Club Pelican

Diary 16

2004年11月1日

最近、世の中ではいろんなことが起こりすぎて、実に気持ち的に落ち着きません。みなさんそうでしょう。

なんかしっくりいかない気分をしっくりさせるためには、あっさりと気分転換を図る前に、まずはそのしっくりいかない気分と対峙することが肝要です。

ただし、自分ひとりの頭の中だけで対峙し続けると、いずれ不健康な結果をもたらしかねませんので、他者の助けが必要です。それは生きた人間でもいいし、生きた本でもいいと思います。

この10日の間に象徴的な事件が立て続けに起こった。以下の本は、これらの事件を私が自分の中でどう処理するかについて、とりあえず役立ってくれているものである。

『男はプライドの生きものだから(原題:I Don't Want To Talk About It)』(テレンス・リアルTerrence Real著、吉田まりえ訳、講談社刊)、書名で引いてしまうかもしれないけど、この本は「男性独特のうつ病」について書かれたものである。世間で流布している「うつ病」の偏ったイメージを正し、その症状や原因を症例紹介を通じて明快に指摘している。そして女も男と同じように激烈な競争社会に参加している現在では、女にとっても有用な本である。

『怒る技術』(中島義道著、PHP研究所刊)。自分の中に生じた怒りの保存法から、それを表現していく具体的な実践方法までを説明したもの。私にとって最も役立ったのは、怒りには「社会的に公認された怒り」と「自分固有の怒り」とがあり、前者の怒りには価値がなく、後者の怒りこそを大事に育んで表出していかなければならない、というくだりであった。「社会的に公認された怒り」とは何か?興味を持った方は読んでみて下さい。

『<対話>のない社会』(中島義道著、PHP新書)。この本には副題がついている。それは「思いやりと優しさが圧殺するもの」である。明確な言葉によってではなく、自分の求めることを相手が暗黙裡に察してそのとおりにしてくれることを期待する、不健康な伝達法を重んじる現在の日本の風潮が、人々から言葉どころか思考までも奪ってしまっていることを指摘している。日本人が得意な「心と心との会話」例として、川端康成の『雪国』の一段を引用しているが、主人公の島村がもしソクラテスであったなら、という「仮想対話」には大笑いした。

『「人間嫌い」の言い分』(長山靖生著、光文社新書)。なんか人とうまくやれないな〜、孤立しているな〜、と感じている人に対して、この日本では、みんなと同じであるべき、というプレッシャーが異常に強い。そんな異常な世界になじめないのは正常な反応なんだから、自分を徒に責めるのを止めて、自分が「人間嫌い」であることを自分自身にカミングアウトしちゃえば?と勧める本。気楽に読める。

『児童虐待と共依存 ― 自己喪失の病 ― (原題:Facing Codependence)』(ピア・メロディPia Mellody著、内田恒久訳、そうろん社刊)。これも書名で引かれるかな〜。「児童虐待」というと、殴ったり蹴ったりなど、あからさまな身体的暴力をイメージする。でも児童虐待には、一見すると「愛情」や「優しさ」と映るものもあり、子どもが生きていく能力の健全な発達を阻害する。恐ろしいことに、虐待した親も、そして虐待されて成長した子どもも、それが虐待だったということに気がついていない場合が多い。この本は説教くさい教育書ではない。読むと自分はどうだったかについて、また自分はどうであるかについて考えざるを得なくなる。

『ネオ・リベラリズムと新しい支配形態』(ピエール・ブルデューPierre Bourdieu著、加藤晴久訳、藤原書店刊)。著者が2000年秋に来日した際の講演を出版したもの。原文対訳で、講演時の映像を収録したCD-ROM付き。あくまで私の理解では、いわゆる「世界化」とか「グローバリゼーション」とは、実は特定の一国家(アメリカ)だけが、世界中の利益を独占できるような概念の押し付けであり、その影響は、世界中の政治・軍事・経済・文化・教育など、あらゆる方面にみてとれる、ということ。

たとえば「競争主義」の名の下に、大規模なチェーン店ゆえに、低コストの商品を低価格で提供できる大型スーパー・マーケットと、家族経営の小売店とを同一線上に置いて「公平に競争」させる。金持ちで親が高学歴の家庭の子弟と、貧乏で親が低学歴な家庭の子弟を同一線上に置いて「公平に競争」させる。どちらが勝つかは明白である。実は「競争主義」とは、負けることが予め決まっている弱者を、「公正な競争の結果」として排除するシステムである。

これらの本に書いてあったことは、私の中ではお互いにリンクしている。ここ10日間に起こった事件のせいで、より強くなった疑問がもう一つある。最後の本の著者は『メディア批判』という本も書いているので、読んでみることにする。


2004年10月25日

土曜日に夕食の支度をしていたら、いきなり大きな地震があった。まだ火は使っていなかったが、あわててガスの元栓すべてを閉じた。それからテレビをつけたら、すぐに地震速報が流れた。震源は近くだろうと思っていたら、なんと新潟だという。それからまもなく、2回目の大きな揺れが来た。

新潟の中越地方では、震度6強の「本震」が立て続けに3回も起こったばかりか、震度5レベルの「余震」がいまだに続いている。最初の地震は日が暮れてから起こったから、翌朝以降になってようやく、被害の大きさが徐々に明らかになっていった。

台風22・23号の報道以来、災害報道はやはりNHKが最も信頼できると思ったので、NHKばかり観ていた。大きな被害を受けた地域の映像を観て、なんともいえない気分になった。そしてそれは今でも続いている。

新潟は私の郷里ではないが、一時期、帰省するときには必ず上越新幹線で終点の新潟まで行き、そこで乗り換えていた。また学生時代からの友人・知人や、現在の職場の同僚にも新潟出身者がいるから、まったく縁のない地域ではなかった。

更に、震源の上に位置していた内陸部の市町村は、私の郷里に感じがかなり似ている。最も深刻な被害を受けた市は、まさに私の郷里と人口までがほぼ同じだった。しかも道路が寸断して孤立した村々も、私の両親の田舎にそっくりだった。

私の郷里のような地方では、市レベルであっても外地に通じる道路は数本しかない。町や村、○○地区などという地域では、大抵は2、3本、小さな村落になると外に通じる道が1本しかない、という場合も珍しくはない。

内陸部であれば、その道路は山の中腹に開かれていたり、道の上は切り立った崖で、道の下は川、という場合も多い。雨の日が続いたりすると、しょっちゅう土砂崩れや岩石の落下が起こり、道路が数日間も通行止めになる。

今回は大規模な土砂崩れに加えて、道路に亀裂が走り、ひび割れた路面がクレバス状に大きく裂けてせり上がり、また道路が土台部分から崩れ落ちた。鉄道も同じで、在来線は線路が壊れて多くが不通となり、新幹線も脱線して復旧のめどは立っていないという。

たとえ地続きであっても、数少ない連絡道路や鉄路が寸断されてしまうと、その地域は孤立する。救援活動をするにも、救援物資を輸送するにも、ルートや手段そのものが限定されてしまう。かろうじて開通している道路、また空路を用いる、という方法しかなくなってしまう。

まるで自分の郷里が、自分の郷里の人々が痛めつけられているように感じていた。でも自分にはどうしようもないのだから、無視するのが無難であり、むしろ良識的な態度でさえあるのだろうか。無責任に言及などしないほうが、責任ある姿勢なのだろうか。昨日からずっと考えていた。

Yahoo!ニュースの新潟県中越地震ページ でリンクしていた 内閣府防災部門・防災ボランティア関係情報ページ を見たら、次のような一文があった。「自分が行ったり物資を送ることはもちろん重要ですが、現地のボランティアが、現地のニーズに見合ったモノを、速やかに購入するため等のお金もまた重要です。交通費分、あるいは、今いる場所でバイトしたお金などを、活動基金に送ることも立派なボランティアです。」

また、コンビニエンス・ストア・チェーンの セブン−イレブン・ジャパンローソン が、地震発生の翌日から食料の無償提供を始めたのはニュースで知っていた。両社は同時に全国の各店舗に募金箱を設置している。

うちの近所のセブン−イレブンとローソンにも、すでに新潟県中越地震の募金箱があった。報道によってショックを受けた若い人は多かったのだ。いつにないほどお札や百円玉がつまっている。募金箱を見て、私は確かに無責任な、軽薄な人間ではあるが、結果的に被災地の役に立ってくれればいい、ということに思い至った。店員の兄ちゃんが袋詰めをしてくれている間に、お金を入れた。

日本各地の自治体による救援活動も始まっている。義援金を受け付けている公共機関のリストは NHK新潟放送局日本郵政公社 のサイトに載っている。また多くの民間企業が物資の無償提供や義援金の募集を始めた。

一個人の力であの状況を劇的に変えることはもちろんできない。それでも気になるのであれば、できる範囲でやればいいのだ。結果的に現地の役に立つことが最優先事項だ。私が軽薄で偽善的で無責任な人間でもいいではないか。

クーパー君のことも少しは書いておこう。クーパー君の最新の日記によると、彼は"Adam Cooper Productions Limited"という会社(?)を設立したらしい。これから自分の作品は、すべてこの会社でプロデュースしていくそうだ。来年上演の「危険な関係」が、この会社のプロデュース作品第一弾となるようである。

専属のダンサーなどを持つのかどうかは分からないが、たぶん持たないだろう。組織形態としては、旧AMPやNew Adventuresと同じだと思われる。そこで思ったのだが、2001年秋の「危険な関係」上演計画がぽしゃったのは、マシュー・ボーンとカザリン・ドレの大ゲンカの余波を蒙ったのかもしれないが、それ以外にも、「危険な関係」の諸権利の帰属先をめぐって、クーパーとドレとの折り合いがつかなかったとも考えられる。

気になるクーパー君以外のキャストについては、間もなく("very soon")彼のサイトで発表される。その中には、クーパー君と以前に共演したことのある人々が含まれているそうである。また、踊りもできる歌手が1名参加するらしい。

オーケストラは9名編成で(ということはやっぱり生オケ付きということだ)、舞台も9名のダンサーたちによって上演されるが、ダンサーたちを休ませるために、交代要員も含めてダンサーは総勢13名になるとのこと。だが、クーパー君は毎回の公演にヴァルモン役として出演する。おつかれさまっス。

あと、クーパー君は今年の"Critics' Circle Dance Awards"のミュージカル部門で"Best Choreography"にノミネートされたそうだ。対象作品は発表されていないが、たぶん「雨に唄えば」だろうとクーパー君は推測している。そりゃそうだ。このことについて、クーパー君はちょっと面白いコメントを書いている。そーか、やっぱ気にしていたのか〜(笑)。でも、これは自然なノミネートだと思うよ。だって、本当にいい振付だったんだから。


2004年10月14日

来年の1-2月に日本で上演される「危険な関係("Les Liaisons Dangereuses")」についてですが、いまだに「アダム・クーパー主演・振付」以外の情報が分かりません。

「危険な関係」は元来、2001年の秋にイギリスで初演されるはずでした。すでに2001年1月の時点で、出演するダンサーも数名が決定していました。美術はレズ・ブラザーストン(Lez Brotherston)で、彼はクーパーとともにこの作品の共同監督でもあります。フィリップ・フィーニー(Philip Feeney)がオリジナル音楽を作曲し、2002年2月に行われたクーパーのインタビューによれば、その音楽も完成しているようです。となれば、当然、演出や振付もほとんど完成した状態にあるはずです。

なぜこのイギリスでの初演話が立ち消えになったのかというと、プロデュースを担当する予定だったカザリン・ドレが、この作品から手を引いてしまったからです。その理由ははっきりしません。が、「危険な関係」が初演されるはずだった2001年の秋から冬にかけては、当時のAMP内でマシュー・ボーンとカザリン・ドレの対立が激化し、マシュー・ボーンが中核のスタッフやダンサーたちとともにAMPから脱退してNew Adventuresを旗揚げする、ということが起こりました。ボーンとドレとの確執が、クーパーとドレとの関係にも影響したのかもしれません。

ですから「危険な関係」は、作品としてはすでに具体的な形になっているはずで、もう少し詳細な情報が明らかにされても不思議ではないと思います。東京公演と大阪公演のチケットはもう一般販売されていますし、名古屋公演のチケットの一般販売も10日後に始まります。それなのに、クーパーが振付して主演するということ以外は未定、というのは、甚だ心もとない感じがします。

もちろん原作があるので作品のストーリーは知ることができますが、チラシの写真は作品とは全く関係のないショットで、テレビCMの映像から受けるイメージも非常に曖昧模糊としています。公演数の多さやチケットの高額さからいって、アダム・クーパー目当てのリピーター客だけで、この公演を成り立たせることができるとは思えません。舞台の具体的なイメージと公演の詳細とを、早く明らかにしてもらいたいです。

ただし、今回ばかりは、公演詳細の発表の遅れはプロモーターのトリッキーな販売戦略ではなく、おそらく本当にまだ決定していないから発表できないのだろうと個人的には思います。特に、クーパー以外の出演者が誰になるのかが最も知りたい情報ですが、これはまだ交渉中とかの段階にあるのかもしれません。公演の時期からいって、もし特定のカンパニーに所属しているダンサーを日本での長期公演に参加させるのならば、かなり面倒な段階を踏まなければならないでしょうし。

「金は出すが口は出さない」が、イギリスでの芸術助成の基本原則だそうです。しかし、チケットの販売開始までに、主要キャストくらいは発表されるのがほとんどでしょう。それでももうチケットの販売を開始せざるを得なかった、日本のプロモーター側の事情は理解できます。クーパー側に悪意はないでしょうが、彼らの仕事のテンポは少し遅すぎるようです。日本のプロモーター側は、もっとクーパー側をせっついてもいいのではないかと思います。


2004年10月10日

台風は去りましたが、秋雨前線は去らなかったようです。今日も雨がちで、お布団も干せなかったし洗濯もできませんでした。おまけに私は明日の11日も仕事なのです。連休気分なぞ無縁でございます。

先々週も先週も、月曜日は朝から雨でした。イヤですよねえ。雨の月曜日、朝っぱらから湿気と人々のイライラで飽和状態の満員電車に揺られて出勤、これほど人生イヤになるシチュエーションもありますまい。

帰宅時には疲れていて、更に買い物などをして重い荷物で両手がふさがっているのに、そんなときに雨が降っていて傘を持たなくてはならないとなると、ますますイライラが募ります。

最近は雨がちでそういうことが多かったのです。この間もそうでした。疲れた、アイツ(職場の上司)ムカつく、足がむくんで痛い、荷物重い、それなのに雨なんぞ降りやがって超うぜえ、と思いながら家路を急いでいました。

そしたら、いきなり不思議なことが起こりました。レスターで"Singin' in the Rain"を観劇した帰りのことを思い出したのです。レスターにいた数日間、朝は快晴なのに、お昼過ぎから雲が多くなり、夕方には小雨がぱらつき、夜には雨が降ったりやんだり、というお天気が続いていました。

ですから、"Singin' in the Rain"を観た帰りには、ほとんど必ず小雨が降っていたのです。人通りのない道を、雨で光る路面を見つめながら、「アイア〜ムシンギインザレイン〜、ジャストシ〜ンギインザレイン〜、ワットア〜グローリアスフィーリング、アイムハッピーアゲ〜ン♪」と小声で歌いながらホテルへと帰っていったものでした。観劇後の浮かれ気分が抜けずに、すっかり主人公のドン気取りになっていたのです。

このことを思い出したら、ホテルのフロントのお姉ちゃんが、雨の中を帰ってきた私が「"Singin' in the Rain"を観てきたんです」と言ったら、「ちょうど雨が降っているじゃない!」と笑ったことや、親切にしてくれたレスターの人々のことなどが、芋づる式に生々しく思い出されてきました。

思い出しているうちに、それまでのイライラ気分が、すううう〜っと消えていきました。それどころか、傘なんかいらんわ、ずぶ濡れになってもいいじゃん、と楽しい気分になり、心の中で(人通りがあったので)また歌いながら帰ったわけです。

ああいうのは初めての経験でした。観劇の楽しい「記憶」が、楽しい「感情」としてよみがえってくるなんて、しかもイライラ気分を、逆に楽しい気分に変えてしまうなんて、とても不思議なことです。

以来、あんまり雨がイヤだとは感じなくなったのです。なにしろ、傘をさすと"Singin' in the Rain"が頭の中で自動再生されるのですから。そのまま傘を持って踊りたいくらいですよ(笑)。なるほど、あれってホントに「いい」公演だったんだわ、とあらためて思いました。


2004年10月9日

今日の台風は大変でしたね。みなさん大丈夫でしたか?私は朝から出かけなければならない用事がありました。でも行くのが内心とってもイヤだったので、台風を口実に行きませんでした。実際、出かけていたら、帰る頃(夕方)にはとんでもない目に遭っていたと思います。だからわたくしの選択は正しかった。えっへん。

関東は夕方4時頃から7時頃にかけてが、風雨が最も激しくなりました。まだそんなにひどくもなかった4時前に、近くのスーパーに買い物に行きました。ものの数分しか歩いていないのに、それでも全身ビショ濡れになりました。

5時を過ぎると、飛行機、また特急などの長距離列車ばかりでなく、首都圏の電車や地下鉄も止まり始めました。NHKが各地の様子をずっと中継していて、渋谷駅ハチ公口前スクランブル交差点が冠水している様子が映りました。みな足首まで水に浸かりながら横断しています。昨日の夜はずっと渋谷にいてあそこを通ったので、渋谷にいたのが昨日でよかったと思いました。地下道は大丈夫だったんでしょうか?

私がこのまえイギリスに行ったとき、日本を出発する日の朝も、ちょうど2つの台風が日本を通過していました。心配だったので、JRや成田空港に問い合わせました。そしたら、まずJRからは、成田エクスプレスが止まることは滅多にないから大丈夫、成田空港からは、国内線は台風の影響を受けやすいが、長距離の国際線は、離陸時の天候がそんなにひどくない限り運航停止になることはない、という答えが返ってきました。だから、成田エクスプレスや一部の国際線が止まった今回の台風が、「台風観測史上最強」だったというのも頷けます。

NHKは、お昼過ぎから夜に至るまで、通常の番組を休止し、ずーっと台風に関するニュースを流し続けました。各地の様子を中継し、複数のアナウンサーがリレーで同じ情報をくりかえし、また新しい情報を伝えていました。これぞ公共放送のあるべき姿、と感動しました。

オリンピック期間中は、7時のニュースのスタジオまでがオリンピック仕様となり、トップ・ニュースは日本の誰が何メダルを取ったかで、そのままオリンピックのロゴをデザインした背景の前で、バグダッドで爆破事件が起きて○○名が死亡、などと報道していたのには驚きましたから。

今は「美しき日々」を放映していますが、なんだか日本の昼ドラを彷彿とさせるノリですね。さっき、青年の乗った400くらいはありそうなバイクが、ちょっと前に日本でも流行った足漕ぎ式の・・・名前忘れた・・・なんとかサイクル?ボード?に乗った女の子(当然ヘルメットなし)に激突し、少女は吹っ飛ばされて道路に倒れ伏します。

バイクに激突されて倒れた人間に「大丈夫ですか?」と声をかける青年も青年ですが、ケガどころか脳震盪も起こさずにピンピンしている女の子も女の子です。で、どうもふたりの間には、甘ずっぱい恋が芽生えそうな予感です。すごい展開です。

それにしても登場人物が多くて人間関係がさっぱり分かりません。女性のほうは顔も髪型もみなそっくりで判別不可能です。でも、過去の確執と愛憎に苦しむ姉妹がいて、その姉のほうが本当のヒロインのようです。若いながらもやり手そうな茶髪の社長が出てきて、たぶんヒロインはいずれこの社長とどうかなるんでしょう。

あっ、思い出しました。確か「キッキング・ボード」です。歩道でこれを漕いで通行人を轢くバカ者が頻出し、警察が原付扱いにして規制をかけたため、それで一気に廃れたアレです。


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