ではまずめったに観られない作品でしょうから。バレエ団に電話するのは面倒だったので(時間もないし)、試しにぴあやイープラで探してみました。そしたら腰が抜けそうなくらいいい席があって、即購入しました。

公演日まで1ヶ月を切ったというのに、どーしてこんないい席が残っているのか、なんか複雑な気分です。当日は盛況になるといいんですけどね。

また話は変わって、ロイヤル・バレエのダーシー・バッセルが退団することが明らかになりました。今後はプリンシパル・ゲスト・アーティストとして、ロイヤル・バレエの舞台に出演するそうです。そうなると、いちおう出演はするものの、出演回数は圧倒的に少なくなるでしょう。残念なことです。このことについてはまた次回。


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