Club Pelican

Diary 24

2005年10月8日

連休初日、東京は雨が降ったり止んだりのお天気でした。湿度も高く蒸し暑かったです。連休・・・でもわたくしは10日も普通にお仕事です。だから連休気分なんてございません。

大きな話題になっている国勢調査、私はまだ書いてません。期限が迫っているので明日中に記入しなくてはなりません。私が住んでいる地域では、調査票はすべて専用の封筒に入れて封を閉じた上で提出し、調査員の人が記入内容のチェックをすることはないそうです。でも調査員の人が指定した回収日時には、私はまだ仕事で帰宅できませんでした(居留守を使ったんじゃないですよ)。そしたら、郵送用の封筒がポストに入っていて、それで提出して下さい、ということでした。

国勢調査の問題点や国勢調査の必要性についての議論が盛んです。確かに記入項目を見ていくと、これは役所が知っているはずだ、税務署が知っているはずだ、こんなことを聞いてどーするんだ、という事項があります。「調査票の記入のしかた」には、各調査項目によって何の統計を取るのか、その結果がどのように行政に反映されるのかが書いてあります。

確かに何の統計を取るのかはよく分かりますが、それに基づいてかれこれの施策に利用されます、というのは、いまいち分かりにくいです。特に「従業地又は通学地」、「勤め先・業主などの名称及び事業の内容」は、かなり説明が苦しいと思いません?

だからといって、私は役所とバトルをするつもりはありませんので、おとなしく提出しようと思います。記入に困るのが「住宅の床面積の合計」です。知りません。契約書かなんかに書いてあるのかな?それとも目分量でテキトーに書いちゃおうか。あと、「1週間に仕事をした時間」も困りものです。私は外で働いていますが、家でも仕事をしているときがあります。時間なんていちいち覚えてません。

国勢調査をめぐるトラブル(拒否、居留守など)の原因は、調査の目的がはっきりしないので、たとえ国相手といえど、詳細な個人情報を提供することへの抵抗感が強くなっているのと、近所の人が調査員になって各世帯を回り、記入内容のチェックをすることだと思います。後者のほうがいちばん大きな原因なんではないでしょうか。いくら守秘義務があるといっても、知られること自体がイヤですものね。いっそ、最初からすべて郵送提出にすればいいのに。

そうそう、チケットぴあから、「バレエの美神(ミューズ)」のチケットが郵送されてきました。仕事早っ!どうせよくない席なんだろうな〜、と恐る恐る封を開けて見てみたら、あらびっくり、いいお席じゃありませんか!プレリザーブもバカにできないですね。というより、興行元によって違うのでしょうか。

興行元は光藍社というところで、サイトに行って公演の詳細を見ました(←こういうことは購入する前にやりましょう)。ガラ公演で、なんかたくさんやるようです。いちいち拍手しなくちゃいけないなあ。なぜプレリザーブを申し込んだのか思い出そうとしたのですが、たぶん私はマイヤ・プリセッカが出演するというので申し込んだんだと思います。彼女はもう80歳なんですって。それでも舞台に出る。踊りが好きだから踊り続ける。私はこういう人が好きです。

ところで「バレエの美神」という公演タイトルですが、ある方から「すごい名前の公演ですね」と言われました。私もそのとおりだと思います。「美神」ってねえ、一語変換できないんですよ。「びしん」を変換すると、「微震」になっちゃうの。

そういえば、クーパー君カレンダーについてメールを頂いたのですが、「かれんだー」を変換したら、「可憐だー」になってしまったそうです。ナイス誤変換。


2005年10月6日

今日、注文したクーパー君カレンダーが届きました。ちゃんと航空便で送ってきました。厚紙で作られた二つ折り厳禁用の封筒に入れてくれてます。表紙は頭上で両腕を組んだクーパー君の艶かしい裸の上半身ショットです。ススキのように真っ直ぐふさふさ伸びたブロンドのワキ毛がステキです。

やや厚みのある、光沢のある紙でできています。写真はサイトで紹介されていたとおり、カラーとモノクロと両方あります。カラー写真には画質や発色のあまり鮮明でないものがあります。また「危険な関係」の公演写真が2枚(6月、8月)ありますが、クーパー君やサラ・ウィルドー、サラ・バロンの手足がピンボケしています。もっとも、これはわざとかもしれません。

12月分は加工写真です。上半身裸、下は黒いタイツのクーパー君が、笑っている横顔を見せて両腕を広げています。光に透けていて、ちょっと心霊写真入ってます。あと上半身裸に黒いタイツという姿は、江頭2:50、長州小力や轟を思い起こさせます。

写真のセンスは、公式サイトの商品にしてはすごくいいです。私が特に気に入っているのは、鏡の前で自分の姿をチェックしながらアラベスクをしているクーパー君(1月分)、グレーのパーカーを着て笑っているクーパー君(3月)、小劇場らしき場所の客席に腰かけて、黒いバレエ・シューズを履いているクーパー君(7月、なぜか横に茶色の革のサイフが広げて置いてあり、カードが何枚か見える。生活感が漂う)、クーパー君の両足のどアップ(9月)です。

イチオシは両足どアップ写真です。スネ毛が濃い・・・じゃなくて、脛から甲、指にかけての線が実に美しい!足の甲や指が弓なりにぐんにゃりと曲がって、人間の足がこんなふうに曲がるんかい!う〜む、バレエ・ダンサーの足だわ!って感じです。かかとの形も独特で、完全にシューズの形になっています。クーパー君の美はこの一枚に凝縮されています。このカレンダーのベスト・ショット賞。

10月分は「プロヴァーブ」(ウィリアム・タケット振付)のリハーサル写真です。一緒に写っているのはもちろんゼナイダ・ヤノウスキーです。奇妙なショットが2月分で、白鳥パンツ、ヴァイオリン、「雨に唄えば」で会場の飾りつけに用いられた(?)チェック柄の傘がぶら下がっていて、その間にクーパー君がいます。白鳥パンツと傘は分かるけど、ヴァイオリンは何の象徴なのかしら?「兵士の物語」かな?

あと11月分のクーパー君の頭上にある白い羽根はなんだろう?「僕にとって、『白鳥』がすべての始まりだったんだ・・・」というポエムなショットなのでしょうか。ちなみにこの写真は、クーパー君の腕にも注目です。血管がくっきりと浮き出て見えるの。ほんと、脂肪ってものが全然ないのね〜。裏表紙は全ショットのインデックスです。

購入してみての感想は、写真のセンスもなかなかだし、紙質は普通のカレンダーだし、送料込みで15ポンドなら、まあいい買い物ではないかしら、というものです。あ、日にち部分には書き込みスペースもありますよ。実用的(?)でもあります。


2005年10月5日

仕事が最近なぜかひどく忙しいので、「1週間に1回はきちんとした更新をしよう!」という目標を果たせませんでした。チャウはとても悔しゅうございます。今は「経歴」の続き(2002年)を書いているのですが、なにせ「経歴」自体を書くのが1年ぶりということもあって、なかなかはかどりません。

また、ちょうど私が実際に観た公演が出てくるため、ともすると「雑記」みたいな、公演の感想文になってしまうのです。以前の調子に戻るには時間がかかりそうです。今週中には更新するつもりですが、公演の感想的要素が強くなっていると思います。何卒ご了承下さい。

ここ数日の夜は酔っぱらっていることが多く、どうも私は酔った状態でネットをやると、つい衝動買いしてしまう傾向があるようです。昨日の夜に帰宅してメールチェックをしたら、チケットぴあから「プレリザーブ申込完了通知」というメールが来ていました。プレリザーブの申し込みなんかしたっけ?と覚えがありません。開けてみたら、私は「バレエの美神(ミューズ)」という公演を申し込んだようです。しっかり第三希望まで書いてあります。が、やっぱり覚えがありません。

そして今日、「プレリザーブ結果通知」メールが来ました。おかげさまで、第一希望でチケットが取れました。でも、なんで私はこの公演を観たいと思ったのでしょう。謎です。第一希望であっさりとチケットが取れたということは、この公演はあまり人気がないか、あるいはあまりいい席ではないのかもしれません。チケットの値段が高いだけに、イヤな予感がします。

でもこれはしっかり覚えがあります。クーパー君とサラ・ウィルドーがこの9月末から今月にかけて出演している演劇、"Wallflowering"(Peta Murray作)の原作が、今日Amazonから届きました♪ 原作といっても、これはほとんど台本です。「上演に際しての注意」、「使用する音楽」、「舞台装置と衣装替えに関する注意」とかが後ろに附載されています。

"Wallflowering"はオーストラリアで1988年に試演が行なわれ、翌年に正式に初演されたそうです。台本は1992年になって初めて出版され、初演以来、この作品は人気が出て、上演機会が多くなっていったであろうことがうかがわれます。

上演は4人版と2人版があり、4人版のほうは俳優2人、ダンサー2人によって上演されるとあります。2人版の場合は2人のキャストがセリフに加えてダンスも担当します。クーパーとウィルドーが現在出演しているのは、もちろんこの2人版ということになります。

登場人物はクリフ(Cliff)とペグ(Peg)のスモール(Small)夫妻で、どうも倦怠期を迎えている熟年夫婦のようです。どういうストーリーなのか、これから少しずつ読んでいって、クーパー君とウィルドーが演じ踊っている姿を想像するよすがとしたいと思います。

全2幕で短い作品のようですが、非常に長いセリフが多くあります。演技してしゃべる上に踊るとなると、かなり大変な作品でしょう。でもアダム・クーパーとサラ・ウィルドーという、一級のダンサー兼役者がキャストなのですから、きっといい舞台になっているに違いありません。


2005年10月1日

すみません、蓄積疲労と二日酔いのせいで、本日もまともなことが書けませんでした。クーパー君2006年カレンダーについてですが、表記されたサイズに誤りがあったと公式サイトで発表されています。Shopのカレンダー紹介では25×35センチとなっていますが、本当は21×29.5センチなんだそうです。ロイヤル・バレエ2005年カレンダー(25×35センチ)より、ひと回り小さいことになります。

クーパー君カレンダーは昨夜に注文したばかりなのですが、ついさっき、Adam Cooper Marketing Ltd.からメールが来まして、なんと10月1日に発送する予定だそうです。意外と仕事が速いですね。余裕で1ヶ月くらい待たされると思っていました。でも、発送は速くても、いつこちらに届くかはまだ分かりませんが・・・・・・。


2005年9月30日

今週は非常に忙しかったので、日記もごぶさたになってしまいました。最近のクーパー君の動向について思うところはあるのですが、今は書くヒマがありません。っていうか、今日は飲み会があって、チャウさんはまだ酔っぱらっているのです〜。ういっく。

この週末はお休みなので、酔いがさめたらちゃんと書きますね〜。ただ一つ、公式サイトのカレンダー販売には笑いました〜。写真を大きくしてもはっきり見えないところがあのサイトらし〜。でへへへ。それにしても、あの大きさであの送料?まさか船便で送るつもりじゃないだろうな。

カレンダー本体の値段は、同じサイズのロイヤル・バレエ2005年カレンダー(表紙、12枚のページともにフルカラー、アリーナ・コジョカルのポスター、カレンダー全ページのインデックス・ポスター付き)より、3.5ポンドほどお高いです。

だけどカミングアウトします。酔っぱらいチャウさん、さっきイキオイでつい買っちゃいました〜。だって写真がよさげなんだも〜ん。他のプロマイド集に比べたら、ずっとセンスがいいわよ。いつ届くのかしら。届いたら詳細を報告しま〜す。


2005年9月23日

ちょっと考えた末、「雨に唄えば」の感想を先に終わらせました。書いていくと、忘れたと思っていたことが次々と浮かんでくるもんですね。ちなみに文中に入れた写真は、レスター駅に飾られてあったポスターです。プログラムの表紙の写真もこれと同じです。

次にどれをやるかはまだ決めてません。でもロンドン旅日記、レスター旅日記、経歴を交互にやっていくと思います。経歴が「オン・ユア・トウズ」初演にかかるとなると、読む資料が一気に増えます。先日(あ、昨日だ)、ウェブからプリントアウトした資料を整理していたら、厚さが2センチくらいになってしまい、更に雑誌のインタビュー、公演プログラム、自分の記憶を加えると、途方もない量になります。参ってしまいます。

それと2002年は、思い出したくないこともいくつかありました。だからなおさら書くのが憂鬱なんですね。私が初めて生クーパー君と生ウィルドーを目にしたのは、2002年の初春に行なわれた日本のバレエ団の公演でした。まったくのバレエ素人だった私もそれなりに楽しんだし、なによりも生クーパー君がいきなり舞台上に現れて踊りだしたときのドキドキ感は、今でも忘れられません。

でもその後、バレエサイトめぐりをしてみたら、サラ・ウィルドーに対してひどい悪口が書かれていたのを見て、自分のことではないけどとても辛かった。そのとき、私はネットビギナーでもあったから、ネットでは過激なことを書いても許される、ということを知らなかった。それでショックが倍増しました。それ以来、私はバレエは嫌いじゃないけど、ああいう一部の過激なバレエファンの人たちがいまだに苦手です。

サラ・ウィルドーに関しては、なんと共演したバレエ団の団員(を自称する人)までもが、とても無神経なことをネットの掲示板に書き込みしていました。もちろんこういうのはごく一部の非常識な人なんだということは分かっています。今なら「共演者の悪口をネット上で言うなんて」と冷静に怒れるけど、当時はウブだったからねえ。まだ尾を引いているのです。

いちばん思い出したくないのは、2003年のボーン版「白鳥の湖」日本公演をめぐる一連の過程です。あれは本当に神経をすり減らしました。何のこと?という方は「雑記番外」をご覧下さい。でも最後には、クーパー君のしぶとくて且つ毅然とした対応に本当に救われました。

マシュー・ボーンとカンパニーのキャスティングの発表をめぐる姿勢については、最近になってようやくファンの間からも疑問の声が上がるようになりました。気になる人はballet.coの掲示板をご覧下さい。あのカンパニーがリベラルな姿勢とは矛盾したことを実際には行なっていることに、一部のファンが異議を唱え始めています。

このことは、2003年「白鳥の湖」日本公演のキャスティングをめぐるゴタゴタを思い起こさせます。あのゴタゴタは、一般の週刊誌(「週刊新潮」)でも取り上げられたくらいですからね。話題としては面白いのですけど、書く私は胃が痛みそうです。


2005年9月20日

「危険な関係」の感想を書き終わったから、次は「旅日記」を書こうか、などと考えたけど、「ロンドン旅日記」だけでいくつあるんだ?自分でもいいかげんウザく感じ始め、その前に去年の「レスター旅日記」を終わらせるべきではないか、とも思う。街そのものは、ロンドンよりレスターのほうが断然おもしろかったからね。古いものがたくさん残っていて。

ロンドンにある「古いもの」は、みな観光用に修繕され補修工事が施されている。ロンドン塔がいい例だ。レスターにある古いものは、多くが壊れっぱなしかガタがきていた。観光向けに利用しようとか考えてない(単に予算がないだけかもしれない)。

でもこの前のロンドン旅行は、「旅=一人で行くもの」という図式が頭にできあがっている私が、初めて友だちと一緒に行った貴重な体験だ。そのぶん面白いこともたくさんあった。

あとは「経歴」の続きを書かなくてはならない。最後に「経歴」を書いてから、もう一年以上経っている(!)。2002年の冒頭で終わっているから、すでに3年の隔たりができてしまった。「経歴」を書くのは面倒だ。書くこと自体は大したことではない。面倒なのは基になる資料調べである。それにここ一年は舞台鑑賞が多かったから、感想書きに時間を割かざるを得なかった。でもそろそろ集めた資料を時間に沿って整理して、続きを書く頃だろうか。

途中で止まっている2002年の初めから、私はクーパー君のおっかけをし始めたのだ。だからこの頃からは、ある程度リアルタイムで経験していることになる。そのぶん、新聞や雑誌の記事にばかり頼っていた前までとは、また違った書き方ができるかもしれない。

そういえば、「雨に唄えば」も最後のシーンを残して止まったままだった。すっかり忘れてた。舞台の様子については、覚えていることは覚えているから書ける・・・とは思う。最後のシーン、キャシー役の人が私(通路側の席に座っていた)の横を駆け去ろうとしたとき、ドン役のクーパー君が「みなさん、彼女を止めて下さい!」と叫んだから、え、観客参加で止めたほうがいいのかな、と迷ったこととか、クーパー君が"You Are My Lucky Star"をアカペラで歌い始めたら、微妙に音が外れていたこととか。う〜ん、どうしたものか。


2005年9月13日

残暑バテにへたっているわたくし、つれづれにネットサーフィンなどしておりました。クーパー君の「危険な関係」の感想や記事を探そうと検索かけたら、すげえ大量に(500件以上)ヒットしました。とても全部は見られないので、面白そうなのだけを選んで読んでみました。

そしたら、「危険な関係」の音楽を作曲したフィリップ・フィーニー(Philip Feeney)のインタビューが YAMAHAの公式サイト に掲載されていました。もしみなさんとっくの昔にご存知だったらすみません。「危険な関係」公演では、オーケストラ・ピットのいちばん奥(最も舞台寄り)中央に、鍵盤が並んだ2台の楽器が隣り合わせて置かれていました。あれはYAMAHAの「クラビノーバ」という製品だそうで、その縁でインタビューが行なわれたようです。

この楽器の機能や特徴に関する話とともに、「危険な関係」の音楽の特色、ストーリーと音楽との関係、また「クラビノーバ」が具体的にどのような使われ方をしたか、などという話題もあってとても面白いです。「危険な関係」の音楽や効果音は不思議極まりないものでしたが、このインタビューで割と種明かしがされています。ほおお〜、そうであったか、と納得しました(技術的な話はさっぱり分からないけど)。

久しぶりにたくさんのサイトに行きました。ブログが本当に多くなりましたね!というより、これは憶測なのですが、ひょっとしたらブログのほうが検索にかかりやすいのかもしれません。ふとこのサイトの「ブログ移行計画」が頭をよぎりましたが、でもやっぱりブログはこのサイトには不向きです。う〜む、どうしたものか。

悩みはもう一つ。翻訳料がもらえたらしいのですが(仲介人が代理で受け取った)、なんと全額、人民元の現金で寄こしやがったそうです。人民元の現金なんて国外に出てしまえばただの紙切れで、たぶん日本では「人民元→日本円」の両替は無理だと思います。そこで仲介人は向こうの銀行に口座を作り、そこに保管したそうです。

私がこれからマメに中国に行って使い切るか、それとも中国で他の外貨に両替してから日本に送金するかしかありません。でも後者の方法は、法的な規制もあってかなり難しいでしょう。外国人の私ならなんとかなるかもしれませんが。いずれにせよ、これは私がいったん中国に行かないと解決できない問題です。でもその前に、日本の銀行にも相談してみます。


2005年9月11日

今日は衆院選、チャウさんは夏バテぶり返しフォ〜!!!(by レイザーラモンHG) でもちゃんと投票には行きました〜。近くの投票所まで徒歩15分、往復30分かかるのに、だけど肝心の投票は1分で終わりフォ〜!!! ※海外に居住されているみなさんへ:レイザーラモンHGとは、日本で最近ブレイク中のハードゲイ(芸)人です。

昨日の夜にあわてて政党のサイトと最高裁判所裁判官関連のサイトをめぐって、どこに投票するか(小選挙区、比例代表)、誰にバッテンをつけるか(裁判官)決めました。政党は大政党のどれか。小さな政党には政治を動かすことなんて現実的にできないから。裁判官は関わった判例でバッテン対象をチェック。保守的でライトウィングっぽいヤツはダメ。

自民党のサイトなんて初めて行きました。なんかスーパーの特売チラシみたいな色彩とデザインでした。あちこちにデカデカといくつも「郵政改革」とか「郵政民営化」がなんとかと書いてありましたが、私は興味がないので素通りです。それで他のマニフェスト(←なんとおぞましいこの言葉)を読んでみました。

そしたらさすがは自民党で、さりげな〜く過激にライトウィングなことも書いてありました。あとはマニフェストをまるでスローガンのように短くまとめてあります。政策をスローガン化するような政党はちょっとなあ。また、妙に民主党を意識しているらしく、ところどころで民主党を批判しています。というわけで、民主党が次に大きな政党なんだと分かりました。よって民主党のサイトへジャンプ。

民主党のサイトも初めて行きました。大体、民主党っていつできた政党なのかさえも知りません。でもやっぱり衆議院の議員数は多い(もう解散したけど)。さっそくマニフェスト・チェックです。自民党のマニフェストより項目が幅広くて記述も詳細です。でも自民党のやってることだけを取り上げて、ことごとく自民党とは反対の政策を掲げてあります。こういう野党もねえ、与党になった暁には、意外と前与党と同じことをしたりするんだよな。

更にいくつかの政党のサイトを見て、最後は最高裁判所のサイトへ行って、国民審査対象の裁判官が出した判例チェックです。そんなにヘンな人はいなさそうです。しいていえば従軍慰安婦問題ですが、これは問題が複雑すぎて、私もどう考えたらいいのか分かりません。裁判官の前に、まず私にバッテンをつけないと。

投票が締め切られた午後8時、テレビ各局は一斉に選挙速報番組を放送し始めました。「出口調査」では、自民党が圧勝だそうです。出口って、投票所の出口のこと?そこで誰に、どの政党に投票したか質問したのでしょうか。よく考えついたものです。

そして深夜。出口調査どおり、自民党は300議席近くいきそうです。特定郵便局はかわいそうだわ。すっかり諸悪の根源みたいな存在にされてしまって。自民党に票を集める都合のいいエサになっちゃった。解体したり再編したりすべき特権享受組織は、他にいくらでもあるだろうに。

私は自民党には入れなかったから、これで自民党政権が将来に何をやらかそうが、それでどんな結果を日本にもたらそうが、私の責任ではありません。私にとって投票するモティベーションとは、せいぜいこんなエクスキューズをするためだけなのです。


2005年9月8日

台風が過ぎ去ったら残暑が戻ってきました。でも夜はやはり涼しくなって、虫の声が聞こえてきます。まさに「夏は終わった〜♪」(by ムーンライダース) ←知ってる人がいるのか。そういえば「はっぴいえんど」には「夏なんです」という曲があったな。あれは名曲だ。←だから知ってる人がいるのかって。

ちょっとアンニュイなわたくし。中国共産党第十一期中央委員会第四回総会で採決された「農業発展を加速させる若干の問題に関する決定」から脱出できたのはよかったが、心に生じた空隙を埋めてくれるものがない。というわけで心の慰めになる本を探しに再び書店に出かける。

なんか思いっきり笑える明るい内容の本がいいな、と探した結果、「残酷な神が支配する」(萩尾望都著、小学館文庫)全巻と、「刑務所の前」第2巻(花輪和一著、小学館刊)を購入しました。・・・・・・全然笑えないっつーの。

「残酷な神が支配する」は今まで怖くて読めなかったのです。だって本当に残酷なんだもん。でもこの作品、内容が実にリアルで、よく考えて、よく調べてあるなあ、と呆然とするばかりでした。よくこれほどの作品を描けたものです。

リアルといっても、登場人物やストーリーはすべて極端なものに設定してあります。これはドラマティックな効果を狙ったものではなく、あえて極端にすることで、いかなる事例も包括できるように、つまりこの作品を読んだすべての人(家庭内暴力・児童虐待の被害者)に受け入れられるようにしたのだと思います。

読むほうにとってもかなり精神的に辛い作品なので、気力が弱っているときに読むのはお勧めしません。いい作品ですが、文庫版の巻末にある解説文は揃いも揃って実につまらないです。中には全編を読んでないのがバレバレな人や、読んでもこの作品の意味を理解していないらしい人がいます。この点だけが不満です。

萩尾望都は一般的にも有名な漫画家ですが、花輪和一も一部で有名な漫画家です。実は私、花輪和一のファンなのです。特に彼の時代劇はいいですよ。彼は以前に銃刀法違反で逮捕・起訴され、実刑判決を受けて服役していました。その服役中の体験を描いたのが「刑務所の中」という作品で、これは去年だか一昨年だかに映画化されました。

「刑務所の前」は逮捕に至るまでの経緯を作品化したものです。しかし、逮捕前に古い本物の銃を手に入れて自分で修復していく過程、拘置所や刑務所の中での生活、あとは日本の近世を舞台にした時代劇が三つどもえになって、一つの作品の中で展開されていきます。

不思議な作品ですが、違和感を感じさせません。人間の頭の中って、過去の記憶、現在の記憶、そして妄想がごちゃ混ぜになって、くるくる切り替わって、それでも矛盾なく共存しているのが普通でしょ?それに花輪和一の作品はいろいろあるけど、テーマは共通している。たとえそれが時代劇でも。というか、花輪和一の時代劇は、現代劇に他ならないんです。傲慢なことを言わせてもらえば、私には花輪和一が作品を通じてぶつけたい感情が痛いほど分かる。

みなさんは花輪和一の作品を読んだことがあるのでしょうか?なんというか、読んだことのない方は、このまま一生読まないほうがいいと思います。ちょっと(ばかりでなくすげえ)アクが強いんです。読後感は不快そのものなので、私も読むときには覚悟を決めて読んでいるくらいです。

メランコリックな気分がますます大躍進してしまいました。次こそは笑える本を買うぞ。


2005年9月5日

ついに翻訳の仕事が終わりました♪ 翻訳原稿のファイルをプリント・アウトしたもの、ファイルの入ったCDとフロッピーを郵送しました。かなりな厚さになったので、ひょっとしたら中国の税関で検閲されるかもしれません。国際郵便でもハガキや封書などの手紙類は検閲されませんが、一定の容量・数量を越えるものは、基本的にすべて開封されて検閲されます。ディスクを壊されたりしなければいいけど。

メールの添付ファイルで送ればいいか、とも思いました。でもやはり「文字化け」が心配です。プロバイダやサーバーが原因で文字化けする場合もあるので、発送はアナログな方法をとることにしました。また向こうが使っているパソコンのOSによって文字化けする可能性もあります。それで必ず日本版のWindowsXPで開くように一応注意しときました。出版社ならあるでしょう。

郵便物の検閲の話ですが、中国って乱暴な国だなあ、と思われたかもしれません。元来の梱包テープを剥がして開封し、検閲が済むと検閲済みのテープであらためて閉じ直します。それで調べているのがバレバレなわけです。でも、日本の税関、あるいは郵便局だって同じことをしているはずです。たぶんX線とかで検査していて、見た目にはそうと分からないのでしょうね。

自分が中国から送った荷物を日本で受け取ったとき、一度だけ日本の郵便局に開封検査されていたことがありました。中国と同じように、検査済みのテープで再び梱包しなおしていました。珍しいなあ、何が引っかかったんだろう?と不思議に思いながら、中の品物をひとつひとつ取り出してみたら、疑わしい(笑)品が見つかりました。

それは振動に反応して笑う金ピカの弥勒菩薩像でした。向こうではよく売られているお土産品です。ダルマさんのような形をしていて、揺らすと「がーっはっは!」と笑い出します。台座が外れるようになっていて、空洞になっている内側にある小型の機械に電池を装着します。

もちろん電池を装着したままだと、運送されている最中、電池が切れるまでずーっと箱の中で笑いっぱなしということになります。それで電池は外したのですが、そのまま台座の中に放り込んでおいたのです。

さて、この「笑う弥勒菩薩像」は、X線検査をしていた税関の人の目にどう映ったのか?謎の球形をしており、中には数本のコードがあって小型のモーターに繋がっている、その横に単3電池が一個。そう、きっと爆発物だと疑われたに違いないのです。注意深くそれを取り出す税関の人々の前に現れたのは・・・・・・その情景を想像して、私は大爆笑してしまいました。紛らわしい物を送ってしまって申し訳なかったです。

ここ最近読んだ本といえば、「中国近現代史」だの「大躍進政策と整風運動」だの「文化大革命十年史」だの「中国の現代政治を読む」だのといった本ばかりでした。これでようやく、私の頭も「改革開放」できます。本屋さんに寄って、ようやく好きなようにゆっくりと「ぶらぶら見」しました。

久しぶりに「ダンスマガジン」を読みました。6月に観た「ハイランド・フリング」、7月のスターダンサーズ・バレエ団公演、ロイヤル・バレエ日本公演、小林紀子バレエ・シアター公演の記事があって面白かったです(でも買いませんでした。すみません)。

小林紀子バレエ・シアター公演「招待」のリハーサル・リポートを読んで、やっぱりあれはダンサーにとって、精神的にタフな作品なのだと分かりました。スターダンサーズ・バレエ団公演については、やはりこの批評家もそう感じていたのか、と思いました。

ロイヤル・バレエ日本公演の特集記事には、ダンサーのインタビューが多く載っていました。ダーシー・バッセルのインタビューがなかったのが残念です。でも現芸術監督のモニカ・メイスンのインタビューは興味深かったです。特にアシュトン、マクミラン、クランコのロイヤル・バレエ内における隠微な権力闘争についての部分が・・・・・・やっぱり買おうかな。

表紙の写真は「ハイランド・フリング」のウィル・ケンプで、記事には公演写真も載っていましたが、なんだか私のお気に入り、ノイ・トルマーちゃんのThe Sylphがいなかったような・・・。あの凶悪で不気味なノイちゃんシルフの写真が見たかったのに〜。

あと驚いたのが、ウィル坊はマシュー・ボーンの「エドワード・シザーハンズ」(サドラーズ・ウェルズ劇場、2005年11月〜2006年2月)を降りて、ウィル・タケットの「ピノキオ」に出演するんですね。「ピノキオ」は今年の年末年始に、ロイヤル・オペラ・ハウスのリンバリー・スタジオで上演されます。共演はマシュー・ハート。

ボーン作品に出たほうがいろんな意味で絶対にお得だろうに、なぜ降板してタケット作品を選んだのか?このへんの事情を聞いたインタビューがあればよかったのに(まあ無理だろうけど)。まあ、とにもかくにも、ウィル坊は肝が太くて根性がある、ってことですね。余計なお世話ですが、長い目で見れば、ウィル坊の選択は正しいと思います。ボーンなしではやっていけないダンサーになってはいけません。

また、ケンプが降りたということで、「エドワード・シザーハンズ」がどんなタイプのダンス作品なのか、なんとなく窺い知ることができるのかな〜、と思います。


2005年9月1日

早いものでもう9月です。1年なんてあっという間ですね。まだ暑いけど。さて、私は先週末を利用して帰省しておりました。更新が遅れたのはそのせいでございます。郷里はすでに秋の気配が漂っており、コスモスの花が咲き始め、ススキの背は伸び、見事な穂(?)を風になびかせていました。

それでも日中はやはり暑いので、日曜日に近所(およそ70km先)にある滝を見に行きました。滝の周辺には「マイナスイオン」が充満しており、よく知りませんが癒し効果があるんだそうです。急な山道に辟易しつつも、滝をいちばん間近に眺められる展望台に登ると、濃いグレーの岩肌の間を白い奔流が激しくほとばしり落ちていて(ちょっと詩的)、豪快な景色とともに耳に爽快なざあああっという水音が響いてきます。

滝つぼの水は透きとおったきれいな翡翠色で、みるからに涼しそうです。滝を落ちている川の源流は、近くにある山の雪解け水だそうで、滝つぼの下に降りて川に足を浸してみたら、これが冷たいのなんの、すぐに足が痛くなってしまい、5秒も浸していられません。でも気持ちよかったです。

水を手で掬ってみたら、怖いぐらいに透きとおっているのですが、ほんのりと翡翠色をしているように見えるのです。水に色がある?家族にそのことを言ったら、滝の周辺を覆っている木々の緑が水に映っているんじゃないか、ということでした。

滝から吹いてくる涼しい風に乗って、微かに木々のよい香りが漂ってきます。都会暮らしですっかり荒みきった私の心には、マイナスイオン云々はさておき、癒し効果抜群でした。

その近辺は田んぼと畑しかありませんので、農家の直売所があちこちにあります。これらは母親の娯楽の殿堂らしく、滝見物とあわせて直売所での買い物も主目的だったようです。地元で採れた野菜やその加工品、乳製品(牧場も近くにある)がメインの商品ですが、めずらしい品が数多くありました。

名前を聞いたことも見たこともない野菜が並んでいて、いったいどうやって調理するのか不明です。その一つが「さるのこしかけ」というキノコ(?)です。でも水気がなく乾燥しており、しかもポロポロと粉末状に崩れるような質感で、これはどんな料理に用いるものなのでしょう。

母親は異様にはしゃいで色々と買い込んでいました。フルーツトマト10個入り一袋、巨大ニガウリ一本(全長30センチ、最大直径10センチ)、漬物用茄子一袋(およそ20本)、得体の知れないラクビーボール状の瓜一個、トルコ桔梗一束などで、その合計額を見てびっくりしました。これだけ買ったのに全部で760円だったのです。

その夜にさっそく買い込んだものを調理してみました。やっぱり非常においしいのです。東京のスーパーで売られている野菜とは比べものになりません。東京では、たとえばちょっとお高い有機野菜や卵などを、通販で地方から定期的に購入している家庭が多いです。私はなーにを気取ってやがる、と少しバカにしていましたが、やっぱり東京で売られている野菜はマズいんだな、と思って反省しました。

しかし、およそ田舎者のお国自慢ほど見苦しいものはないので、私は東京のスーパーで売られている、鮮度も味もよくない野菜を食べ続けることに変わりありません。

短い帰省はあっという間に過ぎましたが、のどかに過ごすことができました。ただ参ったのが、日テレの24時間テレビを延々と観る破目になったことです。しかも家族全員が本気で感動しているのです。別に感動するのはかまわないのです。でも娘の私が言うのもなんですが、親はそれこそ24時間テレビも真っ青な苦労を、長年にわたって味わってきたのでした。

世の中きれいごとでは済まないことを身をもって体験してきた親が、24時間テレビに本気で感動している。娘の私にも理解不能です。なんかすごい人たちだなあ、と思いました。あと参ったのが、昼にNHKで放映していたヘタレ芸人によるモノマネ歌合戦です。これがとにかく寒くて寒くて、スタジオは全く盛り上がっていませんでした。それでも親は大笑いしていました。そんな私に更に追い打ちをかけたのが朝と昼に放映されるNHKの連ドラで、これも何が面白いのか私にはさっぱり分かりません。なんか騎手を目指しているらしい女の子の話でした。

他には、家になぜか子猫がいました。親が言うには、ある夜、突然に軒先に現れてピーピー鳴いていて、鳴き声がうるさくて眠れないのでエサをやったら、それから何となく居ついてしまったそうです。田舎というのは万事こんな調子です。

滝に行った途中、人ひとりいない広大な田んぼの中に、新しい道路の建設現場があるのが見えました。日曜日なので工事はしていませんでしたが、そこに大きな看板が立っていました。「テロ特別警戒実施中」とデカデカと書いてあります。はっきり言って、警戒する必要はないのでは、と思いました。これはウチの田舎の「非核都市宣言」以来のヒットでした。


2005年8月23日

帰国してあっという間に1週間が経ちました。余韻に浸っている間もなく仕事再開です。翻訳の作業はもうすぐ終わります。いつまでも「危険な関係」の雰囲気や旅行気分を引きずるのはよくない、と思ったので、気分転換に翻訳に励んだら順調に進行しました。

旧石器時代から始まって、今は1960年代に入りました。あとは40年分を残すのみ、もう2日間くらいで仕上げようと思っています。とりあえずは順調に進んでいるのですが、訳していてあまり面白くないです。

私が訳しているのは中国の歴史書なのですが、近現代史の記述は現在の中国の政治制度の制約を受けているので、大中華思想全開な上に、共産党の政策は間違いが一つもない理想的なものであったという記述になっています。

国民党は反革命の大罪人、アメリカは帝国主義の旗頭、ヨーロッパ列強は植民地主義の悪辣な国家、旧ソ連は一方的に信義を破って中国と断交した、中国共産党は被圧迫・被搾取国家であったアジア・アフリカ各国の救世主である、等々、翻訳していてうんざりです。

ただ中国は1950年代以降、国内で様々な深刻な問題が発生していました。共産党による一党独裁を確立するため、異端分子とみなされた人々の粛清を行ないました。また特に深刻だったのが食糧不足で、この本ではそれらをすべて列強による植民地支配と搾取の後遺症として結論づけています。でも実際には、これは中国政府の失策によってもたらされた面が大きいといわれています。

1950年代以降、政府の失策による食糧不足(餓死や子どもを捨てる現象が全国で大発生した)と、政府内の権力闘争が引き金になって引き起こされた政治的混乱、今なお公然と話題にするのは憚られている文化大革命を、この本がどう記述しているのか楽しみです。

日本語版であるということに考慮してか、日中戦争に関する記述は大部分が削除されていました。私は注記を書き添え、このような省略はこの本の完善さを損ないかねず、また日本人にどう受け取られようが、記述に自信があるのなら省略は行なうべきではない、と記しておきました。

今月末には向こうに送るつもりですが、どういう反応が返ってくるのでしょうね。


2005年8月16日

先週から「危険な関係」を観るためにロンドンへ行ってました。最終日の公演まで観て、今日のお昼前に帰国しました。相変わらず突然の報告ですみません。私にとっては「予定は未定」ということで、確実に観終わるまではやはり言いにくいのです。

特に今回は冷や汗ものでした。ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)で行ったのですが、ご存知のとおり、BAでは先週の半ばから大規模なストライキが起きています。もし出発が1日遅かったら、確実に数公演は観られなかったでしょう。また帰国が1日早かったなら、ヒースロー空港の中か外で一晩を過ごす破目になったかもしれません。

今日は「危険な関係」ロンドン公演について、簡単に書いておこうと思います。例によって、まとまった感想や旅日記は後ほど書いて載せるつもりです。

会場の様子ですが、まずは大盛況と言っていいでしょう。毎回ほぼ満席で、開演前や休憩時間のロビーは観客でごった返し、向こうが見えないほどでした。観客は各国から来ていて、英語はもちろん、フランス語、スペイン語、イタリア語などがあちこちで飛び交っていました。特にフランスの人が多かったようです。観客の年齢層も幅広く、それこそ子どもから(見せていいのだろうか)お年寄りまでまんべんなくおりました。

私のようなファンよりは、初めて来た観客がほとんどだったと思います。みなプログラムを手にしており、最終日を待たずしてプログラムは売り切れてしまいました。その後はリーフレット(厚手のチラシ)に、プログラムを1ページだけ縮小コピーしたものを重ねて二つ折りにし、真ん中をホッチキスで留めてありました。が、やがてそれもなくなり、最後にはコピーのみが配布されました。

日本公演と比べると、振付や演出はあちこちが変更・増補されていました。ややくどくて説明的過ぎるマイムがなくなり、踊りと簡単なマイムを組み合わせた、すっきりした自然な振付になっていました。たとえば第一幕、メルトイユ夫人がセシルの結婚相手はジェルクールだと彼女に教えるシーン、第二幕、セシルにヴァルモンを受け入れるよう説得するシーンなどです。

前者はメルトイユ夫人がジェルクールを手で示し、セシルの左手をとって彼女の薬指に指を当てる、後者はメルトイユ夫人が巧みに立ち回ってセシルとヴァルモンを踊らせ、セシルは踊りながら徐々にヴァルモンに魅せられていく、というふうになっていました。

大きな変更は、セシルが「変貌」していく過程が大幅に付け加えられたことです。上の変更もそうですが、すでに第一幕最後の強姦シーンで、セシルは嫌がりながらもヴァルモンに惹かれているらしい微妙な表情をし、更に両腕をヴァルモンの首にゆっくりと回します。ヴァルモンに鍵を渡すシーンでも、嫌々ながらではなく、微笑んでヴァルモンを見つめていました。

第二幕の最後では、セシルとメルトイユ夫人が同時に舞台の左右に出てきて同じ振付で踊り、そこへヴァルモンとダンスニーが現れる、というふうに大きく変わりました。セシルがメルトイユ夫人の思惑どおり、「一人前の女」になっていることがはっきりと示されます。

全体的に踊りが多くなり、ジェスチャーやマイムは少なくなりました。第一幕冒頭、メルトイユ夫人とジェルクールとのいきさつも、あからさまな仕草ではなく踊りで説明されます。ダンスニーとセシルの仲を知って激怒したヴォランジュ夫人とセシルとの確執も、ふたりが組んで激しい動きの踊りを踊ることで表されていました。

振付はあちこち手直しされていて、特に第一幕最後の強姦シーン、第二幕冒頭のダンスのシーンはかなり変わっていました。ともに日本公演よりはるかに良くなったと思います。どっかから持ってきて貼り付けたような振りがなくなり、複雑な人間関係と進行している状況を踊りで示しています。

演出上の増補は、たとえばヴォランジュ夫人がトゥールヴェル夫人と元々知り合いであること、ヴォランジュ夫人がトゥールヴェル夫人に、ヴァルモンには近づくな、と前もって警告するところなどです。トゥールヴェル夫人はそのせいでヴァルモンを避け、ヴァルモンがそれに気づいてヴォランジュ夫人を威嚇する、というふうになっていました。

キャストについては、サラ・バロンの怪演は相変わらず見事でした。が、ヨランダ・ヨーク・エドジェルのメルトイユ夫人もすばらしかったです。バロンは表情も動きもアクが強いですが、エドジェルはあまり表情を変えず、冷ややかな目つきと優雅な動きで、それだけにかえって凄味がありました。音楽性にも恵まれた人らしく、音楽や効果音を絶対に外しません。

個人的には、バーネビ・イングラムのジェルクール、プレヴァンが好みでした(笑)。この人は表情や演技が実にユーモラスで、客席からしょっちゅう笑いが起こっていました。

ダントツに優れていたのがトゥールヴェル夫人役のサラ・ウィルドーです。今回の彼女の踊りを見て、日本公演は体調の悪さをおして踊っていたのだ、と分かりました。振付が変わったせいもあるでしょうが、腕の動きで心情を雄弁に表現していて、また手足の動きと表情が音楽ときっちり連動しており、本当にすばらしかったです。

また、クーパーとヘレン・ディクソン(セシル役)、サラ・ウィルドーとのパ・ド・ドゥは、あれだけ複雑なリフトやサポートなのに、もたつきやぎこちなさが全くなく、しかも間髪おかずに次の振りにどんどん移っていき、ずっと目の離せない迫力ある踊りとなりました。

最終日のクーパーは特にすごかったです。動きは鋭くて、かつ一つ一つのポーズもきちんと丁寧に決め、ゆっくりとバランスよく回り、ジャンプは高くて脚もよく上がっていました。最後のシーンではよほどエキサイトしたのか、いつもより激しい唸り声を出していました。

観客の反応は極めてよく、カーテンコールでは拍手や喝采がすごかったです。スタンディング・オベーションも、私が観た公演で数回ありました。サドラーズ・ウェルズでは、これは珍しいことだそうです。休憩時間や終演後の観客の感想もおおむね好意的なものばかりでした。

レビューでは辛口の評価を受けることが多かったこの「危険な関係」ですが、観客には好評だったようだし、興行的にもまあ成功した部類に入るのではないかな、と思います。


2005年8月9日

向こうの新聞や舞台関係のサイトに掲載されている、「危険な関係」の一連のレビューについてですが、みなさんはあれを読んでため息をついてらっしゃるのではありませんか?

確かに向こうでは日本と違って、マスコミに載った批評家によるレビューが大きな影響力を持っているのですが、ぶっちゃけマイナスの評価が多い「危険な関係」の一連のレビューを、違った面から考えてみたいと思います。

とはいえ、私は今は時間がないので、あまり詳しくは読んでおりません。ざっと見で抱いた感触に過ぎませんが、向こうに住んでいる方の意見も参考にして、私個人が感じた印象をここで書くことにしましょう。

まずプレス・リリース直後に出た一連のレビューについてですが、向こうに住んでいる方の印象では、「何だか微妙な書き方をしているように思えます。目新しいものを見たときの反応そのものって感じですね。ケチつけたいけどつけ過ぎるのもナンだ、という感じ」だそう。

これが初期の段階のレビューの傾向です。奇妙なことに、プレス・リリースから1週間以上も経った8月初め、「危険な関係」のレビューが異常に多くなりました。みなさま御馴染みのBruceさんのballet.coでもそうですね。けなし→反論→けなし→反論というパターンで、あのサイトには珍しく、感情的なやり取りが繰り広げられています。

とはいえ上記の方によると、ballet.coも充分に感情的な論調の掲示板なのだそうですが、普段は冷静な管理人のBruceさんがねちねちとしつこく欠点を並べ立てて批判し、反論にケンカ腰で応じていたのには、さすがにびっくりしました。

果てはBBCまでがラジオとテレビの双方で取り上げるまでに至り、けなしている割には注目もしているらしいな、と私は漠然と感じました。

これは憶測ですが、批評家の評価が手厳しい割には会場の反応が熱狂的なので、各メディアも無視できなくなってきたのでしょう。要するに是々非々の評価が混ざり合った大きな話題になっているということです。

ブルーになっているみなさんのために、また向こうの方の経験談を紹介しますと、以前、あるミュージカルの紹介文が雑誌に載ったとき、「こんなの見ないほうがマシ」とすごい言葉でけなされていたそうです。これ、どの作品だと思います?なんと"We Will Rock You"ですって!この方によると、ヒットしていること自体がムカつく、といった感じで、これも「英国流」なんだそうです。

私も同じ印象を持っていまして、もし「危険な関係」が取るに足らない作品だったら、ここまで大量のレビューが出るのはおかしいと思います。またけなしていようが、褒めていようが、「危険な関係」のレビューには共通した特徴があります。みな異常に興奮して感情的になっていることです。ヒステリックになっている、と言ってもいいくらいに。

これは私にとっては、勝ち負けでいうなら「勝ち」なのです。彼らの感情を昂ぶらせるだけの大きな力があの作品にはある、ということだからです。ただ単に下らない作品だったら、みな無難にやり過ごすか、無視するものでしょう?または見下して逆に褒めてやる、とか。

何がそんなに彼らの感情を刺激するのか?すでに指摘も出ていますが、批判的な意見の大方は、既存のカテゴリーやジャンル(主にバレエ・演劇)とその固有の判断基準を、あの作品に適用してダメ出しをしています。肝心なことには、彼ら自身はその不適切さに気づいていないらしい(あるいは単に頑固なのか)。私には、彼らは自分たちが堅持してきた価値観があの作品には利かないことに、無意識のうちに戸惑って怒っていると思えるのです。

批評家やマスコミの露わな反感とは逆に、観客が大いに盛り上がっていることは、これら「批判派」の人々もさすがに認めざるを得ないようです。彼らは印象のみの漠然とした感想による批判のネタが底をついたとみるや、今度は理屈と専門的な知識を総動員して、なおも反駁しようと試みています。カテゴリー、ジャンル、原作の解釈、音楽、振付、衣装、舞台装置、観客、すべてにケチがつけられています。

クーパー君の振付については、ことごとくケネス・マクミランが引き合いに出されていましたが、今度はデヴィッド・ビントリーには及ばない、などという意見まで飛び出しちゃいました。彼らは自分が何をしているか分かっているのでしょうか。クーパーを貶めるつもりで、実際には持ち上げてしまっているということを?

というわけで、私はレビューを見るたびに、よっしゃあ、もっとやれやれ、罵りまくれ、と心からエールを送っているのです。

<最近の携帯電話> メルアドを設定、また迷惑メール対策をした上で、メールの送受信テストを実施する(成功)。二度目の充電。携帯ストラップ(なにかのおまけでもらったもの)を装着。しかしいまだ家でお留守番の毎日。


2005年8月6日

昨日、8月5日の夜に、ついに観ちゃいましたよ。「火垂るの墓」を!10数年ぶりです。前に観たのは学生時代で、あまりに悲惨で救いのない物語に、もう二度と観るまい、と思ってずっと避けていたのです。でもたまたまテレビをザッピングしていたら日テレで遭遇してしまい、それでもうおしまい、最後まで没入して観てしまいました。

でも学生時代に観たときより、ダメージはそんなに大きくありませんでした。私自身の性格は、自分では10数年前とそんなに変わっていないと思うのですが、でも多分に冷たい性格になってしまったようです。この時代にはこんな悲惨なことがあったのね、というくらいの感想で、放映が終わった後には、さてメールと翻訳の仕事しよっか、とあっさり気持ちが切り替わってしまいました。

私の性格は基本的に変わっていませんが、この10数年の間に、歴史とはいろんな角度から眺めることができ、それらの角度によって、同じ出来事でもまったく異なる意味づけができる、ということに気づいたのが主な原因でしょう。純粋で無知な正義感に囚われていた学生時代から10数年の時を経て、歴史には絶対的な意味づけなどなく、異なる角度から異なる見方ができる、という考えが、いつのまにか身に染み付いてしまったようです。

「火垂るの墓」に関しても、この兄妹は確かにかわいそうだけど、でも彼らは旧日本軍の中でもエリート集団だった海軍の高級士官の子どもであり、両親を失う前までは、かなりいい暮らしをしていたはずです。兄のプライドの高さが妹を死に追いやり、兄もまた戦争孤児として駅で野垂れ死にする破目になったのだ、と思ってしまいました。

いちばんかわいそうな幼い妹、セツコちゃんについても、観ていて苛立つことが多かったです。子どもだから仕方がないのですが、あ、自分がこんな感情を抱くということは、子どもは戦時下では邪魔で足手まといな存在だったのだ、だからこそそのぶん悲惨な目にも遭ったのだ、と気づきました。これは女性もそうですね。旧満州で子どもや女性が遺棄された例が多いのも、彼らが戦争弱者であったからだ、と突き放して考えていました。

まだ出版されているかどうかは知りませんが、「戦争の記憶」という本があります(イアン・ブルマ著、石井信平訳、1994年、TBSブリタニカ刊)。その中で、日本のある戦争資料館の館長が言った言葉が紹介されています。

「『戦争は二度とごめんだ』と叫ぶ前に、戦争が実際にどんなものだったのか、事実をみんなに見てもらいたいのです。被害者の観点から過去を見るだけでは、憎しみをつのらせるだけですからね。」  「私たちは自分たちも侵略者だったことを認識しなければなりません。私たちは祖国のために戦うのだと教育されました。祖国のために毒ガスを作りました。戦争を戦うために生きていたのです。戦争に勝つことだけが唯一の目標でした。」

「相手と戦い殴ったり蹴ったりすれば、相手も殴り返し蹴り返してきます。そしてどちらかが勝つのです。さて、この戦いはどのように記憶されるのでしょう?ひたすら蹴られたことを思い出すのか、それとも先に蹴ったのはオレの方だということを思い出すのか。そこのところを考えないかぎり、私たちは平和を手にすることはできません。」

高潔な平和主義者であれば、もっと白黒はっきりつけて考えられただろう。でも私の中には、いろんな人のいろんな考え方が混在している。私はいろんな考え方が渦巻く中で、自分はどう戦争を考えるべきなのか、まったく出口が見出せないでいるのです。


2005年8月2日

ショックなことがあったので、愚痴です。翻訳の仕事で、私が訳さなくてもいい原稿が紛れ込んでいるようだ、と下の日記で書きました。ところが今日、依頼者から連絡があり、「ぜーんぶ訳すっていう話だったじゃ〜ん」とありました。そんな約束だったか?私には覚えがないぞ。

連絡はメールで来たのですが、「翻訳の仕事を利用してダイエットに励みなさい」と余計なことまで書いてありました。あのオヤジ〜!!!

でも彼は帰国前日、翌日の飛行機の時間が朝早いので、前の晩は成田空港近くの温泉でゆっくりしてから、余裕で翌朝に帰国するはずだったそうです。ところが例の地震のせいで電車が止まり、さんざん電車を待った挙句に宿についたのが夜の12時で、翌朝6時には起床して空港に向かわなくてはならなかったとか。はっはっは、ざまーみろ。

<今日の携帯電話> 初めて充電しました。携帯電話の横ちょについていたボタンは、カメラの起動、フラッシュ、音量の調節ボタンだと判明。あとは電話に出れないとき、電源を切っているときの転送先として、留守番電話サービスセンターの番号を登録しました。試しに母親の携帯電話に電話してみたら、「ネットワークがビジーです」という意味不明なメッセージが出ました。次なる課題は、メールの設定です。あ、それから携帯電話に名前をつけました。「アダムちゃん」です。


2005年7月30日

「名作劇場」に掲載したマクミランの「招待("The Invitation")」ですが、いきなり何やねん、と思われた方も多いかもしれません。

この作品が上演された小林紀子バレエ・シアター公演の感想本体も後で「雑記」に載せますが(←まだできてない)、この「招待」の演出方法、また特に仕草や踊りによる意味表現の手法が、現在ロンドンで大激論の最中にあるクーパー君の「危険な関係」とよく似てるなー、と私は思ったんですわ。

クーパー君の「危険な関係」については、ハリウッド映画版を引き合いに出して云々する人はほとんどいないようですが、マクミランの振付の影響はすべての批評で指摘されています。彼らは専ら「マノン」や「マイヤリング」と比較しています。

でも私は、実は「招待」がクーパー君に最も大きな影響を与えた作品なのではないかと思います。振付が似ているとかいう次元ではなく、その作品の中での「言語体系」を作り上げる手法においてです。だから「招待」を名作劇場に別に載せたわけです。

私は「招待」を2回観たのですが、3回目も観ときゃよかったな、と思わないでもありません。でも、「招待」の前後の演目が私には苦痛だったのです。「招待」みたいな、マクミランのこのテの作品は、噛めば噛むほど味の出るスルメみたいなもんだと思います。どうかいずれ、また「招待」を上演してほしいです。

個人的な出来事について。翻訳は遅々として進んでいます。今月中には終われそうですが、どうも私が訳さなくてもいい部分の原稿も渡されていたらしいことに今日気づきました。そうなると予定より早く終われるということになります。依頼者は帰国してしまったので、直ちに確認しなくてはなりません。

<今日の携帯電話> 1時間かけて日時設定をして電話帳を作りました(数激少)。文字の入力はまだ慣れませんがなんとかできました。電話をかけるボタン、電話を切るボタン、電源ボタン、マナーモードのボタンも分かりました。でも「不在着信」や「留守番電話にメッセージがあります」など、どうやって分かるのかがまだ不明です。これは明日にでも研究します。


2005年7月28日

ああ、みなさん、私は堕落してしまいました。私はついに買ってしまったのです。携帯電話無線機(略して携帯電話)を!

携帯電話は、頽廃した現代文明の象徴として、私が最も忌み嫌っていた代物だったのです。電車の中でピコポコとメールを打ちまくる若者、喫茶店の中で大声出して携帯電話でしゃべっているバカ者、わたくしはそのような場面を見るにつけ、決して携帯電話は買うまい、と固く心に誓っていたのです。

でも友だちと待ち合わせをする際、私に携帯電話がないために、なんとな〜く迷惑そうな顔をされ、気まずい思いをすることが多くなりました。

決定的だった出来事は、先週土曜日の地震で、母親(70歳目前、携帯電話歴5年)から、「あんたが携帯電話を持っていないから、連絡がつかずに心配した。いまどき携帯電話を持ってないなんて信じらんなーい」と罵られたことです。

こうして、すでに矜持にこだわっている場合ではなく、実際的な効用を果たしている機器として、携帯電話を受け入れるべき時期が来た、と覚悟を決めました。でも「いつも誰かとつながってる」なんて真っ平御免ですので、なるべく電源は切っておこうと思います。(と友だちに言ったら怒られました。)

本日、わたくしの娯楽の殿堂、ヨドバシカメラに行きました。店員の兄ちゃんに「通話とメールができればいい。カメラ付きは要らない」と言うと、兄ちゃんに「あらー、でも今の機種は、全部カメラ付きなんですよ」と言われました。ああ、何たる腐敗!

で、「操作が簡単で定番のデザイン」(←機種変更なんて多分やらないから)という条件に合った機種と、そんなに通話もメールもしない人向きの料金プランを、兄ちゃんに選んでもらいました。手続きをしてびっくりしたのは、携帯電話そのものの値段が1円だったことです。

要は契約料と通話料で、携帯電話のマーケットは成り立っているらしいのです。店員の兄ちゃんが言うには、ヨーロッパではパソコンが先に普及して、携帯電話はその後に現れた。でも日本は逆で、携帯電話が先に普及して、パソコンがその後に追いついた。だからヨーロッパでは、携帯電話を持つのはまだ高くつくが、日本では安上がりで済む、ということでした。

私は今、買ったばかりの携帯電話を見つめています。見れば見るほどカブトムシかゴキ○リに似ていますなー。ボタンや画面を見ても、何を意味しているのか、何のためにあるのか、さっぱり分かりません。明日から説明書を片手に、コイツの設定や使い方を勉強しなくてはなりません。


2005年7月23日

今日は新国立劇場で行なわれたバレエ公演を観に行きました。開演は5時です。で、4時30分過ぎに京王新線新宿駅のホームで電車を待っていました。そしたらいきなりグラッと足元が揺れました。地震です。でも揺れはそんなに大きくなく、1回で終わりました。ほどなく電車も時刻どおりにやって来ました(4時37分発笹塚行き)。

電車はすぐに発車しましたが、車内アナウンスがありました。地震があったので安全のために徐行運転をしています、というものでした。でも数分後には、新国立劇場の最寄り駅である初台駅に到着しました。

3時間ほどして公演が終わり、また京王新線に乗って新宿に戻りました。京王新線の改札を出ると、隣にある都営大江戸線の改札の前が黒山のような人だかりです。何だろうと思って見に行くと、改札前で駅員と乗客が盛んにやり取りしています。

また手書きのボードが立てられていて、本日16時35分に東京で震度5の地震が発生し、その影響で交通規制が敷かれています、と書いてありました。また運行を停止している路線と、運行を再開した路線も書いてありました。

そんな大きな地震があったっけ?と一瞬不可解でしたが、ホームで電車を待っているときに、一瞬グラッと揺れたあれがそうだったのか、とやっと気づきました。京王新線のホームは地下にあります。地下にいると揺れはそんなに感じないものなのでしょうか。

帰宅してからニュースを見ると、交通機関は電車、地下鉄、モノレール、高速道路ともに運行をすべて停止していたそうです。山手線はなんと2時間も止まっていたとか。乗換駅の改札に行くと、乗客のおじさんが駅員と警備員を相手に喚き散らしていました。

幸いなことに、私が乗り換えた路線は、多少の遅延はあったものの運行を再開していました。おかげで少し時間がかかりましたが、無事に帰宅することができました。

家に帰ると、物が引っくり返っているとか、倒れているとか、そんなことはありませんでした。ただ微妙に物の位置がずれていて、だいぶ激しく揺れただろうことが察せられました。後で実家の家族から電話がかかってきましたが、地震発生直後、東京への電話がまったく通じなかったそうです。

気のせいかもしれませんが、特に今週に入ってから、夜になると微妙な揺れを感じることが頻繁にあったのです。でも地震速報も出なかったし、いったい何だろうと不気味に感じていました。もしかしたら前触れだったのかもしれませんね。

話は変わって、「危険な関係」ロンドン公演の感想を送ってくれたあびさんから、面白いニュースを聞きました。アダム・クーパー、サラ・ウィルドー夫妻は、先月にロンドンのActonから南イングランドのHampshireに引っ越したというのです。「イブニング・スタンダード」紙のインタビューで、サラ・ウィルドーが話していたそうです。

すげえ田舎で、家の周囲には何もなく、いるのは狐と兎と鳥だけだそうです。「ハワーズ・エンド」の世界みたいですね。まあ彼らにはそのほうが合っている感じがします。


2005年7月21日

どうもまたロンドンで爆発騒ぎがあったようです。報道によると、事件があったのはNorthern LineとVictoria Lineが交差するWarren Street駅、Northern LineのOval駅、Hammersmith&City LineのShepherd's Bush駅で、このうちWarren Street駅とOval駅では小規模の爆発があり、Shepherd's Bush駅では未遂(?)に終わったそうです。今のところ負傷者が1人で、この負傷者自身が爆発物を携帯していた可能性があるとのことです。

Warren Street駅、Oval駅、Shepherd's Bush駅は閉鎖され、Northern Line、Victoria Line、Hammersmith&City Lineは運転を見合わせているそうです。また、WaterlooからHackneyに向かっていたバスの中でも爆発が起きたそうですが、窓ガラスが割れた程度で済んだようです。

まだ詳細が明らかになっていないので軽々しくは言えませんが、2週間前の同時爆破テロとは性質の異なる事件のような感じがします。事件が起きたNorthern Lineは変わった路線で、ロンドンの南北を東西に枝分かれして突っ切っています。Warren Street駅は、King's Cross&St Pancras駅の隣のEuston駅のそのまた隣駅で、西側を通る路線です。Oval駅はセントラル・ロンドンの南端にある駅です。

Hammersmith&City LineのShepherd's Bush駅はセントラル・ロンドンの西端に位置しています。私が解せないのは、不謹慎かもしれませんが、乗客の少ない平日の真昼にこういう辺鄙な(すみません)駅で、テロ事件を起こして何になるのか、ということです。しかも爆発は小規模なものと思われ、この前の事件とは比べものになりません。またこの前の事件をそっくり真似たようなやり方にも疑問が湧きます。

まあイギリスの公安当局が優秀なのは先日の事件でよく分かりましたし、今回の事件の詳細も早晩明らかとなるでしょう。イギリス在住の方が、イギリスのマスコミや市民は、先日の事件を国内問題と捉え、どこぞの国のようにヒステリックに「敵性国家」を設定して無理に国際問題にしていない、と教えてくれました。今回もイギリスは冷静な対応を取るでしょう。

King's Cross&St Pancras駅から、Northern Lineの東側の路線に乗った隣駅が、サドラーズ・ウェルズ劇場の最寄り駅であるAngel駅です。今日のこの7月21日は、「危険な関係」のプレビュー初日です。

一見すれば、今回の事件はクーパー君にとって不運な出来事のようにみえるのですが、私は不思議な縁を感じます。これが彼の運命というか、よりによってロンドンが不穏な状況にあるとき、彼が主導的な役割を果たしている公演が行なわれる、ということに、クーパー君はやはり特別な使命を背負っている人なのだなあ、という思いが湧くのです。

これもイギリス在住の方から聞いたことですが、「危険な関係」の上演は、ロンドンのこの夏の大きな話題となっているようなのです。すでにイギリスの新聞各紙には、異常なほど関連記事が掲載されていますが、新聞のちょっとした娯楽欄でも、「危険な関係」のことが多く紹介されているのだそうです。

ともあれ、ロンドンの地下鉄は東京と同じように複雑で便利ですので、3線が運休したくらいでは大した影響はないでしょう。またバスもタクシーもありますし。初めての大作を地元で上演するというプレッシャーに加え、一連の事件のせいで公演に別の意味が付与されてしまい、余計に大変になったとは思いますが、どうか乗り切ってほしいと願っています。


2005年7月17日

最近あったことについて、いくつかご報告です。まず、ロンドンの同時爆破テロについてです。私の知っているイギリス在住の方々は、みな無事でした。ホッとしました。みなさんにもご心配をおかけしました。メールを下さったみなさん、本当にどうもありがとうございました。

ただ、数人の方が僅か一日二日の差でテロとすれ違っていたことが分かり、ゾッとしました。たとえテロ本体に遭遇しなかったとしても、その直後の混乱に巻き込まれることもまた同様に恐ろしいことだと思います。

ですが、こちらのニュースでも報道されていたとおり、ロンドンの地下鉄やバスは、テロの翌日には運行を再開しました。エリザベス女王やブレア首相が呼びかけたように、ロンドン市民はこの事件に落ち着いて対処し、あえて冷静さを保ちつつ普段どおりの生活を続けています。驚くべきことに、事件後わずか1週間にして、ヤードはテロの主犯と実行犯たちを特定してしまいました。

テロリストにとって、自分たちの攻撃が人々の恐怖心を煽ることができず、社会に混乱をもたらすことができなかったというのは、完全な敗北です。イギリス人のテロに対する冷静な対応は、今回の事件よりもはるかに悲惨だったテロ事件を、政治的なお涙頂戴劇に仕立て上げた某国に比べると、見習うべき点が多いように思います。

次に、このサイトの訪問者数が、いつのまにか20万を突破していました。いつも寄って下さっているみなさん、本当にどうもありがとうございます。現実生活でさんざんやっている「点数主義」をサイトには持ち込みたくないと思い、あえて言及しないようにはしてきたのですが、やはり管理人としてはとても嬉しいものなのです。これからも亀の歩みで続けていきたいと思います。どうぞお見捨てなく寄ってやって下さいませ。

最近はバレエ鑑賞で忙しいため、クーパー君関係の記事の更新が少なくなっています。今月いっぱいは仕事も忙しいので時間が取れません。でも来月あたりには割と時間が空くので、クーパー君についての記事がアップできるでしょう。


2005年7月12日

クーパー君の公式サイトがハッカーに侵入されて、どうもページが改ざんされるという被害を受けたようです。サイトにアナウンスメントがありました。なにかおかしな言葉が書き込まれていたらしいです。原因は現在調査中とのことです。

これはなんだかおかしな話で、いくらアダム・クーパーが有名なダンサーだといっても、それはあくまでダンス界でだけの話です。クーパー君は別に、イギリス人ならほとんどが知っているような有名人ではありません。そんな一介のダンサーの公式サイトをサイバー攻撃して、いったい何になるのでしょう。

Webページの改ざんという、明らかにすぐバレる攻撃を行なったというのは、目的はたぶん悪戯か嫌がらせでしょう。「危険な関係」の公演が近づいてマスコミへの露出が多くなり、また先日のテロ事件もありましたから、それに便乗した悪ふざけだと思います。攻撃の内容自体は他愛ないものですが、非常に悪質な行為です。

ハッカーがどうやって不正アクセスに成功し、Webページの改ざんを行なったのか、これにはいろんな方法があるようです。しかしその方法を公表すると更に模倣犯が出る可能性もあるので、不正アクセスをされたサイトは、その原因を明らかにしたがらない傾向があるようです。

クーパー君の公式サイトのアナウンスメントでも、不正アクセスの方法や原因については言及されていません。でも大まかに分けると三つの可能性があるように思われます。

一つには、Webサイト管理者のパソコンがトロイの木馬型ウイルスに感染し、ユーザーID、パスワード、FTPパスワードを盗まれた。二つには、Webサイトが用いているCGIの脆弱性を突かれてWebサイト内に入られてしまった。三つには、Webサイトが置かれているプロバイダのサーバが用いている、CGIのセキュリティ・ホールからハッカーが侵入した。CGIはリスクが大きいので、CGIの使用を許可していないレンタル・サーバが多いのはこのせいです。

最も多い原因が一つめ、ウイルス感染によってパスワードを盗まれたことで、後の二つはパソコンに詳しい人物が行なうことが多いそうです。ただ、最近は恐ろしいことにハッキング専用ソフトというものがあり、それを使えば素人でも簡単にハッキングできるということです。

クーパー君の公式サイトが蒙った被害については気の毒に思います。ですが、こんなことは言いたくないのですが、過去記事が消えてしまったことについては、なぜバックアップを取っておかなかったのか、という素朴な疑問が湧きます。

また「奇妙な点があったら知らせて下さい」とも書いてありました。でも仮にもWebサイト作成会社に依頼してサイトを作成・経営している以上、「奇妙な点」かあるかどうかは、彼ら自身の責任で調査すべきだと思います。どのみちあのサイトには、そんなに多くのページがあるわけではありません。

次に閲覧している私たちが取るべき対応についてですが、私は今日、パソコンの全ドライブをセキュリティ・ソフトでスキャンし、インターネットオプションのセキュリティ設定を「高」に上げ、更に「レベルのカスタマイズ」も設定し直しました。またCookieやネット上からダウンロードしたファイルも、記憶にないものはすべて削除しました。ファイアウォールももちろん稼動しています。なぜなら、サイバー攻撃がページの改ざんだけなら、閲覧者には影響はありませんが、ウイルスがWebページに仕込まれている可能性もあるからです。

クーパー君の公式サイトの管理人さんたちにお願いしたいのは、リスク管理は徹底的に行ない、またページの修正だけではなく、ウイルスの有無も徹底的に調べて、また結果報告を載せてほしいということです。もちろんこれは他人事や対岸の火事ではありません。私も定期的にサイトをスキャンして、パスワードもこれまで以上に頻繁に変えようと思います。


2005年7月8日

私事で恐縮ですが、これしか手段がないので。私のデスクトップ・パソコンは数週間前にいきなり壊れました。それで、そのパソコンで送受信したメールの記録が取り出せないままでいます。

イギリスにいらっしゃるみなさん、心配しております。簡単で結構ですので、落ち着いたらどうか私にメールを下さい。お願いします。


2005年7月7日

ショッキングな事件がロンドンで起きました。同時爆破テロです。昨日に引き続き、帰ってきてからやっとテレビのニュースを見たら、どこのチャンネルも大幅な時間を割いてこの事件を報道していて、またもや仰天しました。

報道によると、爆発は地下鉄のEdgware Road駅、Aldgate East駅とLiverpool Street駅の間、Russell Square駅とKing's Cross&St Pancras駅の間を運行していた車両の中で、あとはタビストックスクエア(どこか分からない)付近を運行していたダブルデッカー(2階建てバス)の車内で起きたそうです。

Edgware Road駅は、ターミナル駅でヒースロー・エクスプレスが発着するPaddingtonの隣の駅で、地下鉄4線が乗り入れています。その中の2線は同じくターミナル駅であるKing's Cross&St Pancras駅に直通し、King's Cross&St Pancras駅は地下鉄がなんと6線も乗り入れています。そこからピカデリー・ラインに乗った隣駅がRussell Square駅で、そのまま乗っていくと終点はヒースロー空港です。Liverpool Street駅にも地下鉄4線が乗り入れています。

平日の通勤時間に、人々が最も多く行きかう駅を狙ったのは一目瞭然で、しかも標的はイギリス人ばかりでなく、イギリスを訪れていた外国人も含まれていたことが分かります。まさに無差別テロそのものです。ロンドンの交通事情を観察して、どの路線で、どの駅で事件を起こせばより大きな被害を出すことができるか、よく考えた上で実行に移したのでしょう。

この事件に関しては、私の考えはまだまとまっておりません。ただ今の時点で感じているのは、卑怯で野蛮、愚かで残酷極まりないテロリストへの怒りです。911事件が発生したときも、最初に感じたのはテロリストへの怒りと軽蔑でした。

テロリストに共通しているのは、救いようのない愚かさと弱さです。私は内省しようとしない愚かで弱い人間が大嫌いです。テロリストの動機とは、政治的な思想、愛国心、宗教への熱狂的信仰などではなく、結局は彼らの個人的な事情から生じた憤懣だと思います。このような無差別殺人はその鬱憤晴らしです。彼らがそれを自覚しようとしないことに対して、私は絶望感を感じるのです。


2005年7月6日

帰ってきてテレビのニュースを見たら、ロンドンが2012年のオリンピック開催地に決定したというではないですか。びっくりしました。私はてっきり、とっくの昔にロンドンは開催地に決まったと思ってたんです。

5月にロンドンに行ったとき、"LONDON 2012"というロゴの入ったオリンピックのポスターが、バスとか地下鉄とか街の看板とかにやたらと貼ってありました。とてもきれいなデザインでもあったので、ほ〜、北京の次はロンドンでやるのか、と思い込んでいました。

今にして思えば、"VOTE"なんとか、とか、"MAKE BRITAIN PROUD"とかいうスローガンが書いてありました。あれは「ロンドン・オリンピック誘致を成功させよう!」という運動の一環だったのですね。

オリンピック反対派(笑)のチャウさんは、なーにがそんなに偉いのか、嬉しいのか、とまったく理解できません。今さらオリンピックやってそんなに経済効果があるものなのでしょうか。まあ私には関係ないからどうでもいいけど。

と思ったところで、関係ないことはないかもしれない、とハタと気づきました。もし2012年の8月に、クーパー君が出演する公演がロンドンであったらどうしよう、ということです。

ロンドンは観光客でいつもより以上にごったがえし、飛行機や宿は取りにくいわ、ホテルやレストランや商店はここぞとばかりに便乗値上げをしてボリまくるわ、この上なく不便な状態に陥るに相違ありません。

クーパー君はこの春のインタビューで、今の自分の体の調子だと、あと10年くらいはダンサーをやれるでしょ、と言っていた。彼は今年でようやく34歳だ。7年後、ロンドンでオリンピックが開かれる2012年、彼は41歳である。それに彼はてんでケガというものをしないヤツだ。まだ現役で踊っている可能性は高い。

それを考えたら不安になってきた。なんでパリ、モスクワ、マドリッド、あとはどこだっけ・・・ニュー・ヨークにならなかったんだ。オリンピックなんぞで国の面子が立って儲かると考えているアホな文化的後進国に、開催権なんてさっさとくれてやればよかったのに。

話は変わりますが、「危険な関係」のロンドン公演が近くなって、そろそろイギリスの新聞各紙に関連記事が掲載され始めましたよ。みなさまチェックを怠りなく。サンデー・タイムズのインタビューは、まだざっとしか読んでいませんが面白そうな感じです。クーパー君は意外と客観的に自分のことを見ているのね〜、と分かるコメントがいくつかありました。


2005年6月30日

6月26日分の日記は「雑記」に移しました(マシュー・ボーン「ハイランド・フリング」)。長すぎるので、そのほうがよいと思います。

忙しいといいつつちゃっかり観劇になぞ行ったりしておりますが、更にトリイ・ヘイデン(Torey Hayden)の新作、「霧のなかの子」("TWILIGHT CHILDREN"、入江真佐子訳、早川書房刊)を読みました。

トリイ・ヘイデンの本は、日本語に訳されたものなら、もうほとんど読んだと思います。その中で、この「霧のなかの子」はいちばん面白かったです。早川書房の宣伝の仕方の影響もあってか、彼女の本は「ポップ・サイコロジー」扱いされてしまっていますが、私はトリイ・ヘイデンの落ち着いた冷静な姿勢が好きなのです。

この本では、言動に問題のある2人の子どもと1人の老女が出てきます。子どものうち1人は攻撃的で虚言癖があり、もう1人は知能にも身体的にも問題がないのに、なぜだか一言もしゃべらない、老女は幼い頃の思い出を一方的に語ることはできるものの、他人と会話をすることができません。

原題の"TWILIGHT CHILDREN"とは、この老女の思い出話から付けられたようです。

「黄昏どきにポーチの踏み段にすわっていた」 ゲルダがいった。「昼でもなければ夜でもない。なにもないんだ。黄昏の中にはなにがあるのか、だれにも見えない。なにもないのと同じなんだよ。あたしがそこにいるのが父さんには見えなかった。父さんはティムを売るといった。あたしがどうしたいかなんてどうでもよかったんだ。あたしがそこにいるのが見えてないんだから」(「霧のなかの子」)

ゲルダとは老女の名前で、ティムとは彼女が子どもの頃にかわいがっていた馬の名前です。ゲルダの思い出話はいつもいきなり始まるのですが、内容は共通しているのです。それは、彼女の親は彼女の心に対して徹底的に無関心だった、ということです。

ゲルダの上の言葉を読んだとき、なぜかこの3月に観たバレエ、アンソニー・チューダー振付の「火の柱(Pillar of Fire)」(1942年)の情景が脳裏に浮かびました。情景もそっくりなばかりか、テーマまで同じではないですか。こんなことがあるんだなあ、と不思議でした。もちろんチューダーとヘイデンとの間には、関わりなんてまったくありません。

でもゲルダとチューダーは近い世代です。世代が近いと共有しているものがあるのかもしれないし、または単なる偶然なのかもしれません。何が言いたいのかというと、トリイ・ヘイデンの本に出てきたゲルダのこの言葉で、チューダーの「火の柱」がよく分かった、ということです。私はこういうことがあるとすごく嬉しいんです。

あと、5月に観たアルベルト・アロンソ振付の「カルメン」のビデオが、今日になってようやく届きました。カルメンはオリジナル・キャストのマイヤ・プリセッカが踊っています。やっぱりこの作品はいいですねえ。もうはっきりとは覚えていませんが、この前の舞台はやはり多くの部分を省略していたことが分かりました。

この前の舞台版は、ダンサーの見せ場となる踊りだけを、オリジナル作品からそれぞれ抜き出してくっつけたもののようです。どうりでプログラムのあらすじ紹介と舞台が合ってないな、と思ったんですよ。ビデオを観てはじめて、なるほど、こういう話の流れだったのね、と腑に落ちました。

このビデオはソ連で収録されたようです。今となるとちょっと恥ずかしい編集上の演出などもありますが、でもこの前の舞台版よりずっと分かりやすいです。あとは、やっぱりプリセッカにはパッションがあるのさ!そのおかげで、すごいドラマティックな出来に仕上がっています。


2005年6月25日

下にある6月17日分の日記で、「危険な関係」の"Covers"として新顔が二人いることを書きました。その後また新しい展開があり、"Covers"としてなんとサイモン兄ちゃんの名前が出ていました。ヴァルモン役です。プレヴァン役ではありません。

ということは、サイモン兄ちゃんは、ロンドン公演ではヴァルモン役として一定の回数は出演するはずです。ダブル・キャストの名目ではないので半分というわけにはいかないでしょうが、4回に1回くらいの割合で出演するのではないでしょうか。これはすばらしいことです。

弟アダムと同じ役で競演する、というのは、サイモン兄ちゃんがこれまでずっと避けてきた事態だったのです。それを今回はやる。しかもロンドンで。わたし的にはかなり感動です。

うーむ、これはかなり話題性がありますね。観客はどんな感想を持つのか、批評家はどんなふうに書くのか、すごく楽しみです。


2005年6月23日

クーパー君の日記がまたまたまた更新されてるというので、さっそく見にいってきました。またもや天然炸裂な爆笑エピソードが書いてありました。クーパー君、日本からイギリスに帰国後、なんと陪審員をやったというのです!

彼が担当した案件の具体的な内容については、もちろん何ひとつ述べられてはいません。でも2週間で審議は終わったみたいですし、彼も「ひょっとしたら、僕が人生で今までやってきたことで、最も退屈な出来事だったかもしれない」と書いています。たぶん大した案件ではなかったのでしょう。ただ「少し憂鬱だった」とも書いているので、何か人生の悲哀を感じるような事件だったのかもしれません。食い逃げとか無賃乗車とか。

陪審員は無作為に選出されるそうですが、当たる確率がそんなに高いのでしょうか。まさかアダム・クーパーに当たるとは!また日本人には分かりづらいのですが、クーパー君は、陪審員を去年やるはずだったのを何とか逃げおおせたそうです。ただしそれは延期されただけで、今年になってまためぐってきた、と。

1人の陪審員の都合で案件の審議を1年も引き延ばすのは考えにくく、扱う案件が変更されるだけで、陪審員の義務自体は必ず遂行しなければならない、ということなのでしょうか。それにしても、陪審員のクーパー君、すました顔して、着慣れないスーツ姿で法廷に座って、「有罪です」とか「無罪です」とか言ったのかしらね。

彼がこの日記を書いたのは、どうも「兵士の物語」公演の前みたいです。彼はこの作品がお気に入りのようで、たったの5回しか上演されないなんてすごく残念だ、と書いています。その後に、いかにも彼らしい言葉が続いています。「僕たちが没入しなければならない作業に比べて、たったの5公演しかないというのはおかしいんじゃないだろうか。」

彼はロイヤル・バレエ時代から、一つの作品を少しの回数しか踊る機会がないことに不満を抱いていました。ボーン版「白鳥の湖」のスワン/ストレンジャー役も、100回以上踊ってようやく未練がなくなったほどです。本当に真面目というか、彼も自分で言っていたように「完璧主義者」なんでしょう。数回踊っただけで満足するダンサーもいるでしょうが、クーパー君はそうではないようです。

クーパー君は兵士役を10回は踊っているはずですが、彼にとってはまだ充分ではないのですね。確かにウィル・タケット版の兵士役は深い役なので、まだまだ発掘のし甲斐があるでしょう。私も一観客として再演を望むばかりです。

後は、「危険な関係」ロンドン公演に関して、殺し文句を言っていますね。「できればたくさんのみなさんにこの作品を観に来てほしい。なぜなら僕たちはあなたがたのためにこれをやるのだから。」 ここまで言われると、観に行きたい気持ちが疼くのでございます。

クーパー君はよほど「危険な関係」にやり甲斐を感じているのですね。「僕は(危険な関係を上演する)機会に恵まれただけで幸せに感じています。もしすべてが明日突然に終末を迎えたとしても、僕は『危険な関係』を創り上げたことを誇りに感じ、とても満足しているでしょう。」

前編2つの日記は他人への感謝の言葉と賛辞ばかりでしたが、今回の日記はクーパー君の性格がよく出ていて、とても読み応えがありました。ますます好きになってしまいました。


2005年6月17日

今日クーパー君の公式サイトを見たら、Richard Curtoがジェルクール、Barnaby Ingramがプレヴァンとなっていました。あと"Covers"として、Michael Kopinski(ダンスニー、プレヴァン)、Simone Sault(セシル、トゥールヴェル夫人)が追記されています。この二人は新顔ですね。Kopinskiは Birmingham Royal Ballet の現役ソリスト、Saultは Sydney Dance Company の元(?)団員のようです。Sydney Dance Companyはコンテンポラリー・ダンスのカンパニーらしく、コンテンポラリーのダンサーがセシルとトゥールヴェル夫人を踊るとは面白いです。Duttonがいないのは寂しいですが、これはこれで興味深いです。


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