Club Pelican

Diary 22

2005年5月6日

使い捨てコンタクト・レンズを買うため、帰りに新宿に寄り道しました。まだゴールデン・ウィーク中の人も多いのか、店内や眼科は空いていて、おかげでさっさと買えました。私は左右の視力差が大きく、裸眼で右目は0.5なのに左目は0.0001くらいです。

メガネのレンズはもちろん特注で、コンタクト・レンズを合わせるのも(眼科の人が)一苦労です。医者からは、視力差がここまで大きいと、網膜剥離になりやすいから注意するように言われました。視界を墨のような線が飛び交ったり、星のような光が見えたり、視界が狭くなったりしたらすぐに医者に行け、ということでした。

痛みなどの症状はないけれど、しかし放っておくと非常に深刻な後遺症が残り、ひどい場合には失明してしまうこともあるそうです。これを聞いた私はすっかりびびってしまい、コンタクトは2ヶ月分だけ購入することにしました。そうすれば2ヶ月に1回は眼科に行かなければならないので、ついでに眼の状態を診てもらえる、という算段です。

せっかく新宿で下りたのでその辺をブラブラしました。ヨドバシカメラとともに、タワー・レコードはハズせない巡回ポイントです。この前ギエムの公演で観たアルベルト・アロンソ振付「カルメン」の音楽、ロジオン・シチェドリンが編曲した「カルメン組曲」を探してみました。

作曲家別に探していったんだけど、シチェドリンの作品は見つかりませんでした。「カルメン組曲」だけなら、ひょっとしたらビゼーの棚に置いてあったのかもしれません。そんなに有名じゃないのかな?と思いつつ、ダメもとでNAXOSのCD(←安い)が置いてある棚を見てみました。あっけなく見つかりました。

「カルメン組曲」は全部で13曲あって、この前の舞台で省略されたのは6.情景(6分28秒)と8.ボレロ(1分9秒)のようです。でもどんな踊りなのかまでは分かりません。

高い買いものはしないつもりでしたが、長く探していたボーイト(Boito)の「メフィストーフェレ(Mefistofele)」が目に止まりました。欲しかったのは、リッカルド・ムーティがミラノ・スカラ座で復活上演した公演のライヴ録音で、日本語対訳もついているやつです。ずっと見つからなかったのですが、ようやく増刷(?)してくれたみたいです。価格も1,000円くらい安くなっていました。

私はグノーの「ファウスト」よりも、ボーイトの「メフィストーフェレ」のほうがはるかに好きです。ボーイトのこの作品では題名どおり、主人公はファウストではなく悪魔のメフィストフェレスなのです。

メフィストフェレスがとにかくカッコいい、というのもあるんですが、この作品ではメフィストフェレスは型どおりの悪魔ではなく、排除され貶められた者の悲しみを漂わせています。最後、ファウストは神への信仰心を取り戻して死に、彼の魂は救われます。

メフィストフェレスは神の光を浴びて苦しみながら叫びます。「神に選ばれた者どもが勝利する。だが見捨てられた罪人は口笛で呼んでいるんだ!」

ここから妄想モードに突入です。私はクーパー君にぜひボーイト的なダンス・ドラマ「ファウスト」を作ってもらいたいのです。もちろんクーパー君がメフィストフェレス役で、ファウストは誰がいいかしら?マルガレーテはキャラ的に鉄板サラ・ウィルドーだな。クーパー君のメフィストフェレスなんて、想像するだけでワクワクしちゃうわ。あ、もちろん衣装は黒づくめね。

クーパー君は「ホフマン物語」も「エフゲニー・オネーギン」もやったから、他には何の役がいいか・・・。まず「ドン・ジョバンニ」だな。なんかヴァルモンと似てるけど、ドン・ジョバンニは最後まで頑として改心しないで、生きながらにして地獄に引きずり込まれるところが潔い。

あとは「トリスタンとイゾルデ」のトリスタンも二枚目な役でいいかも。こうしてどんどん妄想が膨らんでいくのです。


2005年4月27日

4月26日、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」昼公演を観に行った。主なキャスト。ザ・スワン/ザ・ストレンジャー:ホセ・ティラード(Jose Tirado)、王子:ニール・ウエストモーランド(Neil Westmoreland)、女王:ニコラ・トラナ(Nicola Tranah)、執事:ピーター・ファーネス(Peter Furness)、ガールフレンド:ソフィア・ハードリー(Sophia Hurdley)。

客の入りは悪くなかったと思うが、大盛況ともいえなかった。チケットが売れなかったというよりは、何らかの理由で最初から売らなかったのだろう。なぜなら、席が不自然な形で空いていたから。センター、サイドの別なく、一定のエリア、一定の列がごそっと空席なのである。私の席の前数列もすべて空席だった。どういうことだろう。

キャスト表に記されているタイム・テーブルでは、第一、二幕が14:00〜15:05、休憩20分、第三、四幕が15:25〜16:30となっている。確かに、午後2時ぴったりに開演して、途中20分の休憩時間を挟み、4時半ちょっと過ぎに私はロビーに出ていたから、公演は休憩とカーテン・コールを含めてきっちり2時間30分で終わったことになる。

一昨年の公演はもう少し長かったように覚えている。タイム・テーブルは今回と変わらない2時間30分だが、実際には2時間40〜50分くらいかかった。

それは開演が遅れたり、休憩時間が延びたり、場面転換で手間取ったり、カーテン・コールが長びいたりしたためで、いつも予定どおりにはいかなかったのである。

その点、今年の公演にはまったくムダがなかった。時間どおりに開演し、休憩時間は決して延長されない。場面転換はスムーズに行なわれ、カーテン・コールも予定された時間内に終わった。

場面転換のスムーズさについては、舞台装置の変更によるところが大きいように思われる。たとえば第一幕の劇中バレエ「蛾の姫」のセットである。一昨年は、ぶ厚い木製の手すり、階段つきの床、背景の壁と天蓋からなるロイヤル・ボックスのセットが舞台の右に設置されていた。これは一つ一つのパーツを人力で動かして設置しなければならなかった。

ところが今年は、舞台前面に一枚の壁が下ろされ、その壁の右にロイヤル・ボックス、左に舞台の枠がくりぬかれているものに変わった。ロイヤル・ボックスの天蓋や舞台の縁飾りなどはみな絵である。こうすると、この壁を上げ下げするだけで一瞬の間に場面転換ができる。

また第一幕、王子とスワンが出会う公園の池の背景は、一昨年は、舞台奥の床に水のように波打つ素材のセットが置かれ、水辺には草まで生えていた。これも各パーツを人力で設置しなければならなかったが、今年は舞台奥に一枚の幕が下ろされ、その下部分に螺鈿のように光る波の紋様が刺繍されていた。幕を下ろし、右上に丸いライトを照射すれば、それだけで池辺の情景ができあがる。

そして、休憩時間やカーテン・コールを含めて、公演がきっかり2時間30分で終わった理由には、時間厳守と場面転換のスムーズさに加えてもう一つある。音楽をすべてアップ・テンポで演奏したことである。

ボーン版「白鳥の湖」は、伝統版よりもテンポがはるかに速い。映像版(1996年収録)はそれでもまだゆっくりなほうで、一昨年の日本公演での音楽(テープ演奏)は映像版よりも速くなっていた。今年の公演は、その一昨年とは比べものにならないほど、更にテンポが速くなった。ちなみに今日の公演は生オケつきで、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団による。

省略や削除は行なわれていない。シーンや使用した音楽はすべて同じである。ただテンポが異常に速い。アレグロはもちろん、アダージョでもそうである。そのおかげで、上演時間が短縮できたのである。

ただしそのせいで、ダンサーたちが音楽に追いつけない、という事態が起きていた。ダンサーの踊りが音楽より遅くなってしまい、振りはもちろん、手拍子、クラップやタップの音が一拍ずれる、という現象がほとんどのシーンで見られた。

マシュー・ボーンの「白鳥の湖」の振付は、音楽と極めて密接に繋がっている。だから踊りが音楽とシンクロすれば凄まじい効果を発揮する。しかしそれだけに、いったん音楽を外してしまうと取り返しのつかないことになる。そのシーンやディヴェルティスマンが終わるまで、音楽とずれたまま踊り続けるしかなくなってしまう。

ダンサーたちが必死に踊っているのは分かった。彼らはテンポの速い音楽に遅れないようにするために、踊り方を制限せざるを得なかった。前の振りを完全に終えないままに、急いで次の振りに移行する、ということをほぼ全員がやっていた。

第二幕のスワンの群舞も、音楽が速すぎたために、彼らは四肢を思い切り伸ばして踊ることができなかったし、フォーメーションも崩れていた。よって第三幕、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」のコーダ部分の群舞はなおさらだった。ストレンジャー役のダンサーを含め、彼らは音楽に追いつくのに精一杯で、手足を小さく縮こまらせて踊ることになり、あの音楽にふさわしいダイナミックさが見られなかった。

第二幕、スワンのソロも同様だった。振りは前と同じか、もしくはより複雑になっていたのに、テンポが速いために、一つ一つのステップや動きが半端な形で急いで処理され、ジャンプは軽い低いものに変更され、最後に舞台を一周するときの輪も縮小された。

第三幕、「ロシアの踊り」の音楽の途中から、ストレンジャーがいきなりソロで激しく踊り出すシーンがある。ダンサーは音楽に間に合わず、すべての振りが一拍遅れになっていた。最後にシェネからテーブルの上に飛び乗るところも、音楽が終わってからやっと座った。

スワン/ストレンジャーを踊ったホセ・ティラードは、ソロではほとんど音楽に遅れていた。彼なりに工夫はしていたのだろうが、多少は遅れても音楽の小さな区切りは最低限押さえる(ボーンの「白鳥の湖」では、これは非常に重要なことである)、という工夫ではなかった。

たとえば、スワンが座り込んだ王子の前で踊るソロでは、あの音楽が流れる中で、音楽の小さい区切りを一切無視して踊っていた。音楽をプールにたとえるならば、その中でのびのびと泳いでいるのではなく、手足をバタバタさせて溺れている感じであった。更には彼もまた、振りを最後までやらないで次の振りに移る、という踊り方をしていた。

これを読んでいるみなさんは、アダム・クーパーが今年の公演に参加していないから、私が難癖をつけている、と思われるだろう。確かにそれもある。しかし、私は一昨年の公演で、3人のスワン/ストレンジャーをすべて観たが、その中にはこんなふうに大雑把な踊り方をするダンサーはいなかった。

言いにくいことを言わなければならない。たぶんこれは私の意地悪ではないと思うから。今年の公演に参加しているダンサーたちは、総じて能力が高いとはいえない。群舞ははっきり言ってひどかった。これがロンドンと東京で半年間も「白鳥の湖」を上演してきたカンパニーの踊りか、と目を疑った。

今日の昼公演で主役、準主役を担当したダンサーたちも、踊り、演技、役柄の解釈など、すべての面で能力不足か準備不足であると思われた。演技は表面的で、踊りも機械的に手足を動かしているだけ、しかもテンポの速い音楽に追いつけないので中途半端に済ませてしまう。

更に、王子とガールフレンド、王子と女王、王子とスワン、王子とストレンジャーのタイミングが合わない。危険を避けてか、高いリフトや複雑なサポートはなく、ことごとく無難な小さい振りで処理していた。王子役のニール・ウエストモーランドは、おそらくバレエがバックグラウンドだと思う。第一幕の王子のソロはすばらしかったが、誰かと組んで踊るとぎこちなくなってしまう。

ニコラ・トラナの女王に当たって最初は嬉しかったが、結局はがっかりした。彼女は女王をどういう人物として演じたいのか、まだ定まっていないようだ。明らかに上っ面だけと分かる、わざとらしい演技だった。彼女のバレエ的な踊りは美しかった。

今年の公演の特色、一切のムダを省いての上演時間の短縮と、ダンサーたちのレベルが高くないことは、ボーンの「白鳥の湖」の性質が完全に変化したことを表している。

一昨年の来日公演の時点で、すでに映像版とは違う演出や振りが目立ち、その中にはあざといというか、いかにもお約束どおりの見得を切るようなものもあった。それらはボーン版「白鳥の湖」が、コンテンポラリー・ダンス作品としてよりは、コマーシャル・ダンス作品としての色彩が強くなっていることをうかがわせた。

そして今年、ボーン版「白鳥の湖」は、今や完全にコマーシャル・ダンス作品になったといっていい。つまり、アンドリュー・ロイド・ウェバー、キャメロン・マッキントッシュ路線の作品になったということである。「ライオン・キング」、「キャッツ」などと同じ位置付けの作品である。

このような作品の公演は機械的に大量生産されていく。特定ダンサーの個性や名声などはもはや不必要だ。とびぬけて卓越した存在感も、技術も、演技力もいらない。ほどほどに踊れて演技できればそれで充分なのである。

ボーンに「白鳥の湖」の上演権はない。カザリン・ドレ・マネジメント(KDM)は、2003年に「白鳥の湖」日本・韓国公演を催行した後、「白鳥の湖」の諸権利をクリア・チャンネルに売却した。現在、ボーン版「白鳥の湖」を所有しているのはクリア・チャンネルである。その子会社、クリア・チャンネル・エンタテイメントの名前が、チラシやプログラムに載っているのはそのためである。

ボーンは、自分が作ったのに自分に権利がない「白鳥の湖」を、さっぱり割り切ってそれなりに扱うことにしたのだろう。ボーンはクリア・チャンネルと対立するのではなく、彼らと手を結ぶことを選んだのである。クリア・チャンネルが所有者である以上、「白鳥の湖」は「ライオン・キング」と同じようにしたほうが効率がいい。

よって、コマーシャル・ダンス作品たるにふさわしい改変を施したのである。観客が飽きないよう、上演時間はなるべく短縮する。時間厳守、音楽はアップ・テンポで演奏し、場面転換はスピーディーに行なう。観客が理解できるよう、マイムや演技は分かりやすく大仰にする。ダンサーには無理に高い要求はしない。

観客は戯画化された王室の姿や茶化されたクラシック・バレエ(「蛾の姫」)に大笑いし、上半身裸の男性の白鳥たちに圧倒され、セクシーな衣装に身を包んだ女性ダンサーに見とれ、なんだかよく分からないが白鳥たちが仲間割れをし、一羽の白鳥が殺されて王子も死ぬ、という悲劇的な結末に感動する。

2時間半きっかりで公演を終え、観客は満足して出て行く。新しい観客が入ってきて次の公演が始まり、また2時間半きっかりで終わる。公演も観客もベルト・コンベヤーに載せられたように、ひたすら無機質に、機械的に動いていく。

ボーンの「白鳥の湖」は、こうした公演環境にふさわしい作品に、完全に変わったのだ。それは悪いことではない。良いも悪いもない。周囲の状況の変化に合わせて作品の性質や意義も変化した。ただそれだけのことだ。

新しいキャストたちによって、ボーンの「白鳥の湖」はこれから世界中で上演され、新しい観客たちによって、これからも楽しまれていくだろう。1995年の初演に至るまでの生みの苦しみは忘れ去られ、リスクを背負って初演したダンサーたちの名前もまた忘れ去られる。

今回の公演を観て、私は自分も思い切らなければならないことを悟った。私が好きだったボーン版「白鳥の湖」は、もうなくなってしまったのだ。もう終わったのだ。私にとっては、と。


2005年4月23日

先週は仕事が忙しかったので、サイトを更新する時間が取れませんでした。「雨に唄えば」も終わってないし(あと1回なのに)、レスター旅日記も止まったままだし、なんかみんな中途半端で落ち着かないのですが。

パソコンの中を探したら、「危険な関係」の世界にどっぷりとハマっていた頃に書いた文章がありました。なんか濃すぎな話なんで、お蔵入りにしようと思っていたのですが、今は新しい原稿を書く時間がありません。仕方ないので、それを修正して明日くらいに載せようと思います。

あと、現在行なわれている、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」日本公演についてです。今回の公演については、私はこのサイトで一言も触れていません。それはなぜなのか、という主旨のメールを頂いたのですが、アダム・クーパーが参加していない以上、特に書く必要はないだろうというのが理由です。

ただそれは「表面的な無関心」で、今回の「白鳥の湖」公演に関しては、感じていることや言いたいことは、実はたくさんあるというのが本当のところです。サイトでは徹底して触れないつもりでいましたが、公演が終了した頃に何か書くかもしれません。

ここからは余談です。今日、1日かけて山岸凉子の「日出処の天子」という漫画を読みました。この本を本屋さんでたまたま見つけて、懐かしい思いになりました。私はこの漫画を連載第1回から終了まで、リアルタイムで読んでいたのです。

あれから長い年月が経った今読み直してみたら、リアルタイムで読んでいた頃とは、「面白さ」が違っていることに気づきました。リアルタイムで読んでいた頃、私は所詮ガキンチョで、カラー扉絵の色鮮やかな古代の衣装や仏像の絵がきれい、主人公の厩戸王子(聖徳太子)が美少年で超能力者でカッコいい、王子と蘇我毛人(蝦夷)がモーホーでお耽美、とかそういうところが面白かったわけです。

ところが今の私は、恐れ多いことながら、厩戸王子を上から見下ろして、この子かわいそうだなあ、ああ、この子がこういうことするのは、こういう態度をとるのは、こういうことを言うのは、こういう理由からなのか、となんか頷きながら読んでいるのです。

今更こんなこと言うのはなんですが、すごい心理ドラマを描いた作品ですね。昔はカッコいいとしか思わなかった厩戸王子の超能力や言動も、精神的・身体的に不安定な時期にある少年特有のものだと思えます。特に厩戸王子のそれは、すべて母親に対する非常に強固な愛着の裏返しだということにやっと気づきました。

物語の最後、蘇我毛人は厩戸王子の異常な自己愛と共依存を指摘します。毛人のこのセリフの意味が、昔の私には分からなかったのですが、今は分かります。蘇我毛人に捨てられた厩戸王子は、ついにロリに走っちゃいます。これも昔はなんで!?と理解できなかったけど、男がロリコンになる原因の一つに母親との情緒的近親姦がある、というのは今や定説です。

アメリカでさえまだここまでは認識が普及していなかったはずの80年代に、日本で山岸凉子がこれほどの作品を執筆していたのはすごいことだと思います。

山岸凉子は今、「テレプシコーラ」というバレエ漫画を書いています。「日出処の天子」から受ける印象は、人間の心の内部へ内部へと切り込んでいく容赦ない厳しさです。「テレプシコーラ」から受ける印象は、大人の落ち着きというか、まあこのへんでいいか、という地に足のついたバランスの良さです。やはりその年齢であってこそ生み出せる、というものが人間にはあるのでしょうね。

「日出処の天子」の厩戸王子の行動には、今読んでみるとツッコミどころ満載です。だって蘇我毛人と女との恋路をジャマするためだけに、変装したり超能力を駆使したりして必死に奔走するんですよ(笑)。そーいうつまんねえことにカッコつけながら大仰な陰謀をめぐらせて、それが作品の後半部分を占めています。

ちょっとちょっと、厩戸王子、もっと有意義なことに超能力使えよ、まったく子どもだなあ、と言いたくなる自分に、20年という時の経過を感じます。


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