Club Pelican

Diary 6

2004年3月19日

おかげさまで、パソの調子は至極好調です。ハードディスクがダメになったワケではないらしいので、ひとまず安心しました。リカバリ以来、一度もエラーやフリーズを起こしていません。よかったです。やはり私が酷使したのが原因だったのだね。ごめんよパソ。

それからこれを読んでおられるみなさんにもごめんなさいです。「経歴」の更新が進んでいませんね。なにせ、今回は読む資料が多くて多くて、読んで関連箇所をマークするのにも四苦八苦しているのです。それに“Nutcracker!”も観に行ったすぃ、パソもおかしくなったすぃ、週末も忙しかったすぃ、ぶちぶちぶち・・・・・・。

でもいちばん大きな理由は、あんまりはやく「経歴」を進めてしまうと、すぐ追いついて今度はネタにつまるんじゃねえかと心配しているからだったりして。今度の回が終わると、たぶん2002年の春までイッてしまう。このころになると、私はもうクーパー君を好きになっていたから、その場に居合わせた的な気分で振り返ることができる。書くぶんには楽しいだろうけど。

新しいコーナーを作ろうかな〜、とも思う。ずっと暖めている案のひとつには、「クーパー君二者択一クイズ」がある。たとえば、「 問題:クーパー君は罰ゲームでどちらか一方を必ず踊らなくてはなりません。さて、彼はどちらを選ぶでしょう? 1.『眠れる森の美女』の求婚者 2.『くるみ割り人形』のネズミ(カーテン・コール顔出し必須)」 とかね。

あと、「ペリカン名作劇場」にも書きたい作品がある。「熊川哲也ナレーションによる『ドン・キホーテ』」、「愛国教育バレエ映画『スパルタクス』」など。でもこれには大きな難関がある。作品全編を何度も観なおさなくてはならない。これは苦痛だ。よって目下悩んでいる最中。

もっとお笑いを入れたいんだけど、でも面倒くせえんだよな〜。あ、「クーパー君二者択一クイズ」、こんなのはどうだろう。「 問題:クーパー君が日本のテレビドラマに出演するとしたらどっち? 1.『白い巨塔』(財前五郎役) 2.『牡丹と薔薇』(野島香世役)」 


2004年3月16日

パソの調子が年末あたりから不安定になっていたのだが、特にここ数日は末期症状を呈しはじめていた。しょっちゅうフリーズするのは当たり前で、いちばん困ったのが、言語ソフトでフォントが消えてしまう問題である。さっきまであったはずなのに、いきなりなくなっている。何度ソフトをインストールしなおしても消えてしまう。

年末も同じような状態だった。でもパソが自己治療したのか、それとも奇跡が起きたのか、ある日とつぜん全快していた。そろそろ買い換えの時期でもあるのだけど、私はセキュリティ・ソフトと言語入力ソフトとがバッティングを起こして、それでパソがおかしくなるんではないかと思っている。実際、パソを保護するためのセキュリティ・ソフトが、逆にパソがぶっ壊れる原因になってしまった、というのは複数の友人からも聞いたことがある。

セキュリティ・ソフトは基本的に重いし、言語入力ソフトも実は相当に重い(10年以上前から存在する某有名日本語入力ソフトは、優秀な分だけパソにかかる負担も大きい)。私はその他にも言語入力ソフトをいくつか入れているから、パソの中では戦争状態になっていたのかもしれない。 フォントは、今日はとうとう3種類くらいにまで減っていた。当然、画面の表示もおかしくなる。パソは残っているフォントで何とか頑張って表示してくれていたが、ファックスで送ったみたいなガタガタな字体を見て、これはもうあかん、とあきらめた。

大事なファイルをまとめてCDにコピーした後、OSをリカバリした。後で自分で入れたソフトの再インストールや再ダウンロード、ブラウザやメーラーの設定、IDやパスワードの再入力など、これから大変だが、数日かけて徐々に前の姿に戻していくしかありまへん。 プロバイダのセキュリティ・サービスは利用しているし、ハードウェアのセキュリティ装置も付けてあるので(被害妄想すぎ?)、とりあえずパソの中にはセキュリティ・ソフトを入れず、相性をみながら他のソフトをインストールしていくことにした。

で、いきなりだけどボーンの"Nutcracker!"についての続き。前の日記で書いたように、私は作品としての"Nutcracker!"は大好きである。サドラーズ・ウェルズで観たときには本当に楽しかったし感動した。その直後にDVDが販売された。キャスト的にはDVDの方がいいのかもしれない。でも、サドラーズ・ウェルズで観たダンサーたちは本当にすばらしかった。なにしろみんな元気よく生き生きと踊っていて、表情も豊かで演技もすばらしかった。DVDには決して負けない、と今でも思っている。

そのキャストがいま日本で"Nutcracker!"公演を行なっている。キャストがほとんど同じなんだからあり得ないことだけど、私の正直な感想としては、ロンドン公演よりも明らかに精彩がない。いちばん目立つのは、ダンサーたちの踊りがかみ合っていないことと、踊りに元気がないことだ。みんなで一斉に踊るシーンでは、一様に同じ振付を踊っていなくても、全体としてはバランスがとれていたはずなのに、タイミングが合わなくて単なるバラバラな踊りになってしまっている。それに、なんでみんなあんなに元気がないんだろう。綿アメ娘たちのステップは不揃いだし、バイク男たちも小ぶりなジャンプで迫力に欠ける。結婚式のシーンでの群舞も、狭い舞台で窮屈そうにひしめき合っている、という印象が強い。

もし私の印象が間違っているわけではないなら、いちばんの原因は、やっぱり舞台が狭いことにあると思う。それでダンサーたちがのびのびと踊れないんじゃないか。だから大勢で踊っているときには、どうしても大きな動きができず、こぢんまりとした踊りになって迫力がなくなってしまう。

それから、面白い演出やトリックが改悪されている。孤児院の子どもたちがドロス一家に対して反乱を起こす場面では、ベッドに縛り付けられたシュガーがフラフープを口に銜えさせられて引き回される、あの残酷でSMチックで強烈なシーンが、省略されていたか、あるいはほんの一瞬で舞台脇に消えてしまう。

ドロス院長をベッドに押さえつけて首を切るシーン、ロンドン公演では、子どもがナイフをドロス院長の首に当てて何回も切りつけると、次の瞬間、ドロス院長の頭が目にも止まらない速さで枕の中にめり込んで、本当にドロスの首が切り落とされたように見えた。あれはすごいトリックだと感心したのに、日本公演ではダンサーたちがドロスの前に立ちふさがり、観客から見えないようにして、その間にドロス役のダンサーが枕の中に頭を隠すという安全策をとっていた。ロンドンでできたことを、なぜ日本ではやらないのか。

あとは、東京国際フォーラムのCホールについてだが、この会場は"Nutcracker!"には不向きだと思う。たぶんダンサーたちにとっても狭くて踊りにくいと思うが、観る側にとっても具合のよくないところがある。舞台と客席との間に、見えない壁みたいな、妙な距離感をどうしても感じてしまう。生の舞台を見ている、という気分にならない。

今回の公演はテープ演奏で、もちろんオーケストラ・ピットはない(オーケストラ・ピットがあっても、舞台との距離を感じない劇場もあるが)。1階席の左右両端の数席と2階のテラス席からは、舞台の左右がほぼ完全に見えない(それでもS席12.000円!)。だから、舞台向かって左端に近い席に座ってしまった観客は、ラストがどうなったのか見えなかったはずだ(実は私もその1人)。私よりも更に左に座っていた人たちは、「見えなかった」、「結局どうなったの?」などと終演後に言い合っていた。

これはある意味、2階席もそうだ。まず舞台から離れすぎている。舞台上で繰り広げられていることが、まるで別世界のことのように遠く見える。また、中央の最前列(10列目)は視界が良いはずなのに、目の前のぶ厚い木の柵が目障りで、舞台に視点が合わせられない。どうしても目のピントが舞台から木の柵へとずれてしまう。2、3階席に座るなら、最前列は避けた方がいいと思う。

思うに、この会場の好ましくない特徴は、舞台が決して大きくはないのに、客席のスペースは異様に広いということである。"Nutcracker!"のような演目を上演するなら、席が多少狭くても、舞台に向かって客席をもっとぎゅっと近づけたような会場がいい。

会場が変われば、観客が受ける印象や反応もずいぶんと違ってくると思う。いろいろと不可解なことはあるけれど、まだ公演は1ヶ月以上もあるし、会場も変わるから、徐々にすべてが良くなっていくだろう。

というわけで、私の"Nutcracker!"鑑賞体験記はこれでおしまい。


2004年3月14日

ボーンの“Nutcracker!”について、その続き。

作品としてのボーンの“Nutcracker!”は、そのテーマがすごく興味深い。伝統版「くるみ割り人形」のストーリー、登場人物、踊りなどを踏まえた上で、ストーリーや登場人物のキャラクターを大胆に変更し、踊りは時に伝統版における常識やお約束をあえて白紙に戻し、あくまで音楽から純粋に受ける印象だけで振付を行なっている。

サドラーズ・ウェルズ劇場の観客が大笑いしていたのは、とりわけ第二幕であった。たとえば、頭にクリームをのっけて、赤いスーツを着た男がタバコをふかしてニタ〜ッと笑いながら(前歯が欠けていてかなり不気味)出てくるシーン(コイツはなにをカン違いしたのかストリップ・ダンスを踊る)、ピンクの綿アメみたいな衣装を着た女性ダンサー数人が、ステップを踏む足並みを見事に揃えながら登場するシーン、バイク野郎みたいな3人の男が、威勢よくジャンプしながら飛び出してくるシーンなどである。伝統版では「○○の踊り」と決まっているが、ボーン版でのこれらの踊りを観ると、ああ、そういえばこの音楽ってこういう感じだよな、と妙に納得できてしまって、それでお見事!みたいな気分になって大笑いしてしまう。

ラメ入りショッキング・ピンクのクチビル型の門が上がって、巨大なウェディング・ケーキが姿を現し、ダンサーたちが一斉にケーキや自分の体を舐め、また腰を振りながら、ロウソクをポール代わりにして、これまたストリップみたいなエロい踊りを披露するシーンも、みんなゲラゲラ笑っていた。音楽が音楽だけに、いーのかここまでやっちゃって、とすごく痛快だった。

主人公のクララは孤児院で暮らす女の子である。ボーンの“Nutcracker!”は、クララが不幸だけど変化がないぶん安全な環境から、いろんな葛藤と「不幸な自分」妄想に浸るという過程を経て、ようやく自分の人生に変化を起こす道を選ぶ物語だ。現実のナットクラッカーの男の子は、最初から心変わりなどしていなかった。第一幕、現実のシュガーは、ナットクラッカーの男の子が、自分の人形よりもクララの人形に興味を示すのが気に入らなかっただけである(シュガーは他人のものを欲しがるという困った性格である)。だがそのことが原因で、クララはナットクラッカーの男の子をシュガーに奪われた、という展開を妄想する。それが第一幕の終わりから第二幕にかけてである。

第一幕でのクララをとりまく現実の人間関係は、そのまま第二幕でのクララの妄想世界に反映される。現実でクララが怖がっているとか、奇妙に感じているとか、クララに辛く当たる人々は、第二幕でもクララの恋路を邪魔する人々となって現れる。現実でクララに優しくしてくれる人々は、第二幕でも彼女を助ける存在となる(どのキャラかはお分かりですね)。

第二幕のスウィーティー・ランドは、いかにも虫歯になりそうな甘くて俗っぽい安菓子を象徴したキャラクターが登場する。もちろんこれは、子どもの夢みる他愛ない「お菓子の国」ではなく、クララがイメージしている大人の、特に性的な意味での大人の世界である。だからクララは入ることを怖がる。ところが、クララ以外の全員が、その「不潔でいやらしい」世界の住人になって、卑猥な仕草で自分やお互いの体を舐め合う。その中で、クララが好きなナットクラッカーの男の子は、シュガー姫と結婚してしまう。キューピッドも結局はクララを助けることができなかった。

クララは悲しげにナットクラッカーの男の子を見つめるが、でもそれは本当は、彼女が自分は不幸な運命からは逃れられないのだ、自分は何をやっても悪い結果にしかならないはずだ、と固く信じ込んでいることから生まれたイメージで、あくまでクララがそう望んだのである。不幸しか知らない子どもにとっては、「既知の不幸の方が、未知の幸福よりはまし」だから。

ところが「不幸なことに」、現実はクララを見事に裏切った。クララの妄想の世界では、ナットクラッカーとシュガーに愛の矢を放つキューピッドだった二人は、現実の世界では、ナットクラッカーの男の子が隠れているベッドを、泣いているクララの後ろにそっと運んでくる。そしてナットクラッカーの男の子は、クララを励まして一緒に孤児院を飛び出す。キューピッドだった二人が手を振ってそれを見送る。現実のナットクラッカーの男の子は、ずっとクララのことが好きだった。本当は、誰も彼女を裏切ってなどいなかったのだ。この後、ふたりがどうなったかは分からないけど、でもクララは、いくら怖くても、とにかく思い切って新しい一歩を踏み出す、という勇気を持つことができた。

だから、ボーンの“Nutcracker!”はハッピー・エンドなのである。私がいちばん感動したのはこのテーマだった。ほとんどの子どもにとっては簡単なことなのに、悲しく辛い思いばかりしてきた子どもにとっては、変化することはとてつもない恐怖であり、ほんの小さな一歩を踏み出すのにも、これほどの「不幸妄想」のオンパレードを繰り広げざるを得ない。そういう子どもの痛々しい心理を、ボーンの“Nutcracker!”は見事に描いていたのである。

しつこいけどまだ続くか?


2004年3月13日

ボーンの“Nutcracker!”、本日の夜公演を観た。これで私の“Nutcracker!”観劇はおしまい。本当はもっと観ようと思っていたし、“Play Without Words”のチケットも買い足すつもりでいた。でも今日たまたま、超強力な公演のDMが届いた。それを見た途端、“Nutcracker!”も“Play Without Words”も、私の頭の中からふっとんでしまったのである。

でも“Nutcracker!”は4回も観たし、“Play Without Words”もそれに近い回数を観ることになる。両方とも何度観ても面白いし、その都度新しく気づくことなどもあるけれど、でももう充分だろう。(←と自分を納得させている。)

ということなので、今日は私なりの“Nutcracker!”のまとめ。まだ公演が長く続くことを考えると、軽々しく書いてはいけないこともあるとは思う。でも私にとっては、“Nutcracker!”はもう終わってしまった思い出なので、今のうちに書いておきたい。

今日の公演を観て思ったのは、ダンサーさんたちの踊りが、公演1週目よりも明らかにすばらしくなっていたことだった。たぶん、これからどんどん洗練されていくと思う。テープによる音楽が大音響過ぎて、ダンサーの踊りが音楽に押し潰されてしまい、躍動感がなくなってしまう、という点も改善されていた。ダンサーたちは観客に聞こえるよう、かけ声、吐息、また足を大きく踏みならすなどして、生き生きとした雰囲気を作り出していたし、仕草を大振りにしたり、また特に表情に大きな変化をもたせることで、観客が登場人物の感情や性格を理解しやすいようにしてくれた。分かりやすい表現や笑いのツボ、タイミングは、国によって違ってくると思う。少なくとも、これで私には理解しやすくなった。

これはおそらくタブーな話題かもしれないが、エタ・マーフィット(Etta Murfitt)とノイ・トルマー(Noi Tolmer)には、公演1週目に観たときは、正直いって呆然としたし怒りもした。でも今は、ふたりともこのときとは比較にならないくらい、踊りがなめらかに、魅力的になっている。

マーフィットは、顔の表情とかの演技はともかく、踊りについては、最初に観たとき、これが本当に映像版でクララを踊っていた人か?と疑ったくらいだった。今となっては、やっぱりどんなに経験を積んだプロでも、知らない土地で踊るのは大変なことなんだな、と思う。トルマーは、最初は演技も踊りもパッとしなかった。特に演技は表面的で底が浅いというか、表情の「語彙」が少なくて、観ていてあまり面白くない。眉根に皺を寄せたり、ふくれっ面をしたり、足をドカドカ踏み鳴らして歩いているだけの、お約束どおりで彼女なりの工夫がまったく感じられないシュガーだった。

トルマーの踊りは、教えてもらって練習した振付どおりに踊ってます、という感じで、これまた彼女の踊りの何がいいのか、私には分からなかった。特に目立ったのは、相手役を含め、周りのダンサーたちとタイミングを合わせられず、踊りに追いつくだけで精一杯なふうに見受けられたことである。でも、今日観た公演の第二幕になって初めて、私は彼女の動きを美しいと思った。演技はまだまだだし、たぶん彼女はスロー・スターターなんだと思う。できれば第一幕でも、彼女は「現実の」シュガーをどんな女の子として描きたかったのか、私なりに想像できるようにしてほしかった。でもたぶん、これから多くの公演数をこなすに従って、彼女なりのシュガーが評判になってくるだろうと思う。

長くなったし、明日の日曜日も用事があって朝早いので、今日はこのへんで。


2004年3月12日

「経歴」26ですが、アダム・クーパーが踊った「オネーギン」の映像の有無について、そらさんからメールを頂きましたので、その内容を補記として載せました。そらさん、あらためてどうもありがとうございます。

確定申告の書類も提出したし、気候もすっかり暖かくなったし、花粉症の症状もひどくなってきたし、もう春なのねえ〜、と感慨もひとしお。

私は沈丁花の香りが好きで、特に鼻を直にくっつけてクンクン嗅ぐのが大好きだ。だが、あなかぐわし、と思った瞬間、クシャミが連発、怒濤のような鼻水が流れてくる。

ネコも好きで、ネコの顔にぶちゅぶちゅキスをしまくるが、あなかわい、と思った瞬間、クシャミが連発、怒濤のような鼻水、おまけに湿疹まで出てくる。こういうときは本当に不条理さを感じる。


2004年3月10日

ボーンの“Nutcracker!”、本日の夜公演を観た。1週間前に観たときよりはるかに楽しめた。前に観たのは2日目の公演だったから、ダンサーたちはあの時、やはりまだ日本に慣れてなかったのだろうか。

今日の公演は、私にとっては「当たり」だった。ケリー・ビギン(Kerry Biggin, Clara役)と、フィリップ・ウィリンガム(Philip Willingham, Fritz/Prince Bon-Bon役)が出てたから。

ビギンはとにかく踊りがすばらしかった。クララがナットクラッカーの男の子の気を引こうと、彼の周りで手足をバタバタさせながら踊るところ、上着と仮面を脱いだナットクラッカーと一緒に踊るところは、動きに緩急があって音楽にきれいに乗っていたし、体を持ち上げられた時に、ピンと伸ばした両脚をなめらかに、しかも高々と回転させていて非常に美しかった。

ウィリンガムについては、みなさん、この人の Fritz/Prince Bon-Bonに当たったら喜んで下さい。踊りも演技も私が太鼓判を押します。彼は自分独自の役作りができて、しかもそれを踊りと演技とできちんと表現できる人である。顔もいい。プログラムに載っている彼の写真は写りがよくないが、彼はレオナルド・ディカプリオそっくりだ。

ウィリンガムは、立っているだけでも面白くて超笑えた。フリッツの彼もいいが、やはりプリンス・ボンボンの時の彼は最高だ。巨大ウェディング・ケーキの上で、後ろを向いて両脚を開いたまま、腰を左右に振って踊るシーン、腰の振り幅がいちばん大きかったのは彼だった。ワルツにのってエロい振付のダンスをきちんと踊りながら、自分の指をちゅばっ、と舐めるときの淫猥な(笑)表情も最高である。でもコミカルで無邪気な雰囲気があって、イヤらしさが全然ない。

いくらボーンの“Nutcracker!”が、ムダなくぎっしりとドラマをつめこんであります、という作品でも、やっぱり、ここは「みどころ」だよな、っていうシーンがいくつかあるでしょ。私にとっては、クララの踊り、クララとナットクラッカーの踊り、ウェディング・ケーキと結婚式での踊りも「みどころリスト」の中に入っていて、そういうシーンが見事にキマると、やはりとても楽しい気分になる。

その一方で、なんでこの人がこの役を?と思わないでもないダンサーも、やっぱりいる。優れた能力を持っているんだろうけど、どうしても魅力的に思えないから、そのぶん楽しみが減ってしまう。これは私個人の好みと合わない、ということだから仕方がないのかな。まあ、また縁があったら観られるだろう。そのときにまた確かめてみよう。

舞台はやや小さすぎるように思う。横幅は広くないし、奥行きもあまり深くない感じがする。ダンサーたちの踊りが今ひとつ元気がないようにみえるのは、小さめの舞台のせいなのかもしれない。それから、音楽が時に大音響過ぎる。シャーシャーというスピーカーの機械音(それともテープ自体の雑音?)も耳障りだ。

私はボーンの“Nutcracker!”という作品は好きだ。でも、この公演環境で12.000円というのはやはり高すぎると思う。8.000〜9.000円、いやせめて10.000円くらいだったなら、加えてもう1、2回分はチケット買ってたかもしれない。チケットの値段が高ければ、期待も大きくなるし、そのぶん失望も大きくなる。

ふと、“On Your Toes”はどうなるんだろう、と不安になった。もし値段につり合わない出来だったら、私は遠慮なくブチかますだろう。


2004年3月8日

確定申告の期限(3月15日)が1週間後に迫っているので、控除申告ができそうな書類を必死に集めまくっている(不正はしてませんよ)。

明らかに控除の対象になるのに、捨ててしまった領収書の多いこと。オーマイガッ!!と頭を抱えて天を仰ぐことしばしばである。

再発行してもらえるところはしてもらったが、中には再発行はできません、と奇妙なほど不機嫌な感情を露わにして拒否するところもある。だってね、ただのレシートに「領収書」って薄くプリントしてあるだけで、宛名がないでしょ。平成15年分の領収書を、宛名をはっきり書いて印鑑押して出してくれ、ってお願いしてるだけなんだけど。

再発行した領収書を税務署に提出したらマズイことにでもなるのかしらね。税務署のオジさんたちが、おや?と目を光らせるようなこととか。まあこれからのつきあいもあるから、今回は引っ込むことにするけど、次からは宛名入りの領収書をその都度きちんと出してもらおう。

控除が認められるかどうかは別にして、こういう書類を集めていると、ヘンな言い方だけど、領収書を通じて、社会における自分の立場、みたいなものが自分でみえてくる(気がする)。

さあ、後は計算して提出だわ〜。結果は数ヶ月後に出る。「納税通知書」の形で。ひゃ〜。


2004年3月4日

マシュー・ボーンの“Nutcracker!”、本日夜公演の方を観てきました。今日は雨が降って天気がよくなかったから、当日券でいいのが残っているに違いない、と帰り道にふと思いつき、急遽観劇決定。

会場である東京国際フォーラムという建物には初めて入った。なんか白っぽくて光っており、クジラの骨の化石みたいな形をしている(船みたいな形ともいう)、超近代的なデザインの建物である。開演20分前に行って当日券の状況をみてみた。案の定なかなか良い席があったので買った。

夜公演のせいか、客層は20代から60代までくらいといったところ。やはり女性客が多めである。子どもの姿は目にしなかった。まだ乾いていない傘(傘置き場が見つからなかった)と、ガサガサ音のするコートがウザかったので、クロークに預けようとしたら、なんとクロークはないという。デカいカバンもあるのに、どうしよ、と心配しながら席に向かったが、杞憂に終わった。両隣は空席だったのだ。

私はこの“Nutcracker!”をとても気に入っていたはずだった。前に観たときは、面白くて面白くて、しみじみ考えさせられることも多くて、終演後もなかなか興奮が冷めず、サドラーズ・ウェルズ劇場から最寄り駅に向かう帰り道、一緒に観た姉としゃべりまくった。

「物事が変化するときって、特に子どもにとっては、世界が壊れるくらいに大きなことに感じられるワケでしょ」とか、「子どもは純粋だから、ああいう残酷なことも平気でできるんだよね」とか、「不幸な境遇にいる子どもって、やっぱり『最悪の展開』しか想像できないワケじゃん」とか、「『幸せな自分』を想像できないから、新しい一歩を踏み出すのが怖くて、そうしなくてもすむような、最悪な状況を妄想して、自分を不幸なままにしておこうとする」とか、「でも現実はそうじゃなかった」とか、「『白鳥の湖』は結末が暗かったけど、今度のはハッピーエンドでよかったよね」とか。

だから、今回もとても楽しみにしていたんだけど、今は、正直なところかなり複雑な気分になっている。アタシのあのときの感動は、いったい何だったの!?と。ロンドン公演のキャストがほぼそのままやって来たはずだし、彼らは日本公演の直前まで、ロンドンを含めたイギリス各地で数ヶ月ものツアーをこなしてきたはずだ。昨日や今日になって初めてこの作品を上演したわけではない。なのに、なんで「これ」なんだろう?踊れていない。タイミングが合っていない。演技できていない。音楽と踊り、動きがかみ合っていない。演出が無難でおとなしいものに変更されている(あるいは単なるミスか?)。

今日の夜公演で、私にとって、きちんと仕事していた(失礼な言い方でごめんなさい)ように感じられたのは、ニール・ペンリントン(Neil Penlington)だけだった。きちんと踊って、きちんと演技して、とても魅力的だった。軽率に決めつけてはいけないけど、大事な役を担当していたダンサーの中には、その役をやるべきじゃない人もいたと思う。でもこれは、もう何回か観てみないと分からないから、あらためてまた書きたい。

もし時差ボケとか気候の変化とかが影響して、ダンサーさんたちの体調がよくなかったのなら、充分な休養を取ってもらって、それから公演にのぞんでもらいたい。イギリスとは勝手の違う会場にまだ慣れていないのなら、プレビュー公演でも設けて、その期間はチケット代を安くしてほしい。

今日みたいな公演に、12.000円も費やしてしまった。公演を観たことを後悔するなんて、私はめったにない。去年のロイヤル・バレエの前衛振付家の自己満度100%ミックスド・ビルでも、もし返してくれるのなら半額(33ポンド)でいいや、と思った程度だった(半分の作品には満足したから)。でも今日は後悔してるっていうか、はっきりいって怒っている。また観に行って確かめるつもりだけどね。私の方に問題があったのかもしれないから。


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