Club Pelican

Diary 7

2004年4月14日

TBSで深夜にアダム・クーパーが「オン・ユア・トウズ」を大いに語るそうだ。録画したのを再生したら、なんでだかドラマが入っていた。ヘンだなあ、と思いつつしばらく観た。

リビングで夫(赤井秀和)と妻(稲森いずみ)が話し合っている。なんか深刻な話題らしい。妻(頭を抱えて)「どうしよう!どうしよう!」 夫「大丈夫だリツコ!(←字不明)しっかりしろ!君には俺がついてるじゃないか。」 妻「あなた・・・。」 夫「今更こんなこと言えた義理じゃないが(←妻の妹とデキちゃったらしい)、どんなことがあっても、俺は君を守りぬく!すず(妻の妹)ちゃんとリツコの心の病は、絶対俺が治して救い出す(←医者らしい)!リツコ!」(妻を抱きしめる) 妻「だめ!」(夫の腕から逃れる) 夫(妻を後ろから抱きしめる)「リツコ!愛してる。おまえを守る。絶対に守る。」 妻「今はすずをお願い。助けてあげて。」(リビングを出て行く)

いきなり場面が切り替わる。画面には“Boot!”の文字。陽気な男の声のナレーション。超ノリノリ。「アダム・クーパー主演・振付ミュージカル『オン・ユア・トウズ』!さて、いよいよ今月28日から東京公演がスタート!アダムに会いたい、会いたいと思っていたところ(←主語が抜けている)、現在、東京公演に向けてリハーサルのまっさいちゅ〜!というではないですか!イギリスでソールド・アウトの実績を持つこのミュージカルが、セットも、キャストも、日本用に変えたと聞いて、我々は心ここに在・ら・ず〜!!(←“我々”って誰?)と、いうわけでアダム・クーパー『オン・ユア・トウズ』来日公演直前緊急取材インタビュー!(レスターのヘイマーケット劇場の外観、次に舞台上でリハーサルする群舞が映る。4月7日のリハーサル風景だそう)それではお待たせいたしました!アダム・クーパーです!」

テロップ「アダム・クーパーが語る東京公演のキャストについて」 クーパー(紺色のTシャツ姿)が画面に登場。「(黄緑色の字幕)日本公演のために去年の12月クリスマス前にオーディションしました。200人の中からベストの人々を選んだんですが、非常に才能あるバレエ・ダンサー、タップ・ダンサー、歌手の方々が集まったのはとてもラッキーでした。(クーパーがリハーサル指導している様子を映している。サラ・ウィルドーらしい後姿もある)こんなにすばらしい人々が集まった理由のひとつには、(笑いを含んだ声で)みんな日本に行くことをとても楽しみにしていることもあったんです(←まあそうだろう。オイシイもんね)。(青いTシャツに黒いズボン姿のクーパーが、リハーサルでソロを踊っている場面が映る)それはとてもすばらしいことです。(クーパー、カメラに向かう。白い字幕)日本の皆様と、この『オン・ユア・トウズ』の公演でお会いできることをとてもとても楽しみにしています。(画面右下からいきなりピンク色のテロップがすすす〜、と出てくる)愛を込めて(後ろにハートマーク)アダム・クーパー」

ナレーション「さて、セット、キャスト、台本を日本用に直して、新たな装いで来日する『オン・ユア・トウズ』!明日のこの時間は、なんと、インタビュー第2弾!」 クーパー君「大いに語る」は結局1、2分で終わった。CMの後、またドラマ。妹(鈴木紗理奈)が姉夫婦の家に入ろうとする。「留守か・・・仕方ない、中で待つか。」 合鍵を取り出してドアを開けようとするが、開かない。不穏な効果音が流れる。妹、苛立った様子で鍵をドアにたたきつけ、庭の方に回って窓を開けようとする。やっぱり開かない。両手で窓のガラスを叩きながら、無理に開けようとする。「なによ、もう〜!!(飼い犬のうなり声に気づく)タロー、おまえも留守番か。仲良くしようよ。(犬に手を差し伸べるが、犬はうなり続けてなつかない)・・・生意気な犬だね。」 それから妹、ナゼか大型DIYショップに行く。デカいカナヅチ、五寸釘を大量に購入し、姉夫婦宅に再びやってくる。犬小屋の前に立ち、袋からカナヅチを取り出す。五寸釘がバラバラと地面に落ちる。妹、にこやかに笑う。「タロー、お外に出なさい。あったかいんだから。」

姉夫婦が帰宅する。家に灯りがともっているのを見て驚く。ショッキングな効果音。 妻「すずかしら。」 夫「でもどうやって?」 夫が恐る恐る庭の窓から中をのぞきこむ。カーテンが開き、妹がゴキゲンな様子で姿を現す。「兄貴、おかえりなさい♪」 夫「すずちゃん、どうやって入ったんだ?」 妹「ここから♪」 妹は下の方を指さす。鍵の周囲のガラス窓が上手に割られている。オマエは空き巣のプロか。妹「玄関の鍵、勝手に変えるから困っちゃったわ♪」 夫「ここまでして、ドロボウと一緒じゃないか!」 妹「いいじゃない、自分の家なんだもん♪」

夫、飼い犬が犬小屋に入らないのを不審に思い、犬小屋を見て愕然とする。犬小屋の屋根、壁、床、全面に五寸釘がまんべんなく打ち込まれている。床下からも五寸釘が密に打ち込まれており、これは犬小屋をひっくり返さない限り不可能である。妹は怪力女らしい。夫、怒りにかられて「なんでこんなことを!?」 妹「タローが生意気なの。あたしが締め出し食っているっていうのに、自分だけぬくぬくと小屋の中にいるから、お・し・お・き♪」

この滅茶苦茶なドラマは「略奪愛・アブない女」(←ぎゃははは)で、14日放送分の副題は「姉さん消えてよ!」(←ぶーっ)であった。主な出演者は、姉:稲森いずみ、妹:鈴木紗理奈、姉の夫:赤井秀和、姉妹の父:小林稔侍である。

ドラマ名とその副題だけで充分に笑えるが、理解不能なキャラクター設定と無理矢理なストーリー展開は腸がねじ切れるほど大爆笑だ。また赤井秀和と鈴木紗理奈の見事な大根演技がひときわ精彩を放っていて、深夜枠に放送するのはもったいない秀逸な出来のドラマである。

クーパー君たちがリハーサルを行なっているのは、レスター(Leicester)にあるヘイマーケット劇場(Haymarket Theatre)で、クーパー君の「オン・ユア・トウズ」が試演され(2002年春)、この9月にはクーパー君振付・主演の「雨に唄えば」が上演される予定の劇場である。レスターは「ロンドンから2時間」だそうで、どうしてそんな遠いところでリハーサルをやっているのか不思議だが、空いているロンドンの劇場が見つからなかったのだろう。

クーパー君の風貌は、無精ヒゲを生やし、「オン・ユア・トウズ」公演のためだろうが髪を伸ばしているらしく、その長さが中途半端なので寝グセのように爆発している。よほど忙しいのか、まだ公演が始まっていないというのに、目の下にはクマができ、頬はゲッソリと削げ落ちて、すでに激ヤセモードに入っているようだ。どうか御身お大切に。

ところで、平日の深夜の2時や3時にこんなインタビューを流して、果たして宣伝効果はあるのだろうか?TBSの系列局は他のいくつかの民放ほど多くはないと思うし、このインタビューはたぶん関東圏でしか流していないだろう。いっそのことTBSとかBunkamuraとかのサイト上で公開した方が、よりたくさんの人に観てもらえるんじゃないかね。


2004年4月9日

最近、気になることが多すぎて、なんだか落ち着かないわたくし。

落ち着かない、気になる、と友人に話したら、アナタが落ち着かないのは出来事そのものにではなく、それについての考えを抑えて表現しないことに対してではないかい、いっそぶっちゃけてみれば〜、と言われた。

というワケで今回は「タブー」二題。

「宝塚アカデミア」という雑誌を買った。書名どおりオール宝塚の話題で占められた雑誌であり、私は宝塚については何も知らないのだが、クーパー君に関する記事があったので購入した。ところが、この雑誌をひととおり読んでみてびっくりした。日本にこういう雑誌があるなんて思いもしなかったからである。日本で劇評とか舞台評とかが載っている雑誌は、たいていその出版社なり執筆者なりが興行サイドと利害関係にあるために、また日本は称賛と批判との共存を許さない(どちらかというと批判を許さない)雰囲気が支配的であるために、毒にも薬にもならない無難な、あるいはベタ褒めの文章ばかりになるんだと思っていた。

ところが、この「宝塚アカデミア」には、歯に衣着せない率直な、ややもすると過激な批判も多く掲載されていた。執筆者は、ほぼ全員がそれこそ十年以上(もしくは数十年)にも渡って足しげく宝塚の公演に通っている、筋金入りの宝塚ファンらしい。でも雑誌には宝塚の公演写真が一枚も載っていない。これは編集者の意図なのか、それとも興行サイドとの関係を意味しているのか。

写真が一枚もないのに全部で200ページ近くもあり、文章は二段組み、あるいは三段組みになっているから、非常に大きな文章量になっているはずだ。執筆者は決して少なくはないのだが、文章量が多いせいか、一人がいくつもの記事や公演評を執筆している。

それよりも、この執筆者の人たち、勇気あるなあ、と思った。いつだったか、ジャニファンとヅカファンと、コワいのはどっちですか?と宝塚に詳しい人に聞いたことがある。そしたら即座に、ジャニファンなんて、ヅカファンに比べたらかわいらしいもんですよ、という答えが返ってきた。執筆者の人はたぶんみなペンネームだろうけど、それでもあんなにも手厳しい批判を書くというのは、かなり勇気の要ることだと思う。

この雑誌を出版しているのは青弓社というところで、その図書目録は「宝塚アカデミア」と同じくらい面白かった。中には、あっ、これは図書館で読んだ、これは持ってる、そーかー、あれを出した出版社かあ〜、という本が多くあった。大まかに括ってしまうが、どちらかというと、これまで禁忌に属してきたテーマの専門書を多く出版している。

私はこのとおりの軟弱者で、かなり引く書名もあったが、久々にその出版社独自の気骨が感じられる本屋(これは今は差別語らしい)に出くわしたな〜、と感動した。○波とか、○すずとか、東○出版会とか、○水とか、○原とか、紀○○○屋とか、新○論とか、大○館とかならたぶん絶対に出さないだろう本ばかりだし、しかもほとんどの本を2000〜3000円という良心的な価格におさえてある。このテの本だと、片手で持って読めないようなクソ重い豪華装丁本にして、5000〜10000円近い価格で売る出版社もザラにあるのに。

また一題。このまえのNHK「クローズアップ現代」はすごく面白かった。金融機関、企業、会社がネット上で流布したデマによって風評被害に遭ったケースをいくつか紹介する、というもの。デマへの対処法に違いがあって、対応が遅れたために大きな損失を蒙った例、迅速かつ適切に対処したためにほとんど影響を受けなかった例、損失が大きく訴訟に発展した例など、いずれも興味深かった。

企業や会社はデマひとつで株価が下がったり、収益が落ちたりしかねない。しかし、事態が目に見えて異常になるまで、どこでどういうデマが流れているのか知らなかった、というある管理職の人のコメントには少し驚いた。企業や会社は、ネットの即日検索サービス会社を利用しているのが当たり前だと思っていた。番組に出てきた即日検索サービス会社のクライアントは70社くらいだという。少なすぎないか。

大きな損失を出してしまったケースでは、迅速に公式な形でデマを明確に否定しなかった、という対応の遅れに問題があった、と解説者がコメントしていた。一方、さほど大きな影響を受けなかったケースでは、デマが流れてから時間をおかずに、自社の公式ホームページでデマをはっきりと否定し、さらに市場が休みになる週末がかぶさったことが幸いしたという。

もうひとつ思ったのは、デマが人々に影響を与えるのは、企業は正確な情報を消費者に公開しないものだ、企業は都合の悪いことは隠すものだ、という不信感が根っこにあるからだろう、ということだった。被害を最小限にくいとめられた企業は、デマを即座に公式サイトではっきりと否定した。こうした信用の置ける(つまり責任の所在を明確にした)形で、正確な情報を提供したことも大きかったんではないかと思った。

つまりは、個人であろうが組織であろうが、ウソをついていると疑われるような行動をとったり、まして実際にウソをついたりしてはいけませんよ、という至極単純な理屈なのだろう。


2004年4月3日

昨晩は飲み過ぎた・・・。今日の日中はず〜っとゾンビだった。夜になって復活した。

ところで、このサイトに「トップページ」なるものが存在していたことに、今日ようやく気づいた。前々から“index”って何のファイルだったっけ、と不思議に思っていたが、ついつい面倒で開かなかったのだった。久しぶりに見てみたら、文がとても恥ずかしかった。のであらかた削除した。それでも「マイ・ラヴ」だけは残しといた。ほほほっ。

話はまた変わるが、このまえあるチケット会社から“Nutcracker!”割引チケット案内のメールが来た。このチケット会社は、以前に私をひそかに激怒させた会社である。その宣伝文は今回もスゴかった。

前のメール、今回のメール、雑誌、テレビなどでの“Nutcracker!”の宣伝をみていると、どうも“Nutcracker!”やマシュー・ボーン、New Adventuresのことをよく知らない人々が、この公演を主催しているんではないか、と疑ってしまう。

もし去年の“Swan Lake”狂騒曲を参考にしたのなら、表面的に模倣するのではなく、あの騒ぎの中身をもう少し深く検討した方がよかったのでは、と思う(ナマイキ言ってすみませんが・・・)。あれはあくまで特殊なケースである。“On Your Toes”だって、あそこまでの騒ぎには絶対にならないだろう。

今回のメールに関していえば、「一部のお母さま方にとっては、モデルとしても活躍しているイケメンダンサーを発掘できる、またとないチャンスでもあります。こんなに嬉しいコトはありませんね!」という一文、これは考えようによってはかなり失礼な物言いになるということに、書いた時点でどうして気が付かない?

これはこう言ってるのと同じだ。「アンタら主婦は、どうせ子どもの世話や家事にかかりきりで、楽しみのない生活を送ってるんでしょ?こっちにはいいオトコがいっぱいいますよ。イケメンダンサーで、不毛な生活に彩りを添えましょう!」 子どもを連れてくるヒマがあるのは母親だけ、主婦はイケメンにのぼせあがるはず、という先入見バリバリの宣伝文を書くこの無神経さはいったい何なんだろう。

前にも書いたが、イケメンを発掘するかどうかは、こっちが決めることである。宣伝で先に言われるとムカつく。魚だってミエミエな餌には警戒するでしょ。女も同じです。釣るんなら、もっとうまくやって下さい。さりげなく「婦人公論」に記事を載せるとかね。

今回のメールは客にも失礼だが、ダンサーたちに対しても失礼だ。男性ダンサーを「イケメン」の一言で片づけないでほしい。男性ダンサーはホストではないのだから。また、前回のメールと同じように、女性ダンサーを完全に無視しているのはどういうことだ。

だが、「チャイコフスキーの心踊る名曲にのせて展開するカラフルでキュートな舞台は、お子さまの情操教育にも最適。この作品をきっかけに、バレエやミュージカル、クラシック音楽といった芸術の世界に開眼し、豊かな感性が育まれるお子さま方も少なくないはず」という文は実にナイスである。どうせならこの文でシメればよかったものを。


2004年4月2日

新年度が始まった。新年度初の週末ということで、今日は食事+飲み会でした。ちょっと酔っぱらってます。すみません。私の胃腸は気分屋さんなんですう〜。

ところでみなさんは、酒を飲むと無性にアイスクリームが食べたくなりませんか?私は普段アイスクリームをめったに食べませんが、酒を飲んだ帰りには、ほぼ必ずアイスクリームを買って食べます。一体どういう理屈なんでしょう。今、「りくつ」と打ったはずなのに、何度やっても「ろくつ」になりました。

おりしも桜が満開です。雨が多くて風も強い日が多かったせいか、今年は散るのが早いようです。残念ですね。去年はだいぶ花が長持ちしてたような気がしますが・・・。

今年も去年とあんまり変わらない生活になりそうだ。でもなんか新年度が始まるとちょっと落ち着かない。慣れるまで時間がかかる。まあ仕方がない。

しかし、ワタシの人生このまま過ぎていくんだろか。私は10年後にはどうなっているのかね。「春愁」とはよくいったもんだ。ちょっとセンチメンタルなわたくし。「今春看又過」。今年の春もまたあっけなく過ぎていく。


2004年3月28日

お腹にやさしいものを少なめに食べるようにしたら、胃はだいぶよくなった。今日は超元気だったので、たまっていた資料を一気読みした。なんか進まねえ、と思っていたのだが、よくみたら今回は読む資料が半端じゃなく多かったのだった。しかもムズカシー語彙をしこたま使ったレビューばっかり。道理で進まないワケだ。

資料を読みながら、1999年12月に行われたロイヤル・オペラ・ハウス改築祝賀コンサートのビデオを観ていた。というか聞いていた。バレエの部では、気になる音楽が聞こえると、目を上げて踊りを観る、という具合。

久しぶりに観てみて気づいたことがある。いや、当たり前なことなんだけど、たとえそれがバレエであっても、ダンサーの踊りは各人各様ということだ。特に男性ダンサーは大きな振りが多いせいか、各々の違いがはっきりと出る。ちょうど「オネーギン」のレビューを読んでいたところだったので、考えさせられるところもあった。

前に観たときは気が付かなかったけど、コイツはかなりすげえぞ、と驚嘆したダンサーもいた。Carlos Acostaだ。ロイヤル・バレエのプログラムを見ると・・・、プリンシパルである。やっぱりね〜。彼の踊りは、テクニカルというよりは、ビューティフルだ。それともテクニカル且つビューティフル?なんだか不思議な踊り。こう言ってはなんだが、他の男性プリンシパルたちとは歴然とした差がある。イレク・ムハメドフ、アンヘル・コレーラ、ヨハン・コボーとも全然ちがう。これが「天分」てものなのかな?「バレエの神様に選ばれた」って、こんな人をこそ言うんだわね〜、としみじみ思った。

もうそろそろ大丈夫かな、と思ったら、やっぱりダメだった。「ブロンズ・アイドル」。これはとても有名な踊りなんだそうだ。でもどうしても最後まで見られない。いにしえのインベーダー・ゲームを思い出してしまう。「ペンギン・カフェ」も同様にダメ。踊り以前に扮装や音楽で見る気をなくす。ねえ、バレエなのにどーしてシマウマなの?バレエなのにどーして尻尾がついてるの?一体ナゼなんだデイヴィッド・ビントリー(振付者)。

カーテン・コールはすごかった。演出が。よくこんな恥ずかしい演出をしたもんだ。日テレの「24時間テレビ」みたい。アタシなら即逃げるな。ダンサーや観客は本気で感動して、ロイヤル・バレエ学校の生徒たちに、ロイヤル・バレエの未来を託そう、なんて思っていたのかな。あの生徒たちが学校を卒業しても、ロイヤル・バレエの舞台に主役として立つことになるのは、ロイヤル・バレエ学校出身のダンサーではないような気もするんだけど。クーパー君はどんな気持ちであそこにいたんだろう。


2004年3月26日

またまた更新が遅れてごめんなさいです。どうもまた軽い胃炎っぽいし微熱も出るので、無理しないことにしました。去年の春にひどい胃腸炎を起こしたときは、てっきり「白鳥」観劇の疲れのせいだと思ったけど、たぶん季節の変わり目というのは体を壊しやすいものなんでしょう。みなさんもお気をつけて下さいね。

“On Your Toes”日本公演の開始まで、あとほぼ1ヵ月となった。少なくとも去年の冬にはもう“On Your Toes”を観に行くつもりだった、という方々のほとんどは、すでにチケットの手配を終えられているんではないかと思う。ただ、最近になってアダム・クーパーもしくは“On Your Toes”に興味を持ち、このサイトに寄ってみたという方々が、私が「雑記番外」で、「なにもそんなに焦ることもないんではないか」と書いたのをお読みになった場合を考えて、ここ2、3日の間に各チケット会社に販売状況を確認してみた。

その結果、個人的には、もし観に行こうかな、どうしよっかな、といまだ考え中の方がいらっしゃるなら、なるべく早く決めた方がいいのではないかと思った。そして特に今の段階では、購入前に席番の確認をされた方がよい。

購入前に席番の確認ができるチケット会社はいくつかある。納得できる席だったら購入し、これはあまりに・・・と思ったら、不思議な話だが、少しだけ時間をおいてから、また申し込んでみるといいかもしれない。同じチケット会社であっても、追加販売やキャンセルや検索システムの都合なのか、さっきはなかった席が今度はあったりすることがある。

とはいえ、さすがに前数列以内の席、というのは、たぶんもう出にくいだろうから、このへんならいいや、と妥協できる線を決めておくことも必要だと思う。もちろん、席なんかどこでもいいも〜ん、という方は、どーぞ即断即決なさって下さい。

もう1ヶ月後だわ♪という思いがあるせいか、昨晩は“On Your Toes”を観に行く夢を見た。ところがそれは悪夢であった。舞台の背景の壁が藍色ではなく淡いグレーになっており、しかもその壁はダンボールでできていた。それが公演途中でびよーん、と何度も前に倒れてきては、クーパー君がその下敷きになったり、歌いながら手でダンボールの壁を必死に支えているという、実に縁起の悪い内容である。

ロンドン公演で、背景の壁の素材が安っぽい、と感じたのがトラウマになってるらしい。どうか逆夢でありますように。(←当たり前だ。)


2004年3月24日

下の日記、その一についての補足。ただし、他の人が述べた言葉である。

「南アメリカ、アフリカ、アジアの飢えたる者たちの不運は、かつて、解放を求める人々と民族の利益の擁護を独占した(インターナショナリズムの名を借りた)帝国主義とのたたかいに、みずからの保守主義(単に宗教的であるだけでない保守主義)ゆえに支配勢力によって組み込まれてしまった人々あるいは民族以外に、もはや自分たちの立場を擁護するために頼るべき勢力がないと、歴史の悲劇的かつ皮肉な巡り合わせで、彼らが考えるようになったことにあります。」

「覇者の恣意的な絶対権力の論理、古人の言い方によれば『われ百獣の王なれば』の論理はもはや、もっとも弱い者でも、絶望に追いやられたときには、最後の最後に追いつめられたときには、自分の持つすべての武器を無制限に使用することがありうる世界では、通用しないことを確認するべきなのです。」


2004年3月23日

こういうのはあんまり好きじゃないんだけど、「時事」二題。

その一.数年前のことである。アメリカ人、イスラエル人、韓国人、中国人、ドイツ人、日本人、ロシア人が集まっていた席で、ある国の男性がイスラエル出身の女性に対してふと言った。「私の国では、イスラエルはどちらかというと好戦的な国だという印象があるんです。」

これを言った彼には何の悪意もなかったんだと思う。そんな人ではなかったから。ただ、彼のこの言葉を聞いたとたん、温厚な人柄で、いつもニコニコと笑っている彼女が激しく泣き出した。

彼女は泣きながら言った。「私たちは好戦的なんかじゃありません。でも、私たちをとり囲む隣国は、みな私たちのことをとても憎んでいます。そして攻撃してきます。たくさんの人が死にました。私たちは周りを敵に囲まれているんです。それなのに、私たちの国には軍隊が数万人しかいないのです。たったこれだけの兵力で、私たちは自分たちの命を守らなければならないのです。どうか分かって下さい。私たちは好戦的なんかではないのです。」

他の人々は黙っていた。彼が無邪気に言ったことはタブーに属する話題であることを、みんな知っていた。それに、言うべき意見もみつからなかった。日常生活で道を歩いていたり、バスに乗っていたりする間にも、絶えず生命の危険を感じている人々に、「そもそもイスラエルの建国自体が・・・」などと、知ったかぶった浅薄な意見を口にできるはずもなかった。

気まずい雰囲気が流れたが、彼は意に反して彼女を傷つけてしまったことを謝罪した。そして付け加えた。「私はあなたの国を批判したのではないのです。ただ、私の国で流布している一般的な印象を言っただけのつもりでした。」

転じて、旧日本海軍の士官であった人に、私はかつて尋ねたことがある。「そのとき(戦時中)から、当時のドイツ政府の対ユダヤ人政策を知っていた?」 その人は答えた。「話には聞いていたな。」 私はさらに尋ねた。「どう思った?」 「どうしてそんなひどいことをするんだろう、と思ったな。」

また尋ねた。「何のために戦ったの?」 その人は笑って即座に答えた。「それは国を守るためだよ。」 素朴な疑問があった。尋ねた。「“国”を、具体的にいうと何?」 その人は黙りこみ、しばらく考えてから言った。「・・・それはやっぱり、・・・・・・親とか、兄弟とか、親戚とか、友だちとか、自分の故郷とか、・・・じゃないのかな。」 それ以上は尋ねなかった。その答えだけで、戦争の正体が少しだけ見えた気がした。生きのびるために、人は「すり替え」を行わざるを得ない。

その二.実は、いかりや長介の死に、かなりショックを受けている。もちろん知り合いでもなんでもないけど、いるのが当たり前な人だと思っていたから、死んだなんて信じられない。

子どもの頃、「ドリフ大爆笑」シリーズが大好きで、毎回必ず観ていた。ウチの親は、自分の家庭が、更には自分自身がマトモでないと感じていたらしく、そのかわりに子どもにはマトモであってほしい、と願っていたところがあった。逆にいえば、子どもがマトモであれば、親の自分もマトモであることを証明できると考えていたのである。それで、一時期、俗悪なテレビ番組は観てはならない、マンガも読んではならない、勉強を頑張っていい成績を取らなくてはダメ、と私らに対して半端に厳しい教育方針で臨んでいた。

でも、親がマトモでないのに、子どもだけが都合よくマトモになるはずもない。ある年、親がくれたクリスマス・プレゼントを開けて、私はひどくガッカリした。プレゼントの中身は、「文部省推薦図書」という帯が付いた、いかにも健全な児童の育成に役立ちそうなつまんねえ本ばっかりであったからである。親は私がそれらの本を読めば、私が「よい子ども」になると思ったのだろう。1冊くらいは無理して読み始めたが、途中で放り出した。

そんな本より、ドリフの番組のほうがよっぽど面白かった。下ネタはあるわ、食べ物を粗末にするわ、イジメはあるわ、しかし、親が私にプレゼントしてくれた善良で空しい内容の本よりは、ドリフの下品なコントのほうが、はるかに身近なものに感じられた。「ドリフ大爆笑」は、とうぜん親の「子どもが観てはならない番組リスト」に入っていた。が、いつのまにかリストから外されたようだ。結局は親も観たかったんだろう。一緒になってゲラゲラ笑っていた覚えがある。

ドリフなんてすっかり忘れていたけど、いかりや長介が死んで、急にあの頃のことを思い出した。家も学校もイヤでたまらなかった。でもはっきりと認識できず、もちろん言葉にもできなかった。そのせいかもしれないが、今から思うと、いわゆる「問題行動」が多かった。たぶん、子ども心にも苦しかったんだろうと思う。子どもの頃は確かに懐かしいものだが、同時に複雑な感情も湧いてくるのである。


2004年3月21日

ニューヨーク・シティ・バレエ日本公演の先行予約の通知が来ていた。予約日は今日であった。公演プログラムはA、B、Cと3種類ある。たまには勉強しようと思い立ったが、どのプログラムがよいのか分からなかったので、いっそのこと全プログラムを観てみることにした。間近で観たいからぜひともS席を手に入れたい。でも、S席は18.000円もするのであった。

ところが、「3演目セット券」というものがあり、S席でA、B、Cの3公演を全部観られて、しかも合計54.000円のところを49.500円の割引価格で販売するという。これはおトク、と思って販売開始時間の10:00ピッタリに電話した。案の定なかなかつながらない。でも10:10を過ぎた頃にはオペレーターが出た。さっそく「3演目セット券」を申し込んだところ、「つい先ほど」売り切れてしまったという。

そこで私の購買意欲はいきなりぷしゅ〜、としぼんでしまった。ここでやっと頭が冷えた。各プログラムの演目とニューヨーク・シティ・バレエの舞台写真を見なおすと、どのプログラムもミックスドだし、それに装置や衣装にそれほど金がかかる舞台のようにはみえない。いちばんの問題は、どのプログラムにも、これはあんまり、もしくは絶対に観たくない、という演目が含まれていることだった。

で、結局どの公演も買わないことにした。今回はご縁がなかった、ということで。考えてみれば、バランシンの作品が観たいのなら、別に今回の公演にこだわる必要はない。ニューヨーク・シティ・バレエが観たいのなら、ニューヨークに行けばいい。そっちの方が、バレエ観劇以外にも、色々と有意義なおまけがつくはずである。

これで50.000円が浮いた。というか浪費せずにすんだ。チケットを買うつもりで生活をなるべく節約してきたので、今はこのお金を何に使おうかと考えている。(←貯金しろよ)

とはいえ何となく喪失感があったので、午後は新宿に行ってぶらぶらした。帰りの電車の中、ふとある中吊り広告を見てブッ飛んだ。・・・クーパー君、なんで「婦人公論」に出てるの?「振付とタップで僕は世界を変える」?ずいぶんと大言壮語な見出しだな〜。男性で載ってるのは、後は杉良太郎だけだよ。でも杉サマは「還暦を目前にした、夫として、父親として」という非常に謙虚な姿勢が感じられる見出しだ。ちなみにこの「婦人公論」、4月7日号の特集は、「それでも別れない理由」である。

いかにも辛気くさい見出しがズラリと並んでいて、読んだら気が滅入りそうだが、とりあえず近所の書店に取り置きをお願いした。それにしても大爆笑だ。いったいどういう記事になってることやら。


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