Club Pelican

Diary 23

2005年6月16日

ちょっと気になること。クーパー君のサイトに寄りましたら、「危険な関係」ロンドン公演のキャストから、Natasha Duttonの名前が消えておりました。前は載っていたと思うのですが。とても残念です。あとプレヴァン役も未定ですね。そろそろリハーサルに入る頃でしょうが、いったいどうなるのだろう。


2005年6月15日

今月中になんとかロイヤル・バレエのトリプル・ビルと「オンディーヌ」の感想を仕上げたいと思います。それと旅日記も。短期間でしたから、一気に全部載せることができるでしょう。

7月は仕事も相変わらず忙しいですが、更にほとんど毎週バレエ公演を観に行く予定なのです。その感想書きでも慌ただしくなりそうですので、今月中に5月のロンドン旅行についてはすべて片づけるつもりです。

毎朝、テレビをつけると例の「若貴兄弟の確執」で大騒ぎしています。どちらに非があるのかは私の知ったことではありませんが、あの家族は、揃いも揃って非常に野卑で下品な連中なのは確かなようです。

私の愛読する雑誌、「週刊文春」に貴乃花のインタビューが掲載されていましたが、品性を疑いました。あれがもし事実だとしたら、あの家族はみな育ちの非常によろしくない人々だといえます。家族を聞くに堪えない汚い言葉で罵り、他人に話すべきでない事柄を平気でマスコミ相手に話す。

あの家族は、全員が全員、親から道徳心を教わることもなく、きちんとした躾も受けてこなかった人たちばかりなんでしょうね。類は友を呼ぶといいますが、ある意味、まさにお似合いの家族です。「ジェリー・スプリンガー・ショウ」にぜひ出演してほしいものです(笑)。

争っている事柄はそう大したことではありませんが、あの家族の最も問題な点は、伝えるべきことを相手に直に伝えるのではなく、マスコミや他人を通じて相手に伝えている点です。これは非常に不健全なコミュニケーションの方法です。

貴乃花はマスコミを通じて兄や母親に圧力をかけています。兄は自分に非難が集まるのを避けるためか、なんと自分の妻を身代わりにマスコミに出して自分の意見を伝えさせているのです。まさに日本の伝統的な歪んだコミュニケーション方法で、私はこういうのが特に大嫌いです。

若貴一家は例外ではなく、他人に自分の感情や意見を代理させる人々は、日本人には特に多いのです。言いたいことがあったら直に言え、曖昧な言い回しや他人を利用して自己防衛を図るんじゃねえ、と私は常々思っています。


2005年6月8日

六月は疲れますなー。みんな疲れきってますわ。なにせ祝日が一日もないんですからね。心の拠りどころがない。他の月の祝日を一日くらい、六月に移してくれないかな〜。

職場で仕事、帰宅してから翻訳作業とサイトの原稿書き、という日々が続いております。もういいかげん開き直りまして、サイトはちょっとずつ書いていって、できあがった分だけちびちび更新していくことにしました。こうでもしないと埒があきません。みなさんを苛立たせるだろうと思いますが、どうかご了承下さいませ。

行き帰りの電車の中で、こんなに忙しくていいのだろうか、と疑問に思うときがあります。この不況下、仕事があるだけでもありがたいことはよく分かっています。でも最近の私は一種の興奮状態にあるようで、疲れているはずなのに異常にハイテンションで元気です。自分でもこれはおかしいと思う。

今の私は正気ではないと思います。忙しさに気分が高揚してウキウキしているのですから。自分が何か有意義なことをやっているかのような、傲慢な気持ちに陥っているところがあります。とはいっても、正気に戻るということは、きちんと疲れを感じて爆睡したり、病気になったり、落ち込んだりする、ということですから、そうなると仕事の進行に支障をきたします。

疲れると仕事ができないから疲れることができない、働いている人は多かれ少なかれ、こうした悪循環にはまっているのではないかと思います。特に朝夕に電車に乗っているときは、みんな苛立っているのが分かります。人にぶつかっても、人の靴のかかとを踏んでも謝りもしないのが、今や当たり前の反応になっています。

話は変わって、クーパー君の日記がようやく更新されましたね。去年は彼の人生の中で最も忙しい年だったそうです。そりゃそうでしょうよ(笑)。また相変わらずの「気ぃ使いさん」で、彼の仕事に関わった人々への賛辞と感謝の言葉がだだーっと並んでいます。本当にいいヤツ。

ロンドンでの「危険な関係」リハーサル中に日本から取材陣が押し寄せたのは、少々迷惑なことだったようですね。真矢みきの特番(「雑記」を参照)で、リハーサル中のクーパー君は一瞬困ったような表情を浮かべていました。やはり彼としてはいささか不本意だったのでしょう。

でも彼も日記で認めているとおり、日本で公演を行なう場合、こうした宣伝は重要なことです。日本では「アームズ・レングス」の原則は通用しませんし、日本の舞台興行は、舞台の出来如何によって客が集まるのではなく、とにかく事前に宣伝して煽ることで客を呼び寄せるシステムになっています。

「危険な関係」の共演者をひととおり褒め称えた後、「あっ、もちろん兄ちゃんも!兄ちゃんを忘れてた!」と書いているのには、思わず吹き出してしまったと同時に安心しました。こういうふうに書けるのは、クーパー・ブラザーズは実に仲がいいという証拠です。

あとは「ゴージャス・ワイフ」に続く、サラ・ウィルドーの新たな呼び名が書いてありました。「ビューティフル・ワイフ」です。んでまた京都に観光に行ったらしい。ホントに外人は京都が好きですな。「アメイジング」で「インクレディブル」?どこに行って何をやったんだろ。


2005年5月29日

翻訳の仕事は締め切りを延ばしてもらいました。最初は「2週間で仕上げろ」と言われていたのですが、本の分量といい性質といい、とても2週間で終われるような代物ではありません。また読者層についても、よく聞いてみたら一般の人々ではなく、かなり限定されていて、そうなると彼らの必要に合わせた特殊な訳し方をしなくてはなりません。

それで依頼者にすごんで、「時間をくれなければこの仕事は断る。他の人を探せ」と言ったら大笑いされて、では7月末までとしよう、ということにあっさりと決まりました。突っ込んで聞いたら、依頼者もこの本の性質や翻訳の特殊性をよく承知していたらしい。彼らは良い意味でも悪い意味でも鷹揚な民族なのです。まったくよー。

ところで、ある方から興味深いお知らせを頂きました。7月末に行なわれる小林紀子バレエ・シアター第81回公演で、ケネス・マクミラン振付の「招待(The Invitation)」が上演されるそうです。これはアダム・クーパーとサラ・ウィルドーが、かつてロイヤル・バレエで共演した唯一の作品であり、非常に高い評価を得たと聞いています。今回が日本初演となるそうです。

同公演では、あわせて「ソワレ・ミュージカル」(ケネス・マクミラン振付)、そして「ライモンダ」(たぶん抜粋でしょう)が上演されます。会場は新国立劇場中劇場、公演日時は、7月22日(金):18:30開演、7月23日(土):17:00開演、7月24日(日):15:00開演です。チケットはS席(9,000円)とA席(7,000円)の2種があり、新国立劇場ボックス・オフィス(窓口直接購入のみ)、チケットぴあ、イープラス、そして小林紀子バレエ・シアター(03-3987-3648)で購入できます。

主な出演者は、島添亮子、パトリック・アルモン、大和雅美、後藤和雄(以上「招待」)、大森結城(「ソワレ・ミュージカル」)、ロバート・テューズリー(「ライモンダ」第三幕)だそうです。てことは、やっぱり「ライモンダ」はあの第三幕を上演するのでしょう。

「招待」については、以前は内容を聞いただけで、なんとおぞましい作品だろう、と思っていました。でもマクミランは非常に非常に非常にクソ真面目な振付家だと思うので、意味なくそういう作品を創ったのではないでしょう。興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。ただし、もちろんクーパーとウィルドーは出ませんよ。

話は変わって、イギリス在住のある方が、先週の"The Guardian"土曜版の付録"The Guide"に掲載された、「危険な関係」の広告を撮って送って下さいました。

日本公演の広告やプログラムに使用された写真と同じですが、微妙に違っているみたいです。どうも「ぼかし」が入っているように見えるのですが・・・。特に背景にある全裸の女性の後ろ姿は全体的にぼかされていて、一瞬見ただけでは何なのか分かりません。

あとは、クーパー君の右ビーチク(下品ですみません)をキャプションで上手く隠しています。うーむ、深読みしすぎでしょうか。単に新聞紙だから印刷がよくないとか、偶然かもしれませんね。でも送って下さった方によると、もしかしたら後で更に修正が施されて、最終的には女性の姿とクーパーの上半身が消失する可能性もある、とのことです。

水着姿で挑発的なポーズをとった巨乳女性アイドルのグラビアが、電車の中や街中に氾濫している日本とは違い、イギリスはハダカ写真を公的な場で掲載することには、異常なほどに(日本が異常なのか?)神経質なようです。今年のロイヤル・バレエの"Ondine"のポスターで、ジョナサン・コープがほとんど全裸で写っていて驚いた、と多くの方がおっしゃっていました。

送って下さった方の指摘で気づいたのですが、サラ・ウィルドーの名前が、アダム・クーパーと同格に扱われています。これも日本公演とは違います。彼女はイギリスでは有名なダンサーですし、これでようやく相応しい扱いを受けた、ということになるでしょう。

また個人的には、日本公演でメルトイユ侯爵夫人役を担当したサラ・バロンも、このロンドン公演によって大きく名前が取り上げられるようになるといいなあ、と思います。

最後に、情報を下さったみなさま、本当にどうもありがとうございます(泣)。最近、ひとさまに頼りっぱなしのわたくし・・・。早くこの状況を打開せねば。


2005年5月26日

相変わらず忙しいざんすわ。食事をしたり風呂に入ったりするのが面倒くさくなってきて、こうなるともう末期症状です。決して嫌な仕事で忙しいわけではない、というのが救いではありますが・・・・・・。

仕事というのは本の翻訳で、一般読者向けの歴史書です。原文原稿と英語翻訳版を渡されて、英語版に続いて日本語版も出版することになったので、その翻訳を頼まれた、というわけです。安請け合いをしてしまって、しまった、と後悔していますが、面白いことは面白い。

ちなみに参考用に渡された英語版は、翻訳が実にいいかげんで、意味の分からなかったらしい箇所は尽く省略して大雑把に訳してあり、てんで参考になりません。欧米人はごまかせても日本人はごまかせない。いいかげんに訳すわけにはいきません。

今日は戦乱時代の部分を訳し終えましたが、訳していて、当時の国々はなぜこんなに戦争ばかりしていたのか、と不思議に思いました。「覇権を争って」と書いてあるのですが、覇権を争わなければならなかったモティベーションが、いまいち理解できないのです。

唯一理解できたことは、当時の国々は「攻撃しなければ攻撃される」、「殺さなければ殺される」という二者択一の状況に置かれていたらしい、ということでした。しかしなぜそんなにも強迫的な観念を抱いていたのかは分かりません。私なんかは、相互不干渉で無難に付き合えばいいじゃないか、と思ってしまうのです。

競争し、攻撃し、勝利し、支配したいというのは、人間の本能的な欲望なのでしょうか。でもそれは原始的な発想で、現代では必要ないものなのではないかと私は思います。現代のいわゆる「超大国」なんぞは、いまだに原始的な発想で行動しています。また私たちのような普通の人間でさえ、スケールは小さいですが、同じことをやっています。

私も以前はしゃかりきになって競争に励んでいましたが、今から考えるとなんとバカなことをやっていたのかと思います。競争のために競争していたのであって、そこには何のモティベーションもゴールもなかったのですから。

翻訳はまだ終わっていません。これからは安定した時代に入ります。そこではどんな感慨を抱くことになるのでしょう。私は大昔の人間の思想や言論なぞ信奉する気にもなりませんが、「あらゆる物事を身近な問題として考えよう」というある古人の言葉には頷きました。

どんな出来事にも、自分とリンクする部分が必ずあるはずです。それを見つけ出し考えることで、何かを得ることができる。この翻訳の仕事によって、私は何を獲得していくのか、疲れるけれども楽しみでもあります。


2005年5月23日

ただ今お仕事が超激多忙につき、少しの間まとまった更新はできそうもありません。どうもすみません。でも毎日30分くらいずつ無理に時間を空けて、このまえ観た公演の中で、まずは「兵士の物語」について書いていってます。

書いていてしみじみ思うのは、今年はほぼ完全に「兵士の物語」になったな、ということです。あの小さくて暗い照明の劇場の中で、兵士ひとりが孤立していて、徐々に追いつめられていくのです。不思議なことに、あの舞台をいま振り返ってみると、ぼろぼろの軍服を着たクーパーの兵士が、暗闇の中に悲しげな表情で立っている、というイメージが浮かんできます。

あの作品で唯一リアルな人間は、兵士だけでした。他の登場人物、観客、オーケストラのメンバーなど、兵士以外の人々はみな兵士の目に映っている光景に過ぎません。観客は、他の登場人物とともに兵士を冷たく無表情に眺めるただの「目」です。

他の登場人物はコミカルでユーモアに溢れた演出や演技を割り当てられていましたが、兵士だけは彼らとは異質というか、はっきりいって浮いていました。兵士は唯一の確かな存在ですから、クーパー君は、地に足がついた存在感と現実味のあるキャラクターを表現しなければなりませんでした。

クーパー君は今年は見事に成功しました。気弱→無邪気→素朴→短慮→欲望→狡猾→改心→勇気→満足→変心→破滅という、ごく普通の優しい青年が世の中の大きな渦に巻き込まれて、それに抗えずに変化しつつ破綻していく一連の過程を見事に表現していました。

セクシーな仕草がかなり露骨に示されていたのが、今年の公演の特徴です。でもエロ路線でウケを狙ったのではなく、性というのはほぼ人間の尊厳そのものですから、それを男性の性器に見たてたヴァイオリンで表現したということだと思います。

兵士自身が悪魔に屈辱的な形でレイプされるという結末は、兵士という人間が完全に崩壊してしまったことを示しています。あの会場全体がいわば兵士の心の中だったわけですが、現実の兵士はおそらく発狂したか、死んでしまったかのどちらかの末路をたどったことでしょう。

観ているときはユーモラスで面白いなあ、と思っていただけでしたが、いま考えると、ものすごく恐ろしい話だったことに気づきました。穿ち過ぎかもしれませんが、第一次世界大戦を背景にした物語ではあるものの、いま現在も、世界中で同じような光景が繰り広げられているではないか、と思って慄然としました。


2005年5月17日

またロンドンに行ってきちゃいました。ロンドン行きの機内では、私はいったい何をこんなバカなことをやっているのか、とずっと思っていました。でも帰ってきた今は、行ってよかったとすごく思います。3泊4日という正気の沙汰とは思えないハード・スケジュールでしたが、不思議なことに、今まで行った中で最も楽しく、またリラックスできたロンドン滞在となったのでした。

目的はもちろんウィル・タケット振付の「兵士の物語("The Soldier's Tale")」(5月13日、14日)を観ることでした。ついでにロイヤル・バレエの公演、トリプル・ビル("The Dream"、"Three Songs-Two Voices"、"The Rite of Spring"、5月12日)と「オンディーヌ("Ondine")」(5月13日)も観ました。

例によって、詳しいことはまた後日に「雑記」などに書きますが、ここではざっとした感想を書いておこうと思います。

ロイヤル・バレエのトリプル・ビルは、まず演目の組み合わせが面白かったです。"The Dream"はフレデリック・アシュトンの振付で、コテコテのクラシック作品です。"Three Songs-Two Voices"はクリストファー・ブルース(Christopher Bruce)の新作です。ブルースはランバート・ダンス・カンパニーの出身で、この作品はコテコテのモダンでした。最後の"The Rite of Spring"はケネス・マクミランの振付で、これはたぶんモダン的な振付の作品だと思います。

"The Dream"は、つい先日に東京バレエ団が上演したのを観たばかりです。比べるほうがおかしいとは思いますが、やはりロイヤル・バレエの貫録勝ちでした。ダンサーのテクニックはいずれもすばらしく、さすがは腐ってもロイヤル・バレエと感心しました。それよりも大きく違ったのは、ダンサーたちの演技力と表現力、そして観客の反応です。

とにかく笑えるのです。ダンサーたちの表情や仕草は実におかしく、教えられたとおりに顔を作っているとか、踊っているとかいう感じがまったくしません。観客もゲラゲラ笑っていて、東京バレエ団の公演では、会場が一貫して静まり返っていたのとは対照的です。私はこのロイヤル・バレエの公演で、"The Dream"はこんなに面白い作品だったのか、と初めて思いました。

"Three Songs-Two Voices"は、私には理解不能でした。そこで隣に座っていたおばさん(←かなりなバレエ通らしい)に、どこが面白いのかレクチャーしてもらいました。後で詳しく書きますが、一つだけ紹介しますと、ロイヤル・バレエはこういうやり方で客層を広げる、特に若い観客を獲得しようとしているのだ、ということでした。

実際、会場にはクリストファー・ブルースの固定ファンらしい若者が大勢いて、カーテン・コールで大騒ぎしていました。ロイヤル・バレエ外部の振付家の作品がロイヤル・オペラ・ハウスで上演されることは、ある意味、勲章を与えられることと同じらしいです。

"The Rite of Spring"は、音楽のテーマに合わせてシーンと踊りが設定されていたので、大体の流れはまずまず把握できました。でもかなり不気味でグロかったです。はっきりと分かるクラシカルな振付はほとんどありませんでした。おそらくは、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどの、少数民族の宗教儀式や舞踊を参考にしたのだと思います。衣装は抽象化されたデザインでしたが、全体的にどこか土臭くて残酷な雰囲気の漂う作品でした。

これは真面目な作品だと思うのですが、奇妙な振付に観客の間から笑い声が漏れていました。笑っていたのが、クリストファー・ブルースの作品に大喝采を浴びせていた若い観客だった、というのはとても象徴的です。イギリスのバレエはそろそろ転換点にきているのかもしれません。その思いは「オンディーヌ」を観たときに更に強くなりました。

"Ondine"もアシュトンの振付で、やはりコテコテのクラシック全幕バレエでした。舞台装置が工夫されていて面白かったです。たとえば船上のシーンでは、背景の幕を上下にゆっくりと揺らし、それに合わせてダンサーたちも体を前後に揺らすのです。本当に船に乗っているかのようでした。

オンディーヌ役は吉田都でした。彼女はすばらしいダンサーです。柔軟な体、安定したテクニック、繊細でなめらかな腕の動き、ツボを捉えた動きやポーズの美しさ、すべてを兼ね備えています。私はとても感動してずっと見とれていました。

ですがおそらく彼女は、これからロイヤル・バレエが目指そうとしている方向とは、合致しないダンサーになりつつあるのだろうと思います。古き良きロイヤル・バレエを象徴する、最後のバレリーナの一人かもしれません。複雑な思いになりました。

「兵士の物語」は、去年よりもまた更にすばらしくなっていました。演出や振付に多少の変更がありましたが、そんなことよりも、キャストたちのパフォーマンスが段違いに良くなっていたのです。去年はまだ硬さのようなものがありました。でも今年は、キャストたちは実に生き生き伸び伸びと踊り演じていました。また各人が公演ごとにアドリブをきかせたり、小さなアクシデントやトラブルをちゃっかり利用して笑いをとったりと、余裕たっぷりのパフォーマンスでした。

ここではクーパー君のことについてだけ書きます。クーパー君の兵士は、去年よりもはるかに良くなっていました。特に兵士というキャラクターの役作りとセリフ回しです。

去年は兵士がどんな人物なのか、あまりはっきりしなかったのですが、今年はよく分かりました。つまりは鼠みたいなセコい根性の普通の男なのです。バカで単純で気が弱く、しかしそれなりにずるいお調子者で、ウマイ話にすぐに飛びついては、それを手に入れた途端に今度は別のものが欲しくなる、自分で選んでそれを捨てたくせに、失なうと取り戻したがる、というどうしようもないヤツでした。

セリフ回しも非常にすばらしかったです。去年は一本調子なところがありましたが、今年は強弱や緩急をつけ、セリフを発するタイミングもバッチリ、それと表情の演技が自然に連動して兵士の人物像がはっきり表現されていました。踊りは相変わらずのアダム・クーパー・スタイルのダンスでした。ちょっともっさりして重いけど、それが逆に魅力的で、更になめらかでしなやかで不思議な色気がある、あの独特の味はクーパー君にしか出せないでしょう。

演出では、去年とは大きな違いがありました。去年は12歳以下は観劇禁止でしたが、今年は制限がなかったようです。でも今年は去年よりも性的なシーンが追加され、その描写もかなりはっきりしたものになっていました。思うに、去年は様子見で(あれでも)ソフトにしたんですね。で、今年は思い切ってやってみた、ということなのでしょう。

ヴァイオリンが何を象徴するのかも、今年の公演でやっとはっきりしました。ズバリ男性の性器です。最も驚愕したのがラスト・シーンで、毛むくじゃらの正体で現れた悪魔は、兵士をぶちのめした後、まずプリンセスをレイプし、更に兵士の顔の上にまたがって下半身を押しつけ、兵士をもレイプするのです。これには心の中でギャーッ!と叫んでしまいました。

全体的にユーモラスな演出ではありますが、やはり戦争、飢え、物欲、身勝手さ、愚かさ、弱さ、暴力、残酷さなど、人間のどうしようもない面がテーマの作品なんだなあ、と思いました。

クーパー君は少し痩せたようにみえましたが、顔色もよく表情も明るくて、とても元気そうでした。髪の毛も伸びていて(兵士の役に合わせて短くカットしていましたが)、すっかりイギリスの気のいい兄ちゃんという感じに戻っていました。でもこの夏にはまた丸坊主にするそうです。


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