Club Pelican

Diary 15

2004年9月19日

「危険な関係」、今日からチケットスペースの先行予約が始まりました。私は10時きっかりに電話したのですが、何回電話しても、NTTの自動音声「この番号は、ただ今、非常に混みあっております。しばらく時間をおいてからおかけ直し下さい」か、たまにつながっても話し中で、とんでもなく繋がりませんでした。

この状態で数時間たってから、ようやくオペレーターに繋がって、無事チケットが取れた次第です。オペレーターの人が空いている席をいくつか挙げてくれて、その中からこちらが希望する席を選ぶ、という方式でした。

待っている他の人には申し訳ないと思いつつ、こんなふうに、チケットを予約するのに何時間も電話をかけ続けなければならない、というのは本来異常なシステムで、チケット会社と客の双方にとって、お互いに疲れることではありませんか、と私は言いました。

チケットスペースの方も、まさか先行予約でこんなに電話がかかってくるとは予想していなかったので、回線数が充分ではないという結果になってしまって本当に申し訳ない、一般発売にはもっと回線を増やせるよう検討する、とおっしゃって下さいました。

日本のチケット・ブッキングのシステムのほとんどは、公演が行われる劇場がチケットを販売するのではなく、興行元が各チケット会社と連携してチケットを販売する、というものです。これは公演が行われるほとんどの劇場が、ただ場所を貸し出すだけの空の箱に過ぎない、という現況では仕方のないことです。

ですから、国の助成を受けている劇場に芸術監督がいて、また経営委員会などもあって、彼らが上演する演目を決定し、劇場がチケット販売を一括して管理するという、海外の状況と比べても意味がありません。ただそれでも、日本のチケット・ブッキングのシステムも、もう少しなんとか簡単に、便利になってくれればいいなあ、と思います。

ところで、このサイトに寄って下さるみなさん、いつも本当にどうもありがとうございます。


2004年9月15日

今朝イギリスから帰ってきました。出かける前は体調があまりよくなかったので少し不安でしたが、さっき体重を量ったら1キロ増えていました(・・・・・・)。これはきっと、もしかしたら倒れるかもしれない、というのを理由に、毎朝ユンケル(顆粒)を飲み、ご飯もわっしわっしと食べ、ついでに帰りの飛行機の中で、機内食に加えてセルフ・サービスのカップラーメンやら、チョコレート・バーやら、ポテト・チップスやらを食いまくったせいに違いありません。

今回はロンドンにはほとんどおらず、ずっとレスター市(Leicester)にいました。もちろんレスター・ヘイマーケット劇場(Leicester Haymarket Theatre)で上演されている、クーパー君振付・主演の"Singin' In The Rain"を観るためでした。

レスター市は、「地球の歩き方」をはじめとする、イギリス旅行のガイドブックにはまったく掲載されていません。事前にウェブサイトを回っていちおう調べはしましたが、やはり実際に行ってみないことには分かりません。というわけで、今回ほどツーリスト・インフォメーション・センターをありがたいと思ったことはありませんでした。

レスター市の歴史は古く、ローマ時代にまでさかのぼるそうです。ローマ時代の共同浴場の壁の一部が残存しており、また建物全体の基礎部分が発掘されていました。次のアングロ・サクソン王国時代に建てられた教会もまるまんま現存しています。以降のノルマン朝、中世、チューダー朝、スチュアート朝の建築物も、街のあちこちにさりげなくありました。そのほとんどはレンガや石造りの建物ですが、中世の木造建築がそのまま残っていたのには驚きました(しかも内部を一般公開している)。

街の中心部(City Centre)はそのまま中世の市街地にあたり、昔は周りを城壁で囲まれていたようです。道路も昔の道をそのまま使用し、拡張などはあまり行なっていないようで、City Centreの道は多くが歩行者天国か一方通行でした。たぶんそのせいだと思いますが、市の中心部を取り囲むように環状線が走り、ロータリーが至るところにありました。

City Centreはとても小さくて、端から端まで歩いて30分もかからないと思います。ハデな観光地ではありませんが、街全体が大きな博物館のようなものでした。実際に、レスター市は地質学、考古学、歴史学などの最適な研究対象の一つらしく、ただそれらの成果が観光に利用されていないというだけのようです。

感心したのは、ツーリスト・インフォメーション・センター、史跡、博物館同士の横の連係が密接で、それぞれの職員にレスター市の他の史跡や博物館について質問すると、ここはどう、あそこはどう、と即座に返事がかえってきて、丁寧に説明してくれたことです。

"Singin' In The Rain"ですが、予想以上によかったです。まず主要キャストから群舞にいたるまで、出演者のレベルが総じて高いことに驚きました。コズモ役のSimon Coulthard、キャシー役のJosefina Gabrielle、リナ役のRonni Anconaはいずれも非常に優れたパフォーマーでした。またアンサンブルのダンサーたちも、個人的に思ったことには、"On Your Toes"よりも段違いのすばらしさでした。これだけ豪華なキャストをよく揃えたものです。

舞台装置は非常にシンプルでしたが、少ない装置をさまざまにアレンジして、上手に使いこなしていました。また劇中映画の"Royal Rascal"と"Dueling Cavalier"は大爆笑でした。これらは実際にフィルムに撮影したものを舞台上のスクリーンに映していました。クーパー君が、彼が何よりもキライだという、ロン毛ヅラにレースのフリルや刺繍だらけの衣装というロココ調の扮装をしているだけで笑えましたが、クーパー君のあのワザとらしい演技やウットリした表情には、腸がねじ切れるかと思うくらい大笑いしました。

ストーリー展開や音楽は映画とところどころ違っていて、今回の公演は、91年にアメリカで上演されたプロダクションのストーリーと音楽を使用しているようです。91年のプロダクションのCDが出ていて、収録されている音楽やあらすじが同じです。

"Singin' In The Rain"の舞台ヴァージョンは少ないそうで、その理由の一つは、著作権の制約が大きいこと(驚いたことに、映画版の多くの音楽は使用が禁じられているそう)みたいです。他には、舞台で大量の水を使わなければならないこと、そしてやっぱり、ジーン・ケリー主演のオリジナル映画があまりに有名すぎて、観客の期待や心理的抵抗が大きいことなどがあるでしょう。

クーパー君は、やはり歌が弱いことが目立ちました。キャシー、コズモ、リナ役の人は、揃いも揃って優れた歌唱力の持ち主でしたから、クーパー君が歌うと、ついヒヤヒヤしてしまって、がんばれ、がんばれ、大丈夫か?ああ、よし、よし、よくしのいだ、などと思いながら聴いていました。

ただ、"On Your Toes"のときは突っ立って歌うシーンが多かったですが、今回の"Singin' In The Rain"ではほとんど踊りながら歌っていて、その割には声がよく出ていました。ですから彼の歌唱力もアップしているのではないかと思います。これからもどんどん向上させていってほしいです。

クーパー君の振付についてですが、実は私がいちばん意外だったのは、彼の振付だったのです。"On Your Toes"の踊りに多くみられたちぐはぐさが、きれいさっぱりなくなっていて、とてもスムーズで自然できれいでした。憶測ですが、ジーン・ケリーの強みと弱み(シド・チャリスがやんわりと示唆している)を逆手に取った振付だな、と思いました。時に映画と似た動きを取り入れ、時に映画にはない動きを取り入れて、効果的な振付をほどこしていたと思います。

特に、全編の踊りを通じて、クラシック・バレエの動きやステップを基礎にし、絶対にそこから離れなかったことで、踊りに常に同じ流れがあるというか、観ていてとても統一されていてすっきりしていました。"On Your Toes"では無理にいろんなダンスの動きを取り入れすぎて、かえって不自然になってしまった面があると思うので、これは嬉しいことでした。

そして自分の能力を過剰に誇示するような振付がなくなりました。不必要にアクロバティックで複雑すぎるリフトや、「俺が俺が」的な、自分の技術や強みを、どうだ分かったか、とばかりに観客に押し付けるような、ソロでの動きもなかったです。さりげなく、あっ、クーパーってすごいなあ、と観客に感じさせるような踊りになっていました。

"Singin' In The Rain"を歌いながら踊るシーンでは、歌はちょっと聴いていてハラハラしましたが、振付はとてもよかったし、クーパー君は勇敢だなあと思いました。1センチ以上の厚さで水がたまっている床で、タップで踊るなんてもともと無理な話で、映画版でのタップを踏む音、歌声、水の音などは、みな別個に録音したものを後で編集時に加えたのであって、実際の音声ではないでしょう。

クーパー君は、このシーンではタップ・シューズを履いておらず、ダンス・シューズを履いて、バレエ的な動きをメインにした踊りで通しました。傘は持っていましたが、衣装も違うし、あの有名な街灯に飛び乗る動きもありません。水の上で、ジュテで回転しながら舞台を横断したり、ピルエットをしていたのです。また、これはわざとかどうか分かりませんが、振り回す自分の手足や傘から飛び散る水滴を使って、舞台の空間に線を描いていて、これがとても美しかったです。

会場は毎回ほぼ満員で、観客の反応も非常によかったです。不満そうな観客もいるにはいましたが(映画と違うと文句を言っていた)、ほとんどの観客は素直に楽しんでいて、いつも大きな拍手喝采が送られました。

新聞のレビューや批評はクーパーには辛辣だったそうですが、私はクーパーはもっと評価されてもいいんではないかと思います。彼は自分だけが舞台で目立つ側から、すべてのダンサーに目を配って、彼らを魅力的にみせる側にスライドしつつある感じがしました。彼にとっては、もう自分一人が舞台を支配する必要はなくなったのでしょう。

ここまでだけでかなり長くなりましたが、また後で別に更にしつこい日記と感想を書きたいと思います。

ロンドンには13日に戻りました。宿に入ってニュース番組を観たら、ちょうどその日に、バッキンガム宮殿の正面のバルコニー横にバットマンの格好をした男がよじ登り、そのまま何時間も居座り続けたという事件があったようで、それがその晩のトップ・ニュースでした。翌14日の新聞各紙の一面もほとんどがその事件でした(ファイナンシャル・タイムズ除く)。

その男は垂れ幕を宮殿の建物に吊り下げていて、そこには父親の権利が云々と書かれていました。つまりは離婚した男性に、先妻が親権を持っている子どもたちと面会する権利をもっと与えろ、という主張だったようです。ところが、テレビも新聞も、彼の主張よりもバッキンガム宮殿のセキュリティー体制の不備を論じていました。でも、子どもに会う権利を主張するのに、なぜ「バットマン」なんだろう、と思いました。

今回の旅では、滞在していたわずか1週間弱の間に、2回も乗っていた列車が故障して止まり、列車を乗り換えるというラッキーな経験をしました。イギリスの鉄道は信用してはいけない、という教訓を得ることができました。

日本に帰ってきてテレビをつけたら、しばらくして突然「白鳥の湖」の音楽が流れ、画面に踊っているクーパー君が映りました。次にサラ・ウィルドーも出てきて、クーパー君と一緒に踊っていました。DAKSというイギリスの服飾ブランドのCMのようです。すごいびっくりしました。


2004年9月7日

今(夜11:00)、東京は風がすごい勢いで吹いています。雨は降っていません。これから台風が近づく地域のみなさん、とにかく風が強いので気をつけて下さいね。道を歩いていると、何か飛んできたり倒れてきたりしそうで怖いです。

先週末から具合が悪くなって寝込んでいた。なんかすごく分かりやすいが、9月になったとたん、夏の間の疲れがドッと出てきたのだろう。いかにも待ってました、という感じである。こういうときはいさぎよく(?)休んだほうがいい。というわけで更新がさっぱりできませんでした〜。

何かネタを探して、なんとか1週間以内に更新らしきものをしようと思ったけど、どうも今週は無理そうである。で、こうして日記でお茶をにごすことにした。書いている今も、風の音がすごい。文字どおりゴオオオッ、て音を出して吹いてます。

この間ようやく、「雨に唄えば( Singin' in the Rain )」の映画版を観た。ジーン・ケリーが振付・主演したオリジナル版ね。ミュージカル映画というのは、舞台で上演していたのを映画化するものだと思っていた。でも「雨に唄えば」は、最初から映画として作られたものだったらしい。

「雨に唄えば」のDVD特典に、音声解説やドキュメンタリー番組、関連する映画の短いシーンなどが色々と付いていた。それによると、1930〜50年代は「ミュージカル映画」という映画ジャンルの全盛期で、たくさんの作品が作られたそうだ。「雨に唄えば」を製作したMGMという映画会社は、中でもミュージカル映画の製作に秀でていたそうである。

最初に「雨に唄えば」を観たときには、愉快度70%、不愉快度30%であった。ストーリーも歌も踊りも面白いが、映画全体になにかこう、時代的なものなんだろうけど、マッチョな雰囲気が強く漂っている気がした。

成功した女優で金髪で美人だけど、訛りの強いキンキン声で頭の悪いバカ女(リナ)、それに対して、売れない踊り子でとびきりの美女というわけではないけれど、落ち着いた美しい声を持つ、優しい性格の女優志望の少女(キャシー)、なんでそこまでいいヤツなのか理解しがたい主人公の友人(コズモ)、そしてそれなりに苦労はしたが俳優として大成功し、トーキー映画への移行も難なくこなし、歌も踊りもセリフも完璧、という主人公の男(ドン)が出てくる。

映画の最後で、キャシーがリナの声をふきかえた、ドン曰く「本当のスター」であったことが明かされ、キャシーは女優として華々しく成功し、ドンと結ばれる。ハッピー・エンドには違いないが、現代人の私は、じゃあリナはどーなったんだ、共演者や映画会社の社長たちの策謀で、公衆の面前で大恥かかされて、そのまま落ちぶれて映画界から姿を消したのか、とか気になってしまう。

登場人物のキャラクター設定はいずれも時代がかっているし、結末もハッピーエンドとはいえ、その実は勧善懲悪的で容赦がない。勝者は勝者、敗者は敗者、とさっぱり割り切っている。またこの映画は、いかにもジーン・ケリーのための映画、という感じがする。初めて観たときは、ジーン・ケリーよりもコズモ役のドナルド・オコナーの方が印象に残ったし、そして誰よりも、リナ役のジーン・ヘイゲンが最もすばらしいと思った。

しかし意外なことにというべきか、やっぱりそうかというべきか、この二人は映画が公開されてから今まで、あまり高く評価されてこなかったそうである。だが、キャシー役のデビー・レイノルズは、映画会社側が意図したとおり、女優としての大成功を手に入れ、ドン役のジーン・ケリーに至っては、この「雨に唄えば」が代表作とみなされるまでになった。

音声解説やドキュメンタリーを観て、そして再び本編を観てはじめて、ジーン・ケリーはすごかったんだな、とようやく思えるようになった。これは観る側として適切な姿勢なのかどうかは分からないが。

クーパー君は、この映画をどうリメイクしたのだろう。もともと舞台で上演されていたミュージカルではなく、映画を舞台化したミュージカルだから、権利的な面での制限もかなり大きかったのではないか。あれらのキャラクター設定やストーリーを、まるまんま再現しているのだろうか。そして、肝心の振付はどうなったんだろう。

ところで、映画の方の「ブロードウェイ・メロディ」で踊るジーン・ケリーを見てびっくりした。クーパー君が振り付けた「十番街の殺人」を彷彿とさせる(控えめな表現)振りが、かなり出てきたので。クーパー君、影響を受けるからという理由で、バランシン版「十番街の殺人」は観なかったそうだが、これでは結果的に同じではないか、と思わないでもない(曖昧な表現)。

それはおいといて、「雨に唄えば」は、連日満員御礼で楽日を迎えたということなので、とりあえずはよかった。あの超有名な映画のイメージを払拭するのはさぞ大変だったろうが、クーパー君はよくがんばったと思う。


2004年9月1日

今日ようやく「ダンスマガジン」(新書館)10月号を見た。タケット版「兵士の物語」のレビューが載っていた。白黒だけど大きな写真が5枚あり、しかもどの写真もなかなかによい。記事の分量自体は3ページしかないのでちょっと迷ったが(1,500円もする)、写真の魅力には抗し難く、結局買うことにした。

近所の本屋さんは小さいが、「ダンスマガジン」をいちおう置いてくれている。いつも1冊か2冊だけど。ただ、たぶんバイト店員の仕業だと思われるが、置いてある棚が毎月ちがう。よって探すのに一苦労する。

いつだったかは「パズル・クイズ」の棚にあって、「月刊クロスワード」の隣に置かれていた。またいつだったかは「趣味・娯楽」の棚にあって、「鉄道ファン」、「釣りの友」と一緒に置かれていた。ちなみに今月は「スポーツ」の棚にあって、「ダンスファン」の隣だった。まあマシだ。

「兵士の物語」の写真で、80ページのは第一部のものである。上着を脱いでるから、悪魔の調練の後だな。ウィル・ケンプはすごいメイクだが、このモミアゲは本物である。81ページのマシュー・ハートの写真は、第二部で「悪魔の歌」のセリフを言っていたときのものだ。その隣のクーパー君の写真は、第二部の「大コラール」で、語り手のセリフと同時に、両腕をゆっくりと回しているときのものだと思う。

下のケンプ、ゼナイダ・ヤノウスキー、クーパーが並んで写っているやつは、兵士が悪魔を倒した後の「小コラール」で、いつまでも自己陶酔してポーズをとっている兵士のズボンを、王女がさりげなく引っ張って、自分を持ち上げるよう促すシーンのものである。そして82ページの写真(これで私はノック・アウトされた)、これは第一部冒頭の「兵士の行進曲」でのクーパー君である。表情といい、銃を持ったポーズのバランスのよさといい、この写真だったら70ポンドでも買っちゃうな。メイクのせいもあるだろうけど、クーパー君、こういう表情ができるのね〜。

雑誌の売り上げを少しでも伸ばすためだけの役割でもいいから、「ダンスマガジン」さん、これからもどんどんクーパー君を載せて下さい。今月号みたいに3ページくらいも載せて下されば、ちゃんと買いますから。お願いします。


2004年8月27日

オリンピックはなかなか終わらないねえ。もう2週間以上も延々とやっている。前の日記に書いたとおり、先週から今週にかけてはものすごく忙しくて、明け方まで仕事をやって、それから3〜4時間くらい寝て、それから出勤、という生活リズムになっていた。

皮肉なことに、そのおかげで、オリンピックのいろんな「感動の場面」を見ることができた。男子体操の団体で、日本チームが金メダルをとったところとか、女子マラソンで日本の選手が1位でゴールインしたところとか。その間にもひっきりなしに、ポーン、ポーン、という音とともにニュース速報が流れて、内容は必ず「○○で××選手が金(銀/銅)メダル」だった。

私はオリンピックが好きでないが、競技はなかなか面白かった。特に、男子体操の鉄棒では、うわお、なんと美しいんだ、まるでバレエではないか、と見とれた。中でも日本人選手の動きや姿勢は最も美しかった。

新体操もそうで、これはバレエとどう違うんだろう、と最初はとても驚いた。トゥ・シューズはもちろん履いていないが、バレエとまったく同じ動きが、かなり取り入れられているように思われた。たまたま見た選手が、「スパルタクス」のアイギナのソロの音楽をそのまま用いていた。この選手の動き、このままアイギナの踊りとして使えるんじゃないの、と思った。

でもやっぱり、新体操とバレエとは何かが違う・・・う〜ん、やっぱり、新体操は、全体的にアクロバティックだよな。かつてシルヴィ・ギエムの踊りを、「まるで体操」と非難した人々がいたそうだが、こうして新体操を見ると、シルヴィ・ギエムは明らかにバレエ・ダンサーである。

競技によって日本人選手の意識は微妙に異なるようだった。ある競技では、選手は負けてもさっぱりした顔をしている。でも一連の競技では、いまだにスポ根的価値観が蔓延しているらしい。

女子バレーボールで日本チームが中国に負けたとき、日本チームの選手の一人が、泣きながら記者に向かって「勇気が足りなくて負けました。すみません」と謝っていた。また野球は銅メダルを取ったというのに、「長嶋監督、すみません」とチームの誰かが言ったそうだ。

こういうセリフを聞くと、とーぜん私はブチ切れる。なんで記者に謝るの。なるようにしてなった結果じゃないか。試合のポイントでは負けたけど一生懸命やった。なんで自分に優しくしてやらない?銅メダルを取って「すみません」?じゃあ、4位以下のチームの立場はどうなる。

さあ、文句たれたれモードに突入です。あの入場行進の日本チームの衣装、ありゃあ何だ。特に女子選手のほう。ウチの近所の商店街にある、近隣のばあちゃん御用達の洋品店に、あのテの服はいくらでも売ってるぞ。それからシンクロの音楽、いくらなんでも「阿波踊り」はねーだろ。はっきり言う。あまりにもダサすぎる。

それから実況中継がうるさい。直に試合を見てるとエキサイトしてくるのは分かるが、アナウンサーやリポーターや解説者は冷静さを保ってほしい。スポーツにはからきし興味がないことがバレバレなタレントを、無理にオリンピック特集番組の司会者にするのもやめて下さい。セリフや態度がワザとらしいし、競技名や選手の名前を言い違えるから白けてしまう。

オリンピックについてはこのくらいにしておこう。話を変える。

ようやくゆっくりしたので、久しぶりに本屋さんに行った。買ってきた本の中の一冊に、今年の春にイラクで日本人3人が武装組織に拉致され、後で解放された事件についての話が載っていた。著者は人質となった3人が日本に帰国した直後、羽田空港で3人を診察した精神科医である。

3人の名前は伏せてあるが、帰国直後の3人の状態がどんなものであったのかが書いてある。「ボロボロであることはすぐにわかった。医師なら誰が診ても『これはまずい』と考えたろう」とこの医者は書いている。3人とも重い身体症状が出ていて、中の1人については、すぐに入院させようかとも考えたという。

この精神科医は、ドバイの病院の医師が出した「PTSD」という診断をくつがえした。だが、この3人が、帰国後すぐに家族に引き取られて郷里に帰ったことで、自分たちの体験を話す機会がないままに、一人一人が孤立した状態となり、やがて「『外傷体験という過去』に縛られた人になってしまうのではないか」と危ぶんでいる。

当時、3人が帰国した後の記者会見を報じたニュース映像で、人質の家族や支援者たちだけが並んでいるいちばん端っこに、この医者の顔がちらっと見えたので驚いた。やはりこの医者が診察していたのだった。最も適切な医者を選んだな、と思った。でも1度きりの診察では意味がないだろう。あの3人はその後、どういうケアを受けているのか。


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