Club Pelican

Diary

2004年7月17日

世の中のほとんどのみなさんは3連休ですね。私は19日の月曜日(海の日)も通常どおりお仕事ですから、今週も「ふつうの週末」モードです。でも先週は土曜日も仕事だったので、週末気分すらロクに味わえませんでした。だから今週は土日休みで最高に嬉しいわ〜ん、とゴキゲンです。

で、なかなか書けなかったんですが、「ウチの近所の弁当屋個人情報収集未遂疑惑」と、「保坂尚輝離婚会見」についてです。

ウチの近所に、新しいお弁当&お惣菜のお店ができました。さっそく行ってみたら、お値段は少々高かったですが、これがすんごくうまい。メニューも他のお店とは違っていて、あっ、これ食ってみたい、と思わせるものばかり。というわけで、私はそのお店にちょくちょく寄るようになりました。

小さい商店街ですから、あの店はうまい、という評判が口コミで広がったようです。商売も順調にいっているようでした。ある日、またその店に寄ってレジで清算したとき、店員さんが「ポイント・カードはいかがですか?」と聞いてきました。別に珍しいことでもありませんね。私は「お願いします」と気軽に頼みました。

私の頭の中では、紙のポイント・カードに、店員さんがポン、とスタンプを押して渡してくれる、という展開が、当たり前のようにできあがっていました。ところがです。店員さんは、「じゃあ、これにご記入をお願いします」と、バインダーに挟んだ申し込み用紙と黒ボールペンを寄こしてきました。

念のためもういちど書きますが、ここはごくふつうのお弁当&お惣菜屋さんです。これだけでびっくりしましたが、その「ポイント・カード申し込み用紙」を見て、私は更に驚愕しました。B5版のその用紙には、氏名、性別、生年月日、年齢、住所、電話番号、FAX番号、職業、職場の連絡先、携帯電話の番号、Eメールアドレス、ケータイのメルアドなど、ありとあらゆる記入事項がビッシリとつまっていたのです。

私は思わず、ここはレンタル・ビデオ屋かケータイショップ、それとも東京都旅券課かあー!!と叫びだしそうになりました。更に写真付きの身分証明証か健康保険証を見せて下さい、とか言い出すんじゃねえだろうな、と思いつつ、私はごまかし笑いを浮かべて、「やっぱいいです」と断りました。店員さんも「あ、そうですか」と笑顔を絶やすことなく、バインダーを受け取りました。

で、今でもその弁当屋には行っているワケですが、ポイント・カードを使っているお客さんを見たことがありません。あそこまで詳細な個人情報を余さず記入してまで、弁当屋のポイント・カードを作りたい人は、さすがにいなかったものと思われます。それにしても、あの申し込み用紙は、よく考えないで作ってしまったのか、それとも他の意図があったのか、ナゾです。

私は、たぶんあのお弁当屋さんはチェーン店で、マーケティング調査の目的もあって、ああいうフォームを作成したんだと思います。でも、よりによってこのご時世では、ちょっと配慮の足りない発案だと思いました。氏名と生年月日さえ分かれば、あらゆる個人情報が引き出せるといいますからね。

ある朝テレビをつけたら、俳優の保坂尚輝の離婚会見が芸能ニュースで流されていました。芸能人の離婚会見はよくありますが、保坂尚輝の離婚会見はとても面白かったです。何がって。自分のブザマさを、カメラの前であそこまで正直にさらけ出す人間も珍しいなあ、と感心したのです。

彼は早口で必死に長々としゃべっていましたが、それは何かを相手に伝えたい、というよりは、相手に話をさせる余地を与えないためのようにみえました。また彼は、自分が怒っているのは、「自分の子ども」と「その子どもを生んでくれた、自分がかつて愛した女性(離婚した奥さん)」を守るためである、と強調していましたが、どうみても、彼は自分を守るために、必死になって怒っているようにしか思えませんでした。

ある芸能記者が、「たくさんしゃべってくれたんだけど、結局は何を言いたいのか分からない」とコメントしていて、私もまったくそのとおりだと思いました。保坂尚輝の言葉は、すべてが借り物の語彙をつなぎ合わせたもので、その言葉自体に意味なんかありませんでした。ただ、彼の気持ちは実に明瞭に表現されていました。彼は自分の最後の砦が崩れることをひどく怖れている、ということです。

自信やプライドが傷つけられそうになると、多くの人が自分を守ろうとします。自分を守る方法は人さまざまで、その中に言葉があります。そういう場合の言葉は、意味が非常に分かりにくいです。難解とか、達弁とかいう印象を与えてしまいやすいのですが、実はそうじゃありません。鎧みたいなもので、自分を守るためのアイテムに過ぎないから、意味は大して重要じゃないんです。

たとえば深刻な犯罪を起こした子どもの書いた文章などは、その典型例です。いろんな専門家が彼らの言葉を逐一解釈し、意味を理解しようとつとめますが、それよりは、その子どもが借り物語彙で書いた文章の向こうにある、その子の気持ち自体を知ろうとする方が、再発防止には役立つと思います。

保坂尚輝っていう人は、どういう経緯で言葉による自己防衛法を身につけたんだろうと思いました。たぶん子どもの頃から、いかにも正論ぽい屁理屈を饒舌に一方的にまくしたてる、という防衛方法を習得していって、それで他人から自分を守っていたんでしょう。でも彼はもう子どもではないですから、彼が今回の会見でみせた態度や言動には、非常に子どもっぽくて底が浅い印象を抱きました。もっとも彼自身には、それが分かっていないようでした。

私は、保坂尚輝を非常に気の毒に、哀れに感じました。子ども時代の処世術は、子どものときは効果を発揮しても、大人になると通用しないんだよねえ、とつくづく思いました。


2004年7月7日

毎日超蒸し暑いですね。みなさんお元気ですか〜?私は意外と元気です。帰国してからしばらくは時差ボケで毎日へろへろしてました。例によって、体内リズムが乱れ、眠りの時間やお腹が減る時間がズレる、気候の違いに体がすぐに順応できないという「症状」に加え、疲れがとれないうちに仕事に戻り、しかもたまった仕事を片づけなければならなかったため、帰国後1週間はちょっとキツかったです。

不思議なことに、帰国後1週間の自分の生活については、曖昧でぼんやりとした感覚しか持てないでいます。もちろん記憶がないわけではなく、たった2週間前のことが、まるで何ヶ月も前のことのように感じられるのです。そのときはしっかりしていたつもりでも、やはりぼや〜っとしていたのでしょう。

近況というか、最近あった面白かったこと、驚いたことをいくつか。まずロンドンのことから。アホか、と思われるだろうが、ロンドンに行ったら、ナショナル・ギャラリーは必見だと思う。ナショナル・ギャラリーは、それまで私の中では大英博物館と同じ位置づけだったので、大した興味もなかった。が、今回初めて行ってみて、非常に感動的な経験をした。

豊富なコレクションに感動したのではなく、美術図鑑などで見るのと、生で間近で見るのとでは、全く異なる一群の絵画がある、ということを実感したのが、私にとって大きな感動だった。これもまたアホか、と思われるだろうが、それはゴッホの絵だった。

展示されていたゴッホの絵は、あの有名な「ひまわり」を始めとして4点あった。いずれもゴッホが死ぬ2年前から没年にかけての作品だった。筆致はどれも同じで、頭がおかしくなっていたことがありありと分かる。

それは絵の具を「塗る」のではなく、「積み重ねて」いた。どういう描き方をしたのか、ほとんど薄めていない絵の具をカンヴァスに載せ、それが乾いてから、更にその上に絵の具を重ねていったのか、たとえば「ひまわり」は、花弁の輪郭を描いてそれに色を塗る、という平面的なものではなく、まるで本物の花のように、一枚一枚の花弁が厚みを持ち、花全体が中央から外側にかけて隆起している。

私がいちばん圧倒されたのは、「蝶の舞う深い草むら」だった。これは没年の作品である。草はすべて粗い直線のみで描かれ、あちこちで放射状に広がっている。そしてその草の一本一本が、やはり絵の具を幾重にも「積み重ねて」描かれていた。今にも草の先がカンヴァスを突き出て、目の前に飛び出してきそうだった。これは印刷ではうまく出ないと思う。

ピカソなんぞの、いかにも天才なイヤミな絵には、私は全く感動できなかったが、ゴッホには打ちのめされた。ゴッホがこの絵を描いているときの鬼気迫る姿が、頭の中に浮かんでくるようだった。いったい、何が彼をここまで追いつめたのか、なぜ彼は若くして死んでしまったのか、かわいそうでならなかった。夭折した狂気の天才画家として死後に崇められるより、幸せな長い人生を送った方が、どんなにかよかっただろうに。

若死にした芸術家はたくさんいる。狂った人もいれば、当時は治せなかった病気にかかった人、薬物や酒などへの依存から脱け出せなかった人、自殺した人など。よく、彼(彼女)の苦しみなくして、この「傑作」は生まれなかった、この作品の誕生のためには、その苦しみは必要だったのだ、などと言う人がいる。私はこういう考え方が嫌いである。

その人の不幸によって生み出された「傑作」、「名作」など要らない。死んでから100年以上も後の人間(私)に勝手に感動されるよりは、生きていた当時に平和な生活を過ごしてほしかったな、と思った。

一方で、19世紀末から20世紀半ばにかけては、ヨーロッパもアジアも、あのとおりひどい有様となったから、生きていたらもっと悲惨な末路をたどったかも、と感じさせる人たちもいる。以前にマーラーの音楽が苦手だ、と書いたけれど、マーラーの音楽を聴いていると、彼が抱いていた不安や絶望感が、そのまま伝わってくるように感じられるからである。

マーラーなんて、あのまま長生きしてたら、高い確率でもっとひどい死に方をしただろう。それよりは、いっそ早死にしてよかったのか、と思わないでもない。ゴッホの絵を見て、こういう解決のつかない思いがまた噴出してきた。ロンドンでの雨の日のことであった。

長くなったので、近況はまたあらためて。忘れないようにメモだけしとこ。「ウチの近所の弁当屋個人情報収集未遂疑惑」と、「保坂尚輝離婚会見」について。


2004年6月30日

ちょっとお尋ねしたいことがあります。6月30日午前0:00〜2:40の間に、私に日本語のメールを送信して下さった方、差出人名や件名がちょっと分かりにくかったので、開かずに削除してしまいました。ごめんなさい。申し訳ありませんが、もしよければ、差出人名を設定して、件名をもう少し具体的にお書き下さって、再度お送り頂けませんでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。


2004年6月21日

ロンドンはサッカーの“Euro 2004”で大騒ぎだった。夕方になると、パブやクラブの前には大きな人だかりができ、ビール瓶を片手に試合観戦で盛り上がっていた。コーヒー・ショップに入ってもテレビがつけられていて、店員の兄ちゃんたちが仕事の合間に試合を観ながら、あれこれと論じあっている。でも、別にイングランドの試合でもないのに、真剣に見入って熱く語っていたのは不思議だった。

試合が終わり、観戦していた客たちもすっかりできあがっている夜9時過ぎ、空はまだ夕暮れの明るさである。しかしこういうイベントがあると、イギリス人(定義が難しいが)は、他者への攻撃心、特に外国人に対する反感を煽られるらしい。きっかけがあればインネンをつけてやる、という雰囲気がビンビンに伝わってきた。「フーリガン」問題の背景はこのへんにもありそうだ。朝になると、散乱している割れた酒瓶の破片やゴミが清掃され、道にこぼれた酒の臭いを消すためか、水がまかれていた。

そして、15-19日にRoyal Opera HouseのLinbury Studio Theatreで上演された、Will Tuckett振付の“The Soldier's Tale”だが、凄まじく面白かったし、大成功だった。正直言って、「面白かった」とか「大成功」という言葉だけでは、とても表現しきれない。ここ最近にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された、新しい振付による物語バレエとしては、最も優れた作品に仕上がったのではないだろうか。脚本、音楽、振付、美術、ライティング、そして出演者、すべての面で恵まれたすばらしいプロダクションだった。これこそ、絶対に賞とかを取るにふさわしい作品だと思う。しかも、これほどの内容で、チケットはたった15ポンド(3,030円)ざんす。

役柄的には、Matthew HartのDevilがいちばんオイシイので、Soldier役のAdam Cooperは少し分が悪いな、と思っていた。ところが、フタを開けてみれば、誰がいちばん良かったか、などという見方は、あんまり意味がなかったとしみじみ感じた。タケットは、Soldier、Devil、Fiancee/Princess(Zenaida Yanowsky)、Narrator/King(Will Kemp)を担当するすべてのキャストに対して、各人の持ち味や彼らの特に秀でている点を的確に捉え、それを最大限に生かした振付や演出を施していたからである。詳しくは後でまた書こうと思う。

ここではクーパー君だけについて、簡単に書いておきたい。Soldierという役はつかみどころのない役だが、クーパー君はごく普通の青年として演じていた。ある田舎の農村出身の、気が弱くて愚かで無教養で純朴な一人の青年が、徴兵されて戦争に駆り出され、怯えて、飢えて、疲れきって、その挙句に、悪魔のバカバカしい誘惑に簡単に乗ってしまう。

こういう役柄は、彼にとっては初めてなのではないか。そして、演劇的な面での彼の演技力(セリフ、表情、間の取り方、雰囲気、キャラクター、また悲劇、喜劇に関わらず)が非常に進歩していることも、この作品であらためて証明されたと思う。思ったとおり、Soldierのセリフは、オリジナルのセリフはもちろん、Narratorの語りの部分からも多く抜き出されていた。

あと、これは振付者のタケットに本当に感謝したい。クーパーは最も多くのソロを踊った。その振付には、伝統的なクラシック・バレエのステップやムーヴメントが多く取り入れられていた。これによって、いくらクーパー自身が、クラシック・バレエを重要視しなくなっていると言い張ったところで、クーパーのクラシック・バレエが、非常に優れたレベルにあり、また彼のクラシック・バレエが非常に魅力的であることを、私はあらためて実感させられた。タケットの振付は、観客がクーパーのこうした特徴を思い出すような結果をもたらしたと思う。

クーパーのアラベスク(男性でもこう呼んでいいの?)は本当に美しかった。長い四肢を形よく真っ直ぐに伸ばし、顔をこころもちうつむけている。ゆっくりとしたアティチュードのターンもきれいだった。ピルエット、ザンレールやジャンプ(大きなスキップのように軽く跳ぶタイプ、まっすぐに伸ばした片脚を上に振りあげて回転するタイプ、クーパー君お得意の、上半身を反らして体全体をたわめながら回転するタイプなど)も、力任せ、速さ任せでない、ゆっくりとした一定スピードの丁寧なものだった。

私にとっては、こういうタイプのクーパーの踊りを観るのは久しぶりだったので、これがいちばん嬉しかった。そして、彼が曖昧なキャラクターであるSoldierという難しい役を、無理なく自然にやり遂げたことにも感嘆した。なんというか、もうこれで、私の中では、アダム・クーパー=スワン/ストレンジャーというイメージは、ほぼなくなった。上演自体は1時間ちょっとだったけど、本当にすばらしい作品を目にすることができた、という思いでいっぱいだ。


2004年6月10日

“On Your Toes”日本公演の楽しい思い出を見事にブチ壊してくれた、「アダム・クーパー直筆サイン付き限定写真」販売だが、それをやっているのは“Adam Cooper Marketing Ltd”という会社である。会社として正式に登録もしているようだ。

会社名からすると、アダム・クーパーのグッズを専門に販売する会社だろう。クーパー君、いつのまにか自分の会社を作ってたらしい。でも会社の住所はロンドンではなくオックスフォードである。そこに“Adam Cooper Marketing Ltd”のオフィスがあるのか、それともこの住所は業務を代行する別会社のオフィスのものなのか、よく分からない。

別に商売するのがわるいとは言わん。むしろいいことだ。ある人からのメールに面白い言葉が書いてあったので紹介しよう。

さすがは7つの海を支配した大英帝国の末裔、合言葉は「THE 商魂」。

どこの国も先行き不透明なこの御時世、稼げるときに稼いでおくのは大事なことだ。でも、アダム・クーパーのオリジナル・グッズ販売、という行為に、まさにクーパー本人が大きく関わっている、と人々にみなされることが、「アダム・クーパー」という自分の「商品価値」に、総合的な面で、また長期的にみてプラスの結果をもたらすかどうか、クーパー君は考えたのだろうか。またグッズ販売を行なうにしても、商品の選定とか、価格設定とか、販売開始のタイミングとかは、慎重に考えた上で決めたのだろうか。

今回の写真販売は、たとえば直筆サイン入り写真なんかは、100枚程度なら完売できるんじゃないかとは思う。経済的に余裕のある人や気持ち的に余裕のない人は、少なくとも合わせて100人くらいはいるだろうから。

ただ、よりによって自分で自分の写真を販売して得られた収益と、写真を販売したことによって蒙るかもしれない損失との差引きはどうなるんだろう。

今回の写真販売で、クーパー君が蒙ったかもしれない損失。 (1) “On Your Toes”の心地よい余韻を台無しにした。 (2) 「舞台ではワイルドでセクシーだけど、素は気さくなフツーの兄ちゃん」というクリーンな(?)イメージが失われた。 (3) (日本人狙いのボッタクリと「誤解」されたことで)特に日本人のファンが減った。 (4) イギリスのダンス界で、やっぱりアダム・クーパーは「ピンナップ」にすぎないという印象が強まった。 さあ、差引きはプラスになるかマイナスになるか。

「兵士の物語(“L'histoire du Soldat”)」で、兵士(Le Soldat)のジョゼフ(Joseph)は悪魔(Le Diable)にそそのかされ、自分が持っていたヴァイオリン(violon)と、悪魔が持っていた莫大な富を手中にできる本(livre)とを交換する。

語り手(Le Lecteur)「兵士は本を読み出した。読めばつかめる金また金。あらん限りの力で読んで、思うまま、金を手に入れ、その金で、思うまま、なんでもかんでも手に入れた。まずは商売、品物の売り買い・・・・・・」 そうして富のすべてを手に入れたジョゼフは、富以外のすべてを失なう。

ジョゼフは後悔し、手にした富を全部捨てて、悪魔からヴァイオリンを取り戻す。しかし、美しい王女(La Princesse)を妻とした彼の心の中に、再び「もっと」という欲が芽生えてくる。

語り手「いまの幸福に、昔の幸福を加えようとしてはいけない。いまの自分と昔の自分に、同時になれるわけはない。すべてを手に入れる権利はないのだ。それこそ禁断。幸福は一つで充分、二つとなったら、幸福などなくなったのと同じこと。」

最後は詩的にいきましょうか。さて、現実のクーパー君は、ヴァイオリンを選ぶのか、それとも本を選ぶのか。彼のヴァイオリンは音を奏でつづけるのか、それとも音が鳴らなくなってしまうのか。これからじっくりとみていくことにしよう。


2004年6月4日

実にすばらしいアイディアだ。感動のあまり、あいた口が塞がらない。

限定50枚直筆サイン入り写真が1枚70ポンド(14,317円)?5枚組セット写真が1セット25ポンド(5,113円)?ただの写真1枚が、サインがあるだけで70ポンド、なくても5ポンドもするのか?しかも「できるだけ迅速に発送する」のに、4週間かかる?

去年冬のロイヤル・バレエ“Gong Mixed Bill”のいちばん高価な席は66ポンド(13,499円)、写真てんこもりのプログラムは5ポンド(1,022円)。ロイヤル・バレエ写真集“The Royal Ballet in House”は、300ページ近くの分量、しかもフルカラーで25ポンド(5,113円)、ダンサーのポスト・カードは0.5ポンド(102円)、大判カレンダーは6.4ポンド(1,309円)。“On Your Toes”ロンドン公演のいちばん高価な席は36ポンド(7,363円)だった。

とても幸福な気分だったのが、いきなり奈落の底に突き落とされるっていうのは、まさにこのことだ。

これはクーパー君本人の意志なのか?日本人ファン向けの商売もけっこうだが、いろんな国にいるファン全員に向けて、最新の日記やスケジュール情報を提供する方が先だろう。


2004年6月3日

“On Your Toes”日本公演メモリアル企画として、「ストーリーズ」にみなさんの“On Your Toes”感想を掲載することができ、とても嬉しくて上機嫌のチャウでございます。これからまたいくつか掲載させて頂きますし、更に数名の方とは現在交渉中(またはせっついている途中)でございます。

もともとはすべて私信として送って頂いたご感想ばかりで、みなさん「照れくさい」、「恥ずかしい」などとおっしゃるのですが、やはり人によって見方が異なったり、または同じような感じ方をされている部分もあったりして、これは私だけが独占するのは勿体ないなあ、と思ったんですわ。それに日本で大勢の人が、クーパー君の出演する同じ公演を観るような、こんな機会はめったにないですから(これからは多くなりそうですが)、私のメーラーの受信ボックスにこのまま埋もれさせるよりは、サイトに残した方が有意義です。

で、浅葱さんからお知らせ頂いたんですが、 ロイヤル・オペラ・ハウスのサイト で、「兵士の物語(The Soldier's Tale)」のイメージ写真とリハーサル写真がたくさん公開されています。ほとんどがクーパー君の写真ばかりです(う〜む)。撮影者はJohan Perssonで、彼はロイヤル・バレエの元ダンサーですが、写真家としても非常に優れたセンスを持っている人だと思います。ちなみに、去年の“Gong Mixed Bill”のプログラムに掲載された、“Proverb”のリハーサル写真を撮影したのもこの方です。短めの前髪を下ろした髪型のクーパー君ははじめて見ましたが、やっぱりかっこいいわ。

“On Your Toes”の感想についてですが、私にメールを送った覚えのある方は、いきなり私から「載〜せ〜さ〜せ〜てぇぇぇ〜」というメールが行くかもしれません。また、“On Your Toes”に関して語りたい、それで自分の気持ちをスッキリさせたい、という方がいらっしゃいましたら、どうぞメール下さい。

前にエラソーなことを言いましたが、みなさんの感想を載せたい本当の理由は、(1) チャウが助かる(自分で原稿を書かないで済む)。 (2) いろんな事情で“On Your Toes”を観られなかった方々に読んで頂きたい。 (3) “On Your Toes”をご覧になった他のみなさんにも読んで頂きたい。 (4) チャウが助かる。 (5) チャウが助かる。 です。


2004年5月29日

ロイヤル・バレエでは、2002年夏以来2年ぶりとなる「オネーギン(“Onegin”)」公演が始まった。2001年11月〜2002年1月、ロイヤル・バレエでの「オネーギン」初演に際し、そのキャスティングをめぐって大騒動が起きたことはすでに「経歴」に書いた。2002年7月の再演のときも、主役の女性ダンサーが相次いで降板するなどして、キャストが何度も変更された。そして現在の再再演でも、すでに公演が始まったというのに、やはりキャストの問題で大荒れになっている模様である。

公演開始の1週間前になって、オネーギン役を担当するダンサーの1人が“indisposed”という理由で突如降板した。それにともない、彼と同じ公演日にキャスティングされていたダンサー数人も変更された。次には、タチヤーナ役を踊るはずだったダンサーの1人が、“injury”という理由で降板した。更に、オネーギン役を降板したダンサーの代役に立てられたダンサーも、なんと公演前日になって、またしても“injury”という理由で降板することが発表された。そしてそれにともない、再びキャスト全体が変更された。

ロイヤル・バレエのダンサーたちにとって、「オネーギン」は相性のよくない演目であるようだ。ただ妙な気もする。なぜ「オネーギン」公演の前に限って、こんなにも病人やケガ人が続出するのか。「マイヤリング」ではそう大きな問題は起こらないのに、なぜ「オネーギン」では毎度のようにキャスティングが大混乱するのか。

悪い偶然なら仕方がない。しかし万が一、ダンサーたちが何か(または誰か)に対して、こうした受動的な攻撃方法で抗議の意を示しているのなら、公演寸前になって、また公演が始まってから、その抗議行動を実行に移すというのは、大人として、またプロフェッショナルの仕事人としては、非常に幼稚で浅はかな態度である。いちばん迷惑するのは、すでにその日に合わせてチケットを買ってしまった観客である。

地下鉄のストライキとはワケが違う。地下鉄がストライキを決行しても、乗客は切符を買わないで済むし、バスなどによる代替輸送が無料で提供される(超混むけど)。もしもの話だが、シュトゥットガルト・バレエ側が、ロイヤル・バレエのダンサーである自分たちに干渉してくるのが気に入らない、ということであれば、キャスティングの時点で出演を拒否すればいい。

今回の「オネーギン」再再演で、公演の目玉となる主役のダンサーは、もはや2人のプリンシパルだけになった。うち1人も出演が危ぶまれている。そのダンサーは、2年前の再演でも、やはり公演直前になって降板したからである。観客が彼らにかけている期待は、他のダンサーたちが相次いで降板したせいで、より大きなものとなっているだろう。これは彼らにとっては同時に大きなプレッシャーにもなる。 もっとも、新たに代役に立てられて出演回数が増えたダンサーたちにとっては、キャリア・アップのいい機会になるかもしれない。

まあ今回のトラブルの真相は藪の中である。本当に不幸な偶然が重なっただけなのかもしれない。結局はどういう事情なのかはどーでもよい。ただ私が願うのは、クーパー君、絶対にこのトラブルに巻き込まれるな、たとえ頼まれても今度ばかりは“Yes”と言うな、ということである。1ヶ月にわたる“On Your Toes”日本ツアーが終わったばっかりで、しかもまもなく別の公演も控えているのだから、絶対に無理はしないでほしい。


2004年5月26日

「軒を貸して母屋を取られる」だっけ?間借り人の“On Your Toes”感想に、すっかり占拠されていた「不定期日記」だが、ようやく本来の姿に戻ることができた。とはいえ、“On Your Toes”東京公演が終わってしまい、正直なところ、大きな喪失感がある。とても寂しい。悲しい。舞台は一期一会だから。

先週には名古屋公演、そして今は大阪公演が行われており、東京公演と同じく、みなさんが楽しんでおられるらしい様子をうかがい知ることができ、それが唯一の救いになっている。メールを下さったみなさん、東京公演中は感想を書くのに手一杯で、お返事を書く時間がなかなかとれませんでした。この1週間は、疲れがドッと出て余裕が持てませんでした。今さらですが、お返事はいずれ必ず書きますので、どうぞお許し下さい。

クーパー君の次回の出演作品は、「兵士の物語(The Soldier's Tale)」らしい。ロイヤル・オペラ・ハウスのLinbury Studio Theatreで6月中旬に上演される。クーパー君の役は兵士(The Soldier)で、その写真が ロイヤル・オペラ・ハウスのサイト に掲載されている。みなさん、これが“On Your Toes”で、お気楽でノーテンキで、舞台でケツを丸出しにするジュニア役を演じていた人と同一人物ですよ。信じられますか?お調子者で優しいシドニー役を演じたマシュー・ハートも、悪魔(The Devil)役でこの公演に出演する。

“On Your Toes”東京公演については、また後で書きたいことがいくつかある。日本公演が全部終了したら、ここでちらほら書こうかと思う。いや、別にそうご大層なことでもないんですが。クーパー君「はぴひる!」生出演実況中継とか(まだビデオ観てない)。

そういえば、ある方がゆうぽうと通り商店街の飲食店で食事をしていたら、BGMで“Glad To Be Unhappy”がかかっていたそうだ。ゆうぽうと通り商店街は、やっぱり「“On Your Toes”で町おこし」を目指していたらしい。


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