Club Pelican

Diary10

2004年5月9日

実はこれを書いている今は11日で、仕事が超忙しくてまた仕事上のトラブルなどもあり、大いにフキゲンです。言葉がかなりキツくなっていることを前もって申し上げておきます。後で落ち着いたらソフトな表現に改めます。(たぶん)

今日も会場はほぼ満席であった。今回は1〜12列左右両サイドの席のチケットも販売されていたようで、端まで観客が入っていた。ゆうぽうとの客席は、奥行きがあまりなくて(1階席はオーケストラ・ピットを除くと24列まで)、横幅が広い(1列あたり最多で54席)という扇形をしている。よってあまり端の席に座ると(特に前列であればあるほど)見えにくく、首を始終舞台の方にねじ曲げていないといけない。1〜12列左右両端の席を販売しなかった日と販売した日があるのは、やはり今日みたいな週末とか祝日とかは全席を開放し、平日は最初から販売されなかったようである。

序曲冒頭のサラ・ウィルドー(Sarah Wildor)のアラベスク、本当に美しかった。完璧180度開脚。アラベスクのポーズをとる前に、片脚を思い切り上にあげて前に踏み出しながら、片手を上に伸ばす動きが音楽に見事に合っている。

今回の公演では、サラ・ウィルドーのパフォーマンスが大好評である。前に書いたとおり、この公演にはあらゆるジャンルのファンがつめかけているが、観客から最も高い評価を得ているのはウィルドーである。彼女のパフォーマンスに対する観客の反応や喝采がそれを証明している。先入見のない人々の意見は最も信頼に値する。それにも関わらず、また彼女を的外れなことで侮辱するようなレビューをどっかに書いたアホがいるらしい。

ディミトゥリー役のアイザック・マリンズ(Isaac Mullins)、美少年だしバレエの技術もすばらしい。特にバレエのシーンでは、ほとんどと言っていいほど大事な役を担当している。序曲でのバー・レッスンや、ジュテで舞台を横切っていくシーン、“La Princesse Zenobia”開演直前のウォーム・アップのシーン(カメラマンにカメラを向けられ、一瞬ワザとらしくカッコつけたポーズをとるところが笑える)、“La Princesse Zenobia”での奴隷の踊り、“On Your Toes”でのバレエなどでは、ピルエット、ザンレール、アティチュードでの回転など、いずれも美しく見事に決まっていた。彼は“Slaughter On Tenth Avenue”で、ロン毛の金髪のヅラをつけ、赤いドレスを着て男性と踊る。体がとてもしなって柔らかい。でも体はやはりゴツい。バレエの男性の衣装だとすっごく細いんだけど。

マリンズ君、“La Princesse Zenobia”終演後、尻まる出しのジュニア(Adam Cooper)にケリを入れていた。“Slaughter On Tenth Avenue”でジュニアにメモを渡す部分でも、ひきつった表情で無理に笑いを浮かべ、手や足をワザとらしく動かして、ジュニアに踊り続けるように身振りで示す。表情や動きが前よりもずっとコミカルになっていて、観客の間から笑い声がもれていた。その調子だ。

“La Princesse Zenobia”で、ヘマをやってばかりのジュニアに激怒したコンスタンティン(Ivan Cavallari)は、「どかんかコラァ」という超コワイ表情でジャンプしながら、ジュニアを舞台隅に追いやる。次に反対側へ向かって同じようにジャンプしていくのだが、そのときはうってかわって、いかにもダンスール・ノーブル(?)らしい優雅な微笑みを浮かべながらジャンプする。その表情の落差があまりに激しくて笑える。

カヴァラッリはパートナリングが実になめらかである。力技のパートナリング、という感が時には否めないクーパー君、そして見事なパートナリングもテクニックのうち、とばかりに観客に強調するイレク・ムハメドフよりも、カヴァラッリはごく自然にやっているようにみせる高い能力を持っている。

コンスタンティンは姫とのパ・ド・ドゥの最後で、姫役のヴェラをゆっくりと振り回しながら彼女の体を徐々に下げていくが、ヴェラが着地する前に彼女を乱暴に床に放り出す。ヴェラはあおむけにべちゃっ、と倒れるが、慌てて起き上がってポーズを決める。観客は大爆笑していたが、これは放り出す方も放り出される方も、技術がないとかなり危ない荒技じゃないかとみた。

姫役のウィルドーは、今日の“La Princesse Zenobia”では、コンスタンティンの局部を蹴っ飛ばしていた。コンスタンティンは客席に背を向けて横たわったまま、痛みをこらえるかのようにこぶしを床にドン、と叩きつける。ウィルドーは常にポーカー・フェイスだが、表情だけはとりすましたまま、自分のターバンをバシッとはたいていったコンスタンティンを、白目をむいて横目に睨みつけ、歯を一瞬の間だけむき出しにして怒りを露わにする。彼女はクール・ビューティーなだけに、表情をほんの少し変化させるだけですごい効果がある。

ちなみに奴隷役として急遽出演したジュニア(クーパー君)は、体に青い塗料を塗り忘れたばかりか、腕時計をはめたまんまで踊っている、という設定。日本の時代劇で、役者さんがやはり腕時計をはめたまま撮影に入ってしまった、というNG話をよく聞くけど、向こうでも同じようなNGはやっぱりあるんですね。

“On Your Toes”で、ジュニアとフランキーが踊るシーン、クーパーの靴がずるっ、と滑ってヒヤリとした。クーパー君も、おおっと、という顔を一瞬した。少しバランスが崩れただけですんだが、彼は踊りの調子がいいのと悪いのとははっきりと出るが、踊りそのものをミスするのはめずらしい。ミスというよりアクシデントか?

“Slaughter On Tenth Avenue”の出だし、開脚しながら逆さになって椅子に座っている(というのかな?)美女がいる。ウェイトレス群の赤い下着もロンドン公演よりセクシーになった。マシュー・ハート(Matthew Hart)の警官はとてもユーモラスで、色っぽいウェイトレス(Juliet Gough)のボディ・チェックをするとき、胸、腰、フトモモ、おまけに両脚の間から彼女の股間にタッチし、ビンタを食らう。文字どおり鼻の下を伸ばしたイヤらしい表情で笑える。彼の演技や台詞回しはすばらしく、不自然さや素人くささが微塵もない。意外なことに、彼は“On Your Toes”ではタップ群の中で踊っている。広い芸域を持つ人である。個人的には、彼のバレエをもっと観たいものだが。もっともイギリスでは、特にエンタテイメントの世界では、一つの分野しかできない人の方がめずらしいそうである。

“Slaughter On Tenth Avenue”でのクーパー君のソロは、キレがよくシャープ。斜め跳び回転ジャンプもダイナミックでかっこいい。体を斜めにして軽く飛んで回転したとき、空中で両脚の位置を組み替えているようにみえた。なんでか分からないけどこれはカッコいい。

ストリップ・ガール(ヴェラ)とダンサー(ジュニア)との踊りでのリフトは、複雑な技の連続である。たとえば、 (1) ウィルドーがクーパーの頭と背中の上に乗っかる → クーパーがウィルドーの体を前に回し、彼女は両脚を上げたまま → さらにクーパーがウィルドーの体を左側から背中に再び回し → 右側からウィルドーの体をようやく下ろす。この間、ウィルドーの足は一度も地面に着かない。 (2) ウィルドーがクーパーの頭と背中に乗っかる → ウィルドーがそのままクーパーの背中を滑り落ち、片脚を広げて着地する。 (3) クーパーが肩と背中でウィルドーの体を天秤棒のように抱える → ウィルドー、両脚を開脚したまま、クーパーの肩と背中だけをつたって、彼の体の左側から右側へ移動、着地する。

カーテン・コールはかなり長めになった。あっさり版では観客が納得しなくなっているようだ。前にも書いたとおり、舞台の出来がどんどん良くなっているので、決して無理矢理な感じはしない。一刻も早く終わりたいだろう出演者たちやオケの人々には気の毒だが、これも観客へのサービスの一環だろう。とはいえ、日本の観客のこうした反応は意外だったらしく、出演者たちはとても嬉しく思っているそうである。

会場のロビーでは、“On Your Toes”の後日の公演チケットが販売されている。座席表を見て席が選べるとのことである。以前に同行した友人が、ここで“On Your Toes”の後日の公演のチケットを購入していた。その人がいうには、平日の公演分であっても、もう良席は残っていなかったそうだ。購入した席番を尋ねたら、確かに、もうこのエリアの席しか残っていないのか、という席で(ごめんね)、その人も、まあ今の時期では仕方がない、とあきらめていた。

会場内で販売しているチケットの残席状況からみる限り、チケット販売はもう残席の消化を待つ段階に入ったようである。そして、私は平日、祝日、週末ともにもう5回の公演に足を運んだが、会場はいつも大にぎわいで、空席を見つけるのが難しいくらいであった。

こんなことを書いていてなんか虚しい気分になってきたが、あえて書くことにする。チケットの売り上げがよい=成功、という限定的な見方をするならば、“On Your Toes”はかなり「成功」している、とみなすことができる。今のところは幸いなことに、届くたびに内容が異なるセールス文句が書かれた、半額近くにまで値を下げた割引チケット案内のメールも届いていない。私は、この作品が受け入れられることは難しいだろうと予想していたが、会場の雰囲気は、結局ロンドン公演でのそれと大きな違いはなかった。

世間話。一読すると褒めているようにみえる文面なのに、実はけなし目的で書かれている文章はそうめずらしくはない。たとえば、ある公演についての感想で、表面的な文章を読む限りは、その公演を褒めているように受け取れる。それなのに、ナゼか読後に不安や不快感が残ってしまう。そういう文章の本当の目的は、読んだ人に、その公演に対してマイナスなイメージを植え付けることである。私も時々やるけど、好意的な見方を装った悪意ある文章である。

たとえば“On Your Toes”を例にとるなら、表面的には“On Your Toes”を褒めているが、なんか読んだ後に、傷ついた落ち込んだような気分になってしまった、というなら、その筆者の真の意図は、“On Your Toes”を隠微な形で貶めることにある。その場合、同じ筆者が、“On Your Toes”と何らかの点で競争関係にある(とその人が思い込んでいる)、他のカンパニーの公演についてはどういう感想を書いているか、または後になってどういう感想を書くかに注意するとよい。それらと比較することで、その人が“On Your Toes”、あるいはアダム・クーパーに、あらかじめ反感を持っていたのかどうかが判断できるから。


2004年5月6日

まず、かねてより懸案の事項についてである。“He is the head eunuch!”というセリフが、ロンドン公演で観客に大ウケしていたことについて、複数の方よりご教示を頂いた。前に書いたように、このセリフは、ペギーがジュニアに団員のディミトゥリーを紹介するときのものである。東京公演では青の奴隷役の一人(Isaac Mullins)がディミトゥリーという設定になっているが、ロンドン公演では金銀の装飾品を身に付け、紫のハーレム・パンツを穿いた宦官役(Ewan Wardrop)がディミトゥリーであった。

だから“the head eunuch”とは「宦官長」を意味する。しかしご教示によると、“head”は男性のアノ部分を意味する隠語だそうで、更に“eunuch”は宦官の意から転じて、男性を罵倒するときに用いられるということである(映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」でも、“eunuch”が男性を罵る語として出てくるそうだ)。とゆワケで、“He is the head eunuch!”は、表の意味は「彼は宦官長よ!」だが、同時に「彼は玉なし竿なし男よ!」もしくは「彼はチ×ポ宦官長よ!」という下ネタギャグでもあったのだった。それで向こうの観客は大笑いしていたのである。納得した。ご教示下さったみなさん(今回は特に名を秘す)、本当にありがとうございました〜!!!

で、本題に戻ると、私は本日の公演を観に行った。日曜日以来だったが、やはりパフォーマンスの全体的なバランスが非常に良くなっている。2日目の公演を観たときは、なにしろ主役のクーパー君の歌や踊りからして本調子ではなかったし、タップ・ダンサー群もバレエ・ダンサー群も不安定で、群舞もバラバラで心配したが、先週の公演とは見違えるようになった。もっとも、このまえのマシュー・ボーンの「ナットクラッカー!」も1週目はぎこちなかった。長期にわたる公演の場合は、たとえ外国カンパニーの公演であっても、いや、外国のカンパニーならば余計に、数日間のプレビュー公演を設定した方がよいのではないかと思った。

今日はクーパー君の歌も踊りもすばらしかった。今日は歌が安定していた、というか、ロンドンで聴いたときよりも伸びがあって美しかった。タップについては、なんだか足の動きがまだ今ひとつ鈍い感じがした。タップを踏む音も、あの会場中に響き渡っていたピシ、ピシ、という鋭く澄んだ音はいまだに聞けていない。しかし、他のタイプの踊りはすばらしかった。なによりあの長い四肢をフルに使った、鋭い直線や美しい曲線を描いていくような踊りがすごく印象的だった。

それに彼はポーズがとにかく美しい。“There's A Small Hotel”で、フランキーと一緒に踊るとき、後ろ向きに軽くジャンプしたときの後ろ姿だけでうっとりしちゃう。ただ振付に関してだが、フランキーとジュニアの踊りは瀟洒で良いんだけど、あのボーイやメイドの群舞は何とかなりませんか。いちばんツラいのは、あの群舞の振付がどうしてもやっつけ仕事的な、振付者のやる気があまり感じられない踊りに思えてしまうことなんです。カートにメイドが乗っかって出てくる演出がなくなったのは歓迎だけど。

“Slaughter On Tenth Avenue”での、ヴェラ(Sarah Wildor)とジュニアの踊りは本当に見応えがある。ただ見た目に派手なだけじゃなくて、あれだけ複雑で激しい振付の踊りを踊っていながら、ふたりともいささかも躊躇することなく、顔色ひとつ変えず、お互いが挑戦的に踊りながらも、ふたりの息がピッタリ合っているところがいちばん凄まじい。あの踊りには思わず息を呑んで見入ってしまう。ライティングの工夫もすばらしい。音楽と振付とを盛り上げ、更にこれらの要素が相乗効果を生み出し、なおさら凄絶なシーンになっている。

“La Princesse Zenobia”も“Slaughter On Tenth Avenue”も、細部に至るまで作りが細かくなっている。舞台のあちこちで色々なストーリーが展開されている。こう書くとまた、それはマシュー・ボーンの影響が・・・と思う方はいるだろうけど、まあ確かにそれもあるだろうけど、でもたとえばケネス・マクミランの全幕バレエなんかも、それこそ端役に至るまで、それぞれの役の演技が実に細かく設定されていて、舞台のあちこちでいろんなストーリーが同時展開してない?よう分からんけど、こういう多様で細かい演出って、イギリスの舞台作品の特徴なのではないのかな。

“La Princesse Zenobia”は、ヴィジュアル的に笑わせようという方針を強く打ち出したのか、本日の同行者の表現によると「コテコテ」な演出や振付が先週よりも多くなった。ヴェラとコンスタンティンは、パ・ド・ドゥで対等に過激などつきあいを展開し、ジュニアが不恰好な踊りを踊っている間にも、舞台の隅でさりげなくケンカをしている。また、ジュニアがコンスタンティンに突き飛ばされて大股広げて床に倒れ、それから慌てて四つん這いになって起き上がったとき、ちょうど前に立っていたヴェラのお尻に頭突きをしてしまう。そのときのウィルドーの“Oh!”という表情が超笑えた。

ただし、1回で全部ハーレム・パンツが脱げるのは不自然だし、いかにもウケねらいという感じが強くなっていささか下品になっている。このシーンには、やはり3回ヴァージョンを推奨したい。でもこれは、ジュニアが子どものときにヴォードヴィルの舞台でウケた下品なボケを、ついバレエの舞台でもやってしまった、ということなので、この方が辻褄が合っている、といわれればそうなんである。

“Slaughter On Tenth Avenue”で、ストリップ・ガール(ヴェラ)が男たちに持ち上げられて踊りながら、ダンサーの男(ジュニア)を誘惑するような微笑みを浮かべている。一旦は彼女から離れたダンサーの男は、彼女のことを気にかけまいとしながらも、どうしても彼女に目を向けてしまう。これはロンドン公演とは違い、ダンサーの男もまたストリップ・ガールに積極的に惹かれていく、という設定になっていて、これも良い改変だと思う。

ちなみに、あのおカマはアイザック・マリンズ(Isaac Mullins)だった。まだまだバレエ・ダンサーらしい控えめさが残っている。もっと悪ノリしなさい。

ジュニアが最後の踊りを何度も繰り返していることで、死んで倒れているビッグ・ボス(Greg Pichery)とヴェラが、途中でかすかに身を起こして不審そうな表情をする。それからコンスタンティン(Ivan Cavallari)が、それまで座っていた前列左端の席から、オーケストラ・ピット前の中央まで走り寄ってジュニアに銃を向け、そこに警官2人が駆けつける。これでコンスタンティンがジュニアを狙撃しようとしていたことが前より目立つようになり、結末が分かりやすくなった。

カヴァラッリは台詞回しが一本調子で抑揚がなく、語と語との切れ目もないために、セリフが非常に聞き取りにくい。でも演技は悪ノリ度が増してきて、観ていてとても楽しいし面白くなった。

ジュニアが脱いだタンクトップで顔の汗を拭いて“One more time!”と絶叫するシーンは、特にクーパー君が汗をふきふきする仕草がかわいい。観客は大笑いで拍手していた。

“Slaughter On Tenth Avenue”の幕が下りたシーン、セルゲイ(Russell Dixon)がジュニアを抱きしめ、そのクチビルにむちゅ〜、とキスをする。そのときのクーパー君のビックリしたイヤそ〜な表情が実によろし。羨ましいぞRussell Dixon。

もう書いたけど、フランキー(Anna-Jane Casey)とペギー(Gillian Bavan)の歌が非常にすばらしい。Anna-Jane Caseyは去年のロンドン公演のときより、明らかに歌唱力がえらいことアップしている。Gillian Bavanの歌う“You Took Advantage Of Me”は、今日はとりわけすばらしかった。喝采が少ないのが残念だった。でも多くの日本人は、口笛とか歓声とかブラボー・コールとかを浴びせ慣れてないから仕方がない。

今日のカーテンコールはにぎやかだった。前とは違って、カーテン・コールが長くなった。拍手ばかりでなく歓声も上がっていたし、一部の観客はスタンディング・オベーションをしていた。そこまでするほどの演目かなあ、という気もしたけど、実際、今日の公演はすごく良かったので、まあたまにはこういうのもアリかな。


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