Club Pelican

Diary 1

2003年3月12日

前に書いたときから、もう一ヶ月も経ってんじゃん。いくら「不定期」だからって、もう日記とはいえなくなってる・・・。

思えばこの一ヶ月は、いろんなことがあった。みなさんご存じのことと思うけど、クーパー君のオフィシャル・サイトがようやくできて、"On Your Toes"は再演が正式決定し、チケットの販売もとうに行われている。それにAMP「白鳥の湖」東京公演が始まって、映像版でしか観たことがなかったクーパー君の生白鳥を、この眼で見ることができた。

毎日の生活に観劇と感想書きとが加わり、なんでか知らないが食欲はなくなるわ、よく眠れないわで、無変化な秩序を好む私としては、本当に気が安まるときがない。強迫的な頻度での観劇と感想の更新は、自分でも確かにおかしいと思う。あまり無理しちゃダメだよ〜ん、と心配してくださる方々もいて、そう言ってもらえるとすごく嬉しいし、その通りだ、きちんと自分を制限しなくては、と正気に戻るきっかけにもなる。

私がここまでするのは、つまるところ、いったい何のためなのか?私がクーパー君を好きでいられるのは、あと、どのくらいなんだろう?「これ」が終われば、私は今度はどうするのだろう?ふとそう思うときがある。

私はクーパー君が大好きだけど、たぶん「クーパー君が大好きであること」を通じて、何かをしようとしてるんだと思う。それが何なのかは自分でなんとなく分かるけど、ここでは言わないよ〜ん。

ある人へのメールにも書いた。長い人生のうち、たかだか1ヶ月や2ヶ月、こんな時期があってもいいだろう。「現実との折り合いをつけて」、「あくまでほどほどに」、そんなことは、今まで散々やってきた。「バランスのとれた正しく現実的で健全な生活」とやらをするために、どんなに努力(と自分では思いこんでいた)してきたことだろう。

なんか書かなくていいことまで書いちゃいそうなので、もうやめとこ。とにかく、夢はいつかは覚める。このまま放っておいても大丈夫。


2003年2月19日

今日、Bruce Marriottさんのballet.coで、去年クーパー君が振付、主演したミュージカル"On Your Toes"が、今年の夏、ロンドンで再演される可能性がかなり高くなったという書き込みがあった。公式には未だ不確定だが、来週には何らかの動きがあるかもしれないという。

詳しい経過を知りたい人は、ballet.co ( ここ ) に飛んで、トップページのコンテンツにある"News"に入って下さい。そこに"On Your Toes in London?"というスレがあります。これからも情報が入り次第、このスレに即座に書き込まれるだろうと思うので、気になる方はこのページを「お気に入り」に加えておきましょう。

まだ公式発表はないけれど、これでかなり気がラクになったぞ。クーパー君の舞台を観る機会は、もう「白鳥の湖」しかないんだ、という追いつめられたような気分から、とりあえずは脱け出せるから。これからの進展が楽しみです。


2003年2月17日

AMP「白鳥の湖」公演まで、あと1週間になった。舞台の上で、白い肢体をのけぞらせて踊っているアダムを想像すると、それだけで胸がドキドキしてきちゃうの。うふっ。

今日は久々に目の調子がよかったので、時間をとってAMP「白鳥の湖」映像版を鑑賞しましてん。いつもは強迫的にただ観てることが多いけど、でも今日は、ほんとに久しぶりに、集中して観た。 ・・・ いや〜、クーパー君、本当にキレイだった。

おんなじ映像版でも、半年くらい前までは、アラばっかり目に付いた。ぐらついた、出損ねた、間が空いた、振り間違えたくさい、ステップ踏み違えたな・・・。

今こそわたくしは、あのイジワルだった自分に言いたい。彼は、一つ一つの動きに、これほどじっくり丁寧に取り組み、これほどなめらかに踊っているじゃないか。勢いだけとか、力まかせとか、表面だけ真似てとかではない。背骨からぐりっと動いているかのような、あの長い腕を見なさい!あの美しい筋肉を、力がゆっくりと移動していく、緩やかな流れがはっきりと見てとれるだろうに!あのうねる波のような腕の動きは、いったい何だ!腕の動きに目を奪われるようなダンサーが、一人を除いて他にいたか?おまーはこれまで何を見とったんじゃ!

公演1週間前になって、ようやくこんな気持ちになれた。ああ、アダム・クーパーの白鳥が早く観たいよう。私、正気を保っていられるかなあ・・・。


2003年2月10日

「経歴19」更新しました。例によって、書き直しては上書き、というのを何度も繰り返してます。やれやれ。

今回は私のもっとも苦手な話題。ダンサーにとって踊ることとは何なのか?なぜ踊るのか?踊っているときの気分は?

自分を表現する手段は、人によって異なる。私の表現手段に、踊るという選択肢は含まれていない。踊ることを手段として選んだ人たちは、なぜそれを選んだのだろう?

これはごくありがちな疑問だろうけど、答えるのがひどく難しい疑問でもあると思う。言葉で表すことはできない、と答える人もいるだろう。最近ある人とメールをやりとりしていて思い出したのだが、ジョルジュ・ドンがそういう意味のことを言っていたように覚えている。

私はこういう印象を持っている。踊りは確かに目に見える動きであり、内から外へという方向性を持っているには違いないが、しかし同時に非常に静的な、内省的な活動でもあるのではないか、と。

彼らはまるで、自分の身体と対話しているかのようにみえる。・・・ 対話、というより、自分の内部へ内部へと深く入り込んでいき、神経をとぎすませて、自分の身体の隅々を意識し、自分の内側からの声を聞いているかのようだ。

クーパー君は、舞台の上がいちばん安全だと感じているという。舞台でこそ本当の自分自身でいられるという。私にはとうてい理解できない感覚だ。でも、これがつまりは、彼がダンサーであることの、最も説得性ある動機であり、理由なのかもしれない。

表現手段に優劣の差はない(他人や自分を傷つけない限りにおいて)。とはいえ、自分にはない表現の手段を持つ彼らを、自分自身と対話する手段を持つ彼らを、うらやましく思い、また尊敬できるのも確かなのである。


2003年2月8日

前々からバレエ音楽の方の「マノン」がほしくて、CD屋さんで探していたんだけど、ずっと見つからなかった。それでしょうがないからとうとう取り寄せた。さきおとついに届いて、それから何回もくりかえし聴いている。

第二幕の最初の方で、マノンの兄レスコーが、マノンの恋人でこのバレエの男主人公でもあるデ・グリューを伴って、泥酔した状態で現れる。それからレスコーのソロ「酔っぱらいの踊り」(勝手に命名)が踊られる。

私が初めて目にした生クーパー君の踊りがこれであった。去年(2002年)3月、東京でおこなわれたスター・ダンサーズ・バレエ団の「マクミラン・カレイドスコープ」公演でのことである。

いきなりあのゴージャスな音楽が響いて、紺色に金糸の飾りがついた、裾の長いロココ調の上着に黒のタイツ、黒いシューズというレスコーの衣装を身に着けたクーパー君が、酒瓶を片手によろめきながら舞台になだれこんできた。この時のクーパー君はヅラではなく、自前の濃い色のブロンドをなでつけた髪型で、それが衣装の紺色と金飾りに鮮やかに映えている。

彼が現れた瞬間、思わずあっと息を呑んだ。映像でしか観たことがなかった、あの憧れのダンサーが、自分の目の前、わずか10メートル先で実際に踊っているのだから!

なんてダイナミックでしかも鋭い動きをする人だろう。両腕を上げて、つま先立った片足でゆっくりと回転する。そのスピードは一定で、回る体の軸は微動だにしない。体を斜めにして跳び上がり、瞬間両足を打ちつける動きの、なんて大きくて高いこと。酔っぱらっている踊りだけに、体や足元がふらついたり、転びかけたり。そのふらつき方や転び方も豪快で、わざとやっているようには見えないのだが、でも本当に計算してバランスを崩しているように見せている。音楽にもまったく遅れていない。踊りの振りだけで精一杯なのではないのだ。これがプロのダンサーの踊りかあ・・・。「マノン」映像版で同じ踊りを踊っているダンサーより、明らかにクーパーの方が段違いによい。

それにしても・・・かっこいい・・・美しい。なんちゅう体型をしてるんだ。これが同じ人間か?休憩時間、観客たちは一斉におしゃべりを始める。あちらこちらから、「あの黒い服を着た外人の男の人は誰?かっこいい!」「『リトル・ダンサー』に出てた人なのね!」「あたし、あのクーパーっていう人好き〜」などという声が聞こえてくる。私の隣に坐っていたおばさんたちがひそひそ話をしていた。曰く、「どうしても・・・日本人は見劣りがするわよねえ・・・体型があまりに違うんだもの。」私は心の中で「人種が違うんだから仕方がない、顔や体型だけでダンサーを判断してはいけない」と一応もっともな反論を試みる。でも、我ながら空々しい。本当は「そうでしょう、そうでしょう。もっと彼のことをホメてホメてホメてー!!」と叫びたくてたまらない。

というふうに、私はクーパー君のこの踊りで、かなりショックを受けたので、いまだによく覚えている。「マノン」の音楽を聴くと、あのときの彼の踊りがおのずと脳裏に浮かんできて、飽きもせず「一人妄想上映会」を繰り返すのである。この「ロングラン」はまだまだ続きそうだ。


2003年1月31日

「経歴18」の題名「ビリー・エリオット (1)」を変更して「ドラマ、映画への出演」としました。「ビリー・エリオット(リトル・ダンサー)」について書いてないしな〜、と思ったので。内容には大きな変更はありまっしぇん。またまた紛らわしいことになりました。どうも最近やっつけ仕事になっちゃっていけないス。

・・・あれ?なんかほかにも書きたいことがあったような気がするけど・・・忘れちゃった。思い出したらまた後でつけ加えましょう。


2003年1月24日

この1、2年の間に、ムクムクと芽を出して成長しつつあった親知らずを、今日ようやく除去いたしました。感想は・・・とにかく痛え!!です。

口腔外科で手術、というおーげさな事態ではなかったですが、麻酔を打ち(歯ぐきに注射をー!!)、更に歯を削って(あの実にイヤな「キュイーン」という音のメスをー!!)、そしてワインやシャンパンの栓を抜く要領で、歯の表面に「栓抜き」をさし込んでぐーりぐり回し、そして一気にしゅぽーん、と抜き取るのです〜。どうです、怖いでしょ〜。

抜き取った後に見せてもらった親知らずは、虫歯にかかってもおらず、夜空に輝く満月の如くに真っ白な、実に健康そのものの歯でした・・・。ああ、生えてきた場所(そして方向)が、ちょっとズレていたばかりに、何の罪もないのに(少し痛くなっていたんだけど)抜き取られるなんて・・・。今度はいいところに生まれかわってこいよ(←無理)。

抜歯してから半日ばかりはさすがにツラかったけど、痛み止めをガバガバ飲んだのと(注:危険ですのでくれぐれもマネしないでください)、あと今回は「歯医者運」が良くて、腕のいい歯医者さんに当たったので、今はほとんど痛みがない。「千と千尋」も楽しく観られた。このワタクシが、そうやすやすと感動してたまるもんですか、と思いながらも、千尋とハクが空に浮かんでいるシーンでは、観る度についつい涙がちょちょぎれちゃうのであった。


2003年1月21日

きのう「経歴17」を更新しましたが、「オンディーヌ」のあらすじに間違いがあったので、訂正を加えてさっき上書きでアップしました。

ヘンツェのバレエ音楽「オンディーヌ」は、よくある抜き出し(たとえばマクミランの「マノン」や「三人姉妹」とか))ではなく、当初から「オンディーヌ」のために作曲されたもので、ヘンツェは振付者のアシュトンと、それこそ計画段階からバレエの完成に至るまで、終始綿密な打ち合わせをしていたのだそうだ。

っていうか、これはみーんな「オンディーヌ」CDに付いてる説明からの受け売りである。ちょうど今、CDを聴いているんだけど、なんか、いまひとつ好きになれないなあ・・・。それとも、もうちょっとよく聴き込まないと、良さがわかんないのかな・・・。

フォンテーンが「オンディーヌ」を踊っている映像(部分)が残っているそうだ。手に入れられるかどうかは分かんないけど、これからお店に寄ったときには気をつけてみよう。

「経歴」には1回毎に題名を付けてあるけど、これは便宜的なもので、みんなテキトーです。ひとさまの人生について、ある時期を簡単な語でひとまとめにできる、とか私は思っていないし、クーパー君だって結局は私たちと同じで、自分が時にはしくじり、時にはうまくいった、とか思いながら毎日を過ごしているんだろうし。

それにしても、私はこういうものを書いて、それで一体どうしたいんだろう?っていうか、なんでこんなものをわざわざ書いているんだろう?

と思ったら、「オンディーヌ」CDが全部終わった。結局、いいと思った音楽が最後までなかったなあ。


2003年1月13日

元々の「経歴15」があまりに長すぎたので、これを二回に分けて「経歴15」と「経歴16」としました。内容的には前と違うところはありません。ただ分けただけです。紛らわしいことになっちゃってすんません。でも量的には少しすっきりしたかな?と思います。


2003年1月12日

「経歴15」を更新しました。なんか今回はミョーにできあがんねえな、と思ったら、分量がいつもより異常に多いではありませんか!!でも先週はお正月にかこつけてサボっちゃったから、まあいっか。

更新したてのものは、何度か見返してはちょくちょく直しています。今回も、昨日の深夜に最初にアップロードしてから、修正しては上書き更新、というのを、4、5回もやったでしょうか。

今回は、書いてて自分でイヤになる、というのが特にひどかったです。別にこんなことをわざわざ書かなくてもいいんじゃないか、気にしないフリをして、いいことばっかり書けばいいじゃないか、でもここは自分のサイトなのだから、自分の書きたいことを書いていいんだ、と反対の考えが交互に浮かんできて、いつもどうどうめぐりを繰り返しているのです。

結局、これが今の自分の限界なのですから、仕方ないのです。いつか私がもっとできた人間になったなら、そのときにはもっと優しい見方ができるようになるでしょう。

今ここをご覧の方の中には、今年成人を迎えられる方がいらっしゃるのでしょうか?もしあなたがそうなら、本当におめでとうございます!あなたの前には、人生で最も楽しい時間と、それこそたくさんの可能性があるんですね。本当にうらやましい!

私は今のところ、自分の未来に大した希望が持てないのですが、それでもなんとか頑張っていくことにいたしましょう。それとも、こんなもんなのでしょうか。


2003年1月10日

もう年が明けて十日も経っちゃったんですね。なんだか正月が夢のやうな・・・。今日中に更新したかったけど、今日はもう疲れちゃって使いものになりまへん。明日の夜くらいまでには何とかしたいと思います。

それにしても、年末も忙しかったけど、正月明けも忙しいざんす(←当たり前)。おまけに今日の「メチャイケ」( ごめん、「ぐるナイ」 の方でした。1月24日ペリカン追記 )は、「ゴチバトル2時間スペシャル」だったし。つい全部観ちゃったよ〜。岡村よ、忍者修行、どうか頑張ってくれ。しかし、今年初めての日記なのに、なんちゅう内容だ。

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします〜。


2002年12月28日

「経歴14」を更新した。今年はこれで終わり。やっぱりあと3回くらいで、現在のクーパー君に追いつきそうです。すぐ追い越されるだろうけど。でもそのほうが嬉しい。

今度のお正月休みは、家で専らビデオ鑑賞だ、という方。ジム・キャリー主演の「マスク」はおすすめです。なぜなら、ジム・キャリーは、アダム・クーパーそっくしだからです。しかも、この映画には、ジム・キャリーのダンス、また歌のシーンが盛りだくさん。まるで今のアダム・クーパーそのものではありませんか。

「エース・ベンチュラ」シリーズもいいかもしれない。これで有意義且つ充実した正月を過ごせること間違いなし。即レンタルビデオ店に急ぎませう。ただし、シリアスにアダム・クーパーを愛している、というファンの方は、やめておいたほうがいいかもしれません・・・。

去年の今頃は、クーパー君のファンになって、彼の公演を観に行って、デマチもして、おまけにサイトを開くことになるなんて、思いもしなかった。そもそも、アダム・クーパーをまだ知らなかったもん。でもこの一年、本当に面白かったし、ずいぶんと楽しい思いをさせてもらった。こんなにハマったのは久しぶり。クーパー君にはもちろん感謝しているけど、彼のことについて、一緒に楽しくおしゃべりさせて頂いた方々にも大感謝です。

そして、こんな超弱小サイトでも、しばしば訪れては目を通してくださったみなさんにも、心からのお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

それではまた来年お会いしましょう。


2002年12月25日

来年(2003年)のAMP「白鳥の湖」東京公演に関する話題を、一括して「雑記番外」に移動、整理した。本文に修正は一切加えていない。

今年の夏以来、私にとってどんなことが気になり、また私がどういう反応をしていたかが、少しは窺われるのではないかと思う。今、あらためて自分で上から順番に見直してみると、私が段々と弱気になってきているのが分かる。

最初はキャスト情報が分からないことに苛立っていたのに、最後にはとにかくアダム・クーパーが踊ってくれるなら、具体的な日にちが分からなくてもいい、買ったチケットについては文句は言いません、というところまで妥協してきている。自分のことながら興味深い。

来年の公演が終了した時点で、全体を再度見直してみようと思っている。最初はその状況に不満でも、それに振りまわされているうちに、段々と不満がなくなるばかりか、逆にありがたいと感じるようになる過程が見えてくると思う。


2002年12月24日

年末に向けて、日々せわしくなっていきます。私は先週の土曜日も終日お仕事でした。昨日の夕方、「経歴」をやっとこさ更新できましたが、でもあの文章は、我ながらヒドイな。時間ができたら、なるたけ直します。ごめんなさいです。


2002年12月19日

( ここの日記は、「雑記番外」に移動しました。)


2002年12月15日

「経歴」12を更新した。このぶんだと、あと3、4回で終わることができるかもしれない。ひとさまの「経歴」を書くなんて、なにをエラソーに、と、自分でイヤ〜な気分になるのはしょっちゅうのこと。でも、とても面白い。決してバカにして言ってるんではない。バレエの世界というか、いわゆる「芸術」の世界は、私自身が本来抱いていた色々な疑問とヒットする部分が、あまりに大きかった。

偶然とはいえ、アダム・クーパーというダンサーが好きになった。彼のことをもっと知りたいと思っているうちに、彼のキャリアや彼が属する世界、そこで起きている様々なことが、別の部分でも私の興味を引いた。

芸術っていうのは、いったい何なのだろう?一方では自由で寛容で平等で公平、また一方では差別的で狭量で不平等で不公平。優しい顔で人を容赦なく打ちのめす。バレエの世界はその典型だ。

私が書いている「経歴」は、あくまで私の興味や疑問を通した、一つの解釈です。同じ資料を基にしても、別の人が書けば、まったく別のものができあがるでしょう。もちろん、クーパー君だって、まったく心外に思うかもしれないのです。

それでも、私にとっては、いろんなことを考えるいい機会を与えてくれた。それだけで感謝です。大体、ダンスだのバレエだのを観て、あんなに感動させられたのは、クーパー君が初めてですから。これからもずっと応援していきます。


2002年12月12日

今日はちっとばかし嬉しいことがあった。帰りにある電器店に寄った。ほしい映画のDVDがあったので、それを買いに行ったのだが、ついでにCDコーナーもぶらぶらと見て回っていると、プロコフィエフの「シンデレラ」全曲版を見つけた。なんともタイムリー。他にも、ハチャトゥリアンの「ガイーヌ」全曲版も見つけることができた。

どちらとも2枚組なので、全部聞くには各々2時間近くかかるはずである。「シンデレラ」には、バレエの映像版で使われていない曲もあるかもしれない。「白鳥の湖」もそうだが、バレエ組曲の全曲版は、バレエの公演では多く省略されている曲も入っていることがある。

ハチャトゥリアンの「ガイーヌ」は、イギリスのロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ演奏の抜粋版は持っていた。「剣の舞」は当然知っていたが、「子守歌」の方がより印象的な曲だと感じた。ちょうど今、全曲版を聴いている。全曲版は、サンクト・ペテルブルク放送交響楽団の演奏で、指揮者はハチャトゥリアンと同じコーカサスの出身だという。ジャケットの絵は、いかにも人民労働者同志革命芸術バレエ組曲、っていう感じでちびっと恥ずいが、序曲からして抜粋版とはまったく違う。跳びはねるような、奔流のような、生き生きとしたテンポ。

でも実は嬉しいことというのは、これらの全曲版を見つけたことじゃないんですう。私はその電器店のポイント・カードを持っていて、なるべく使わずちまちまと貯めていたのだが、最近その店に行っていなかったので、ポイント数をすっかり忘れていた。で、映画のDVDと2枚組CDが2種類だから、ちょっと高くついた。それでポイントと現金で支払おうとしたら、レジの兄ちゃんが、「あっ、ポイントだけで精算できるっスね」と言ったのである。おお、神よ・・・・・!

ま、それだけ私が前にそこで買い物をしていたおかげなのだが、なんかトクしたようないい気分で、帰宅の途につけたのである。


2002年12月10日

毎年、この時季が苦手だ。最初は苦手だということに気がついていなかった。ただ、十月から十二月にかけて、とかく体調を崩すことが多くなり、何よりもさしたる理由もないのに、気持ち的にたいへん辛い状況が続く。数年前になって、ようやくこれは偶然ではなく、何か季節的なものらしいということに思い至った。

自覚すると、何がそんなにイヤなのか、改めて注意してみた。いちばんイヤなのは、この時季独特の、たそがれた日ざしである。朝でも昼でも、日中はずっと、傾きかけた太陽の、黄色い日射しが照りつける。というより、刺してくる。それに、この「音」だ。なんていうのか、異様な静けさ、すべてが息をひそめたかのような、音のない音。頭の中にしみ込んでくる静寂。世界全体が静まりかえっている。

この日ざしと静けさには、生き生きとした活気がまるで感じられない。いってみれば「死」の世界そのものだ。実に静かに、すべてが「死」へと進んでいく。

この滅入った気分にどう対処したものか。こう考えて乗り切ることにした。「もうすぐ冬至だ。冬至までしのげば大丈夫」と。冬至が過ぎれば、また日は徐々に長くなり、すべての生命力は旺盛になる一方だ。これは「対処」というほどのことでもなく、何の根拠に基づいたものでもないが、とっさの呪文代わりにはなった。気分が落ち込みそうになると、頭の中で「冬至になれば」と繰り返す。

結局は、冬至が過ぎたところで、日々には何の変化もないのだが(当たり前だ)、その後は、クリスマスだ、正月だ、年度末だ、と、とかく忙しくなる中で、調子が悪かったことなどすっかり忘れてしまう。

今年の冬至は二十二日。あと二週間をきった。


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