Club Pelican

Diary

2004年5月5日

本日も観に行きませんでした。というか、これからは、いちいち「観に行った」とか「観に行かなかった」とか、面倒くさいので前置きしません。どのみち観に行く回数のほうが少ないことですしね。

“You Took Advantage Of Me”の最後の方の歌詞について、さっそく数名の方からご教示を頂きました。本当にありがとうございました!!最後は以下のような歌詞になっているようです。

まず、“Here I am with all my bridges burn, just baby not where you concern, so lock the doors and call me yours, 'cause you took advantage of me!”

また、“Here am I with all my bridges burned, just a babe in arms where you're concerned. So lock the doors and call me yours. 'Cause you took advantage of me.”

微妙な違いはありますが、これは歌手によって歌われるとき、任意で歌詞を少し変えて歌うことが往々にしてあるためだと思われます。たとえば、エラ・フィッツジェラルドが歌っているヴァージョンは、今回の公演のヴァージョンとは違いがあります。とはいえ、歌全体のニュアンスや意味は変わりませんので、些少な違いは大した問題ではないでしょう。

というわけで、非常にスッキリしました。あらためまして、ご教示くださったみなさんに、厚く御礼を申し上げます。“He is the head eunuch!”については、引き続きご教示を請いたいと思います。ある方からは、言葉の意味そのものが笑えるのではなく、雰囲気の問題なのではないか、というご意見を頂きました。その方もおっしゃっておられたのですが、字幕があるとはいえ、やはり言葉の壁はあなどれませんし、笑いのツボ、タイミング、雰囲気などにも、向こうとこちらとでは大きな差があるようです。

それから、バレエやバレエ・ダンサーに対する面白おかしいイメージを諷刺したセリフなどもけっこうありますね。これらはかなり笑えると思うのですが、どうも向こうと日本とでは、バレエやバレエ・ダンサーに対するイメージがやや異なるせいか、あんまりウケていないようです。マシュー・ボーン「白鳥の湖」の劇中バレエ「蛾の姫」なんかも、たぶん同じイメージを諷刺しているんだと思います。あの木こりの男なんかは特に象徴的ですね。まあこのことについては、また観に行ったときに確かめてみます。


2004年5月4日

本日は観に行きませんでした。なんだよ引っかけやがってよ、と思った方、本当にごめんなさい〜。でも、ここは本来は「日記」のページなんです〜。今だけとりあえず臨時の「“On Your Toes”東京公演の感想」ページとして間借りしているんです。それは、(1) わざわざ専用ページを作るのが面倒くさい(更新メモとかも書きかえなきゃなんないし)。 (2) 日記と兼用にすることで、双方を同時に更新できるし、しかもマメに更新しているかのよーな点数稼ぎができる、という、まことに邪な理由からでございます。

さて、“On Your Toes”東京公演が始まって、早くも1週間が経とうとしている。私の当初の予想に反して、客層が非常にバラエティに富んでいるように見受けられるのは、この上なく嬉しいことであった。また、公演が始まってから頂いたメールを通じて、実際に多様なジャンルのファンの方々が“On Your Toes”を観に来ていることが分かったし、またそれらのファンの方々がどういう感想を抱いたか、ということも知ることができた。

その中で、ヴェラ役のサラ・ウィルドー(Sarah Wildor)はダントツに評判がよい(ウィルドーを大きく評価した方々は、もちろん彼女の前歴などまったく知らない)。そして、ペギー役のジリアン・ビヴァン(Gillian Bavan)が歌う“You Took Advantage Of Me”もすごくよかった、という方々が多い。もちろん、クーパー君のことも一応はホメて下さっている。クーパー君、彼女らに負けちゃならんよ。知名度や先入見だけによって評価されないという環境は、あなたにとっては本当の意味で幸運なチャンスなのだから。

ところで、“You Took Advantage Of Me”の歌詞についてなんだけど、最後の部分、“Here are my ******** burn (or barn?), just baby not where you concern, so lock the door and call me yours, 'cause you took advantage of me!”の********部分の単語は何なのか、知っている方、もしくは聞き取れた方は、どうか教えて下さいませんでしょうか。

それから、“La Princesse Zenobia”開演前のバックステージのシーンで、ジュニアがいきなり奴隷役で出演することになり、ペギーが宦官役のダンサー、ディミトゥリーを呼びとめ、彼にジュニアのフォローを頼みます。ペギーはディミトゥリーのことを“He is the head eunuch!”と紹介しますが、ロンドン公演ではこのセリフで観客が大爆笑していました。どうもウラの意味があるらしい、というのは想像がつくのですが、このセリフのナニがそんなに笑えるのか、ご存知の方、よろしかったらご教示下さいませ(たとえアブない意味でもかまいません)。

同じく“La Princesse Zenobia”で、姫に求婚する3人の王様のうち、最後の王様が持ってきた贈り物は、ロンドン公演では絶滅危惧種であるシベリアトラ(たぶん)になっていたが、日本公演ではローストされたブタの頭になっているのは前に書いた。その理由を考えたのだが、1人目の王様の贈り物は、宝石がちりばめられたキンキラのくるみ割り人形(“nutcracker”と言っていた)で、2人目の王様の贈り物は、大きな箱いっぱいの金銀宝石である。

3人目の王様が持ってきたブタの頭を目にした姫は、両のこぶしを振り上げて前後に揺らし、それから両手を下げてバッテンの形に2度交差させる。「バレエ・マイム事典」(新書館)によると、前者の動きは“wicked”、後者は“No”、“refuse”を表すマイムだそうだ。とすると、姫が3人の王様の求婚を断る理由は、成金はイヤ、ましてブタの頭なんて持ってくるような“wicked”な人なんて“No”よ、というふうに少し変更されたのかなあ、などと思った。でも奴隷を贈り物に持ってくる男だって、じゅーぶんに“wicked”じゃないんかい、と思うが。


2004年5月2日

つい最近知って驚いたこと。(1) 今年の夏にギリシャのアテネでオリンピックが開催される。 (2) モンテカルロ・バレエとトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団は別々のバレエ団だった。ゆうぽうとでもらった公演チラシの中に「モンテカルロ・バレエ」のものがあって、女性ダンサーの写真が掲載されていた。なんだ、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団には本物の女もいるのか、しかもマジメな作品も上演するんだなあ、と感心していたら、下の方にトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の公演チラシも入っていた。あり?と思ってさっきの「モンテカルロ・バレエ」のチラシをよく見ると、そこには「モナコ公国モンテカルロ・バレエ」と書いてあったのだった。

今日は日曜日で、しかもゴールデン・ウィークの下りのラッシュであるという。こころなしか道を行きかう人は少なく、電車もすいている。しかしどこから湧いて出てきたのか(失礼な言い方ですみません)、ゆうぽうとは今日もほぼ満席であった。ところで、ひとつ訂正したいことがある。前の日記で「1階席1〜12列目の左右両端、1〜9、46〜54番席は最初から販売されなかったようだ」と書いたが、どうも違う。販売した公演日と販売しなかった公演日があるらしい、といった方が正しい。ちなみに初日の公演には、上記の席にも観客がいたそうだ。今日もそうだった。どういう方針で決めているのかは分からない。初日とか土・日・祝日とか(あとはおそらく楽日とか)、客がたくさん入りそうな公演日のチケットは、スミズミの席まで販売しているのだろうか。

今日の公演の客層はバラエティに富んでいた。例によって女性客が多いのには変わりないが、今日は男性客もとても多く、年齢層も幅広かった。客層についていうと、やはりミュージカルをよく観る人々がかなり多い比率を占めているように思われる。話題がミュージカルだし、ノリもいいからすぐに分かる。それからこれは、特に30〜40歳代の男性客の髪型や服装から判断した限りだが、エンターテイメント系、ゲージュツ系の人々が目立つ。あくまで私の印象だけど、たとえ年配の男性客であっても、「ミュージカルとかバレエとか演劇とか映画とか、普段はほとんど観ません、ポップスやクラシックやジャズなどの音楽も聴きません、まして“あだむ・くーぱー”なんて全然知りまっしぇん」という観客はほとんどいないように思われる。たぶんほぼ全員がいずれかのジャンルのファンである。

この多様な客層は、去年のロンドン公演でのそれを思わせる。ただし、年齢層からいえば、ロンドンの方が東京よりも高い。なんでこういうことが気になるかというと、観客が一つの特定ジャンル(もしくは特定個人)のファンだけで占められていない、ということが、この公演にプラスの作用をもたらしている、と思ったからである。よーするに超お気楽な気分で観られるのである。この“On Your Toes”は、その程度の作品である。軽い気持ちで楽しんで、ああ、面白かった、という軽い気持ちで帰ればいい演目なんである。あのすぐに終わってしまうカーテン・コールがそれを象徴している。私は観劇の余韻をねっとりと味わいたがるタイプなので、こういうのは非常に新鮮だし、とてもラクな気分でいられることに気がついた。なるほど、これこそ「娯楽」じゃん、と実感した次第。やっぱり私はどこかで、観劇はおハイソな行為だという思い込みを抱いていたようだ。

さて、序幕で子ども時代のジュニア役を担当するジェイ・ウェブ(Jay Webb)のタップ・ダンスは、ロンドン公演で同じ役を担当したダンサーよりすばらしいと思う。小柄な人なんだけど、動きが敏捷でタップの音は力強く、演技もいいです。彼は“Slaughter On Tenth Avenue”ではマシュー・ハート(Matthew Hart)、ガブリエル・ノーブル(Gabrielle Noble)とともに警官役も担当していて、かなりアクロバティックな踊りをやるから、やはりそれなりのダンサーなんだろう。

それから、ロンドン公演でも参加していた人だけど、“Questions and Answers”で“There isn't a name ending in a‘Vitch’!”と途中で歌う女性ダンサーは誰だろう?すごく声量があって歌がうまそうなので気になっている。同じくロンドン公演に参加していた、アヌーシュカ(Anushka)役のジュリエット・ゴウ(Juliet Gough)も、容姿(美人でプロポーションがすごくいい)や演技、踊りすべてに個性があってすごく印象に残る。あと、これから要観察なのは、“La Princesse Zenobia”で奴隷の一人を踊るアイザック・マリンズ(Isaac Mullins)と、見た目がちょっとコワいエボニー・モリーナ(Ebony Molina)である。それぞれ踊りのタイプは違うけど、なかなか優れたダンサーとみた。

それから。イヴァン・カヴァラッリ(Ivan Cavallari)はやっぱりカッコいい。とにかくイイ男だ。それにクーパーよりも背が高い。たぶんシークレット・ブーツで身長を2インチごまかしてはいないと思う。シュトゥットガルト・バレエ時代からのファンなのかもしれないが、すでに熱烈なファン群が形成されているようだ。“La Princesse Zenobia”でのサラ・ウィルドー(Sarah Wildor)との「どつきあいパ・ド・ドゥ」では、コンスタンティンがヴェラに一方的に暴力をふるわれるのではなく、コンスタンティンもヴェラの頭を軽くはたいたり、リフトを徐々に下げながら最後には乱暴に放り出し、後ろにひっくり返ったヴェラがあわてて起き上がって無理矢理ポーズをキメたり、ヴェラの片手をひっぱって重そうに床の上を引きずったり、観客は大笑いであった。

同じく“La Princesse Zenobia”でのクーパー君演ずるジュニアの踊りも、毎度のこと大ウケである。顔だけ青くて体が真っ白なのは、ジュニアが開演前に記者につかまってしまい、奴隷役のダンサーの説明をよく聞かなかったことが原因なのだが、脚本がちょっと説明不足なのと、あと字幕の問題もあって、日本の観客にウケるかなあ、とちょっと心配だった。が、青い顔のジュニアが真っ白な体で元気よく前に飛び出してきたときには、会場中が爆笑の渦となり、大きな拍手まで湧き起こったのである。団員たちがあ然としてジュニアを見つめる中、ジュニアは何がイケナイのか、と訝しげに周囲を見回して、それから前を向いてニカッと笑うところでも、観客は笑いっぱなしであった。ウケてよかった、と、嬉しいやら情けないやらで涙が出た。

今日のクーパー君は、ようやく本来のクーパー君の踊りを見た、という感じであった。タップも丁寧で、音は鋭く澄んでいたし、手足や体の動きも流麗でシャープ、つま先立ちバランスも安定していた。歌も安心して聴いていられた。

前にも書いたように、“Slaughter On Tenth Avenue”は大きく改善されているが、なんだか振付における「クーパー君カラー」がなんとなく見えてきた気がした。なるほど、彼はこういう踊りが好きなんだな、という感覚に過ぎないけど、これはワタシ的には大きな発見で、とても嬉しかった。踊りの面でいうと、クライマックスでのストリップ・ガール(ヴェラ)とダンサーの青年(ジュニア)の踊りはとにかくすごい。ロンドン公演の振付は物足りなかったけど、今回のはダイナミックで凄まじい迫力に溢れていて、あの音楽にまさにピッタリはまっていた。観るたびに興奮してゾクゾクする。あれは本当にみどころである。

群舞も日を追うごとに動きが揃ってバランスがよくなり、今日は特に“On Your Toes”でのバレエの群舞がすばらしかった。しょせんは特定のカンパニーに入団できないレベルのダンサー、という見方をする人もいるだろう。確かに、技術、体型、身長など、いくらでもアラ探しはできる。だけど、“On Your Toes”という作品は、特定ジャンルのファンに限らず、あらゆるジャンルにまたがった幅広い客層を集めているのと同様に、一方的な基準で「難がある」として排除されたバレエ・ダンサーたちを受け入れ、彼らに仕事とチャンスとキャリアを与えている。

さて、長くなりすぎたのでそろそろやめよう。最後に、例によって文句です。セリフを話すスピードが速すぎて発音が明瞭でない。ロンドン公演ではもっとはっきりゆっくり発音していた。更にスピーカーの音量が小さすぎてセリフがよく聞こえない。音楽のテンポも速すぎる。それから第1幕第6場「王女ゼノビア」開演直前、バックステージのシーンの前に演奏されていた短い間奏曲、やっぱり復活してほしい。

セリフのやりとりが速すぎて、笑える「間」が消えてしまった。たとえばヴェラがコンスタンティンの浮気に激怒し、「許さない、絶対に、絶対に〜!!」と絶叫してベッドに倒れこんだ後、「何時かしら」と平気な様子でペギーに尋ねるシーン、そしてコンスタンティンを「バカヤロー!!」と怒鳴りつけた後、ジュニアの方をくるりと向き、しなを作ってニッコリと微笑むシーン、ヴェラの態度が豹変するあの一瞬の「間」があるのが面白かったのに、それがなくなったので笑えなくなった。

コンスタンティンがジュニアを狙撃しようとするシーン、最前列左端の席から立ち上がって銃を向けるコンスタンティンの姿も、彼が警官に引っ立てられていくのも気がつかなかった、という方がいた。音がしないし、小さなスポット・ライトが当たるだけなので見えなかったようだ。悪態をついたり、叫び声を上げたりして音を出した方が分かりやすいと思う。文句ばかりでごめんなさいね。


2004年4月30日

昨日と連チャンで“On Your Toes”を観に行った。今日は昨日よりは良くなっているだろう、と思ったが、やはりそうであった。彼らがいつ来日したのかは知らないが、新顔が半数を占めるキャストと大きく変更されたセット、演出、脚本、振付でのゲネプロを経て初日公演、その翌日にはさっそく昼と夜の2公演と、来日してからロクに休む間もなかっただろう。今日は夜公演のみだったから、午後過ぎまでは多少ゆっくりできたかもしれない。

昨日とそう変わらない席に座ったんだけど、昨日の夜公演とはタップの音の響きがぜんぜん違っていたので驚いた。てっきり床の材質のせいだと思っていたが、単なるダンサーたちの調子の問題だったのだろうか。タップの音は元気がよくはっきり聞こえたし、出演者たちの歌声や音程はしっかりしていて伸びがあり、セリフも明瞭でハキハキしていた。

あのマルや四角や三角が飛びかう図柄の背景は、壁ではなく幕であった。壁と幕と、どっちがコストがかかるのかは知らないが、まあこぎれいですっきりした舞台になったと思う。どっちにしろ、あんまり予算がナイことには変わりないらしい。

この東京公演でも、実際の公演を経て修正を重ねていっているようである。昨日は変更されていたセリフが、ロンドン公演と同じものに戻ったりしていた。たとえば、フランキーがセルゲイとペギーに対して、ジュニアがドーラン一座の花形スターであったことを明かすシーンなど。さすがに大きな修正はもう無理だろうけど、客席の反応を見ながらちびちびと改善していくのだろう。客席にはイギリス側、そして日本側のスタッフが座って舞台や客席の様子を観察しているはずである。

長期にわたる公演では、これはよくあること、というか、やらなければならないことだと思う。実際に舞台で上演してみないと、そして観客の反応を観察しないと、効果的な改善はできない。だからワークショップ的な公演とか、数週間のトライアル公演とか、プレビュー公演とかを通常は設けるワケだが、外国のカンパニーの来日公演ではそれがない。日本はそういう点では特殊だと思うが、それが現実の状況なのだから仕方がない。

それにしても、クーパー君の「ターザン」シーンは、やっぱり3回に分けた方がいいんじゃないかな〜。1回目はふつう、2回目でハーレム・パンツが脱げかけて、3回目で完全に足首までずり落ちる、っていうの。1回でいきなりぜんぶ脱げちゃうのは無理がある。それにサポーターが濃い色のものになっているのはナゼ?よいけどたまには白や肌色のもお召しになってね。それにしても、クーパー君の腰骨の下のくぼみは実に美しいわ。

ひとつ心配なのは、やはりクーパー君の体調があまりよくないらしいように見受けられたことである。今日、歌声の方はすっかり持ち直して良くなっていたが、踊りのキレや鋭さは、まだいまひとつなように感じられた。昨日の夜よりはぜんぜん良かったけれど。たとえば、フランキーやペギーと踊るシーンでは、今日は危険なリフトは避けておとなしいものにしていた。ただし、ヴェラ相手の踊りでは、遠慮なくいつもどおりの複雑で危険な荒技リフトを連発していた。いずれにせよ、昨日よりはるかによくなっていたので、これからいつもの調子を取り戻していくことと思う。

コンスタンティン役のイヴァン・カヴァラッリは、だんだん悪ノリしてきたようで面白かった。クラシックのバレエ・ダンサーにはよくある特徴なのかもしれないが、表情の変化がまだおとなしい感じなので、もっともっとハメを外した方がいっそう面白いキャラクターになると思う。イタリアンなんだし、絶対にプレイボーイの素質があるとみた。個人的には、おヒゲを剃ったお顔も見てみたいわ。だって彼は鉄板ハンサムだって分かるんだもん。それでこそ「世界のロメオ」よ。

コンスタンティンのソロ部分の振付は変更されている。カヴァラッリはしなやか系ダンサーらしく、手足の動きの柔らかさやなめらかさを強調した踊りである。“La Princesse Zenobia”での、姫と青年のパ・ド・ドゥは、ロンドン公演より爆笑度がアップされた振付であった。う〜む、振付が変わった、というよりは、カヴァラッリのタイミングの合わせ方が実にすばらしい、という方が正しい。イレク・ムハメドフは大げさな表情で観客を笑わせていたけど、カヴァラッリはツボにはまった動きや絶妙な間の取り方で笑わせてくれる。ヴェラ役のサラ・ウィルドーとはタイミングがバッチリで、ふたりの動きを見ているだけでおかしくてならない。

“La Princesse Zenobia”では、3人の王様が姫にプレゼントを持ってきて求婚する。ロンドン公演ではそのプレゼントの一つが、トラの毛皮(というか死体)だったけど、今回はなんでだかブタの頭になっている。2人の従者がそれぞれ手に捧げ持った銀盤のフタを開けると、そこにはローストされたブタの頭がのっかっている。どうしてこんな変更をしたんだろう。動物愛護団体からクレームでもつけられて、それでイギリス流のイヤミでブタの頭にしてやったのか。

ジリアン・ビヴァン(Gillian Bavan)のペギーは、アネゴ的なキャラクターではなく、優しくて女性らしい雰囲気である。セルゲイに“Slaughter On Tenth Avenue”を上演しない限り、ロシア・バレエ団から資金を回収する、と最後通牒を突きつけるシーンでも、自分が好意を抱いているセルゲイに、勇気を振りしぼって厳しい宣告をする、という感じであった。ビヴァンの歌声はよく響いて力強く、やはりこの作品ではペギー役の歌手の歌唱力が非常に重要だ、ということをあらためて思い知らされた。

客席は今日もほぼ満員だった。観客の反応も非常によく、向こうが笑ってもらいたいであろうシーンでは、みなさんゲラゲラ笑っていた。驚いたことに、“Slaughter On Tenth Avenue”の最後、あの中途半端な“Again,again!”の「間」でも笑い声が絶えず、これはロンドンの観客よりも反応がよかった。字幕のスピードもセリフによく追いついているので、見た目におかしい仕草や表情ばかりでなく、セリフのおかしさでもきちんと笑える。向こうはたぶん言葉の壁をいちばん気にしていたと思うけど、どうもオリジナルのセリフを聞き取って笑っていた観客がかなり多かったような気がした。

クリティカルな姿勢ではなく、積極的に楽しもうという気持ちでこの作品の観劇にやって来た人が大多数だろうから、会場の雰囲気はとても暖かいものであった。特に日本では、女性客が多いことの利点は、笑えるシーンでは即座に笑い声が起き、よかったと思えば即座に拍手が起こることだろう。観客の受け入れ態勢というか、ノリは大事である。

終演後、席を立ちながら、今日はみんな調子よかった、楽しかったな、と思っていたら、近くの席にいた人たちが口々に「楽しかったね」、「面白かった」などと笑いながら言っていたので、私もいっそう楽しい気分になった。

ところが、去年のAMP「白鳥の湖」でも同じような場面に遭遇したのだが、終演後、ロビーを通って外に出る途中、アンケートを書く机の前を通りかかった。ちょうどそのとき、ともに60歳代後半とみられるババア2人が、アンケートを書き終わった後、大声で「ぜーんぜん面白くなかったわ!去年の『白鳥の湖』も『くるみ割り人形』も面白かったけれど、これは全部ブーイングよ!もう二度と観に来ないわ!」とアンケート回収係のお兄さんに向かって言い放っていた。お兄さんは「申し訳ございません」と謝っていたが、私はこのババアどもを怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた。

ぜんぜん面白くないと感じたのは仕方ない。抱く感想は人それぞれだから。だが、向こうにそれを伝えたいのなら、アンケートに書いて渡すだけで充分ではないか。それで気がすまないのなら、後で主催者に電話するなりファックスやメールを送るなりすればよい。そこまでする気がないんであれば、せめて会場を出てから道すがら連れの人と話すとか、家に帰ってから不満や愚痴を言えばよい。どうして観客でごった返すロビーであんなふうに大声で言う必要があったのか。なんで周りの人間まで巻きこむわけ?巻きこむというよりは、周囲にまったく気を使ってないんだな。

あの非常識なババアどものおかげで、私はしばらく不愉快な気持ちが続いた。せっかくの楽しい気分が台無しだった。あのババアどもをつかまえて、具体的に何がどう面白くなかったのか、問い質せばよかった。どうせマトモに答えられはしないだろう、とは思うけど。


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