Club Pelican

Diary12

2004年5月18日 (2)

休憩時間は15分しかない。女性用のトイレは非常に混雑していたため、休憩時間はトイレに並んでいるだけであっという間に終わってしまう。今回の公演は、たとえば午後7時に公演が始まると、9時45分には会場を出ていたから、上演時間はほぼ2時間30分、休憩時間を含めると2時間45分あったということになる。個人的には、公演自体もなんかヤケにストーリー展開を急いでいる感じがしたし、休憩時間も15分しかない、というのははじめてだった。ふつうは20分である。たった5分の違いだけど、その差は大きい。もちろんビュッフェで飲み食いする余裕なんてない。

ロビーでは“On Your Toes”のグッズや他の公演のチケットが販売されていた。グッズのコーナーには、プログラム、ポスター、Tシャツ、トート・バッグ、オペラ・グラス、“On Your Toes”83年ブロードウェイ公演版CD、マシュー・ボーン「白鳥の湖」DVD、「ダンスマガジン」2004年3月号(表紙がアダム・クーパーで、クーパー君の特集が組まれている)、「シアターガイド」2004年5月号(表紙が“On Your Toes”ポスターのクーパーのイラストで、“On Your Toes”の特集が組まれていた)があった。

売れ行きがよかったのは、意外なことにトート・バッグで、細長い形のミニサイズと、A4版書類も入りそうな大型サイズの2種類。“Slaughter On Tenth Avenue”で銃をかざすクーパー君のシルエットと、“ADAM COOPER”とか“ON YOUR TOES”とかいうロゴが小さくプリントされたもの。このトート・バッグは公演開始から数日で売り切れ、ゴールデン・ウィーク後に再入荷、再び販売されたが、その1週間後にはまた売り切れた。

同じく早々に売り切れになっていたのは、マシュー・ボーン「白鳥の湖」DVDであった。はあ!?クーパーのファンばかりがやって来ているものと思っていたのに、「白鳥の湖」が今さらこんなに売れるものか?と驚いた。公演を観に来ていたのは、やはりアダム・クーパーのファンだけではなかったらしい。

会場で販売されていた他の公演のチケットには、いろいろなミュージカル、ニューヨーク・シティ・バレエ、映画、コンサートなどがあった。そしてチケット販売スペースの半分を占めていたのが、“Play Without Words”のチケット販売カウンターである。座席が選べて、しかも購入した人にはポスト・カード3枚(おしゃれなデザイン)がおまけでつく。更に抽選で10人が、5月下旬に来日するリチャード・ウィンザー(Richard Winsor)とのファン・ミーティングに参加することができるという。

うろおぼえだが、こんなふうに書いてあった。「リチャード・ウィンザー(「くるみ」のスノー○○○役)5月下旬来日決定!チケットをご購入された方の中から抽選で10名様をファン・ミーティングにご招待!」 「スノー○○○」はなんだったか忘れた。そうか、リチャード・ウィンザー君は“Nutcracker!”映像版にも出ているのね。さっそくチェックしなければ。“Nutcracker!”は、「ポスト・アダム・クーパー」と連呼していたが、“Play Without Words”は、リチャード・ウィンザーを看板にするつもりらしい。“On Your Toes”は、アダム・クーパー個人を前面に出しすぎた宣伝戦略のせいで、チケットが売れなかったという説があるそうだ(じゃあ会場がほぼ満員に見えたのは、私の幻覚だったのだろうか)。しかし現実には、“Nutcracker!”も、“Play Without Words”も、陰に日向に、同じような宣伝戦略をとっているのである。これは、特に日本ではこういう戦略をとらざるを得ず、ある程度は仕方のないことなのである。

“The Heart Is Quicker Than The Eye”での、ジュニア(Adam Cooper)とペギー(Gillian Bavan)のタンゴ風踊り、ジュニアがペギーをリフトする部分の振付は変更されたようだ。ジュニアがペギーを高く持ち上げて、ペギーは両脚を開いて真っ直ぐに伸ばし、それをジュニアが大きく振り回していたのが、ジュニアのリフトは低く、ペギーも両脚を揃えて後ろに折り曲げた状態で振り回されていた。ジュニアが“I don't know which way to turn, or which way is which!”とつぶやき、ペギーの体を勢いをつけて回して手を放し、ペギーはくるくる回ってびしっと止まり、“That's what I told you!”と言うシーンも、くるくる回る動きがなくなっていた。この歌の振付は全体的におとなしくなった。でもここでのクーパー君の歌声は伸びがあってとてもよい。いつも聞き惚れてしまう。

“On Your Toes”では、最初に学生たち(タップ群)が歌いながら椅子を使い、次に椅子を引っ込めてタップを踊る。この中では、グレッグ・ピチャリー(Greg Pichery)とマシュー・ハート(Matthew Hart)の動きが特にすばらしい。舞台左で学生たちの踊りを眺めているバレエ団団員たちも、“Up on your toes!”の歌声とともに、ばっ、とバレエのポーズをとる。そのタイミングが実によい。ただ、やや奥に引っ込みすぎていて、もう少し舞台中央寄りに出てきた方が目立つと思う。

フランキーとジュニアがタップで踊る部分では、二人がタップを踏みながら円を描くように回り、それから前かがみになって舞台前に走り出るような動きをする振りがよかった。こう書いてもうまく伝わらないよね・・・つくづく、音楽のポインターがあればいいのにな。前はハデなタップ群にバレエ群がイマイチ迫力負けしてたが、その後バレエ群のバランスもよくなり、またさりげなくテクニックを披露するなどして挽回した。最後にはタップ群とバレエ群がともにノリノリで同じ踊りを踊り、“Whoof!”とかけ声を上げる。観ているこちらも思わずハッスルする。“On Your Toes”が終わると客席から大歓声。

セルゲイ(Russell Dixon)に殴られて気絶したコンスタンティン(Ivan Cavallari)の横で、即興で踊ってみせるジュニア、クーパー君のジャンプも回転も脚を上げる高さもシェネもすごかった。ここまでくるとなんだかこわい。ランナーズ・ハイみたいな状態になってるのか。

イヴァン・カヴァラッリはますます壊れてきて(もちろんホメ言葉です)、コンスタンティンがジャズをバカにして踊ってみせるシーンや、“Slaughter On Tenth Avenue”の開演前にヴェラに向かって「あの音楽教師(ジュニア)が踊ったら、俺は即ブーイングしてやる!ブーブーブー!」と言うシーンには大笑いした。

“Slaughter On Tenth Avenue”でのクーパーの踊りは、いつにもまして鋭敏で凄まじい迫力。思わず「うわお!」と唸ってしまった。上着を脱いでタンクトップ一枚になったクーパー君の首筋、肩や腕を見て、やっと気づいた。公演1週目より痩せてしまっている。またかよ〜。まったくこの兄ちゃんはよ〜!!マジメすぎなんだよ〜!!

おカマ役のマリンズ君(Isaac Mullins)、今日もやってくれた。ジュニアにメモを見せた後、ヘラヘラ笑いながら、筋肉質でセクシーな(?)太モモを見せてライン・ダンスを踊る。おそらくは今までで最も観客にウケる。

高速シェネ、回転ジャンプ、斜め回転跳びジャンプ、横っ跳びジャンプ、ピルエットがてんこもりの、ジュニアの最後のソロ、クーパー君はこれを4回くりかえす。演出の上でも徐々に疲れを見せていかなくてはならないし、おそらく実際にも体力的にかなりキツイだろう。しかも狭い空間で、ビッグ・ボス(Greg Pichery)の死体、カウンター、椅子、テーブルなどの間をすり抜けながら踊らなくてはならない。更にクーパー君の視線は、常に自分を狙撃するタイミングをうかがっているコンスタンティンに向けられている。踊りながら演技もしていて、クーパー君はいつ撃たれるかという怯えた表情をしている。最後の華麗なソロだけど、オレ様ってスゴいダンサーなんだぜ、という踊りでは決してない。あくまで役柄をきちんと守って踊っている。

でも、4回目を踊る前にタンクトップを脱いでいそいそと汗を拭き、開き直ったように“One more time!”とひっくり返った声で絶叫し、タンクトップを投げ捨てるシーンは、向こうは演技だろうけど、観ているこちらはついほほえましく感じて、よっしゃ、あと1回だ、がんばれ!という気持ちになってしまう。観客の間から笑い声と大きな拍手が起きる。

ジュニアは必死な表情で4回目を踊り、コンスタンティンが警官に取り押さえられるのを確認し、両のこぶしを握って、目を閉じて“Yes!”と叫びながら天を仰ぐ。そして再びシェネから床に座り込み、銃をこめかみに当て引き金をひくとバッタリと倒れる。“Slaughter”が終わってジュニア、ヴェラ(Sarah Wildor)、ビッグ・ボスが身を起こし、セルゲイが現れてジュニアやヴェラを抱きしめ、彼らの手をとって観客に向かって歓声を上げる。ロンドンでは、これは再び観客の拍手を引き出すための演出だったと思われるが、今回は引き出されなくても、観客はずっと拍手しどおしだった。

ジュニアとフランキー、セルゲイとペギー、ヴェラとコンスタンティン、3組のカップルが抱き合い、音楽の終わりと同時に舞台のライトが落とされた。“Slaughter On Tenth Avenue”の終わりからずっと続いていた拍手が更に大きくなった。再び舞台のライトが点灯される。大きな拍手と歓声が湧き起こり、観客が次々と立ち上がり、スタンディング・オベーションを送る。群舞、女性主役陣、男性主役陣、そして全員が手をつないで、といういつもどおりの順番で出演者が前に出てくる。「スワン後遺症」と言われるかもしれないけど、今回の公演を1週目から4週目まで観てきて、私は最後くらいはスタンディング・オベーションで送り出してやってもいいと思った。

今回の公演は観るたびに、今日は昨日よりも、今週は先週よりも、というペースで、どんどん改善されて見違えるものになっていった。しかもそれは、誰かの一方的な命令で変更された、という感じではなく、出演者ひとりひとりが自分に許された範囲内で、自分の演技や踊りを工夫し、それを舞台上で実践していた、というふうだった。

クーパー君は確かに振付を担当したけど、公演全体の演出を指示したり変更したりする資格を持っているわけではない。踊りにおいては、それぞれの出演者が微妙に自分の振りを変えていて(あくまで変更してもかまわないシーンで)、それは一時編成とはいえ、この“On Your Toes”のカンパニーが、各々の出演者が自分の個性を出せるような、またそうした工夫を実践することが許されるような、自由な雰囲気にあるということを表していた。そしてそれぞれの出演者の工夫は、なによりも公演全体の出来に良い結果をもたらした。

出演者がいったん退場した後、白いタオルを首にかけたアダム・クーパーが一人で出てきた。更に大きな拍手と歓声。私はコーフンしていたせいか、このときのことをあんまりよく覚えていない。でも私のイメージでは、クーパー君は疲れきったような表情で笑い、がくっ、と上半身を前に折るようにして一礼した。額と裸の上半身に汗が流れていた。私の確信ある憶測だが、彼は疲れきっている。体力的にもそうだろうけど、特に精神的に極度に張りつめた状態にある。この公演の成否は、最終的には自分にあることを、彼はよく分かっているだろう。去年の「白鳥の湖」とは違い、今度は彼の代わりはいない(これはアンダースタディの存否とは別次元の話である)。

その疲れは歌声のかすれと音程の不安定さ、そして会場のスタッフたちがクーパーを取り巻くようにして、さっさと彼をタクシーに乗り込ませていたこと、クーパーの顔は笑っているけど目は笑っていない硬い表情、それでもファンをさえぎろうとするスタッフの腕の向こうから、クーパーがファンの差し出すプログラムをもぎとってサインをして返していた情景、そして、クーパーの踊りが特に公演期間の後半になって異常なほどにすばらしくなり、いよいよ鋭さとキレのよさを増していったことに表れていると思う。ここが少し心配でもある。後でガクッと「揺れ返し」が来なければいいんだけど。

カーテン・コール、最後にまた出演者全員が出てきた。マシュー・ハートが側転しながら舞台右袖から飛び出してくる。全員で一礼した後、彼らは舞台左袖へと退場、みなが手を振りながら去っていった。舞台のライトが落ち、最後に姿を消したペギー役のジリアン・ビヴァンは、両手で客席へと投げキッスをしていた。

舞台のライトが消されて客席のライトが点灯される。拍手はまだ続いている。が、「本日の公演はこれで終了いたしました・・・」という会場アナウンスが流れた。でもまだみな立ったまま拍手し続けている。今日は楽日だから、特別サーヴィスの追加カーテン・コールがあるはずだ、とみなが思っている。ところが、「本日の公演はこれで終了いたしました」と再度アナウンスが流れた。そしてとどめをさすように、舞台に紅いカーテンが下ろされる。今まではこんなことはなかったのに。これは、カーテン・コールはもうありません、終わりです、ということである。観客の間から一斉に不満の声が上がる。でももう帰るより他ない。

結局、観客の方が熱狂的に盛り上がっただけで、カーテン・コールは通常どおりに終わった。オーバー・エモーショナルな日本人としては、楽日くらい感動的にいこうぜ、とは思うが、まあこの方がクールである。演目にもふさわしい。それに出演者たちは翌日には名古屋に移動し、翌々日には公演だったから、さっさと終わってやった方が彼らにとってもよかったのだ。

んで帰り。本日の同行者と今回の“On Your Toes”公演全般について話し合う。その人が今日の公演でいちばんよかったと思ったのは、踊りや歌の出来ではなく、みなの演技がとても自然なことだったという。ちょっとした仕草や表情に、本当に自然で楽しげな雰囲気が感じられた、と。ただし、ロンドン公演に比べると、今回は観劇後の余韻があまり残らなかった。たるみや「間」を一切排除して、ストーリー展開をひたすら速くし、ヴィジュアル的なお笑いの要素を多くする、という今回の「日本仕様」にはなんかしっくりこないという。

同行者「ロンドン公演では、たとえばセルゲイが“Quiet Night”を聴いた後、しばらく黙り込むじゃない。それからゆっくりと、“……Good music, ……good singing.”ってつぶやくでしょ。あの音のない“間”が、感動した、っていうセルゲイの気持ちを表しているわけじゃない?それが今回は、歌が終わるとさっさと『グッドミュージックグッドシンギング』って言っちゃって。」 私「ヴェラの“What time is it?”もそうだよね。“I never forgive him! Never! Never!”って叫んでバッタリ倒れて、それから少し間があって、いきなりむっくりと起き上がって、平然と“What time is it?”とペギーに聞く。あの“間”が可笑しかったんだよね。でも今回はあの“間”がない。」

私は更に言った。「今回は、なにもかもが急いでいると思わない?ムダでかったるいたるみは削除、“間”も削除、音楽も削除、セリフはとにかく早口、さっさとしゃべって歌って踊って終わり。休憩時間も15分だけ。第一幕の感想を話し合ったり、飲み物を飲んでひと休みする時間もない。トイレに並ぶだけで精一杯で。・・・これって、まるでハリウッド映画のパターンみたい。ムダやたるみが一切なくて、ストーリー展開が超速くて、上映時間は2時間前後におさえる、っていうの。

私はロンドン公演版はダサい、と思ってたけど、あのヴェラの靴棚の絵とか、『バッハ、ブラームス、ベートーベン』看板とか、あのぎこちないたるみや“間”とかを、向こうの観客はふつうに楽しんでた。ああいうのを思い出すと、なんかイギリス人に負けた気がして悔しい。平日でも7時30分に開演して、休憩時間は20分あって、終わるのが11時近くで。向こうの観客には、ダサい演出も、かったるい間もたるみも受け入れて、平日の夜でも長い時間かけてだらだらと楽しむ余裕があった。私にはそれがなかった。認めたくないけど、これが長い劇場文化の歴史を持つイギリス人との『文化的差』っていうか、日本人はハリウッド映画的パターンに感化されてる、ってことなのかねえ。」

同行者「なるほど。まあ、でも、ロンドン公演と比較できてよかった。おかげで、たるみや“間”は、必ずしも悪いものではないんじゃないか、っていうことが分かったし。」

ということで、私にとっての“On Your Toes”日本公演の観劇はこれで終了した。いろいろと考えさせられることも多かったし、とても楽しかった。出演者、スタッフ、オーケストラのみなさん、どうもありがとうございました。


2004年5月18日 (1)

遂に“On Your Toes”東京公演の最終日である。最初はロンドン公演をそのまま日本に持ってくるのかと思っていたから、果たしてこれがウケるかどうか心配だった。なにせチケットの値段が値段だったから。でも結局は、毎回ほぼ満席状態の大盛況で楽日を迎えることとなり、とりあえずは祝着至極な結果となった。

私が観たのは夜公演である。意外にも、東京公演の客層はロンドン公演と同様に幅広いものとなった。しかし、今回は楽日のしかも最終公演である。こーいう記念的な価値が付随する公演につめかけるのは、ほとんどがアダム・クーパーのファンだと思われる。会場はいつにもまして熱気ムンムン。私は初日を仕事の都合で観られなかった。したがって、本日の公演にかける執念は人一倍である。

昨日の月曜日は休演日ではなかった。よって出演者たちは、この週末は休みなしで公演を行なっていたのである。もちろんオーケストラもスタッフたちも。しかも今日は昼公演もあったはずなので、みな疲れきっているだろう。なんとか無事にのりきってほしいものである。

今回の公演にはキャスト・チェンジはない。でもいちおう、紙のキャスト表が台に貼り付けられ、ロビーの目立たない場所に立てかけられている。その紙が日を追うごとになんとなく古ぼけていくのが、時間の経過を感じさせていた。

しかし、今日はキャストに変更があった。キャスト表、リル・ドーランを担当するガブリエル・ノーブル(Gabrielle Noble)の部分に、別の名前をプリントした紙が貼りつけられていた。体調不良かケガだろうか。大したことないといいんだけど。

さて、客席のライトが落とされて暗くなり、舞台奥の一角にスポット・ライトが当てられる。シルバーブラックのガウンに身を包んだサラ・ウィルドー(Sarah Wildor)が姿を現した。冷めた表情で舞台前方に歩いてくる彼女の背後にレッスン・バーが降りてくる。彼女はガウンをさっと脱ぎ捨てると、バーに手をかけて片脚を高く上げて前に踏み出し、なめらかな身のこなしでアラベスクのポーズをとった。それと同時に序曲が始まる。

ところが、せっかくの楽日なのに、オーケストラの音が鈍い。オーケストラの人たちもかなり疲れがたまっているのだろうか。それからドーラン一座の舞台のシーンが始まるが、スピーカーの音量が小さく、歌声やセリフがくぐもったようになってはっきりと聞こえない。オーケストラの音につぶされてしまう。ちなみに、リル・ドーランの代役の人はとてもよかった。

15年後、ジュニア(Adam Cooper)の音楽クラスのシーン。ジュニアにはおかまいなしに騒ぐ学生たち。おお、と思った。みなの演技がとても自然である。貼りつけたようなワザとらしさがない。出演者ひとりひとりの演技、表情や身のこなしが、とてもリラックスした感じ。本当に自然で楽しそうな雰囲気を醸し出していた。

“Questions And Answers”が始まる。やっぱりクーパー君、疲れが声にきているようだ。歌声は時折かすれ、声があまり出ていない。よりによって音響の具合がよくない日に!だいじょぶか?でも仕方ない。喉はねえ、使いすぎるとどうしても声がかすれてくる。対処法は、歌わない、しゃべらない、声を出さない、こと。でも、そういうワケにもいかないしね・・・。

ところがである。学生たちが帰った後に、“Slaughter On Tenth Avenue”の音楽にのせて、ジュニアが一人こっそりとタップで踊るシーンが始まる。あら!?東京公演では初めて見た。メガネを外し、伴奏に合わせてメロディーを口ずさみながら、舞台の中央に歩み出てくる。ちょっと伏し目がちにして、メロディーを口ずさむ顔がこれまたカッコいい。更に、これはクーパー君がノっている証拠だ。これなら踊りの方は心配なさそうだ。

思ったとおり、踊りは異常なほどに良かった。特に体や足の動きが敏捷で鋭い。このシーンでは、クーパー君が片腕をぶん、ぶんと時間差で回しながら、ステップを踏む動きが私は特に好きである。うまく描写できないんだけど、片腕が1回転すると一瞬止まり、ステップを踏む足もそれに合わせて一瞬止まる。タイミングも動きもすごくカッコいいし、音楽にもバッチリ合っている。このへんのセンスの良さはさすがである。

今まで気がつかなかったが、“It Got To Be Love”の群舞の振付がとても良くなった。これは気に入った。特に女子学生4人が出てきて踊るところ。ゆったりしたテンポの音楽に乗せて、全身を大きく伸ばした踊りを踊る。最後にジュニア、フランキー(Anna-Jane Casey)、学生全員が、一斉に左脚を根元から高く上げるところは、いつ見ても音楽のツボを見事に捉えていますな。ロンドン公演では、全員が両足を合わせてくるくると速く回転するところは好きだったけど、それから両手を広げるのはちょっと恥ずかしかった。でも今回はロンドン公演の時ほど大仰ではない気がするので、抵抗感はさほどない。

ヴェラ(Sarah Wildor)のベッドルームのシーン。ヴェラはヒステリックな口調で、時に下品な言葉で怒鳴り散らすセリフが多く、身のこなしや動作も大仰なものがほとんどである。これはヴェラ役を担当する人によっては、観客がワザとらしく感じて白けてしまいかねない。が、ウィルドーがやると、おーげさでいかにもなワザとらしさに溢れていても、なぜか愛嬌があってイヤミに感じない。ウィルドーのヴェラは、時には手足をばたつかせ、白目をむき、歯をむき出しにして、罵詈雑言を連発し怒りを露わにするが、時には完全な無表情で冷たい視線を漂わせるだけである。この極端な二面性が、そのままヴェラの強烈で魅力的なキャラクターを作り上げている。

ジュニアがあたふたとヴェラをリフトし振り回すシーンで、今回はクーパー君のメガネが勢い余ってずり落ちていた。ポマードでなでつけた髪も乱れている。ヴェラ役のウィルドーが、「初心者のわりにはお上手ですわ」と言っている間、クーパー君は笑いながらメガネをかけ直していた。これはアクシデントだが、この方がいっそのこと自然である。それにしても、あの細いワイヤー状のマイクはよく動かないもんだな。何で固定しているんだろう。クーパー君は地毛にマイクをつけているのに。ちなみに今日はマイクの先端が額に出ていて少し目立った。いつもは髪の中にうまく紛れこませているんだけど。

フランキーとシドニー(Matthew Hart)に、ジュニアが習ったばかりの「奴隷の踊り」(はっきりいって床を踏み鳴らしているようにしか見えない)を披露する。ここのシーンで、今日のクーパー君は、「ステージ・マネジャーが、僕の踊りはカンペキだ、って言ったんだ!」と言いながら、片腕を上げもう片腕を下げながら、上げた片脚をそのままブラブラと揺らしていた。たったそれだけなんだけど妙に笑える。

“There's A Small Hotel”の踊りは、私はやはり群舞は好きになれない。でもジュニアとフランキーが踊る部分の振付は好きだ。ふたりで歌う部分の出だし、ふたりで腕を組み、クーパー君はもう片手をポケットに入れたままで、上半身を動かさず、足だけでゆっくりとステップを踏む。あと前にも書いたけど、ふたりで後ろ向きに軽くジャンプするところ、クーパー君の後ろ姿がとてもきれいである。それから片脚を後ろに上げ、片足で小刻みに跳びながら体を回転させていくところ。

コンスタンティン役のイヴァン・カヴァラッリ(Ivan Cavallari)も、今日は自分で細かい部分の演技や踊りをアレンジしていたようだった。人の名前を覚えられない、ちょっとマの抜けた楽屋口番のジョー(Greg Pichery)に、「モロサインさん!」と間違った発音で呼ばれるシーンで、両腕を互い違いに上下させながら、つま先立った片足でくるくると回って舞台中央まで移動してくる。回転しているので腕の動きが螺旋形になってとても美しい。それがいきなりドン、と足を踏み鳴らして止まり、「モロシンだ!」と言い返す。

バーを使ってウォーミング・アップをしているディミトゥリー役のアイザック・マリンズ(Isaac Mullins)、本日のカメラに向かってのキメのポーズは、「奴隷の踊り」の最初で、こぶしを握った片腕を上にあげ、もう片腕を下におろしたヤツだった。ジュニア、フランキー、ペギー(Gillian Bavan)が話している背後でも、さりげなくいろんなバレエの動きを披露。大仏みたいな腕の形をして左右のルティレとか。つま先立った片足だけで、自分の体をぐっと上に持ち上げる瞬間の動きなんかを見ていると、なんかバレエってすごいなあ、と思う。

同じ公演を長期にわたって観ていると、メキメキと頭角を現してくる新顔が必ず1人か2人はいる。あくまで役柄からはみ出ることなく、しかし自分の役作りをどんどん工夫していって、いつのまにか観客に注目されるようになる人だ。今回の公演では、やはりこのマリンズがダントツである。もちろんカヴァラッリ、ハート、ビヴァンもこの公演では新顔で、日に日にどんどん自分の役になじんでそれを発展させていったが、彼らはもともと長いキャリアを持つベテランなので除外。

ディミトゥリーの後についていこうとしたジュニアは、スキャンダルを探っている女記者につかまって取材を受ける。クーパー君、2度目に「ダー!」と答えた後、バレエの振りをマネして、片手をヒラヒラさせる。さっきの片足ブラブラといい、ほんの少し、いつもの動きと変えているだけなのに、どうしてこんなにおかしさが倍増するんだろう。もちろんクーパー君は、今回のプロダクションのオリジナル・キャストだけど、この人も今回の公演に関しては、自分の役作りを絶えず工夫させていっている。数年間も距離をおいていたスワン役とは違って、このジュニア役にはまだまだ改善の必要がある、と感じているのだろうか。

“La Princesse Zenobia”は、お笑い度がどんどんアップして、もはや吉本新喜劇になった。特にヴェラとコンスタンティンのどつきあいはハデになった。細かな部分にも、笑える演出が新たに取り入れられている。姫役のヴェラは、貧しい青年役のコンスタンティンと抱き合っている間、ビミョーにイヤそうな表情をしている。ヴィジュアル的に笑わせるという方針は、この“La Princesse Zenobia”で顕著である。より笑えるようにはなったけど、お笑いバレエという要素が支配的になったのは少し残念でもある。この“On Your Toes”という作品の上演が難しいのは、ジュニア役もそうだろうけど、コンスタンティン役のキャスティングの難しさにもあると痛感した。

水をさすようなことを言って申し訳ないが、これは事実である。“La Princesse Zenobia”でのコンスタンティンのソロは、ロンドン公演では凄まじい見せ場だった。今でも忘れられない。10メートルもない目の前で、イレク・ムハメドフが、ジャンプして着地したその足でまたジャンプしていって、しかもジャンプしたその都度、空中で止まってた。開演前の右脚を横に伸ばした状態での長時間ピルエットも、決してそう大柄ではない人なのに実に大きく見えたし、脚は90度以上に弓なりに上がり、軸は微動だにせず、まったくガタつくことなく、流れるように回っていた。しかも舞台の最前面で。彼の軸足の数十センチ先は、オーケストラ・ピットだった。

“On Your Toes”のプロダクションには、今まで何種類かあったようだけど、コンスタンティン役はどんな人が担当していたんだろう?“La Princesse Zenobia”は、みな「お笑いバレエ」という位置付けだったのだろうか。

青の奴隷役で出てきたクーパー君は、他の奴隷たちが順番にマントを剥ぎ取られて、前に飛び出してポーズをキめていく間、その姿を見つめながら、「なるほど、こう飛び出して、こうポーズをキめるのね」と、うなずくように顔を上下させている。マントを剥ぎ取られて前に飛び出してきたクーパー君、もちろん体に青い塗料を塗り忘れているが、更に耳にも塗り忘れている。「耳なし芳一」と命名。ジュニアの世話を頼まれた奴隷役のマリンズ君は、塗料を塗り忘れたことに気づかないジュニアに向って、“F**k you!”というふうにこぶしを突き出す。

ジュニアのヘボ踊りも細かく改善(笑)されていて、ゆっくりした音楽に合わせて、徐々に回転していく振付なのに、早トチリして自分だけさっさと1回転してしまう。また両足を広げて横にジャンプする振りでは、脇にいたダンサーたちを蹴っ飛ばしそうになり、ダンサーたちはあわてて避難する。ジュニアがヴェラの尻に頭突きするシーンでも、コンスタンティンがジュニアを舞台脇に追いやり、ヴェラに目配せする。ヴェラはジュニアの姿を隠すように彼の前に立ってポーズを取り、優雅な微笑を浮かべるが、起き上がったジュニアに尻を頭突きされ、前につんのめる。

ジュニアは昔のボケでまた笑いを取ろうとして暴走し、おそらくはワザと(?)ハーレム・パンツを脱ぎつつロープにぶら下って現れる。全員でポーズをキめているダンサーたちとヴェラ、コンスタンティンの間から、尻まる出しで前に転がり出て、コンスタンティンはあわてて彼をまたぐように立ち、ヴェラもジュニアの体を隠すように前に立ち、再びポーズをとって微笑する。爆笑し続けていた観客から大きな拍手が送られる。

終演後、ジュニアは奴隷たちに袋叩きにされた上に、カーテン・コールではシャー役のダンサーと手をつなごうとするが、頑強に拒否される。主役二人のカーテン・コールでは、本日のコンスタンティンはヴェラの足元に花束を叩きつけていた。しかしヴェラは微笑みを絶やさず、花束を拾い上げると、いつもより以上に力をこめて、コンスタンティンの足を思いっきり踏んづけて去る。

もはやいうまでもないことだが、“La Princesse Zenobia”は劇中劇であり、出演者たちは本来の役柄のキャラクターで、更に劇中劇のキャラクターを踊り演じている。そして、私たち観客も、「“La Princesse Zenobia”を観るために、コスモポリタン・オペラ・ハウスを訪れた観客」という役柄を受け持たされている。これは最後の“Slaughter On Tenth Avenue”でも同じ。実は、観客にも「観客」という役を与えて公演に「出演」させてくれることが、私にとってはこの作品を観る楽しみのひとつでもあったのだった。

というわけで第一幕は終わり。第二幕、そして本日の日記もまだ続く。


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